ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

母の迷言・1

2008年01月31日 12時41分29秒 | 母言集
そんなこと言われてもねぇ。
複雑に生きてきてないからよく分からないわ。



社会に出てから特になんだけど、
人間関係とか、社会の暗黙の掟的な疑問とか、不満とか、
そういうことを母親に、
「こういうことがあったんだけど、どういうことなんだろう?」
って聞くと、必ず出る言葉。

「んもー。私よりも長く生きてきてるくせにぃ、わからないの?」と聞き返すと、

「とにかく複雑に生きてきてないから分からないわよ。」とうんざりされますね、いまだに。

複雑な心模様が分からないから、この人(母)は余計な一言が多いです。(笑)
ただ、実に人として真っ当な正しい答え出すスタンスは変わりませんね。
それが時に人を傷つけるって言ってるのに、「私のスタンスは変えません。」で貫く姿は案外リスペクトしてるけどね。(笑)

父の迷言・3

2008年01月31日 09時45分42秒 | 父言集
言葉なんか多くいらないんだよ。通じあっちゃうから。


横浜で船のエンジンメタルの修理を生業にしていた会社に勤めていた父。一応「工場長」という肩書き。
まぁ、半分職人に近い感じだが、仕事に行く時の父は革靴と革鞄と背広を必ず着ていってたから、俗に言う職人職人した感じがしなかった。

横浜という土地柄、今の高島町桜木町あたりには三菱造船所があったり(ドッグヤードガーデンはその名残)、新子安のあたりだったかと思うが浅野ドッグがあったり、船関係の会社がたくさんあった。

浅野ドッグに入った「南極観測船ふじ」の見学会は思い出深い。
会社の従業員の家族みんなで行って、小学生のねーさんら子供達より、父親達のほうがウキウキしてて、「うわ、さぶ~。大人げな~い。」と内心思ったことは今の今まで内緒にしてること。(笑)


確か中学生の頃、アメリカの空母ミッドウエーが横須賀に入った。
父親は仕事絡みでそのミッドウエーに乗船したのだ。
その時の父親のはしゃぎようは「かわいい~」と思ったほどだ。

母「相手はアメリカ人で、どうやって話す訳?」

父「「はわゆ~!ほわっちゃーねーむ?」そんな程度の挨拶だけしておけば、「ハーイ!」って感じで、後は特に説明はいらないんだよ。通じあっちゃうから。」

ね「はぁ?訳分かんないなぁ。(笑)」

弟「うわ、出たぁ!そのシズオカイングリッシュ!!」


※時折父親の口から発せられる英語は「シズオカイングリッシュ」と、ねと弟に茶化されるのであった…。だって訳分からない独自解釈・独自引用なんだもん。


まぁ、職人の世界はそんなものなんでしょうね。
仕事を出す側は「渡せば後は職人がキッチリ仕事をする」こと知っていて、受けた職人も「説明はいらない!見れば分かるから。」ってヤツ。

役割分担がキッチリしてて、いいやね。

「ね」がやってるシステム系は何かと説明をしなきゃいけなくて、超疲れるんだよね。
「頼んだならいいから黙って任せろよ!説明欲しがる前にやりたいことをもっと具体的にして本音で話せよ。説明だけ欲しいなら10年後に来やがれ!」って一喝したくなるんだよね、時に。ウハハ。

思ってるだけだからね。
だって、ホントにしたいことが無いくせに欲しがる人が多くて(本人まるで気がついてない)、ウンザリするんですよ。仕事柄。

/(.^.)\あゆモバ