沖縄でジュゴンを見られなかった私は、何とかジュゴンを見たいとフィリピンにやってきました。最初、鳥羽水族館のジュゴンの故郷であるパラワン島に行きました。パラワン島には、二度目。きれいな海と白い砂浜、絵に描いたような南国の海です。けれども私が最初に行った数ヶ月前、首府のプエルト・プリンセッサのすぐ近くの海(ホンダ湾)の小島にあるリゾートホテルが襲撃され泊まっていた外国人観光客らが拉致されて1ヶ月以上監禁されるという事件もありました。住民が住んでいることを忘れて、傍若無人に景色だけを楽しんでいる観光客には、良い薬になったのかもしれません。
パラワン島もミンダナオ島とほぼ同じくらいの緯度に位置する、こちらは細長い島である。この島にはジュゴンがたくさん見られるという。特に北部には多いというので、車で数時間揺られて北部のローハという小さな町に行った。ここには、ジュゴンがしばしば定置の漁網にかかるらしい。その小型の定置網をもっている漁師の一人に会いに行った。彼は、網にかかったジュゴンを救って逃がしてやっているので、州の政府から表彰されたことを自慢にしている。その漁師に話を聞くと、この5年間で40頭くらいのジュゴンが自分の定置網にかかり、それらをすべて大きさを測って逃がしてやったという。彼によると、昔は彼も網にかかったジュゴンを殺して食べていたらしい。いまでも他の漁師たちは食べているかもしれないとも言っていた。
結局、パラワン島ではジュゴンを見ることができなかった。ローハの海岸はマングローブが生育しており、海岸まででるのが大変な作業だ。しかもマングローブ沼地なので海水は濁っており、ジュゴンの餌になる海草がほとんど生えていない。この海岸ではもっと沖にある島の周りに行かないと普段はジュゴンには会えそうもない。網にかかるジュゴンはふだんあまりやって来ないところに迷ってきたあげくに、網にかかるらしい。4年で40頭というのはこのあたりにジュゴンがたくさんいるという意味では、決して多い数字ではないのだろう。
ジュゴンを見ることはできなかったが、パラワン島に行けばいずれジュゴンが見られるという確信を抱いて、帰ってきた。そこで、2年後、いよいよジュゴンを見るために再びフィリピンに向かった。向かうはパラワン島。案内してくれるのは、日本に留学しているフィリピンの女子大学院学生。彼女はミンダナオ島出身だったので、パラワンへ行く前にミンダナオによってみようと誘われて、ミンダナオ島のダバオに向かった。これがマリタのジュゴンと出会うきっかけだったのだ。(続)
パラワン島もミンダナオ島とほぼ同じくらいの緯度に位置する、こちらは細長い島である。この島にはジュゴンがたくさん見られるという。特に北部には多いというので、車で数時間揺られて北部のローハという小さな町に行った。ここには、ジュゴンがしばしば定置の漁網にかかるらしい。その小型の定置網をもっている漁師の一人に会いに行った。彼は、網にかかったジュゴンを救って逃がしてやっているので、州の政府から表彰されたことを自慢にしている。その漁師に話を聞くと、この5年間で40頭くらいのジュゴンが自分の定置網にかかり、それらをすべて大きさを測って逃がしてやったという。彼によると、昔は彼も網にかかったジュゴンを殺して食べていたらしい。いまでも他の漁師たちは食べているかもしれないとも言っていた。
結局、パラワン島ではジュゴンを見ることができなかった。ローハの海岸はマングローブが生育しており、海岸まででるのが大変な作業だ。しかもマングローブ沼地なので海水は濁っており、ジュゴンの餌になる海草がほとんど生えていない。この海岸ではもっと沖にある島の周りに行かないと普段はジュゴンには会えそうもない。網にかかるジュゴンはふだんあまりやって来ないところに迷ってきたあげくに、網にかかるらしい。4年で40頭というのはこのあたりにジュゴンがたくさんいるという意味では、決して多い数字ではないのだろう。
ジュゴンを見ることはできなかったが、パラワン島に行けばいずれジュゴンが見られるという確信を抱いて、帰ってきた。そこで、2年後、いよいよジュゴンを見るために再びフィリピンに向かった。向かうはパラワン島。案内してくれるのは、日本に留学しているフィリピンの女子大学院学生。彼女はミンダナオ島出身だったので、パラワンへ行く前にミンダナオによってみようと誘われて、ミンダナオ島のダバオに向かった。これがマリタのジュゴンと出会うきっかけだったのだ。(続)
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