あすなろ経絡指圧
〒593-8324
大阪府堺市西区鳳(おおとり)東町1丁52
電話072-271-6551
アクセスはおなかいっぱい~
本通りネットライブ情報やおおとり、福・福寄席などの各種イベントや連載は-
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
諸君オッス!
この分ですと春まできっと絶対冬ですよねえねえねえ。
【最近いろいろと考えることがあるコーナー。
ぼちぼちあすなろが危ない!
小見出しが変わりました(汗)
「ぼちぼち危ない」ではなく「はっきり危ない」ということです。
3月末で事実上、あすなろがなくなります。
引越し準備などの都合で
今月の8日には仕事を終えることになります。
10年という長い間皆さん本当にありがとうございました。
しばらくは通常のブログではなくその顛末につきまして
いろいろと書かせていただきます。
ただし、あすなろ経絡指圧はなくなるわけではありませんし
私のこれまでの福福寄席をはじめとする諸活動の内容も
これまでとはまったく変わりません。
このお世話になった鳳本通り商店街を離れて
新たにnPO事業とともに引き続き
新天地で始めるということです。
では私がこの件について書いた日記や
各個人、またはメーリングリストへお出ししたメール文などから
編集しつつ書かせていただくことにします。
まずは日記から引用します。
私の転機になった日のものです。
ここから引用--
2月23日、ところで今朝電車の中で急に咳き込んだ。
そのとき「実家へ戻ったら?」という声が聞こえた。
兄邦弘が亡くなったとき
「おまえ、ここに戻る気はないか?」と兄貴たちに言われた。
「おまえさえここに戻ってくれたら俺たちもありがたい。
おまえも家賃を払わなくてもええんや。」
しかし、そのときはどうとも思わなかった。
その後去年優子が入院し
引き続いて私も入院した。
確かに選択肢の一つに入れてもいいかなとも思う。
とにかく老後を見据えないといけない。
実家へ戻るとしてもnPOを含む事業はできるし
第1実家は広い。
それにいつまでも電車に乗って通勤できるかというと確かに心もとない。
今夜正式に決めるつもりだ。
24日、優子はまるでふってわいたような話だとして戸惑った。
分からなくはなかった。
私もあの電車の朝の出来事のときまで、鳳で仕事を続けて住もうと思っていたのだから。
優子が「あの物件を見るだけ見たい」と言ったので。
あれから彼女もいろいろと考えたに違いない。
午後近く候補として選んでいた物件を見に行った。
予定外で別のものも見せてもらった。
ようやく優子も吹っ切ったようだった。
長男の家族と、現在実家を管理してくれている次男からはすでに了承を得ていた。
解体される予定を聞きたかったので
彼らにはすぐに電話を入れて確認しておく必要があったのだった。
今朝枚方の3何の嫁さんに話すと「いいことや」と言ってくれたので
これでこの件は決着した。
動くときにはこういうものは結構ダイナミックに動くようだ。
以上引用。
実家に住んでいた私の兄は私のすぐ上です。
結婚せず母を見てくれていた人間です。
【続く】
〒593-8324
大阪府堺市西区鳳(おおとり)東町1丁52
電話072-271-6551
アクセスはおなかいっぱい~
本通りネットライブ情報やおおとり、福・福寄席などの各種イベントや連載は-
http://blog.goo.ne.jp/hondoori_2005
諸君オッス!
この分ですと春まできっと絶対冬ですよねえねえねえ。
【最近いろいろと考えることがあるコーナー。
ぼちぼちあすなろが危ない!
小見出しが変わりました(汗)
「ぼちぼち危ない」ではなく「はっきり危ない」ということです。
3月末で事実上、あすなろがなくなります。
引越し準備などの都合で
今月の8日には仕事を終えることになります。
10年という長い間皆さん本当にありがとうございました。
しばらくは通常のブログではなくその顛末につきまして
いろいろと書かせていただきます。
ただし、あすなろ経絡指圧はなくなるわけではありませんし
私のこれまでの福福寄席をはじめとする諸活動の内容も
これまでとはまったく変わりません。
このお世話になった鳳本通り商店街を離れて
新たにnPO事業とともに引き続き
新天地で始めるということです。
では私がこの件について書いた日記や
各個人、またはメーリングリストへお出ししたメール文などから
編集しつつ書かせていただくことにします。
まずは日記から引用します。
私の転機になった日のものです。
ここから引用--
2月23日、ところで今朝電車の中で急に咳き込んだ。
そのとき「実家へ戻ったら?」という声が聞こえた。
兄邦弘が亡くなったとき
「おまえ、ここに戻る気はないか?」と兄貴たちに言われた。
「おまえさえここに戻ってくれたら俺たちもありがたい。
おまえも家賃を払わなくてもええんや。」
しかし、そのときはどうとも思わなかった。
その後去年優子が入院し
引き続いて私も入院した。
確かに選択肢の一つに入れてもいいかなとも思う。
とにかく老後を見据えないといけない。
実家へ戻るとしてもnPOを含む事業はできるし
第1実家は広い。
それにいつまでも電車に乗って通勤できるかというと確かに心もとない。
今夜正式に決めるつもりだ。
24日、優子はまるでふってわいたような話だとして戸惑った。
分からなくはなかった。
私もあの電車の朝の出来事のときまで、鳳で仕事を続けて住もうと思っていたのだから。
優子が「あの物件を見るだけ見たい」と言ったので。
あれから彼女もいろいろと考えたに違いない。
午後近く候補として選んでいた物件を見に行った。
予定外で別のものも見せてもらった。
ようやく優子も吹っ切ったようだった。
長男の家族と、現在実家を管理してくれている次男からはすでに了承を得ていた。
解体される予定を聞きたかったので
彼らにはすぐに電話を入れて確認しておく必要があったのだった。
今朝枚方の3何の嫁さんに話すと「いいことや」と言ってくれたので
これでこの件は決着した。
動くときにはこういうものは結構ダイナミックに動くようだ。
以上引用。
実家に住んでいた私の兄は私のすぐ上です。
結婚せず母を見てくれていた人間です。
【続く】