ねーさんとバンビーナの毎日

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体罰

2013年01月10日 18時05分58秒 | 吠えるねーさん
オバチャマが学生時代の体罰は「そういう演出」として先生方がやられているものではなかった。

「こいつはリーダーだからこいつを見せしめに体罰を(あえて)与えれば他の皆の気が引き締まるだろう。」

そんな体罰はなかった。


昭和50年代(中学高校)の話。


リーダー的な存在の人をあえて見せしめにするならば、

「これでどうだ?背負えるか?乗り越えられるか?」

という○負荷(×負担)をのせていく○シゴキ(×イビリ、イジメ、△イジリ)であり、それを乗り越えていく姿に何かを語らせるのであって(感じる子はその状況から何かを感じ取ったり、いい影響を受けて「自分も頑張る!」と、こうなるのだ。) 、体罰を見せしめでやるのは「まったくわかってないっ!(怒り)」も甚だしいのだ。


恐怖感与えて「従わせる、黙らせる」なんて愛情の欠片もないではないか。
こういう人は気の毒に「愛情を受けたことがないんだろう」と想像するが、だからってやみくもに恐怖感をまわりに与えてその気になられたら、同情の余地などまるでない。
(あたしの場合。)


感じやすい人はすぐに○心を痛めて(×感情を乱して、○持ってる感覚を戸惑わされる)しまうわ。

計算はじいて○演技(×芝居)できる人は恐怖感を与えていい気になる人にすら上手く合わせたりするんだよね。(悪いよ(苦笑))
勘定が出来上がって芝居に入れる人(ひと芝居打ち出すだよ)は、上手く踊らせて自滅させたりするんだけどね。(このこの!(クスッ))
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