【お知らせ】
マエストロ・院長です(^^).
前回私は-
> しばらくだいすぎは
> キャンペーンを張ることになります。
と書きました。
その動きが26日から開始しています。
すでに私が考えていた
シリーズ大事なコアの部分の作業は
ほぼ昨日でやり終えたと申し上げておきます。
素晴らしい1日でした。
しばらくは残務整理の用事だけ
今月末までやります。
後の私の人生後半を
すでに終えたような気分です。
【最近いろいろと考えることがあるコーナー】
東洋思想から見た人間関係について
好き勝手なことを、いろいろ書いている
いろいろシリーズ。
{我孫子あすなろ改革第2弾・その20}
音楽工房の工事は終わって
これからは発信と製作というリンクの構築を進めますが
まずはメインの発信用の机に
稼動し始めているパソコンをレイアウトします。
動画撮影用の事務所スペースの
ある部分をスタジオ風にこれから変えて生きます。
そのある部分とは、押入れ(オシイレ)部分。
そこを隠すために
撮影用の幕を張ります。
そしてヤスモンの照明を取り付けます。
作品はユウタロウが
タブレットで撮ってくれますので
それ用の三脚も買います。
早速その部分をやります。
【健康百話】
《脉診》
{脉診の面白さ・その48}
前回までは『王脉』について書きました。
いつも書いていますが前回までのの部分を
しっかりと読んでおいてください。
全て大事なものです。
今回から『脉の軽重』
つまり脉を取る、指の圧に関する
話について書きます。
その前に少し、前回の補足です。
暑い夏は私たちの脉は
太くて大きな脉になるわけですが
確かにクーラーの中にいると
外がどれほど暑くても
私などは特に脉は沈みますし
細いです。
表に出れば変わりますが。
逆に言うと、この時期に
室内にいる人の脉が
膨れて大きく打っているのは不自然だとも言えます。
やはり異常を含めて
四診(ヨンシン)を十分しておくことが必要です。
これは想像力です。
平常な脉は平常だけのことです。
最も大切なことは
生体の異常が理解できなければ
治療家とはいえません。
少し本論に入ります。
資料から引用--
五難に曰く。脉に軽重があるとは、どういうことなのでしょうか。
然なり。初めて脉を持つときは
三菽の重さであるようにし
皮毛と相い得るものは肺部です。
六菽の重さであるようにし、血脉と相い得るものは心部です。
以上引用。
ここは大豆豆の重さに
指の圧力を持って
脉の診察をする
ということを言っている箇所です。
患者の右手の親指の母子丘(ボシキュウ)の
手前の『寸部』を。
そこが『肺』のところですが
「その指の重さが
豆三つ分だよ」ということです。
そして次の-
> 六菽の重さであるようにし、血脉と相い得るものは心部です。
とあるのは左手首の同じ『寸部』で
『心』の部分です。
この場所の詳細につきましては
過去の経絡ブログにありますので
しっかりと確認をしておいてください。
{二つの意味が含まれている}
> 皮毛と相い得るものは肺部です。
豆三つが『皮毛』ということを言っています。
これは、本当に軽く触れる重さで
患者は触られているかどうか
ほとんど感じないほどの重さです。
つまり各臓器の指の重さを
豆の数で正常か、異常を決めているんですが
それ以外に、病位をも示しています。
三菽は皮膚の部分。
六菽は血(ケツ)の部分というようにです。
話としては面白いのですが?
このお豆さん、そのまま素直にいただいてしまっても
良いのかなと思わなくはありませんが?
そこはまあ適当にということではい。
私は参考までにしております。
ここを、もう少しやりますが
確かに指の圧で
皮膚、血、筋肉、骨という基準は
深部に入っていくことは間違いではありません。
今回はこんなところです。
なお、この記事は
難経鉄鑑 ブログ思想地図の
資料をお借りして参考とさせていただいています。
http://1gen.jp/1GEN/NAN/NAN.HTM
改めまして音楽家でセラピスト院長こと
誰よりも天道に従いながら
地道(チドウ)にも従って
誰にも束縛されない
だいすぎこと杉本院長です。
当面の我孫子あすなろですが-
この28日(火)はおりません。
いずれの場合も、ご訪問の際は
ブログの下のほうにあります
連絡先へお電話ください。
アクセスはおなかいっぱい~
本通りネットライブ情報や
その他の各種イベントや連載は
きめ細かく、こちらのブログでご確認をお願いします-
たいていのことは書いています。
日々進歩する||
リニューアルしつつある『ふれあいカフェブログ』
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
イベント人生の企画の醍醐味は:
「作業を静かに進めることもあれば
一気怒涛のごとくに
進めなければいけないときもある」。
こんな具合に、あなたのイベントも
東洋医療とともに大切に
コーディネートさせていただきます。
〈私のメモより〉
東洋的生き方という
この研究をする中で
いろいろと気づいたことを書いています。
最近ちょっと角度を変えて書いています。
今、日本の昔話から
タオイズムを考えています。
『浦島太郎』を取り上げています。
前回は生まれ故郷の地上に戻った太郎君のお話でした。
今回は、その続きです。
ここから--
さてと、太郎君の家は見当たらないのです。
それとみんな知らない人たちばかり。
そこへ一人のお年寄りが通りすがろうとします。
「すみませんが、ちょっとお聞きしますが」
と太郎君。
「ここに浦島という一家があったのですが
その太郎という人物を知りませんか?」
お年よりは、しばらく考えた後で
「そういえば!
700年前に、そんな人が
ここに住んでおったという話を
聴いたことがあったが。
その人は帰らないそうだよ」。
太郎君まさに茫然自失。
彼の周りに知る人はまったくいないとは。
ふと見ると、太郎君の手には
乙姫さんがくれた玉手箱だけが。
≪経絡と健康≫
東洋医学と思想の
独特の抽象的なものの見方というお話です。
今までの東洋医学の話とは
少し、視点を変えたりして書いています。
〈 不思議な気と経絡のお話〉
東洋医学の診察法から診断、治療に至るまでの
東洋の哲学や医学の基本的な考え方についても
そんな東洋医学オタクが
適当にお話しています。
《気の話しいろいろ》
今、院長が好きな荘子の部分を
引き続き書いています。
「人の本質とは?」
徳充符篇]奇形,豊かな徳の徴(その1)
から連載させていただいております。
ここは、いろいろなタイプの
障害者たちを通して
荘子が語る人間の本質を書いているところです。
老荘思想の普遍的な真理です。
その続きです。
ここから--
老※(ろうたん)は
「生と死も,可能も不可能も
同じことの両面であって,
同じ原理に貫かれていると,
彼に教えてやればよかったんだよ。
そうすれば,彼をそんなつまらぬ
こだわりから解き放ってやれたのだがね」と答えた。
以上引用です。
ここは人間思想だけではなく
タオイズムの本質でもありますが
何も変わるものなどはないということです。
こんなことに悪いドタマをこねくりかえしても
何も出てこないということ
だから自分は特別な存在とも思わずに
また卑屈にも考えず
妙なこだわりや幻想や
偏見などはくその役にも立たないということです。
君は何に束縛されてるんだろうね?
もう少し楽に生きませんかいな?
【この続きは、このブログで。
いつものように樺山三郎著
【老子の部屋】
あるいは【荘子の部屋】
あるいは私の資料などからも
引用させていただいています。
こんな具合に院長は
ときに、反省も適当にしながら
あなたと私の生き方も
トータルに考えます。
院長ブログは、ほかには
最近『視覚障害者の
誘導ワンポイント』を書いている
連載コーナー。
先週は1日平均193名の皆さんがご覧いただいた
上記カフェブログです。
同じく『音楽物語』では
ギター講座と
ミュージシャンとして最も大切な
耳を訓練するというエッセイを書くことに。
そんなギター講座が
『音楽物語』から始まっています。
ふれあいカフェ 関連ブログ。
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
『鳳うたう会』を
実施することになりました。
とまあ、果たして天命が??
451日、紙飛行機を飛ばしたい
だいすぎ院長。
ここからは、まだまだ続く
ながああああいお付き合いの
それなりのコマーシャル。
泉大津市我孫子25番地-13.
電話:0725-90-5951
なお『我孫子あすなろ【A オフィス・だいすぎ(音楽部門)】』では
音楽の宅配活動もやっていますが
次回のポンカンライブは
6月2日(日)しかありませんぞはい。
だから6月2日(土)にお越しいただくのが
最もよろしいということ。
それ以外に上記東洋思想に関する
院長は講演やセミナーも。
『人と暮らしとボランティア 今昔(コンジャク)物語』
と言うテーマで
25日お話をさせていただきました。
お越しいただいた皆さんありがとうございました。
【だいすぎ携帯】:090-8237-0985
お気軽に、どんなことでもお電話ください。
お待ちしておりやすのではい。
マエストロ・院長です(^^).
前回私は-
> しばらくだいすぎは
> キャンペーンを張ることになります。
と書きました。
その動きが26日から開始しています。
すでに私が考えていた
シリーズ大事なコアの部分の作業は
ほぼ昨日でやり終えたと申し上げておきます。
素晴らしい1日でした。
しばらくは残務整理の用事だけ
今月末までやります。
後の私の人生後半を
すでに終えたような気分です。
【最近いろいろと考えることがあるコーナー】
東洋思想から見た人間関係について
好き勝手なことを、いろいろ書いている
いろいろシリーズ。
{我孫子あすなろ改革第2弾・その20}
音楽工房の工事は終わって
これからは発信と製作というリンクの構築を進めますが
まずはメインの発信用の机に
稼動し始めているパソコンをレイアウトします。
動画撮影用の事務所スペースの
ある部分をスタジオ風にこれから変えて生きます。
そのある部分とは、押入れ(オシイレ)部分。
そこを隠すために
撮影用の幕を張ります。
そしてヤスモンの照明を取り付けます。
作品はユウタロウが
タブレットで撮ってくれますので
それ用の三脚も買います。
早速その部分をやります。
【健康百話】
《脉診》
{脉診の面白さ・その48}
前回までは『王脉』について書きました。
いつも書いていますが前回までのの部分を
しっかりと読んでおいてください。
全て大事なものです。
今回から『脉の軽重』
つまり脉を取る、指の圧に関する
話について書きます。
その前に少し、前回の補足です。
暑い夏は私たちの脉は
太くて大きな脉になるわけですが
確かにクーラーの中にいると
外がどれほど暑くても
私などは特に脉は沈みますし
細いです。
表に出れば変わりますが。
逆に言うと、この時期に
室内にいる人の脉が
膨れて大きく打っているのは不自然だとも言えます。
やはり異常を含めて
四診(ヨンシン)を十分しておくことが必要です。
これは想像力です。
平常な脉は平常だけのことです。
最も大切なことは
生体の異常が理解できなければ
治療家とはいえません。
少し本論に入ります。
資料から引用--
五難に曰く。脉に軽重があるとは、どういうことなのでしょうか。
然なり。初めて脉を持つときは
三菽の重さであるようにし
皮毛と相い得るものは肺部です。
六菽の重さであるようにし、血脉と相い得るものは心部です。
以上引用。
ここは大豆豆の重さに
指の圧力を持って
脉の診察をする
ということを言っている箇所です。
患者の右手の親指の母子丘(ボシキュウ)の
手前の『寸部』を。
そこが『肺』のところですが
「その指の重さが
豆三つ分だよ」ということです。
そして次の-
> 六菽の重さであるようにし、血脉と相い得るものは心部です。
とあるのは左手首の同じ『寸部』で
『心』の部分です。
この場所の詳細につきましては
過去の経絡ブログにありますので
しっかりと確認をしておいてください。
{二つの意味が含まれている}
> 皮毛と相い得るものは肺部です。
豆三つが『皮毛』ということを言っています。
これは、本当に軽く触れる重さで
患者は触られているかどうか
ほとんど感じないほどの重さです。
つまり各臓器の指の重さを
豆の数で正常か、異常を決めているんですが
それ以外に、病位をも示しています。
三菽は皮膚の部分。
六菽は血(ケツ)の部分というようにです。
話としては面白いのですが?
このお豆さん、そのまま素直にいただいてしまっても
良いのかなと思わなくはありませんが?
そこはまあ適当にということではい。
私は参考までにしております。
ここを、もう少しやりますが
確かに指の圧で
皮膚、血、筋肉、骨という基準は
深部に入っていくことは間違いではありません。
今回はこんなところです。
なお、この記事は
難経鉄鑑 ブログ思想地図の
資料をお借りして参考とさせていただいています。
http://1gen.jp/1GEN/NAN/NAN.HTM
改めまして音楽家でセラピスト院長こと
誰よりも天道に従いながら
地道(チドウ)にも従って
誰にも束縛されない
だいすぎこと杉本院長です。
当面の我孫子あすなろですが-
この28日(火)はおりません。
いずれの場合も、ご訪問の際は
ブログの下のほうにあります
連絡先へお電話ください。
アクセスはおなかいっぱい~
本通りネットライブ情報や
その他の各種イベントや連載は
きめ細かく、こちらのブログでご確認をお願いします-
たいていのことは書いています。
日々進歩する||
リニューアルしつつある『ふれあいカフェブログ』
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
イベント人生の企画の醍醐味は:
「作業を静かに進めることもあれば
一気怒涛のごとくに
進めなければいけないときもある」。
こんな具合に、あなたのイベントも
東洋医療とともに大切に
コーディネートさせていただきます。
〈私のメモより〉
東洋的生き方という
この研究をする中で
いろいろと気づいたことを書いています。
最近ちょっと角度を変えて書いています。
今、日本の昔話から
タオイズムを考えています。
『浦島太郎』を取り上げています。
前回は生まれ故郷の地上に戻った太郎君のお話でした。
今回は、その続きです。
ここから--
さてと、太郎君の家は見当たらないのです。
それとみんな知らない人たちばかり。
そこへ一人のお年寄りが通りすがろうとします。
「すみませんが、ちょっとお聞きしますが」
と太郎君。
「ここに浦島という一家があったのですが
その太郎という人物を知りませんか?」
お年よりは、しばらく考えた後で
「そういえば!
700年前に、そんな人が
ここに住んでおったという話を
聴いたことがあったが。
その人は帰らないそうだよ」。
太郎君まさに茫然自失。
彼の周りに知る人はまったくいないとは。
ふと見ると、太郎君の手には
乙姫さんがくれた玉手箱だけが。
≪経絡と健康≫
東洋医学と思想の
独特の抽象的なものの見方というお話です。
今までの東洋医学の話とは
少し、視点を変えたりして書いています。
〈 不思議な気と経絡のお話〉
東洋医学の診察法から診断、治療に至るまでの
東洋の哲学や医学の基本的な考え方についても
そんな東洋医学オタクが
適当にお話しています。
《気の話しいろいろ》
今、院長が好きな荘子の部分を
引き続き書いています。
「人の本質とは?」
徳充符篇]奇形,豊かな徳の徴(その1)
から連載させていただいております。
ここは、いろいろなタイプの
障害者たちを通して
荘子が語る人間の本質を書いているところです。
老荘思想の普遍的な真理です。
その続きです。
ここから--
老※(ろうたん)は
「生と死も,可能も不可能も
同じことの両面であって,
同じ原理に貫かれていると,
彼に教えてやればよかったんだよ。
そうすれば,彼をそんなつまらぬ
こだわりから解き放ってやれたのだがね」と答えた。
以上引用です。
ここは人間思想だけではなく
タオイズムの本質でもありますが
何も変わるものなどはないということです。
こんなことに悪いドタマをこねくりかえしても
何も出てこないということ
だから自分は特別な存在とも思わずに
また卑屈にも考えず
妙なこだわりや幻想や
偏見などはくその役にも立たないということです。
君は何に束縛されてるんだろうね?
もう少し楽に生きませんかいな?
【この続きは、このブログで。
いつものように樺山三郎著
【老子の部屋】
あるいは【荘子の部屋】
あるいは私の資料などからも
引用させていただいています。
こんな具合に院長は
ときに、反省も適当にしながら
あなたと私の生き方も
トータルに考えます。
院長ブログは、ほかには
最近『視覚障害者の
誘導ワンポイント』を書いている
連載コーナー。
先週は1日平均193名の皆さんがご覧いただいた
上記カフェブログです。
同じく『音楽物語』では
ギター講座と
ミュージシャンとして最も大切な
耳を訓練するというエッセイを書くことに。
そんなギター講座が
『音楽物語』から始まっています。
ふれあいカフェ 関連ブログ。
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
『鳳うたう会』を
実施することになりました。
とまあ、果たして天命が??
451日、紙飛行機を飛ばしたい
だいすぎ院長。
ここからは、まだまだ続く
ながああああいお付き合いの
それなりのコマーシャル。
泉大津市我孫子25番地-13.
電話:0725-90-5951
なお『我孫子あすなろ【A オフィス・だいすぎ(音楽部門)】』では
音楽の宅配活動もやっていますが
次回のポンカンライブは
6月2日(日)しかありませんぞはい。
だから6月2日(土)にお越しいただくのが
最もよろしいということ。
それ以外に上記東洋思想に関する
院長は講演やセミナーも。
『人と暮らしとボランティア 今昔(コンジャク)物語』
と言うテーマで
25日お話をさせていただきました。
お越しいただいた皆さんありがとうございました。
【だいすぎ携帯】:090-8237-0985
お気軽に、どんなことでもお電話ください。
お待ちしておりやすのではい。