goo blog サービス終了のお知らせ 

ごまめの歯ぎしり・まぐろのおなら

サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

水道国有化で格差是正を

2008-07-23 | 政治
北海道の東部K市の水道料金の高さには驚いてしまった。1ヶ月わずか4㎥の使用に、上下水道料金を合計して、約4,700円。今すんでいる埼玉県のK市では、一ヶ月の使用水量が30㎥を超えるのに、2ヶ月でも2,800円くらい。北海道のk市は埼玉県のK市の10倍近くすることになる。ちなみに北海道のK市のとなりのA町では、4㎥で1600円/月くらいだから、それに比べても3倍くらいも高い。

 同じようなサービスなのに、なぜこんなに大きな違いがあるのだろう。その原因は
いろいろあるだろうが、もっとも大きいのは水道事業は各自治体で独立採算でやっているからであろう。もちろん、自治体も水道料金を抑えるために一般会計から水道会計へ補助を回していたりするのだけれども、もともと人口が少ない自治体では、独立に水道事業をやっていくのにどうしてもコストが高くなってしまうのだ。

 しかし、水道事業は、国民にとっては食料と同じくらい重要な生活資源であるし、今では電気・ガスと水道は市民のライフラインそのものだ。このような基本的でしかも重要な生活サービスがこんなに自治体によって価格が異なるというのはあまりにも不公平ではないだろうか。

 水道事業の広域化も多少は取り組まれているらしいが、それは都市圏が多い。コストのかかる地方では広域化もままならない。むしろ地方のほうが必要なことなのだが、広域化でコスト減にならないことも多い。

 私は水道事業の国有化を提言したい。日本で生活すればどこにいても同一料金で水道サービスが受けられるのは、当たり前の要求ではないだろうか。便利な都会の人が同じサービスを受けるために地方の人の分を負担する、これは日本政府としてやっていくしかない。自治体に任せることは不公平をさらに拡大する。もし、自治体の水道事業が破綻したら利用者は過大な負担を強いられたり、水道のサービスも受けられなくなる可能性はこれから高くなる。電気会社は民営化されてしまったが、それでも国策の面があるので、日本をいくつかのブロック制にしているため、料金は比較的全国で差が大きくない。国有化が無理だとしても、せめて電気くらいの広域化が必要なのではないか。

民営化と地方分権で小さな政府を目指すやり方は、格差を固定化し、拡大してきた。そろそろ政府をもっと大きくして、住民サービスを充実する方向に転換させよう。

いまなぜ竹島で騒動を起こしたいのか

2008-07-21 | 政治
日本中が酷暑にあえいでいる中、ここサンナシ小屋周辺では、昼間でも肌がひんやりと涼しい。朝夕は寒くてもう一枚長袖を羽織りたくなる。夏はやはり道東に限る。おかげでなかなかブログを更新できないが、この涼しさのためならそのくらいは仕方ない。

 韓国や中国などアジアの国々を敵視し、蔑視してアメリカ追随の外交をしてきたコイズミ・アベの内閣と違ってフクダ内閣は外交を転換したと多少は評価してきたが、今回の竹島を中学校の指導要領に書いた件については、本当に呆れてしまった。フクダ首相が何事もリーダーシップを取れないことがこれほど明らかになったことはない。

 韓国の世論を考慮して、中学校の指導要領に書くべきかどうか、フクダ首相の決断が求められていたにもかかわらず、フクダ首相は自ら決断することを避けて、官房長官と文部科学相と外務大臣の3人のせいにしてしまった。無責任首相の面目躍如というところだ。

 そもそもどんなに歴史を調べても、竹島(独島)が日本の固有の領土であるという証拠は見つからない。あきらかに朝鮮半島併合の一部として竹島を日本の領土としたのであり、朝鮮半島が日本の領土でないのと同じように、竹島も日本の領土とは考えられない。日本の教科書の指導要領としてもこれまで竹島をまったく書いていない。今この時点で竹島問題を北方領土と同じだとして指導要領に記述する必然性は全くない。これは極右アベ内閣が韓国を敵視し、帝国主義的な発想から領土問題を声高に唱えることを要求したことを文部官僚が受け入れて教育に取り入れようとした、無理難題のごり押しだった。

 フクダ首相は、自らの信念に基づいて断固として拒否すべきだった。日韓の外交関係がいまもっとも前向きになりそうなときに、なぜこんな馬鹿な事をやったのか?保守派の李明博大統領が日本との関係を「過去にこだわらず、将来を見据えて」前向きにとらえようと日本に最大限譲歩して日韓関係を発展させたいと言ってくれたのに、フクダ内閣の答えはこれなのか?しかも自分が決断したのじゃないなんて、まったく無責任な言い逃れをしている。恥ずかしい。
 

「死に神」と指導者の人格

2008-07-09 | 政治
朝日新聞のコラムで、鳩山法相が13回も死刑執行の命令を下したことを、「死に神」と表現したことで、朝日批判が続いているらしい。多くの批判はどうせ朝日のやることは何でも腹立つ、という輩の言うことなので、放って置いても良いのだが、被害者家族の団体やその弁護士が、鳩山法相を養護していることには、強い違和感を持つ。私は、事務的に死刑執行を命じているらしい鳩山法相は比喩的に言って「死に神」と呼ぶのにふさわしいと思う。

 被害者家族は一時的にきわめて反理性的な復讐心を持つだろうと想像はできる。しかしいつまでも、犯人が死刑宣告を受けた後でも復讐心を持ち続ける、一刻も早く殺して欲しいと思うというのは、理解しがたい。人間はそこまで反理性的になれるのだろうか。私が常々読んでいて大いなる共感を示すことの多い有名な「きっこの日記」というブログでも、きっこさんは死刑執行を待ち望み、あいつらみんなぶっ殺せ、などと書いている。あんなに理性的なきっこさんでも、反理性的な反応をするのは、彼女の個人的な体験があったからのようだ。私との違いはそのような被害を受けたことがあるかどうかかもしれない。

 それでも私は世界的な潮流として死刑は認めるべきでないと考えている。たとえ刑罰としてでも死刑は命をむりやり消すことである。国家の存在を保証するのは「死刑」と「軍隊」であると言ったのは誰だったか忘れたが、名言ではないか。日本を含む10カ国くらいが「軍隊」を持たないという憲法を持っていたり、憲法には書かれていなくても実際に軍隊を持っていない(もっとも日本は実際は世界第3位という規模の軍隊を持っている二枚舌の国なのだが)。一方、死刑を廃止した国は世界の過半数を占めている。廃止はしていないが実質的に死刑執行をしない選択をしている国も多い。その中でも中国と並んで死刑に執着しているのが日本である。

 死刑がいかに前時代的で非人間的なものであるかはいまさら言うまでもない。容疑者がいかに非人間的な犯罪を行っていたとしても、同じ非人間的な行為で応酬するのは自らを犯人と同じ人格に落とすことに他ならない。国家はそれをいとも簡単に選択する。しかし、人々や、非人間的な殺され方をした被害者の家族が非人間的な行為を許すのは、明らかな矛盾である。

 ましてや、何の苦吟もなく、悩むこともなく、機械的に死刑を執行し続ける法相には、人間としての尊敬すべき品格があるとは思えないのである。「死に神」と言われて怒るような法相なら事務的な死刑執行を選択すべきではなかったのではないか。

 同じような死刑執行を好んだ人物に、アメリカのジョージ・ブッシュという人物がいる。今もまだ大統領の座についている人だ。彼はテキサス州知事の時代に、他のアメリカすべての州が行う死刑執行の3分の1の死刑を命じ続けた。彼が知事の時代に命を奪われた囚人は他のどの知事よりも多かった。彼の知事の期間に殺された囚人は9日に1人の割合であった。鳩山法相はそれをまねているのだろうか。

 ジョージ・ブッシュはCNNの記者に、女囚人が知事に「お願いです」「私を殺さないで」と泣きながら叫んだ場面を物まねしながらおどけて見せた。この一言が彼の非人間的な人格を雄弁に物語っている。彼がそれから数年後に、あらゆる証拠をねつ造してでもアフガニスタンとイラクに攻め入り、みずからの非人間的な欲望を満足させたことは、けっして偶然の一致ではない。

 そのブッシュの前でプレスリーの物まねをして機嫌を取り、ポチと呼ばれて平気だったコイズミの人格も推して知るべしだろう。そのコイズミがフクダといっしょになってやった規制緩和と財政改革がいま実を結び、お年寄り、幼児、女性、障害者、氷河期の若者を格差と貧困に追いやり、多くの貧困層(経済的にも精神的にも)を死に追いやっている。

国民の金でギャンブルをするな

2008-07-06 | 政治
社会保険庁が年金保険の掛け金運用で失敗して、昨年度は5兆円を超える赤字を出したということが報じられた。5兆円だよ。5兆円!5兆円ってどれくらいなのか、実感はないけれど、とにかくすごい額だ。国民から集めた保険金の原資は本来年金として受給者に支払われるべきものだ。そのお金でギャンブルをして5兆円もの損失を出して、それでもマスゾエ大臣は「それまでの黒字もあるからガタガタ言うことない・・」って言うのだ。あきれて口が開いたままだ。

 先日、どこかの市役所の会計係が市民から集めた掛け金を持ち出して、競馬に入れ込んですってしまい、逮捕された。この会計係と社会保険庁の役人がやったこととどこが違うのだろうか?国民の年金にあてられるべきお金を5兆円もギャンブルですってしまって(債権や株券を買うのだってギャンブルであることは同じだ)、頭を掻いてすむことじゃないだろう。いったいどのような法律的根拠があって、国民の保険料でギャンブルをすることが認められているのだろうか。「運用」なんていったって、競馬や競輪となんの違いもない。

 それまで5兆円を上回る儲けがあったから、問題ないだって!だったら儲けたお金で国民にどれだけ還元してきたのか?役人の無駄使いに回してきただけではないか?それでは逮捕された横領役人と少しも違わない。保険料の運用をただちにやめよ。集めた保険料は年金支給に直ちに回せ。こんなところに隠し財源(埋蔵金)があり、役人のタクシー代や贅沢に使われているのだろう。

 とにかく年金保険制度はこれらの役人たちにむちゃくちゃにされてしまった。もう一度、一からやり直していかねば、国民は誰も信頼しない。信頼されない年金では、誰も政府の言うことを信じて将来老後を託すことができない。もっとも民間の保険会社も、過大に保険料を取ったり、保険金を支払わなかったり、いやもう日本の保険というのは官も民もメチャクチャだ。何も信じられない、それが日本の今の政治の結末だ。
 

フクダ首相を褒めてやりたいが

2008-06-23 | 政治
「他人事と思えば総理も楽しめり」
 朝日新聞に掲載された川柳。秀逸だと思う。フクダ首相の心境は楽しめるようなわけではないだろうが、いかにも他人事のような首相の言い方は、この人は本当に国民のことを心配しているのだろうか?と思わせる。もっとも心配しているのは自分の首相の座をどうやって確保するかと言うことばかりだろうけど。

 そのフクダさん。自分の支持率を上げるためだろうけれど、クラスター爆弾全面禁止に梶を切るリーダーシップを取ったのは、褒めてあげたい。日本はコイズミ・アベの時代から最後までクラスター爆弾全面禁止に反対を続けてきた。ノルウエイの積極的なリーダーシップとは対極にあった日本の態度だったが、最後にフクダさんの決断で全面禁止賛成に踏み切った。これで日本がなんとか世界の国々から非難される事態をぎりぎり避けることができた。

 日本の自衛隊はクラスター爆弾をたくさん持っている。なぜ専守防衛の自衛隊がこんな効率よく殺人するための爆弾を持っていたのか不思議でならないが、とにかくこれで自衛隊が持っているすべてのクラスター爆弾を廃棄することになった。こんな良いことはない。

 けれども手放しで喜べないことが一つある。それは最新鋭の自爆装置のついたクラスター爆弾なら禁止条約から見逃されていると言うことだ。親爆弾から飛び散った子爆弾が不発弾にならなければ使用が禁止されないという抜け道がある。自衛隊がこの抜け道を利用して最新鋭のクラスター爆弾を持とうと思わないことを祈る。銃を楽器に、爆弾を風船に持ち替えて世界の平和に寄与できる日本になりたいものだ。

 その自衛隊が宮城・岩手内陸大地震の被災行方不明者の捜索を今日でやめてしまった。消防や警察はまだまだ捜索を続けるというのに、自衛隊はなぜやめるのか。消防や警察には他にやることがいっぱいあるけど、行方不明者がいる以上、捜索をやめるわけにはいかない。自衛隊には今すぐやらねばならないことはそうそうないのに、なぜ捜索を中止したのか。自衛隊は国民のためになると思うことをやって欲しい。殺人の練習で税金を使うのはやめても良いのに。
 

反サミットで平和と平等を

2008-06-21 | 政治
グリーンピースジャパンが調査捕鯨を請け負っている共同船舶という会社の社員で日新丸の乗組員が鯨肉を何十キロも個人用に持ち帰っていたことを暴露し、横領の疑いで告発したが、検察庁は共同船舶が社員に与えて土産にしたもので、犯罪には当たらないとした。それだけではなく、告発したグリーンピースジャパンのメンバーを逮捕した。こんな馬鹿な話はない。

 当初、共同船舶は一人2-3キロの肉をお土産に持たせているが少量だから問題ないと言っていた。そのうち、2-3キロ程度ではなく一人数十キロの肉を十数個の段ボール箱に入れて送っていたことがグリーンピースジャパンに指摘されると、会社が購入して社員に贈ったものだと言い訳し始めた。最終的には検察庁の述べる内容に変更になった。とにかく共同船舶の言うことは、相手の証拠によってころころ変わっていった。そのことだけでも政府が毎年10億円も出して援助してまで続けている調査捕鯨の鯨肉がいいかげんな扱いをされていたことを物語っている。実際、滞貨がいっぱいの鯨肉だから、唯でくれてやっても政府は困らないのかもしれない。

 社員の行為は犯罪として処罰できるかどうかは微妙な問題かもしれない。しかし、鯨肉の管理がいかにずさんだったかが明らかにされた。その代価がこの時期のメンバーの逮捕というのは、できすぎた検察と警察の二人三脚だろう。逮捕するほどのことなのかどうか。窃盗という罪名のようだが、自らのものにしたわけではなく、社会的な悪を告発するための行為を窃盗容疑で逮捕というのは、まさに国策捜査か、政府の意に反するNGOへの見せしめとしか思えない。いわゆるいじめだ。

 来月初旬に北海道で開かれる洞爺湖サミットでは、新自由主義を唱えるアメリカとその取り巻きが、G8と称してさらなる新自由主義(ネオリベ・グローバリズム)を進めるために集まってくる。同時に、ネオリベに反対するもしくは別の途のグローバリズムを模索する人々のNGOが世界各地から日本に集まってくる。反グローバリズムへの良い見せしめがグリーンピースジャパンのメンバーへの逮捕という脅しなのだろう。

 でも、ブッシュとその取り巻き(コイズミもその一人)が進めてきた新自由主義が先進諸国のみならず世界の各地で侵略と戦争を起こし、格差を拡大し、貧困を生み出し、医療や福祉を大幅に崩壊させてきたことに、世界の人々がようやく気づき始めた。もうG8などに世界を任せるわけにはいかない。日本で今年行われるG8の不成功を心から願う。そして世界から集まったNGOの人々による新しい人々のつながりと平和への願い、人類の平等と福祉が、新しい時代を切り開くことを心から願う。

巡視船は慎重に行動して

2008-06-16 | 政治
尖閣列島で日本の海上保安庁巡視船が台湾の漁船に体当たりして漁船を沈めてしまった。幸いなことに漁民にけが人や死人はでなかったが、巡視船の行為はあまりに軽率ではないか。保安庁では巡視船の行為にやや無理なことがあったことを認めて謝罪したが、台湾に対して謝罪したのではなかった。政府はあくまでも台湾の漁船が領海侵犯をしたことを非難するばかりのコメントを出している。

 そしてまた、日本のマスコミは政府の報道機関になってしまった。大本営発表をやった。NHKは巡視船と漁船が接触したと政府の言うように報道した。でも本当は巡視船が漁船に体当たりしたんだ。そうでなければ漁船が沈没したりしないはず。そんなことはちょっと考えれば分かるだろうに、政府の発表をそのまま鵜呑みにする日本の報道は、戦争中のマスコミを思わせるほどだ。

 台湾では日本に置いている弁務処を一時的に閉鎖するなど、日本への非難が強い。尖閣列島の所有権については、台湾だけでなく、日本も中国も領有権を主張している。いわば係争の地なのだから、保安庁の対応はあまりに慎重さを欠いたと思う。日本の領土であることを主張するのはいいけれど、それを武力を使って主張してはならないのだ。日本国憲法には、きちんとそう書いてある。日本が実力で台湾漁船を沈めてしまったことに、台湾でも巡視船を出している。台湾漁船の安全を図るためという言い方だが、武力を使って領海を主張するという負のリングに嵌ってしまわないことが大事だ。

 日本では中国人ごときに負けるかというような安っぽいナショナリズムが最近力を持ってきており、そのような傾向が巡視船の行動に影響を与えたのではないだろうか。このような係争の地では、慎重の上にも慎重に行動し、武力を持って領土を主張するようなことの無いようにしてもらいたいものだ。武力同士が衝突したら、それこそ日本の平和は吹っ飛んでしまう。日本国憲法の精神を保安庁の人たちもしっかり学んでもらいたい。それこそがわれわれ日本人の心の平和と安全を保証する途であるのだから。

韓国の100万人の大集会と内閣総辞職

2008-06-10 | 政治
韓国では今日、100万人の大集会が開かれている。アメリカの牛肉輸入要求に安易に屈した李明博政権に対して、抗議の大集会だ。この集会を前にして、内閣の閣僚全員が辞表を提出。内閣総辞職になりそうな情勢となった。国民の期待を背負って大統領選挙で圧勝した李明博大統領は早くも支持率が20%台。フクダ内閣と同じくらいにまで下がった。

 それでも日本では内閣を追い詰める国民のデモも起こらない。韓国では牛肉の輸入を無理矢理認めさせたアメリカ政府への憤りが、李明博大統領をここまで追い込んでいる。とくに中高生という若い世代がデモや集会を主導しているという。日本の若者がアキハバラあたりで鬱屈した思いを殺している間に、韓国の若者は未来を自分たちの手元に引き寄せるために動き始めている。

日本でもコイズミ内閣がアメリカの脅しに迎合して、検査態勢を大幅に緩和して牛肉輸入に踏み切った。それでも日本国民は喜んで「吉野や」に行列を作る。そして韓国の人たちを蔑視する発言をやめない。夜郎自大の日本人は、アメリカに追随することを自らの安全だと思いこんでいる。だから朝鮮戦争でアメリカといっしょに戦ったはずの韓国でも、アメリカ軍基地を一部撤去させることもできたのに、日本ではアメリカの言うままに基地を強化し、沖縄の人たちやジュゴンを苦しめるばかりだ。

 でも、沖縄では県議選で与党(自民公明)が過半数をとれず、野党が勝利した。その野党第一党に社民党が躍り出た。推薦議員を加えて社民党会派が10人を超えて、野党がすべて結束すれば社民党から議長を出すことも可能になった。辺野古米軍基地推進の沖縄県知事も、これまでのようには事態を進めることはできそうもない。政府も沖縄の民意を無視して辺野古移転を進めることも難しくなったはずだ。時代は少しずつ変わり始めている。

 しかも、名護市議が県議選に立候補したおかげで、名護市議に前回選挙で同数くじ引きの結果涙をのんだ東恩納琢磨さんが繰り上げ当選となった。辺野古の海とジュゴンを守るために活動してきた東恩納さんの市議当選で、辺野古基地建設反対の運動もいっそうの力を得ることになった。アメリカ連邦地裁で辺野古基地建設がジュゴンに影響を与えないことを要求されたアメリカ国防総省は、木で鼻をくくったような回答書を裁判所に提出したが、それに対して原告弁護団は周到な意見書を先週末に提出した。いよいよアメリカ政府も日本政府も米軍再編成計画をこのまま強行できるかどうか、追い詰められてきた。最後の一押しが、衆議院の解散と政権交代になるだろう。

 国会解散!内閣打倒!国会解散!内閣打倒!

タクシー代は自分で払え

2008-06-08 | 政治
国家公務員が帰宅したときに乗るタクシーが、おつまみやビール、金券、現金などを提供していた。マスコミなどはこの事実を大々的に報道し、タクシーバッシングを続けているが、ちょっとマスコミっておかしいんじゃないか。

 問題なのはビールやおつまみを出すことではない。もちろん金券や現金を出すのもおかしいことはおかしいが、それはタクシー業界での競争の結果であって、それを受け取って飲んだり食べたりしても客が問題にされることはないはずだ。

 問題なのは、公務員が自宅に帰るのにタクシーを使い、しかもそれが公費で支払われていると言うことではないか。私も昔公務員の端くれにいたことがあるが、仕事が遅くなっても終電車までにはなんとか帰る算段をする。どうしても終電車に間に合わないときは、勤務先でソファに寝ころんで夜明けを待つ。国鉄や私鉄がストライキをするときは、仕事に支障がないように前もって算段を付けておくし、もしくは泊まるところ確保しておく。それが当たり前ではないか。

 道路整備局のある職員などは年間190回もタクシーを利用して帰宅していたという。しかも休みや出張の日などを除くと彼は200日出勤していたと言うから、ほとんど大部分をタクシーで帰宅していたらしい。そんなことが許されるのだろうか。しかもタクシー代金は道路特定財源から出ている。道路特定財源の一般財源化に反対し続けていた国交省道路整備局というところが、なんのために反対していたか、あまりによく分かる話ではないか。タクシーに乗りたければ自分の金で乗れ。

 マスコミはもっと本質をついた論陣を張って欲しい。光市の親子殺人事件の少年犯裁判の報道などのように人々の情動のままに流された報道をし、本質を見失うことが多い。だから自民党などの本質を隠した情報操作に簡単に乗ってしまう。記者がダメになったのか、それとも上層部が権力志向になったせいなのか。だいたい政府の審議会委員に報道の幹部がホイホイとなってしまうところにジャーナリズムの退廃が感じられる。読売のナベツネのように自分自身が政界のフィクサーを演じるようでは、ジャーナリズムは死んだも同然だろう。

明日は雷雨とか。梅雨はそろそろ本格的になりそうだ。
 

アイヌ民族は先住民族

2008-06-06 | 政治
今日はアイヌの人々にとって忘れられない日になったことだろう。史上初めて日本政府がアイヌ民族が日本の先住民族であることを正式に認めた日なのだから。アイヌの人たち、本当によかったね。

 今日の衆参両院で、全会一致でアイヌ民族が先住民族であることを日本政府は認めるべきであるという決議が採択された。差別と貧窮に苦しめられたことを踏まえての決議だった。遅すぎたというきらいはあるが、これまでかたくなにアイヌ民族が先住民族であることを認めようとしなかった日本政府が、ようやくこの決議を受けて認めることになった。官房長官による声明で、日本にはアイヌ民族という先住民族がいることを正式に宣言した。

 中曽根首相の発言にみられるように、日本は単一民族だという虚構の上に日本の政治は成り立ってきた。その壁が取り払われたことを私は高く評価したい。コイズミやアベシンゾー内閣では認められなかったことであり、参議院での野党の勝利がなければアイヌ民族の苦難はまだまだ続いていたことだろう。政治が少しずつ動き始めたという気がする。靖国参拝の違憲判断、イラク派兵の違憲判決や、日の丸・君が代強制処分での違憲判断など、司法にも新しい芽が見え始めている。

 しかし、先住民族と認められたらアイヌの人たちの苦難が自動的になくなるわけではない。これからその認識をどうやって日常の政治や行政に反映していくのかが問われる。遅すぎた決断をいかにアイヌ民族への謝罪の意味も込めてこれからの行政が変わっていくか、日本の新しい生き方が求められている。洞爺湖サミットがあるから、この判断をしたなどという情けないことにならないようにしたい。