ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

ファミタク de 卓球

2009年04月10日 00時25分07秒 | 味わうねーさん
おいら、まぁ、なかなかなもんだった。

だけど「試合しよう。」となると勝てないのは相変わらず。(ぶはははは・・・)
どうしても勝ち負けを意識すると気分がのらないんだよねぇ、狂っちゃうの、何かが。このおねいさんは。
顧問にも叱られたような記憶があるなぁ。

なんかさぁ、「相手を負かす」っていうノリに気分が失せるっていうか。

中学3年間をまるまる費やした卓球は、
見るのもイヤなくらい、思い出すとイヤ~~~な気分になるくらい、
血反吐吐いて勝つことが目的のような部活だったから、
ほ~~~~んとに思い返す事を拒否していたんだよなぁ。

顧問の先生(♂)は確かに(母親が「あの先生が間違いが無いからあの部活にしなさい。バトン部? ダメよ、絶対にダメ。卓球部のあの先生の部に入りなさいよ。」と言うだけあって。)素晴らしい英語の先生だったし、生徒指導が熱心で、勉強の成績まで管理されるし、そのくらい熱心だった。

(ね)ら卓球部女子は「顧問の隠し子」と冷やかされたくらい、年中べったりだった。

先生自身も非常にストイックに陰で努力しているようなタイプの人だった。

「思い返すのも嫌だ」と思いつつも、ただ、ひとつ言えるのは、
どんなに大変で究極に追い込まれてもなんとか持ちこたえる気力だけは、
この中学3年間の卓球で培われたように思う。(正直そういう風に思うのもイヤな時期はあった。)

「アノ時、ああやって気分を切り替えて乗り切ったから、今回もそんな風で行くかぁ。」みたいな。

同級生で同じ部活を頑張った友人らは、

「あの3年を辞めずに乗り切っておいて良かった。
ちょっとやそっとじゃへこたれない根性が植わったから。
あれ以上大変なことは、あれからの人生無いくらいだもんねぇ。」

って口にする。


(ね)は「○○がそんなセリフ(言葉)吐くとはねぇ。」って感じの風味の子だったんだけど、
表面にそんなことを微塵も出さなくても、人生も長くなれば、みんな色々な出来事に遭遇する訳で、
しみじみして、やっぱり心に落ちてくるんだろう。

別にスポーツに限らず、音楽だろうが、武道だろうが、なんだろうが、
「逃避しないでひとまず乗り越えた。」というのは、精神的な貴重な財産になる。
知能/知識が向上するんじゃなくて、精神的に上がれるんだよな。

これをいくつかやっておくと、
「なんとなく常に不安。」ってことから解放されるっていうかね。

身体に叩き込んだ型っていうのは、長いブランクがあろうが、
少~~し慣らしていくと、身体がちゃんと思い出す。


すごいわぁ。
今日改めて実感したもんね。


ラケットケースのButterflyのロゴが年代を語る・・・
ラケットはTSP(ヤマト卓球)製の中国式ペン、ラバーはバタフライ製のタキネス。
(うわっ、タキネスだってよぉ。なつかしやぁ。)

ラバーはかれこれ26、7年前くらいのだから、ツルツルのカラカラでボロボロ。

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