不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

人権とか宗教問題。

2014年10月17日 20時30分44秒 | 考えるねーさん
これさぁ、前々から思うんだけど、企業の社員教育に必要なのかなぁ。


かえって悪循環に至るのだよねぇ。
会社ってのはお金がちらつく場でもあるし、妙なコントロールしだしちゃうからさぁ、みんな。


○グローバル(×国際)とかいう言葉が好きな人は、なんだかああいった“定義”のお話にすぐ前のめりになるんだけど、そもそも国際色豊かな環境(企業)は、定義云々なんかの話より、その環境に有無を言わさず放り込まれる訳で、肌で叩き込んでくだけ。


オバチャマも最初に就職した会社が中国人、ベトナム人、アメリカ人、イギリス人、オーストラリア人…などなどが入り乱れてて、学歴(中卒~大卒)や家庭環境もマチマチだったけど、垣根なかったよなぁ。


人権とか宗教の話だって、個人同士のレベルではそんなに妙な垣根にならないもんだし、かえって最初に定義付けられると構えあっちゃってコミュニケーションがうまくいかなくなったりするんだよ。


「(必要もないのにやりだす場合)何かしらたくらんでる人たちが面倒臭くしたくないから組織コントロールする為にああいった定義を流布して洗脳させたいだけじゃんか~~」と、毎度思う。


「良いコミュニケーション=トラブルがない」なんてのもちゃんちゃらおかしいわけで、あってこそより深まるってもんなのにさぁ。


差別の話だって、や在日に限った話じゃないハズ。


この手の教育は学校教育や家庭内で終わりにしませんか…と思うんだよねぇ。


社会に出たら、そんなことはわかってる上で、各自責任持って行動しろよ、と。
何かあったならば最後には許すゆとりも欲しいよ、大人なら。


ここ何年の企業って益々大人を○幼稚(×子供)化させてるよなぁ…。
この記事についてブログを書く
« 今日突かれたお言葉・その974 | トップ | 父親 »