ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

今日突かれたお言葉・その927

2014年01月19日 17時55分02秒 | 突言葉ねーさん
私たちは間違いをおかすことを恐れるあまり、リスクを一切とらないようになります。

今あなたの愛情面で必要なのは「成長」です。
その種(しゅ)の成長は、教訓を積極的に学ぶ気持ちがないと達成できません。
より優しく、より賢くなってください。



ジョナサンケイナー本日の予報、山羊座さんより。


何が「○間違いか、間違いではないか?(×正しいか、正しくないか?)」がわからない人が、「(計算上)正しいか、正しくないか? => 答え:正しい」で突っ走って、「実はそれをやったところのリスクをまったく○考えてない(想像していない)(×計算していない)。」ってのが多いのが恐怖。

そういう人を相手したときに、教訓を学んでいる人は「教え諭せる」ってことだけども、「教訓を学ぶ」っていうのは並大抵ではない。
「教訓」ってのは「理論(や公式や手順やなんやら)」を学ぶこととは違う。
ここの境目に気がついてない人に教え諭すことも難解かと思う。


「正しくなかろうが、自分がとった行動に間違いはない。」って踏み込める人はリスクすら腹を括っている(想像したリスクには踏み込む前から諦めをつけている)もんですしねぇ。

昨日観た『永遠の0』の最後のシーン、特攻機を自ら新型(エンジントラブルの可能性を瞬時に予測して・・・)をそれを部下に譲って(そうすれば部下は特攻の最前線に辿りつく前にどこかに不時着して死から逃れられる、生き延びられる部下に望みを託せるから)旧型に乗り換えたことも、そういう意味合いに近いっていうか。

今日突かれたお言葉・その926

2014年01月19日 17時30分53秒 | 突言葉ねーさん
ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!


ニーチェ『ツァラトゥストラはこう言った』(上)より。



何かトラブルや事故があればすぐ「もっと懲罰をきつくして罰するべき!」とか、そういう官吏に傾く人は困るんですよねー。

よく考えてくださいな。

こういう人って問題の原因を分析解析する気もなけりゃ、

「分析したところで何になりますか?
どうせまた起きるのです。
そんなことより罰をきつくして締め上げればいんです。」

とか言うだけだから。
怖いったらありゃしない。(苦笑)