出エジプト記 28章
アロンとその子たちのために聖なる衣服を作り、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。(28・4)
28章からは「祭司の服装」について記されています。それは神に仕えるための「聖なる衣服」で、普段着ではありませんでした。祭司が神の御前に出るとき、聖なる衣服を着なければなりませんでした。
あのエデンの園の事件を思い出してください。人は罪をおかしたとき、イチジクの葉で「服」つくり、それを腰に巻きました(創世記3・7)。彼らは、罪をおかした自分を恥じて思わず服で覆ったのです。
罪人は、罪をおおうための服を必要とするのです。「服」の思想には、自分を良く見せようという思想が込められています。罪人のままでは格好悪いので、できるだけ格好の良い服を着たいのです。
アダムとエバが自分でその服を作って以来、人類は「文明」という服、「偽善」という服、「学歴」という服を始め、「身分」とか「自己正義」や「言い訳」といった、自分を良く見せるための様々な服を作り出してきました。
しかし、神はそのような服ではなく、「聖なる衣服」が必要であることを示しておられます。
王子の婚宴の席に人々が招かれた時、礼服を着ていない人が追い出されたように(マタイ22・11)、神の前に出るとき、聖なる衣服が必要です。あなたはそれを着ていますか。
クリスチャンは新約時代の祭司です。だから、聖なる祭服を着なければなりません。新約の祭司が着る服とは「キリスト」です。イエス・キリストによるバプテスマを受けた私たちは〝キリストを着た〟と聖書は告げています。
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなた方はみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ3・27)
アロンとその子たちのために聖なる衣服を作り、祭司としてわたしに仕えさせなければならない。(28・4)
28章からは「祭司の服装」について記されています。それは神に仕えるための「聖なる衣服」で、普段着ではありませんでした。祭司が神の御前に出るとき、聖なる衣服を着なければなりませんでした。
あのエデンの園の事件を思い出してください。人は罪をおかしたとき、イチジクの葉で「服」つくり、それを腰に巻きました(創世記3・7)。彼らは、罪をおかした自分を恥じて思わず服で覆ったのです。
罪人は、罪をおおうための服を必要とするのです。「服」の思想には、自分を良く見せようという思想が込められています。罪人のままでは格好悪いので、できるだけ格好の良い服を着たいのです。
アダムとエバが自分でその服を作って以来、人類は「文明」という服、「偽善」という服、「学歴」という服を始め、「身分」とか「自己正義」や「言い訳」といった、自分を良く見せるための様々な服を作り出してきました。
しかし、神はそのような服ではなく、「聖なる衣服」が必要であることを示しておられます。
王子の婚宴の席に人々が招かれた時、礼服を着ていない人が追い出されたように(マタイ22・11)、神の前に出るとき、聖なる衣服が必要です。あなたはそれを着ていますか。
クリスチャンは新約時代の祭司です。だから、聖なる祭服を着なければなりません。新約の祭司が着る服とは「キリスト」です。イエス・キリストによるバプテスマを受けた私たちは〝キリストを着た〟と聖書は告げています。
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなた方はみな、キリストをその身に着たのです。」(ガラテヤ3・27)
罪人である私たちは、キリストという服に完全におおわれて、祭司として礼拝をささげます。旧約の祭司たちも聖なる衣服を着て主に仕えたように、私たちも礼拝を通して主に仕えます。
礼拝は英語で「service(サービス)」ですが、まさに「仕えること」です。 ※神に仕えるサービスが、人に仕え、便宜をはかることを〝サービスする〟と言うようになった。
神を愛するとは神に仕えることです。新約時代の祭司とされた誇りと感謝をもって礼拝しよう。
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<You Tube>【一日一章】 朝マナ 出エジプト記 28章【聖書通読】 (youtube.com)
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