こうやって(この難関や難問を)「すり抜けよう」っていう着想ややり方はやめなきゃダメ。
今の現場の部長さんとの会話より。
すり抜け着想でやっちまっていいのは、頭が良い人が旗を振ってる(←この人が最後(どうなろうと)のケツを持つことをキッチリ認識できてる)「策略的」なものなら、まぁ、いいのよ。
なんならやり方のひとつでもあろう。
つまり、そのことを積み重ねて残さなくったってどうにでもなることが最初からわかっているようなこと。
んでこういうのは悪い人(悪いことしてそうな)相手にやらねばだめかな。
つまりはその悪をこちらが善としていただくようなっていうか。
(悪と悪はしらねー笑)
(しかしこれも、そうとは知らずに協力してしまってから「なんなの!!」「失礼じゃないの!!」ってなることはあるよねー。
また所詮は頭が悪いくせに、それ気取りでやり手風をまとって行動して、最後を抱えるのを誰かに押し付けるように「やり逃げかよ!」みたいにドロンする呆れ果てる馬鹿野郎とか。頭が良い人は最初から◯避けて(✖️逃げて)通る。度胸がない人は最初から逃げてる。笑)
思考や経験が浅いと「すり抜け」で対処しちゃいがち。
後は高圧的な(言うだけ番長みたいな)誰かが仕切っている現場でプレッシャーからそうなっちゃう手のやつ。
この話の流れで先日開発現場で期待されている男性が1発やってしまって、私も部長さんもそれがスルーされてしまう前に気がつき「おい、どーしたんだよ!」と思ったのでした。
この部長さんもなかなか良き人で、この男性の直属上司にこの一件を伝えてしまうと烈火のごとく叱られてしまう(今、彼のモチベーションが下がるような状態を作ってしまったらダメな重要案件が動いているので)のをわかっているから、個人的指導に留めて、報告は保留にしてあげてんの。
部長は「奴はまだ取り戻せる。こないだの指摘も理解できていた。これ、全然理解出来なかったり、取り戻せない状態になってしまう人もいてさー。(ヤレヤレ)」と言った。
あー、この見えない意識のところの深い部分を感じ取っていて、しかも抜かりなく見ていて、その上でこの手の話を◯ナウな仕事場(これまでの仕事仲間はココが十分にわかってる人らがいるんで。)で展開できるのが、私からすると、
「何十年ぶりやー、よかったー、まだ生きてる、この部分わかっている近しい年代の人!!!もう会えないのか(もう世の表現場からは消滅)と思うところだった。」
って感じで。
良いお天気の本日、自然光たっぷりのミーティングスペースでこの会話には和みましたわ。