ねーさんとバンビーナの毎日

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「作り」今昔

2009年11月05日 23時33分14秒 | 観察屋ねーさん
昔の「作り」は内々で行うようなものでした。
だからまわりは「なんかあそこって・・・」くらいな不信感を持つくらいで、関わらなけりゃ知らずに済みました。


それが今ではなんということでしょう。

「作り」が世の中全体を巻き込むようになりました。
このスタートが切られたのは1990年くらいだったと思うのですよ?

インターネット普及もあいまって情報が簡単に手に入る世の中になりましたから「作り」は巧妙に、、、
いや「作り」の連鎖でねじれまくっていったと思います。
「これも仕事のうち、これが今のリアルな仕事事情。」と自分を誤摩化して手を出して金をつかんだ方々。
ちと反省してみてもよろしかろうと?
だからみんな「あれ?おや?ん?自分が変なの?アイツが変なの?地球は大丈夫なの?人類は大丈夫なの?」っていう不安感や、「とにかくルールを守らなきゃ。空気(顔色)を読まなきゃ(うかがわなきゃ)。そうしないと仲間として認めてもらえない。」っていう脅迫感にかられるまでの昨今になってしまったのです。

「やらせ」にとどめてください。
どうか「やらせ」にとどめてください。本当にお願いします。


あたしゃ1994年に「せいぜいやらせの現場」に自らシフトして本当によかった。
「作りにシフトした現場」から「やらせ現場」に舞い戻って本当によかった。

「作りにシフトした現場」を持つ所が「仕掛けを打った会社(勝ち組)」などと称賛されることが無性に腹が立ってしかたありません。

「作り現場」にいるとみるみるうちに顔の表情が変わって行きます。
「すごい悪人顔に変わって行く」のです。
味のある悪人顔でもなんでもなく、薄っぺらい顔色もない温度もない悪人顔ですや。


「やらせ現場」にいるとみるみるうちに顔の表情が変わって行きます。
「すごい良い顔に変わって行く」のです。
やらせに躍れる人は味が出てきます、しわが刻まれてもそれが「味」になっていくんです。






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