肩の凝らないスローライフ

ようこそtenchanワールドへ。「一日一笑」をモットーに・・・日常生活の小さなことを笑いに変えるtenchanの雑記帳

魂の言葉

2008-07-16 12:54:45 | Weblog
↓お兄ちゃんが書いてくれた「例のもの」の絵ですが
ちび姫、早速翌日学校へ持って行って、
隣のM君に見せたそうです。
M君、あまりの上手さに
(そりゃ、高校生のお兄ちゃんが描いてくれたんだもの、当たり前よね!)
「うまっ!」と、感動(?)していたそうです。(笑)

さて、
ロンドンに駐在していた頃、
子供達は平日は現地校に通い、
週末は日本人学校補習校に通っていました。

そこに集まるお子様達は、
殆どが関東地方や関西地方などの大都市圏出身で
我が家の子供達のように、
地方出身者は少ないのでした。

生まれも育ちも岐阜の我が子達は
家でも学校でもずーっと岐阜弁をしゃべっていましたので
ロンドンの補習校に来て、お友達が「標準語」を話しているのには
相当びっくりしたようです。

「おめぇー、なにやっとるんや~!」
というのが、いきなり
「君、なにしてるの。」
に変わるわけですから、
英語の世界に身を投じたことももちろん大変だったでしょうが、
彼らにとっては、日本語の環境ががらりと変わったことのほうが衝撃だったようです。
現地校で英語漬けの毎日の中、
週末唯一友達と日本語で話せる、本来ならリラックスできる場所が
彼らにとっては窮屈だったわけですからね。

「お母さん、友達が僕の日本語変だ、訛っとるって言う。」
と、悲しそうに話したこともありました。

今でも時々、あのころのことを思い出して、
「『君~』とか言われた日にゃー、正直『ありえね~!俺、一体どうすりゃいいの?』と思ったよ。」と、長男はよく言います。
それでも、彼らなりに「にせ標準語」を話すことで
友達関係を維持していたようです。

でも、ずーっと我慢していたんだな、ということが判ったのは
一時帰国の時、自分が在籍していた学校に体験入学したときでした。

2年ぶりに会う友達と再会して
みーんなちゃんと覚えていてくれて、
もみくちゃにされて、
休み時間は学年中の子が集まってくるくらいの歓迎ぶり。

家に帰ってくると、顔を紅潮させながら大きな声で、はっきりとした岐阜弁で
その日のことを喋りまくったのです。

補習校で遠慮しながら話していた息子の姿はどこにもありません。
生き生きとして、明るく、元気なのです。

そして、話し終わった最後に
「やっぱ、岐阜弁はいいわ!
岐阜弁は俺の魂の言葉や!
と、言い放ちました。

「魂の言葉」
その通りです。
方言って、自分の気持ちを表現するのに一番適した言葉です。
それはいくつ歳を重ねても変わりません。

どの方言でもそうだと思うのですが、
方言にしかない言葉っていっぱいありますよね。
それを標準語に直すことは出来るけど、
全く同じ意味にはならないなぁ、と感じることがあります。

例えば、この地方でよく使われる「えらい」という言葉。
標準語の「偉い」という意味でも、もちろん使いますが、
じつは「疲れた」「しんどい」「だるい」などの意味があります。

・「今日は部活やったで、えらいわ。」

・「何えらそうな顔しとるの?」

・「暑い中歩いてきたの?えらかったね~。」

など、こんな使い方をします。

岐阜に馴染みのない方には聞き慣れない言い方だと思いますが、
我々岐阜人には定番の使い方なんですよ。

不思議なことに、
「えらい」の部分に「疲れた」を当てはめても、
岐阜の人間には、なんだか違うニュアンスに感じるのです。
それが、方言=標準語にストレートに訳せない、ということなのだと思います。

いずれ機会があったら、岐阜の言葉を紹介する記事を書いてもおもしろいかも、と思っています。