ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

♪ぞ、ぞ、ぞうじょうじ、ぞうじょうじの後ろ

2016年01月05日 20時22分56秒 | 掘り出ねーさん
♪と、と、東京、東京タワー、だわわ

♪おいらの心はウッキウキのポンポンポン


素敵な夜景にウットリぽんや~~

やっぱり素敵ダワー

2016年01月05日 20時16分00秒 | 掘り出ねーさん
愛宕タワーに映り込む東京タワーに、

「ザッツトーキョーダワー♪」

と心が叫ぶ!!!



東京プリンスホテルもあらためてこう正面口から見ると、素敵じゃないさ。

トライ → エラー → トライの連続は…

2016年01月05日 19時58分19秒 | 伝われねーさん
物事にチャレンジ(挑戦)していたらエラーは起こらず、停滞期や見えない壁には必ずぶつかる。


物事を攻略しようとすると、エラー(不具合)は起こる。
パソコンなんかいい例だ。修正出来ればまだいいが、大抵は修正が簡単にきかなくなっていて、違う手段を探す旅をまた始める…みたいなことのループに繋がる。


何事もトライしていかないと!!
エラーが起こっても、また別の形でトライし続けていこう!!


みたいな、一見、勇敢なチャレンジャーに感じるこの台詞に、どこか根本的解釈のズレを感じるのは否めないのよ、あたし。



トライは試すこと、
チャレンジは戦い、試合に挑むこと、


ほら、チャレンジ精神無しでトライし続けても、そもそも挑んでないから(トライのみによって、チャレンジしてるつもりにさせちゃう罠にはまってる)、甘いんだよなぁ。


こういう暴走は賢く関わらないと消耗させられちゃうだけなんだよね。



チャレンジャーとの関わりは消耗より疲労なんでね。

多様化に合わす必要性

2016年01月05日 13時16分50秒 | 考えるねーさん
あるのかなぁ。

今まで「うちはこうです」でひとつのものでやって来たのが、「時代の流れ」と言っては色々な手をうって、多様にいろんなことを展開する必要があるのかなぁ。

世の中の多様化にあわせるなら、「うちはこうです」ってなものが、多様にいろいろと出現する方が楽しいのと、チャンスも広がると思うがなぁ…


しかしECサイトでリアルを仮想にも展開するって意味、本当になんなんでしょね。


便利さだけならやめてほしい。


「リアルな空間の中の困りどころにECってのが成り立つだけ」

そんくらいの立ち位置にしておかないと、無駄に混沌とさせるだけで、やってる側も利用する側も軸がぶれて、

「私たちなにしたいんだっけか?」

って原点を忘れて総崩れするかと思うな。


というより「これがしたい」がないまま、「もっと売上を」とか「もっと販路を」だけで無茶しちゃうのが、人の欲望なのよね。



心は熱く、口先はわざとふざけながら、常に頭は冷静、手は綺麗に…

を心掛けないと、本当に面白くて楽しいものは生まれないんだよなぁ。



口先が熱い(だけの)人は頭の中(の計算機能)だけが暴走してるだけ。

しゃべりが時にウザかったり、口先は寡黙な人のほうが心は熱かったりするのよね~~。



多様化に合わせて変化!!


こんなことは鵜呑みにしてないで「それが何か?(シレーッ)」と考える必要はあるようで。

独特の慣例

2016年01月05日 00時27分32秒 | 伝われねーさん
うち(の業界は)はまだまだ独特の慣例が根付いているんでね~~~

という言い方をする人がいるんですけども、

どこの業界行ってもそのフレーズは聞きます。(笑)

「よそを見たこと無いのかな?」と思って、「自分たちだけ特別。みたいに思い込んでたらプププ・・・」とクスッとしたくなります。


「慣例」って関係を円滑に進めたり、状態を保つ為の知恵のひとつだと思うんですけど、

「このしきたり守ってくれりゃ、なーなーでひとまずよろしく出来るからさ。」みたいな「単に癒着関係構築の為の技みたいな含みを持つ言葉として言ってないかどうか?」はいつも気になること。
「こっちの含み大だ!」と分かると、「はい、お前さん、その含みには同意できないからね。」と長く関わることへの期待は消え、シラッといい頃合いでバイバイしたくなります。



かんれい【慣例】
繰り返し行われて習慣のようになった事柄。しきたり。ならわし。