ねーさんとバンビーナの毎日

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フリーズする脳(7)

2015年08月07日 21時15分21秒 | 考えるねーさん
フリーズする脳―思考が止まる、言葉に詰まる (生活人新書)
クリエーター情報なし
日本放送出版協会



(6)からのつづき・・・


パソコンにカスタマイズされる脳

ボケ症状の患者さんが治っていくときには

ボケ症状に陥っている患者さんが治っていくときには、共通の変化が起こります。
安易に「こうなっている人は脳機能が低下している可能性が高い」などと決めつけるのは、絶対にやってはならないことですが、必ず読者の参考になるお話だとも思いますので、できるだけ慎重に書きます。

ボケ症状に陥っている患者さんの中でも、特に重い人たちは、目をあまり動かさない傾向があります。
病院の診察室というのは、一般の人からすると、見慣れないものがたくさんあるはずの場所です。
そういう中に入っていくとき、普通の人は目をキョロキョロと動かし、周囲の情報を広く集めようとします。
実際には、聴覚や嗅覚などを含めた感覚全体、脳の外界に対する注意の向け方がそうなっているということです。
ところが、重いボケ症状の患者さんになると、そういうことをしません。
情報のとり方が非常に狭窄的になっているために、周囲の変化に気づきにくくなり、それがまた脳の活動を停滞させるという悪循環に陥っている。
そういう患者さんが生活を改善し、治っていくときには、目が動くようになる、ということから変わっていきます。


表現を豊かにすることの大切さ

もう一つ言える共通の変化は、声が大きくなり、話に身振り手振りが混じるようになり、はっきりとお話されるようになるということです。
相手に何かを伝えようとしたときに、口をはじめとして、体がパッと動くようになる。
要するに意志と表現に一体感が出てくるわけです。
もちろん、その内容が感情的であったり、パターン的であったりする場合には、思考系の機能に問題があると考えられますが、ボケ症状というのは、それすらも難しくなる方向に進行していくものです。

目がよく動くようになる、表現力豊かにお話されるようになるというのは、脳の入力と出力の問題。
それが活発になってきたということは、間の処理能力、高次脳機能も回復してきたということです。

目の動きと話し方を一つの指標にすることによって、常に自分の生活、脳の使い方を正していけるようになるわけです。


目を動かさないとボケてしまう

目を動かせない、言葉を話せない環境に強制的に置いておいたら、その人はボケてしまうということです。
典型的な例は、足腰が弱くなってしまったお年寄りで、そういうおじいさんおばあさんを家族が介助して、家事に参加させたり、散歩に連れ出してあげたりしていればいいですが、忙しいとなかなかそういうこともできない。
そうするとお年寄りは、自分の部屋に引きこもって、テレビばかりを見ているようになってしまいます。

テレビを見ていれば情報は入ってくるじゃないかと思われるかも知れませんが、ここで言う情報とは、視覚が捉えるもの、聴覚が捉えるもの、嗅覚が捉えるもの、触覚が捉えるもの、味覚が捉えるもの、つまり五感が捉えるものすべてが情報です。

その整理されていない、しかも刻々と移り変わっていく多面的な情報を自分の意志で捉えて状況判断をする。それを行動に結びつけていく。
そういう不断の活動が、脳機能全体を維持するためには不可欠です。

一日中同じ部屋でテレビを見ているような環境に置かれていると、その機会が致命的になくなってしまう。
高齢者のボケ症状は、多くの場合、そうやって発生します。



一日中パソコンに向かっている仕事は危ない

じつは近年、私がもっと問題だと思っている環境があります。
それは一日中強制的にパソコンに向かわされているようなお仕事です。
特に一部のシステムエンジニアやプログラマーの人たちは、非常に過酷な環境で働かされています。
常にギリギリでしか達成できないようなノルマを与えられ、長時間パソコンの画面に集中させられている。
しかも、そういう環境に限って会話がなく、業務上の連絡もメールで行われていたりする。
いわば強制的に脳の入力と出力を制限されているような環境で、こういうお仕事を何年も続けて、脳のバランスを回復させる努力もしていなかったら、どう考えてもボケてしまいます。

実際、私の外来を訪れる患者さんにもそういうお仕事をされている人たちが増えていて、いずれ大きな社会問題になるのではないかと感じています。
次のケースはその一例です。
明らかに近年になって起こってきた問題で、臨床経験が不十分なので、断定的なことを申し上げられませんが、私なりに原因を突き詰めて考え、日常的にできる対策を示しています。


PCの前で頻繁に自失する、空回りし、疲弊していくシステムエンジニア

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ひたすらPCに向かい、一定の言語パターンを思い出しながらコーディングする仕事。
非常に仕事が多く、ほとんど毎日10時間以上働かないとノルマが片づけられない。
度々意識が低下したような状態になり、労働時間が増えるという悪循環に陥っている。
業務上の連絡はメールなどペーパーレスで行われ、隣の人同士でさえ会話がない職場。
人から話しかけられたときなど、頭が寝起きのように働かないと感じることが増えた。
休みの日に友達と出かけることが億劫になり、ぼんやりと過ごすことが多くなった。
「目の焦点が動かなくなる人がいるんですよ」と言う。
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このようなケースを診察・治療する際には、実際にはとても慎重な対応が求められます。
というのは、「目の焦点が動かなくなる」「度々意識が低下したような状態になる」というのは、一つには鬱病の症状である可能性があるからです。
完全に鬱病だとなると、原因の考え方や対処の仕方がボケ症状を治すときには根本的に違ってきます。
ここではその要素は取り除いて解説します。



滑走路を走り続けている状態

このような環境は、車で高速道路を走っているときのことを思い出してみると、より理解しやすいかも知れません。
高速道路を走っているとき、ドライバーは基本的に前方の限られた範囲に注意を集中しています。
その状態を長く続けると、周囲の360度の情報をキャッチしようとする脳機能はお休みの状態、スイッチを切ったような状態になっていく。
一度注意の向け方がそうなると、簡単には切り替えられないので、急に市街地に出たときに周囲の情報がうまく取れず、事故を起こしそうになったりします。

パソコンの画面に長時間集中した後にも、同じような感覚によらわれることがないでしょうか?
画面の前を離れて、部屋を中を歩いてみたときに、強制的に視野が狭くなっているように感じる。
至近距離でずっと平面に向かっているので、遠近感も上手く取れなくなっていて、周囲の風景が雑然と見えてしまう。
遊び(←ここで言う遊びは気持ちのことっすね!ゲームプレイのことじゃぁない。)でパソコンを使っているだけなら、途中でキョロキョロしたり、頻繁に立ち歩いたりもするので、そうなると脳機能は限定されていませんが、画面の中の細かい作業に集中していなければならないとすると、脳の使い方は相当小さくなっています。

それがすぐには切り替わらないので、画面の前を離れても、しばらくは寝起きの頭で周囲を見回しているような感覚になり、横から話しかけられても、そちらにパッと注意を向けることができなかったりするわけです。

これは当然起こる方のフリーズで、特に問題視するようなことではありません。
しかし、覚えておいていただきたいのは、一度脳をそういう状態にしたら、必ず時間をかけて戻しておかなければいけないということです。
たとえば「パソコンを1時間したら15分はお休みしなさい」とよく言われますが、これは目だけの問題ではなく、脳機能を維持するために必要なことです。

合計で10時間も集中していたのなら、最低でも2時間半は、目をよく動かし、周囲の情報をバランスよく捉えようとする活動をしておく必要があると思います。



つづく・・・






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