ねーさんとバンビーナの毎日

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「そもそも論は言うつもりはない」とか、「そういうのはそもそも論だから」とか・・・

2015年07月20日 21時13分01秒 | 観察屋ねーさん
「“そもそも論”は言うつもりはないんです。
「この状態をどうするかしか・・・」という話にしていかないと・・・」

とか、

「そういう指摘は“そもそも論”ですよねぇ。そこを言っていてもね・・・」

とか、


ここんところ耳につくワードのひとつに「そもそも論」という言葉があるんですが(オバチャマは)、今日夕方のフジテレビのニュース番組でも安倍首相の話に「そもそも論はいうつもりがない(新国立競技場の問題の話の時)」ってのがありましたっけ。


何かが継承されていく中で、現状、不具合や問題が起きていて、「それをどうするか。」っていう状況になっていることは、かならず白紙に戻すというか、戻される事態になるんだよねぇ。
いくらそこだけ拾って修正しても結局は振り出しに戻すしかない状態になるんですよぉ。


オバチャマはコンピュータ関連のシステム構築の不具合や問題が起きたりしたときに激痛感済み。
「その不具合のところだけ対策する」ってところだけやっておいてもダメなんですよ、結局。

かならず「白紙ベースに戻して整理(複雑にしたところを全部ハズして骨組みだけに戻すというか)しなおさないと(やりなおさないと)どうにもならない。面倒くさいがこれしないとどうにもならない。」ってことをまさに実体験の中で心に刻んだものです。


けどねぇ、この判断も勇気がいることなんですよ。
さらに不審に繋がる場合もあるわけでね。

(「頼んでやってもらってるだけ」の相手側からすると「なんでそこまで?」「どういうこと??」「もしや・・・(←ネガティブな妄想は本当に想像以上に膨らませます、人って、無責任に。)」ってなるから。)


だからこそ、当たり障り無い計算だけのビジネスライクな関係ではなくて、友好的な建設的な関係作りは常に心がけるわけでしてね。

(だってさぁ、失敗はあるからぁ、どっちの側(頼んだ側、請け負った側)も。
「大丈夫ですよ、人手でフォローしておけますから。時間かけてじっくりやってください。こっちも何か手伝えますか?」なんて言ってくださるお客様もいるわけですよ。)

そのせいか、そういう嫌な足のすくい合いみたいなトラブルに発展するような経験は避けて通れたなぁ。



「そのような“そもそも論”を言っても仕方ない。
どうすればいいかの意見を言ってくれないと・・・」

というような管理職の元にいる部下が

「え・・・・、う~~~~ん・・・」
「いや、だって、やっぱり、そもそもがですね・・・・」

となってしまう状況ってあって、あれは管理職が、

「私が長である限り(問題点を考えた上で)こういう風にしていくから、その上で意見が欲しい。」

っていう風に決断して言わないから、下が困っちゃうし、意見もまとまらないんだよなぁ。









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