あたしは中小企業にしか勤めたことがない。
大手メーカーさんの下請け、いや下請けと言っても、とある部品の制作の全てを任せていただいてるという自負心と使命感に満ちた中小企業に勤めている。(そのつもりだ。)
昔はその大手企業さん(第二次産業)に対してこんな風に思ったものだ。
「さすがだ。」
「うわ~ん、何から何まで追いつくのにやっとだ~。すごいスピードで進んでる~~。世の中の流れについていけない~~。」
こんな風。
「所詮下請けなんて屁としか思ってないんだろう?」
そういう感情が沸く隙はまるでなくて、
「一緒に背負ってやってかなきゃいかん。なんだかあちらさんもこちらの力を必要としている。」
そういう感情が先立つような感じ。
そりゃ担当者ひとりひとりを取れば、「なんだかなぁ」と思う人もいたけど、そんなことは取るに足りないことで、ど~~~~っちでもいいことで。
担当者 対 担当者じゃなくて、会社 対 会社の関係維持とか、時代の先を見越しての段取りとか、そんなことを取り持つ部分に始終巻き込まれていた感じだから、「さすがだぁ。」とか「へぇ。(感嘆)」とか関心(後にそれが違う感覚に変化していくんだけど。)に近い感覚が沸く日々だった。
あちらはいつでも全てにおいての先生であって、こちらはあくまで生徒な感じ。
それが今。
この大手さんが下請けの生徒みたいなことになってしまっている。
「こうしたい!」というしたいことはあの時代に一部のところで知らぬうちに駆け巡ってしまって、そんなのももう(実は)終わってしまっていて。
残るは歪みの矯正と矛盾の解消、今取り残されている社員さん達は、まるで巣の中で口を空けてピーピーと餌だけ待つヒナ鳥みたい。
それも「大空へ飛びだす勇気」とか、「大空を飛ぶ楽しみ」も、まるで見いだせないし巣立てない、巣立つことを知らない、そんなヒナ鳥達みたいなことになっている。
それが「おかしい」「何か変?」ってことすら気が付けないくらい可哀相な状態。
なんでだ、どうしてだ、君達!!?
管理職の親鳥達も、
「お~い(呆)、ヒナ鳥たちを育むってことを勘違いしてやしないか?」
ってくらいの覚悟の無さ。
あんたたちだって家に帰れば、少なからず子供を持つ親だろう??
覚悟なんかまるでなくて、
「出来るだけそんな面倒臭いことには関わりたくない。」
とでもいうようなやる気の無さとセコい共依存と帳尻合わせ。
こちらは下請けながら、「飛ぶ勇気」とか「飛ぶ楽しみ」から説明してあげないとダメな局面に立たされてる。
だって「こうしたい」という、したいことはま~~~~るでないんだけど、
「何かどうにかしなきゃいけない」
ということはどうしたって発生する。
「あぁ下請けさん、どうしたらいいものか。
自分は何をどうしたら良いのか整理してもらえませんか。
そしてそれに基づいた段取りの仕方も教えてもらえませんか?」
こんな風ならまだいいくらいで、
「そんな風に相談しちゃえば自分が面倒臭いこと抱えなきゃいけなくなるからヤダヤダ。すぐ騙せそうな人、甘えてもタダでやってくれそうな人、いないかなぁ。あっ!いたーーー!!」
「いいですよ、やりますよ。」
「この馬鹿っ(チッ)。あたい達の仕事を産んでくれるこの大企業さんのこれからの社員さん達をスカスカの能無しロボットにしてどーすんの?
あんたまで呆れるねぇ。
何、そうしたほうがこちらが使いやすいってか。
馬鹿何人組。
所詮こちらは下請けなんだよね?
あちらさんに主体性がなくなったらもうおしまいだろう??」
今ここの仕事現場はただの学校。
学級会を繰り広げては、何やら発表を行って、拍手しあって「すご~い。よく出来ました。」って満足しているようなただの学校。
本来「商い」をしていく現場なのに、学校の授業を繰り広げてる現状。
なんだかなぁ。
仕事現場の仕事は安賃金の海外に流れていってしまったから、こうなるんだよなぁ。
仕方ないけどさ~。
社会に出たら仕事したくないのかなぁ。
働きたくないのかなぁ。
親はそういうことを教えてないのかなぁ。
子供を追い込むくらいのことをしてやったりしないのかなぁ。
逆に、問い詰めたり、追い詰めたりしてんだよねぇ。馬鹿だねぇ。
ほ~んとに呆れるから。(笑)
コントにするしかない状況だから、ここの大企業さん。(笑)
叱咤激励だから。
甘やかせない状態だから。
大手メーカーさんの下請け、いや下請けと言っても、とある部品の制作の全てを任せていただいてるという自負心と使命感に満ちた中小企業に勤めている。(そのつもりだ。)
昔はその大手企業さん(第二次産業)に対してこんな風に思ったものだ。
「さすがだ。」
「うわ~ん、何から何まで追いつくのにやっとだ~。すごいスピードで進んでる~~。世の中の流れについていけない~~。」
こんな風。
「所詮下請けなんて屁としか思ってないんだろう?」
そういう感情が沸く隙はまるでなくて、
「一緒に背負ってやってかなきゃいかん。なんだかあちらさんもこちらの力を必要としている。」
そういう感情が先立つような感じ。
そりゃ担当者ひとりひとりを取れば、「なんだかなぁ」と思う人もいたけど、そんなことは取るに足りないことで、ど~~~~っちでもいいことで。
担当者 対 担当者じゃなくて、会社 対 会社の関係維持とか、時代の先を見越しての段取りとか、そんなことを取り持つ部分に始終巻き込まれていた感じだから、「さすがだぁ。」とか「へぇ。(感嘆)」とか関心(後にそれが違う感覚に変化していくんだけど。)に近い感覚が沸く日々だった。
あちらはいつでも全てにおいての先生であって、こちらはあくまで生徒な感じ。
それが今。
この大手さんが下請けの生徒みたいなことになってしまっている。
「こうしたい!」というしたいことはあの時代に一部のところで知らぬうちに駆け巡ってしまって、そんなのももう(実は)終わってしまっていて。
残るは歪みの矯正と矛盾の解消、今取り残されている社員さん達は、まるで巣の中で口を空けてピーピーと餌だけ待つヒナ鳥みたい。
それも「大空へ飛びだす勇気」とか、「大空を飛ぶ楽しみ」も、まるで見いだせないし巣立てない、巣立つことを知らない、そんなヒナ鳥達みたいなことになっている。
それが「おかしい」「何か変?」ってことすら気が付けないくらい可哀相な状態。
なんでだ、どうしてだ、君達!!?
管理職の親鳥達も、
「お~い(呆)、ヒナ鳥たちを育むってことを勘違いしてやしないか?」
ってくらいの覚悟の無さ。
あんたたちだって家に帰れば、少なからず子供を持つ親だろう??
覚悟なんかまるでなくて、
「出来るだけそんな面倒臭いことには関わりたくない。」
とでもいうようなやる気の無さとセコい共依存と帳尻合わせ。
こちらは下請けながら、「飛ぶ勇気」とか「飛ぶ楽しみ」から説明してあげないとダメな局面に立たされてる。
だって「こうしたい」という、したいことはま~~~~るでないんだけど、
「何かどうにかしなきゃいけない」
ということはどうしたって発生する。
「あぁ下請けさん、どうしたらいいものか。
自分は何をどうしたら良いのか整理してもらえませんか。
そしてそれに基づいた段取りの仕方も教えてもらえませんか?」
こんな風ならまだいいくらいで、
「そんな風に相談しちゃえば自分が面倒臭いこと抱えなきゃいけなくなるからヤダヤダ。すぐ騙せそうな人、甘えてもタダでやってくれそうな人、いないかなぁ。あっ!いたーーー!!」
「いいですよ、やりますよ。」
「この馬鹿っ(チッ)。あたい達の仕事を産んでくれるこの大企業さんのこれからの社員さん達をスカスカの能無しロボットにしてどーすんの?
あんたまで呆れるねぇ。
何、そうしたほうがこちらが使いやすいってか。
馬鹿何人組。
所詮こちらは下請けなんだよね?
あちらさんに主体性がなくなったらもうおしまいだろう??」
今ここの仕事現場はただの学校。
学級会を繰り広げては、何やら発表を行って、拍手しあって「すご~い。よく出来ました。」って満足しているようなただの学校。
本来「商い」をしていく現場なのに、学校の授業を繰り広げてる現状。
なんだかなぁ。
仕事現場の仕事は安賃金の海外に流れていってしまったから、こうなるんだよなぁ。
仕方ないけどさ~。
社会に出たら仕事したくないのかなぁ。
働きたくないのかなぁ。
親はそういうことを教えてないのかなぁ。
子供を追い込むくらいのことをしてやったりしないのかなぁ。
逆に、問い詰めたり、追い詰めたりしてんだよねぇ。馬鹿だねぇ。
ほ~んとに呆れるから。(笑)
コントにするしかない状況だから、ここの大企業さん。(笑)
叱咤激励だから。
甘やかせない状態だから。