情報詰め込みが上手いというか、得意というか、「歩く辞書か?」って人は昔も今もいる。
大概「流暢に語る系」は「情報詰め込みだけな人」とあたりをつけてハズレはない。
情報詰め込みが別に正しくない訳ではない。
ただ、、、
知識になっていかないと「だからそこはもういいからその先は!?」ってことになる。
昨日の会議でも取締役の方がその指摘を管理職陣営の方に入れた。
いくら沢山の情報をかき集めて、何かについて延々と流暢に語られても、それが正しい情報だろうがなんだろうが、
「果たす目的やこの議論の的はそこじゃなくて!」
と、周りがやきもきし出す。
昨日の取締役の方はこう指摘を続けた。
見合う情報を探してインプットしていくのももちろんいいんだけど、それを活かして幾度もアウトプットして、みんなで形を作っていくってところに時間を割かないとぜんぜん知識になっていかないですよ。
知識にしないと次の糧にならないじゃないですか。
「全くだ〜」と思いながら同席しながら聴いていた。
これまでこのブログにも幾度もその辺りのもどかしさとかムカつきは吐き出し続けていた私。
「アウトプットする」
これに延々と気がつけない種の人はいる。
インプットだけでやりこなしている人らはいる。
苦手は「感じる」とか「察する」とか「洞察」かと思われる。
(口やこなしは達者だから誤魔化せる術も身についているが、見る人が見れば簡単に見抜かれるってやつ。)
昨日も指摘されてもピンときている人はいなさそうだったし、管理職トップの方は逆に、
「この取締役わかってないな。」
そんな風な嫌な笑みすら浮かべていた。
それを真正面から見ていた私は、
「いや、あなたもこの取締役がいわんとしてること、本当にわかってないから〜苦笑
あなたが率先してやらないからこの現実なんだって。苦笑
ただの年功序列で肩書きついてくだけで運良くここまで生き残れて良かったよね〜
業界次第じゃとっくに振り落とされてんぞ??
ま、年も年だし、逃げ切ってくだされ。」
と、電波を送ったりして。笑笑
わたしも今の仕事場で傍観者をしていたいだけじゃなく、動きたいのに動きようがない(動く必要性が無いように何だか皆で作っちゃってるような部署)現実を観察データが蓄積されつつある昨今、現状把握が出来てきていて、「さてさてどうしましょうかね〜」という感じである。(ダラダラ付き合ってはいられない。時間がもったいないぞぇ。)