ねーさんとバンビーナの毎日

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狂った環境。

2014年01月30日 20時07分33秒 | 考えるねーさん
「狂ってる環境に人が集うと人は空気を読むことになる(空気を読むしかなくなる)んじゃないのかなぁ・・・」ってつくづく思う。

狂ってるからもうどうやっても軌道修正がきかない訳です。
こう、伝える(伝えあう)術すらもうない訳です。

狂ってるってのは、昭和で言うところの校内暴力で荒れてるとかああいうのとは違うんです。
表向きは実にそれっぽく見えてても、よく関わってくと狂ってるんです。

狂ってる環境ってなんかもう、人間オギャーと生まれてきてから、実践して知識を身につけたり、感情を味わったり、味覚、嗅覚、聴覚を育ててきてるんじゃなくて、「すべてにおいてそれに見合ったプログラムをまず探して、それをインストールだけして成長してきました・・・」っていう人が集ってる環境なんすよぉ。

「記憶装置ないだろう?あんた??
CPUだけっていう・・・」

って感じの人が集ってる環境なんすよぉ。


だから善と悪の解釈も妙だし、好き嫌いの感覚も妙だし、味覚や嗅覚の感覚も妙だし、居合わせちゃうと「やべぇ・・・どうやって合わそうかなぁ・・・」ってこっちが感覚変換させて対処しなくちゃいけなくなる感じ。


現にいますからぁ。
会話したり対話してると「???(妙~~~(悪寒))」ってのがありますから、必ず。


こういう人達っておしゃべりしていても、コミュニケーションしてるんじゃなくて、通信(トラフィック)してるだけなんですよぉ。


妙ですよぉ、あれ。
なんか哀しみすら感じてくるような。


こういう人がリーダーとか管理監督役でいたりもするんですよ。
妙ですよぉ、あれ。


コミュニケーションをはかる人は空気よりも場(状況やその時の人の状態というか)を見てるからねぇ。
見てる時ってのは人にいちいち聞かないんだよ。
とにかく自分で感じることに集中するからさぁ。
見て記憶に残していく感じ・・・
記憶から思考に流れていく感じ・・・


空気読む人ってすぐ人に「(あのことを、あの人を)どう思いますか?大丈夫ですか?(親切気取り)」とか聞きまくったりして、まわりに対して気配りしてる風で全くそうじゃなくて、とにかく自分の出方の計算(損しないように)をしたい様子で、そういうことするでしょう?
「あ~も~、ダメダメで~す。(修正きかないのよ、もう、ここまできてる人。)」ってことで適当にあしらっちゃうわけなんですがね。



今でいうところの「空気を読む」というやつ、あんまりにも「空気を読め」ってやってしまうと、全体がこうなってしまうんじゃないんでしょうかぁ?



空気を読まなくてもいい健全さ。
戻ってこいやぁ!!



※つくづく前の会社は空気読まなくていい環境だったなぁ。(笑)
 社長からして(わかっていて)空気は読まない人だったしなぁ。(←尊敬)
 しかし場は読んでないと「やっべぇぇぇ・・・ひぃぃぃぃ」っていう○緊張感(×脅迫感)は常に走ってましたけど。
 「これが間違ってないんだよ。皆が活きてます。」といつも思ってましたけど。

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