ねーさんとバンビーナの毎日

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危険な状態を放置出来ない、だから結論を急ぎたい。

2009年11月02日 22時00分47秒 | 観察屋ねーさん
この患者の危険な状態を放置出来ないと判断した医者が結論を急ぐ場合、

「生かしますか? 死を選びますか?」

となる訳ですよね。

その家族にいきなりそんな残酷な選択を突きつけられる訳です。

生かしたい=生かす答え(手段)を出していく。
死を選ぶ=残った体力に任す。


「危険な状態を放置出来ない、だから結論を急ぎたい。」

このセリフも今日の予算委員会で民主党から出た言葉なんですが、

「危険な状態を放置出来ない」と判断してる割には、まだ別の答えの合意を取り付けているような感じで、「答えはいつ出せますか?」の問いに、「お答え出来ない。」と言うんだからなぁ。
それは、現実的には、結論を急いでないか、「急げ急げ!」と尻を叩いて相手を急かして追い詰めてる状態ではないのかなぁ、と想像する。


まぁね、自分たちが結論を出すのではない、みんなで結論を出すのだ、ということなんだよね? ということはつまり「答え」を持って選挙に出たのではなくて、「ひっくり返したい」というあたりで選挙に出てませんか。
だったら結論は急いでも仕方無いっていうか、「急げ急げ」とやると、あんまりいいことないかと。
追い詰められちゃうからさ、そうすると「考え」や「思い」が短絡的になっちゃうじゃーーん。



自分の親が倒れたとする。
「非常に危険な状態です、放置出来ません、どうなされますか?」と問われたとする。
結論を急ぐ家族は「仕方が無い、患者の体力に任せます。」となることが思う。
結論を急がない家族は「なんとか生きる方向性は考えられませんでしょうか。」となると思う。

というか「危険な状態なんだ。」という認識がみんなに伝わってない時点で、
その選択を任された人間というのは、
「結論は急げない、現時点の答えだけ出して、前に進むしか無い。
その中で結論が自ずと出るだろう。」っていうのが正常な判断かと思う。

主要な人だけが結論を急いで、
「仕方が無い、患者の体力に任せます。」的にしてしまった場合に他の家族が、
「なんで相談してくれなかったんだ。」ともめるのはよくある光景だったりしますわなぁ。

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