ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「飽きる」っていう感覚がわからない。

2011年11月19日 21時44分32秒 | まんまねーさん
「飽きる」っていう感覚が考えてみれば「わからないなぁ」っていうか、「飽きる」って「なんぞや?」って改めて思い直してる。

自覚症状として認めてるのは「醒める」っていうのは(大いに)アリますです。

「自分が思い違いしていた」ということでもなくて、「思い違いさせ続けてくれるもの(その気にさせておいてくれるもの)じゃなかったわ、これ。」ってのがわかっちゃうモノや人っていますでしょ。

「それがどんなもんなんだ?」と問われると、「いいこと(○面白いこと(△楽しいこと))しよう」ってわざわざ(ご当人は「わざわざ」のところが無自覚)やってるモノや人なんですよ。
それだから○周到(×厳重)に作られてる訳で、「おっ、いいかも!」「同感です!」って錯覚に陥らせるわけ。

それが「人を醒めさせる」っていうか。


「面白いことをわざわざやるぞ!」っていう場合ってのは、そのもの自体に組み込まれてなきゃいけなくて、そのものは普通なのに、くっつけたような演出でもって面白さを出してあるのが、「げげーーーーーんっ(汗)」なんだよなぁ。


そうならない人は(一時的にでも)同類なんだろうなぁ。
だけど、こういう人ってなんかいつも何かを追いかけてないとダメみたいで、忙しないんだよな。(落ち着いてる風に見えようが、心の中が落ち着いてない・・・ってのが透けて見えてくる感じ。)


でも、ああいう(錯覚させる上手の)モノや人が、人を錯覚に陥らせて、人気工作金集金ビジネスみたいなことやってるんだよね。

そういうのに対してはどうも嗅覚が発達しているオバチャマで「うわ~ぁ、キラ~~~~イ・・・。すんませんが。」ってなっちゃうのですわ。昔から。

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