ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今ってバランスを取るために補助輪いっぱいくっつけちゃう風?

2016年02月24日 22時25分16秒 | 観察屋ねーさん
自力で自転車に乗れたときのことを思い出してください。

しばらく補助輪付きで自転車に慣れておいて、ある時、補助輪を外す。
それはもう自分でバランスを取るために必死になりましたよ。

自分でバランスが取れるようになったら、今度は補助輪付きの自転車が怖くなったものです。(補助輪に引っ張られて微妙に左右に傾くから。)



仕事場で「バランスが大事なんだと思うんですよ・・・」って言葉が耳に入ってきて、どうも「ギアをどちらかに傾け切っちゃう(パワーバランスに強弱がある)のはよろしくないんじゃ・・・」っていうようなニュアンスの背景があって言ってるような感じ。

バランス取るために、あっちにいい顔、こっちにいい顔して、補助輪をたくさんつけてっちゃってる感じ。

補助輪扱いなんですからね、所詮。
絆!仲間!痛み分け!とか口が言おうが、本質は違うんですから。
「みんなそんなもんだもん。いいじゃん。」って風。

おい、それが自分の余計な足かせになってること、早いところ気がつけぇ!???


みんなでゴールしよう。
一番はなし。
順位付けなし!


って、そうやって幼稚園を過ごしてきた世代(上の世代でも競争なんか意味がないって思ってる人とか)がいますよね。



何を勘違いしちゃうんだか、「バランスとってみんなでおんなじ」って一番居心地悪いはずなんですよ。
だってもともと個々は違うものなんだから。

「みんなでおんなじ!って風に見えるような演技をし続けなくちゃいけない」んですよ?
それしてるからすぐ○パニックになってキレやすい(×火がついてやかん沸騰)んですよ。
だって自分が自分じゃないんだもの、すでに。
そこに神経使いすぎてて大事なこと落としてるから、すぐにパニックになるんですよ。


ビジネス現場でもそう。
そうやってたら短期で○勝負(×競争)かけなきゃいけない新規事業(作戦実行)なんて成り立たない。
「みんなで同じだよね。バランスを決めましょう。」なんて確かめ合ってたら、絶好のタイミングを逃すわけでしてね。
なのでこういう現場では「教えなくてもすでに自分で立ってる人しか巻き込めない」ってのはあるんだよね。
それは親切心でもあるんですよね。
むやみに巻き込んでむやみに痛めつけちゃったら可哀想じゃないですか。


「それぞれがまずは自力で立ってて支え合う」のが「バランスが取れている」ってことなわけで、「みんなが同じように平等ってのは所詮ないの」ってところ、ほんとに腹括ってくれないかなぁ。
「公平さ」くらいしか実現できないのよ。

あの日本郵船の船長も豪華客船の長い航海を経験してきて、実感として語ったよなぁ。
「これだけいろんな人種がいるんだもの(顔かたち、体形、資質、宗教感などなどなど・・・)、平等はそもそも成り立たなくて、公平さを常に心がけてないといけない」って。


「バランスをとってみんなで同じ」は「公平さ」とはまったく違うこと。
平等になろうとしちゃってるんだろうなぁ。
自覚ないでしょうけども。




この記事についてブログを書く
« よし、来月、スマホに戻そう。 | トップ | いい香り。 »