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サンナシ小屋&京都から世界の愛する人たちへ

地球温暖化「疑わしきは罰せよ」

2007-02-25 | 環境
先週は東京と茨城県神栖市で集まりがあって出かけた。2月の寒い時期のはずなのに、北海道から出かけた身にはまるで春の盛りのような暖かさだ。集まった人は全国からだったので、いろんなところの暖冬の様子を聞くことができた。

 伊豆の河津桜は満開で、花見の人波がものすごいとの話も聞いた。上野公園ではすでに桜がちらほら咲いているらしい。もちろん水戸の梅はもう終わりに近い。郊外では菜の花がいっぱい咲いている。東京周辺ではこの冬ついに零下の気温が記録されていないらしい。雪も一度も降っていない。

 暖冬は何年かに一度は必ず起こっている。だからこの暖かさはそれほど心配する必要はないという意見もある。日頃感心して読んでいた田中宇という人のブログ(http://tanakanews.com/)では、温暖化を警告するIPCC(気候変動に関する国際パネル)の報告書をエセ科学だといって批判している。その論拠は、(1)海面上昇が最初言われていたよりは予想が少なくなってきている、(2)メタンガスの濃度は最近増加していない、(3)海洋の温度の平均値は最近下がっている、(4)南極の氷は最近増えている、などである。そして彼は、太陽黒点説が無視されているとか、2001年の報告書に比べていろんなデータが改善の方向にあるのに、報告書は温暖化の深刻さをむしろ強調しているから、この報告書は政治的だ、と論難している。彼は温暖化は人類の影響ではないと言いたいようだ。

 しかし、彼の言う論拠はほとんど理由にならない。(1)海面上昇の予測が2100年までの約100年間の海水面上昇の予測値の平均値は、前回の報告書では48・5センチだったが、今回は38・5センチに減っている。それを彼は論拠にしているが、予測が48センチが38センチに減ったからと言って海面上昇の影響がないなどといったいどうして言えるのか。この予測だっていろんな科学的なデータと解析に基づいて行われているので、その解析理論や技術はどんどん向上する。前回よりも予測が減ったから海面は上昇しないなどということこそ、エセ科学でしかない。
 田中宇は、「海水面は20世紀中に、人類が問題にしない間に20センチほど上昇している。今後あと40センチ上昇したとしても、大した問題ではない」と言い切る。20センチまで問題なかったからあと40センチあがってもたいした問題ではないなどといったいどうして言えるのか?ものごとには閾値というものがある。ある閾値まではいろんな事象は可塑性を持つ。しかし、一定の閾値を超えたら、カタストロフ(全面崩壊)に突き進む。その程度のこともわからない人に温暖化など問題ない等と言ってもらいたくない。20センチでも国の存亡がかかっている太平洋の島国もあるのだ。

 彼の論拠とする(2)メタンガスが増加していないというのは1990年以降のことだという。(4)海洋の温度が下がっているというのは2003年以降という。たったそれだけの期間で下がっているか上がっているか等というのは、まともな科学者なら論拠にならないことは明白である。温度も濃度も氷の量も数年の間隔で増えたり減ったりしながら変動する。全体の傾向が増えているか減っているかは数年のデータではまったく判断できない。長年のデータを解析しないとそんなことは言えないのである。温暖化と言っても寒い冬もある。だから温暖化は嘘だという科学者がいたとしたら、それは御用学者かエセ科学者であろう。

 温暖化を嘘だといいつのることで企業利益を最優先にする資本家とそれに依存する政治家以外にいったい誰が得するのだろう。もし千歩ゆずってそれが嘘だったとしても、温暖化対策を国際間で行うことによって人類の生存が少しでも保証される方向に進むことは間違いないだろう。「疑わしきは無罪」というのは、司法の常識であるが(最近常識になっていない怖ろしさについては別に書いている)、「疑わしきは罰する」のが環境問題で水俣病やイタイイタイ病などの深刻な公害を経験した日本いや人類の常識ではないか。

南極海での火災と海洋汚染の危機

2007-02-17 | 環境
調査という名目で南極海で捕鯨を行っている日本の捕鯨母船「日新丸」が、火災を起こし航行不能に陥っている。この火災で乗組員一人が遺体で見つかったという。日新丸はいますぐ沈没の危険はないと言うことだが、電気系統が火災で焼失し、エンジンを掛けることができないようだ。さらに、船内の被害が大きい場合は、オイル漏れの可能性も出てきている。

 日本の調査捕鯨に反対するためにニュージーランドから南極海へ出航したグリーンピースの船「エスペランサ号」は日新丸の救援信号を受けて直ちに現場に駆けつけ救援の申し出を行った。現場は氷山や浮氷の接近があり得るところであるため、航行不能になった日新丸に氷山が接近しないように、エスペランサ号のヘリコプターが監視に当たっている。

 問題は、オイル漏れである。南極海に日新丸の重油が流出したら、かなり大きい汚染が引き起こされる畏れがある。ニュージーランドの自然保護省長官は重油漏出の畏れがあると声明を出した。グリーンピースからは日新丸へ曳航の申し出があったようだが、日本政府(環境省)や捕鯨会社はそれを無視している。しかし、南極海は汚染から守るために国際条約があり、汚染をした国や企業はその責任を国際社会から問われることになる。意地を張るのは止めて、日新丸はただちにエスペランサ号に曳航をお願いしてでも、南極海から少しでも早く退去することを考えるべきであろう。

 捕鯨反対の実力行使をした環境保護団体「シーシェパード」はどうしたのだろうか。日新丸の火災に救助に駆けつけなかったのだろうか?と思ったら、「シーシェパード」の船は日本の捕鯨船「海幸丸」と衝突したようだ。「海幸丸」が救難信号を発したようだが、「シーシェパード」の船も損害を受けているようだ。

 日本は南極海まで行って鯨を捕る必要があるのだろうか?地先の海の鯨をとることを考えた方が良い。南極海はどこの国の物にしてもいけない。鯨が自由に泳げる海を少しは残してはどうだろう。鯨を食べるのは日本の伝統文化だという人がいるけれど、南極海まで行って獲らないといけない鯨を食べるのが日本の文化だと強弁するつもりだろうか?南極まで行って獲り始めたのはほんのまだ100年にもならないのだ。

地球のために何ができるか(5)洗剤

2007-02-14 | 環境
合成洗剤の害が叫ばれて久しい。合成洗剤は環境に良くないとおおかたの人は認識していたはずなのだが、いまだに合成洗剤万能の世の中は一向に変わらないようだ。最初は合成洗剤はリンがたくさん含まれるために水域の富栄養化に寄与するので良くないと言われてきた。すると、大手の合成洗剤を作る会社がただちに無リンの合成洗剤を開発した。そのために、合成洗剤は無害だという説が広まった。

 しかし、合成洗剤の害は現在ではもっと他にあることがわかってきた。もっとも大きい害は、いわゆる環境ホルモン作用である。合成洗剤は非常に希薄な濃度でも生物の発生や基礎代謝に偽ホルモンとしての作用を持つことが多く、多くの海の生物の絶滅や減少の原因になっていると考えられている。環境ホルモンとして有名なTBT(トリブチル錫)が原因で、巻き貝類がメス化して生殖できずに減少・絶滅の運命をたどっている。

 私は、合成洗剤を使わない。いや、洗剤もなるべく使わない。洗濯は粉石鹸を使っている。粉石鹸は汚れが落ちないとか黄ばむとか言っていやがる人が多いが、決してそんなことはない。もっとも合成洗剤に含まれる蛍光色素剤が白く染めるのにはかなわないが、そもそも下着を危険な化学物質漬けにして白くしたいと思わない。粉石鹸で十分洗濯はできる。

 食器も私は合成洗剤をつかわない。いや、いっさいの洗剤を使わない。石鹸も使わない。基本的に水で洗うだけである。そもそも食器の汚れは昔はみんな水で洗っていた。水で洗うためには、物理的な洗い方が必要である。すなわちたわしなどでごしごしと物理的に汚れを落とす。一方、洗剤は化学的に汚れを落とす。だから洗剤で洗うと力を入れなくても汚れが落ちる。そのために、食器を浸けておいただけでいいから力を使わない。楽だと思うのだろう。しかし、だから洗剤で洗うと十分すすがないから化学物質が残る。身体に危険な物質が食器に残ってしまう。

 油汚れはどうするか。私は食器の油汚れはすべて紙で拭く。紙で良く拭き取ってから水洗いをすれば、どんな油汚れも水だけで洗える。紙で拭き取った油は水に流さずに燃えるゴミとするから、水の汚れの原因にもならない。洗剤を使わないことは一石三鳥くらいの良いことがある。

 シャンプーは石鹸で作ったシャンプーを使っている。最近は多くのスーパーでも石鹸シャンプーを置いている。気を付けないといけないのは石鹸シャンプーのように見せかけた合成洗剤シャンプーが多く出回っていることだ。よく中身を書いているところを読んで間違わないようにしよう。

 それから歯磨き。いわゆるチューブに入っている練り歯磨きはすべて合成洗剤入りだ。合成洗剤で良く広がるようにしている。私はいっさい練り歯磨きは使わない。歯ブラシに水を付けてブラッシングするだけだ。歯を磨くにはそれで十分。歯の黄ばみはしかたないけど、真っ白な歯はむしろ不健康な証拠だ。多少黄ばんでいても歯はその方が丈夫。虫歯にもなりにくい。ブラッシングは十分必要だ。ここでも化学的な歯磨きよりも物理的なごしごしやる歯磨きが良い。練り歯磨きで歯を磨いたあとの食事が奇妙な味がするのはみんなご存じのはず。あれは合成洗剤の作用で味蕾がおかしくなった証拠なのだ。みんなそれになれて当たり前のように思っているようだが、あの味のおかしさはかなり大きい影響を持っている。昔の人に比べて最近の人には味盲が多いと言われているのは、どうやらそのせいだろう。練り歯磨きで歯を磨くのは当たり前と思っているかもしれないが、30年前まではほとんどの人が練り歯磨きなど使っていなかったのだ。水で磨くか、塩を付けて磨いていた。せいぜい磨き粉(クレンザー)で磨いていた。

 洗剤を使わない生活をみんなが実行すれば、生物の絶滅速度はかなり低下するように思う。地球がよろこぶ生活を、われわれは選んでいく必要があるのではないか。みんなの地球なんだから。

温暖化と危機感

2007-01-30 | 環境
最近、銀行、市役所、法務局、裁判所、郵便局などへでかけることがあった。驚いたことはこれらの建物の中がきわめて暑かったことだ。暖房がすごく効いている。いま、地球温暖化が進み、京都議定書で日本は温暖化ガス(おもに二酸化炭素)を大幅に減らすことを約束しておきながら、約束を守れそうもないことがはっきりしてきている。

 政府は省エネルギーやクールビズやウオームビズを奨励してきながら、温暖化ガス削減はなかなか進まない。しかし、私の職場などでは室温は20℃を下回っている。上着はもちろん膝掛けも必要だ。しかし、これらの建物の中は汗をかくほどの暑さが。その証拠に、これらの建物の中で働いている人たちはほとんどが上着を脱いでワイシャツ姿で仕事をしている。外から入ってくるわれわれは上着はもちろん外套を着て手袋までもしている。それでは汗をかくほどの暑さだ。

 いったいこれらの人たちは温暖化の危機感を持っていないのだろうか。きっと温暖化が進んでも自分たちは被害を受けないと思いこんでいるのだろう。政府はこんなことを知っているのだろうか。中央省庁でもちゃんと省エネルギーを進めているのは環境省だけだと言う。他の省庁では暖房はぬくぬく、冷房はひやひやなのだろうか。不都合な真実とは、何か。これらの建物の中で働いている人たちよ。よく考えて欲しい。

バイオエタノールは地球をすくえるか

2007-01-21 | 環境
化石燃料である石油に代わる燃料として、バイオエタノールが最近脚光を浴びてきた。なたねやひまわりは油を取る植物として有名だが、バイオエタノールは油ではなくアルコールだ。トウモロコシやサトウキビなどいろんな植物を発酵させて作ることができ、これまで捨てていたトウモロコシやサトウキビの葉などもすべて利用できる。しかも、燃やしても二酸化炭素の総量は変わらないので、京都議定書でもバイオエタノールを燃やしても二酸化炭素の排出計算には入れていない。

 アルコールというと心許なく燃えるアルコールランプを想い出す。すぐにお酒を思い出す人も多いだろう。あんなもので石油の替わりになるのだろうかと心配する人もいるだろう。しかしすでに山形県などでは直接ガソリンに混ぜて自動車の燃料として使われている。しかしコストはまだガソリンよりも高い。ガソリンも原油の高騰で高くなったが、バイオエタノールはまだそれよりも高い。しかもバイオエタノールだけだと車の部品の腐食が起こるという。そこでヨーロッパなどではバイオエタノールをさらに加工して、ETBE(エチルターシャリーブチルエーテル)というものにして燃料としている。

 まあ、とにかく石油を燃やすよりは地球に優しいことは確かだ。バイオエタノールの使用が増えて石油の消費量が減るのはうれしい。しかし、これにも問題はある。風力発電が自然エネルギーの利用として奨励されたけれども、あちこちにいっぱい風車が回り始めると渡り鳥が大量に死んだりする弊害もでてきた。

 バイオエタノールも多くの自動車が使い始めると問題が起こる。なぜなら燃料の安定供給には原料の植物をたくさん作らねばならなくなる。現在原料のトウモロコシやサトウキビからバイオエタノールを作って輸出しているのはブラジルとアメリカだけだ。しかし安定供給にはそれぞれの国でこれらの植物を生産しなければならなくなるだろう。そのために何が起こるか。現在縮少気味の農地がこれからもっと必要になり、いたるところで森林を切り開き農地開発が進むだろう。けっして地球に優しい燃料とは言えなくなる。

 しょせん、自動車社会による燃料の大量消費をそのままにして、石油をバイオ燃料に代えたとしても、一時しのぎにしかならないと言うことだ。政治がトヨタに遠慮していては、所詮地球を救うことはできない。自動車社会をどう変えていくか、それこそ考えなければならないことだ。

 車がないと生活できないような社会をなぜ作ったのか。道路ばかりが大きく長くなった日本。もっとスローなしかし豊かな社会を作りたい。パパラギ(先進国人)の国はアイツウ(悪魔)の国だ。

地球のために何ができるか(4)プラスチック

2007-01-20 | 環境
プラスチック製品は、原料は化石燃料「石油」だ。今もっとも困るゴミ問題の元凶でもある。燃やせば有害なけむりが出、埋めればすぐに埋め立て処分地がいっぱいになる。そこらに散らかせば汚らしい。熱を加えると水に有害な物質を溶出させる。子供が舐めると病気になる。ほんとうに困った存在だ。

 だから私はできるだけプラスチック製品を避ける。ペットボトル入り飲料は買わずに、ステンレスとガラスの魔法瓶を使う。持っていない時はスチール缶かアルミ缶入りの飲料を買う。弁当箱もアルマイト製。いまどきなかなか売っていないので探すのに苦労する。ちょっとした物入れには木や紙の箱を使う。プラスチック製品は安いが、やはり木の製品は落ち着きがあり品格もある。100円ショップにいっぱいあるようなプラスチック製品はできるだけ身の回りに置かないようにしている。

 しかし、何か買う時には苦労する。ほとんどがプラスチック製品だから。いつかも木製品だと思って買ったお椀がプラスチックだった。悔しい。もっとみんなが木製品や金属製品を使い、プラスチック製品を遠ざける生活をしてはどうだろう。木のぬくもりはスローライフにはぴったりだし、なによりも地球の環境を守る大きい手だてになる。

温暖化が目に見えるようになった

2007-01-10 | 環境
今年関東は穏やかな正月だった。風もなく暖かで、昼間は窓を開け放しても寒くなかった。帰省した家の近くを着物を着て下駄を履いてのんびり懐手をしながら歩いてみた。田んぼのあぜ道では正月だというのに、オオイヌノフグリの花がいっぱい咲いていた。そのほかにも、セイヨウタンポポ、ノボロギク、ハコベ、庭にはフユザクラなど小さな草から大きい木まで花が咲いているのが見られた。また、ロウバイの黄色があざやかでしかも馥郁とした香りが漂っていた。1月9日の今日、都内で梅が咲いたというニュースが流れている。さらに秋の花の菊がいまだに咲き残っている。

 北海道はさすがに花は何もなく、一面雪の原だ。それでも例年と違って釧路川の河口はまだまったく氷が張っていない。このあたりの小川の河口も十分凍っていないので、氷に穴を開けてノンビリ釣りをする姿も見られない。北海道もやはり暖かいのだ。

 ニューヨークでは冬なのに20℃を超えたという。温暖化は確実の世界を覆っている。パラオ諸島では海水面の上昇に伴って陸が削り取られる傾向がはっきりしてきたという。小さな太平洋の島国は温暖化は国の存亡に影響する。やれることは少ないが、二酸化炭素削減のために彼らは国の存亡を掛けて彼らなりの努力をしているという。大国アメリカや日本は努力したができませんでしたとは言えないはずだ。なにをすべきか、今一度考えよう。子供たちの生存が掛かっているのだから。

新しい年を迎えて

2007-01-03 | 環境
明けましておめでとうございます

 今年もよろしくお願いします。気分一新でテンプレートを替えました。寒い冬ですが、暖かい海で温まってください。

 今年から年賀状をやめてメール年賀状にしました。アドレスを持っていない人には申し訳ないですが。

今年のブログは自販機の話から・・・

 のどがあまりに渇いたので、自動販売機でジュースを飲もうと思ったが、なかなかジュースが飲めない。いくつか理由があるのだが、その一つは、ペットボトルにある。

 最近の自動販売機で売っている飲み物の大半がペットボトル入りだ。ペットボトルは石油を原料として作られるもので、材料の100%が輸入。燃やすと有毒なガスが発生し、しかも化石燃料を燃やすために二酸化炭素の濃度を上げる。燃やさなければいたるところペットボトルが散乱し、ゴミ問題のもっともやっかいな主役になってきている。だから私はペットボトル入り飲料は絶対に買わないようにしている。

 アルミ缶もしくはスチール缶入り飲料なら、リサイクルすればそれほど大きい問題にはならない。できれば水筒を持参した方がよいが。ペットボトル入りの飲料を売るのはやめて欲しい。

 最近では、会議でペットボトル入りのお茶が出されることが多い。私は絶対に飲まないようにしているが、しかし、これはよく考えたら失礼極まりないやり方ではないか。お茶を入れるサービスをやめて手抜きしたことを臆面もなくさらしていて平気だ。こんなやり方ならお茶など出さない方がまだましだ。

 もう一つの問題は、寒いところでは温かい飲み物が欲しいし、暑いところでは冷たい飲み物が欲しいのだが、不思議なことに北海道では自販機で売っている飲み物はほとんど冷たいものばかり。ほんの少し温かい飲み物も売っているのだが、コーヒーがほとんどで、私はコーヒーはあまり好きじゃないので本当に困る。ところが、本州の暖かいところでは、逆に暖かくした飲み物が多い。いったいこれはどうしたことか?

 私が自販機で飲み物をなかなか買えない理由の3番目は、コ○コーラ販売の自販機が多いと言うこともある。アメリカ資本の象徴のようなコ○コーラの自販機には近寄らないようにしているので、飲み物を探すのは本当に苦労する。ドライブをする時などはかならず水筒に温かいお茶を入れて持っていくようにしているが、旅行中などはそう言うわけにもいかない。なんとかならないものか?

カキとノロと温暖化

2006-12-21 | 環境
今年はノロウィルスが流行していて、おかげで生牡蠣を食べる人がほとんどいなくなったらしい。牡蠣の値段も例年の半分くらいまで落ち込んでいるらしい。牡蠣の養殖業者は青息吐息だという。

 牡蠣がノロウィルスに感染して中毒が出たというのはまだどこにも例がないから、これは風評被害だと漁業者は言っているらしい。たしかにノロウィルスに関してはその通りだろう。しかし消費者にしてみれば、牡蠣がノロウィルスに感染するのはもう時間の問題だろうと感じているのに違いない。

 生牡蠣は本当に美味しいが、ノロウィルスに感染しなくても、いろんな食中毒の原因になってきた。消費者はもう十分生牡蠣の怖さを知ってしまっているのだろう。いまさら、まだノロウィルスに感染したという話はない、なんて言ってみてもおそらく消費者は決して安心はしないだろう。むしろこのようなニュースが駆けめぐると、牡蠣業者は大変だね、というだけでだれもだから生牡蠣を食べようとは思わないだろう。むしろ何も知らなかった人に牡蠣って怖いらしいねというそれこそ風評被害を増大させるだけのような気がする。

 いまはただノロウィルスなんていう悪魔が通り過ぎるのを黙って待っていた方がいい。もっとも漁業者が騒ぐのは風評被害を理由に政府や自治体に補償してもらいたいと思っているだけかもしれないが・・・。

 それはともかく、最近この近くの海岸の温度と水温を40年近く測り続けているところのデータを見た。それによると、年間の平均温度と平均水温が1970年代から1985年頃までは5~6年の周期で上下を繰り返しているが、その基本的な温度はほとんど変わらなかったのが、1980年代後半から現在までほとんど直線的に温度・水温共に上昇を続けていることがはっきりわかった。

 このグラフを見ていると、本当に怖ろしい。わずか20年くらいの間に平均温度は1度くらい上昇し、海水温は2℃くらいも上昇している。この傾向が続いたら、あと20年で北極の氷は融けてしまいそうだ。水面上昇で国が無くなりそうなところも出ている。そのような国にとっては、核兵器も軍事費も何の役にも立たない。

 あらためてわれわれの生活のあり方をもっと早急に考え直す必要があると考えた。ノロウィルスの流行や鳥インフルエンザの流行なども人間の文明の方向と無関係とは思えない。民主党が中間選挙で勝ったアメリカは早く方向転換して温暖化の京都議定書の枠に立ち戻って欲しいし、議定書で約束したはずの先進国のCO2削減を本気で取り組んで欲しい。経済に悪影響を与えるから、なんて言っている場合ではない。経済よりも人々が生き残れるかどうかなのだから。

藻場造成というまやかし

2006-12-07 | 環境
広島県の瀬戸内海に「ハチの干潟」というところがある。20ヘクタールくらいの狭い干潟だが、干潟がほとんど埋め立てられた瀬戸内海では残された貴重な干潟なのだ。そこには30年もむかしの子供たちが遊んだままの干潟が残されている。種類は減ったとはいえ、いろんな生物がまだなんとか生き延びている。干潟にはコアマモという海草が生え、干潟の沖にはホンダワラやアマモの藻場が広がっている。

 藻場は、海の生物のゆりかごと言われている。いろんな魚やエビやカニが子供の頃に藻場で生活し、大きくなる。瀬戸内海では昔はいたるところに藻場があった。いまではそのほとんどが干潟と共に埋め立てられてしまった。だから瀬戸内海の漁業は大きい痛手を受けた。とくにマダイやクロダイなどの高級魚が減少した。だから漁師は藻場が復活することを望んでいる。

 このハチの干潟で藻場造成工事が行われようとしている。漁師の希望に添って藻場を増やすために工事をするというのがその大義名分である。しかし、ハチの干潟にはコアマモやホンダワラやアマモの藻場が広がっている。そこに藻場を造成するという。なぜ藻場のあるところに藻場を造成するのか?

 その事業の詳細を知ると、なぜ藻場を造成しようとしているかがよくわかる。藻場造成工事には、干潟にどこからか土を持ってきて大規模に土を入れ、その上に海草を植え付ける工事をする。その土とはいったいどんな土か?そしてそれはどこから来るのか?いったい誰がそんな工事をするのか?それを知れば、なぜこんな工事をしようとしているかがよくわかる。けっして漁業者のためなんかではないのだ。

 この藻場造成工事を請け負っているのは、産業廃棄物処理を請け負っている海洋土木会社である。ようするに、浚渫などで出たヘドロを干潟に入れ、ヘドロ処理と藻場造成を一挙にやってしまおうと言うことなのである。たしかに業者にとっては一石二鳥でしょう。処理するのにお金がかかるところを別のところに利用してお金を生んでくれるのだから。しかし、埋め立てられる干潟の生物はどうでしょう。そして造成された藻場は役に立つものが出来るのでしょうか。

 実は藻場の造成というのは、全国いたるところでやられているが、成功した例はほとんど無いのだそうだ。植えて2~3年はなんとか海草がみられるが、そのあとはまず無くなってしまう。しかもハチの干潟はいまでも藻場があるのだ。そこに藻場造成と称してヘドロを埋め立てその上にアリバイ工作のような海草の移植をしても、いまある藻場が無くなるだけで造成なんかできっこない。しかし、行政の評価は、工事が終わった時点で検査をして、そのときに藻場があったら造成できたことになってしまう。あとは藻場が無くなろうとどうしようと知ったことではないのである。業者は金が入ればあとのことは知らない。

 そうして自然再生とか藻場造成とか言って、どんどん自然が破壊されていく。この行政の構造をなんとかしなければいけない。そうしないと、自然と共に生きている多くの生き物たちは、あっという間に絶滅してしまう。生き物が絶滅するような環境に人間は長く生きることは出来ない。彼らの運命は人間の明日の運命なのだ。

 とにかく、いますぐハチの干潟を守らねばならない。藻場造成は直ちにやめて欲しい。「藻場造成」という言葉を聞いたら、まずは眉に唾を塗ることから始めよう。