ねーさんとバンビーナの毎日

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学校時代、学校や周りがどんな風だったか的な話。

2015年04月15日 21時52分16秒 | 思い出ねーさん
同じ公立校でも、同じ世代でも、

「そのときに当たった校長次第でまるで違うんだ」

ということを痛感する、社会に出てから。


私立でも学校によりけり。

例えば、運動会や授業参観や卒業式など。


オバチャマや実弟時代(昭和39年から昭和46年生まれくらいが中学で重なる)、横浜市のとある公立校、運動会や授業参観、卒業式が土日に行われることなく、すべて平日。

おまけに母親は参観に来ても、どこの家も父親が参観に来ることは皆無であった。

なので離婚などして父親がいない子らが何か肩身の狭い思いなんかすることがなかったし、「来ないの?」「あの子の家は来ないね。」的な空気がなかった。
そんなことでのイジメなんつーものもなかった。


私立の高校(横浜で創立100年を超す女子高)にあがったオバチャマ、やはり高校時代の運動会や参観日、卒業式に「親(母親すら)が来る」という伝統すらなく、父親が有名大学病院の部長様とかいう家のお嬢さんのお母様が、

(すんごい優しい、気張りすぎてない、本当の品のある高級な感じ。
しゃべり方、声の質までお品が良すぎ(美智子様みたいと思った)で、
「娘のお前はなんでガサツなんだかなぁ…あんなに品がいいお母さんなのに。」「うっせーぞー、せんせー!(ガハハハハハ…)」と屈託なくやり返す娘、先生やクラスのみんなで「ワハハハハ…」と大笑いだったっけ。)

がひとりポツンと参観日にいらしたのが相当に珍しかったらしい。

そのくらい親がわざわざ見に来るということがなかった。



これを言うと「うちはみんな来たよ~、公立校だけど。」と反応する人が必ずいる。

特に年上から聞かされることが度々だ。


とある昭和30年代中盤生まれの方によれば、

「○○さん(昭和40年代前半)が学校に上がる頃に先生達が「土日は休ませろ!」的な運動が盛んになったのさ。日教組のせい。
メーデーに必ず参加する先生いたでしょ?
疎まれてなかった?
「あの先生、メーデー参加で授業休みかよ。」的に。(確かにあった。)
ああいう人らがいたもんだから、「土日に運動会やってこういう機会には父兄に来てもらって…」というのがなくなった時期があるんだよね。
それにバッチリ当てはまる時期に学生やった人らが君たちの代なんじゃないかな。
おまけに日本も「働け、働け(経済バンバン右上がり!!)」的なムードだったし、父親達は仕事が多忙になった時期だし、ちょうど良かったのかもね。」


「でも同じ世代でも「私の学校は休みにやって父親も来ていた」という人もいたりするんだけど…」


「その時の校長が頑張ったんじゃない?」



そんな風なんだよなぁ。



で、子供心に、

「別に父親は仕事があるんだから来れないのは当たり前だ。
簡単に仕事を休んで来られるのも、子供としては困るなぁ…
「○○ちゃんのうち、お父さん、仕事してないの?」とか言われちゃうぜ、逆に。」


と本気で感じていたので、今の世の中の風潮に、


「ゲゲーン^_^;
どうしてこうなるのかな。
親世代の願望?欲??
それが激しいから敏感な子供らが変に気にし出すんだよ。」


とは正直思うわなぁ。
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