ヨハネの黙示録 20章
第一の復活にあずかる者は幸いな者であり、また聖なる者である。(20・6)
ハルマゲドンの戦いによって反キリストの軍勢は滅亡し、獣(反キリスト)ともうひとりの獣(にせ預言者)は、硫黄の燃える火の池……すなわち地獄に投げ込まれました。ここまでが19章でした。
20章からは龍に対する処罰です。悪魔とかサタンと呼ばれる龍は「千年の間つなぎおき、そして底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで諸国民を惑わすことがないようにしておいた」のです(20・2~3)。※底知れぬ所に閉じ込めたのであって完全に滅んではいない。千年の後に「しばらくの間だけ解放されることになっている」。この意味は後述する。
ですからこの千年の期間は悪魔の働きのない至福の時代になるわけです。そして、この期間をキリストが王として統治されるのです(20・4)。
この統治を「千年王国」とか「メシヤ王国」と呼びます。これについては旧約聖書が多くの紙面を割いて預言しているので、黙示録では千年王国の詳細は省略されています。ただ、黙示録ならではの新しい啓示が明らかにされています。
旧約預言だけを解釈すれば、神が悪魔を滅ぼしメシヤ王国が地上に完成し、それが永遠に続く。神の啓示はそこまでです。でも、黙示録によってメシヤ王国の統治には〝千年の期限がある〟ことが明らかにされました。だから新約的にはメシヤ王国のことを「千年王国」と呼ぶわけです。その王国を治めるために「第一の復活」があります。
「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスの証しをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。」(20・4)
だれが復活するのか。3つに区分されています。
ひとつは「多くの座にすわってさばきの権が与えられた者」です。イエスの12使徒は民をさばくのだと預言されていますし(ルカ22・30)、キリスト教会も世界をさばくようになると言われています(Ⅰコリ6・2)。イエスを信じた新約のクリスチャンは、患難期の前に携挙された時点で第一の復活に与ります。
ふたつめは「イエスの証しをして神の言を伝えたために首を切られた人々」です。彼らは患難期前半で殉教した者たちです。そして3つめは「獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々」です。彼らは患難期後半の殉教者です。
これらの人々は第一の復活に与って、キリストと共に世を治めるのです。新改訳では「王となる」と訳されていますが、キリストが王であって、私たちは共に統治する者という理解が良いでしょう。
そもそも復活の初穂はイエス様でした。その他にも患難期にふたりの証人が反キリストによって処刑されますが、彼らも復活しました。これら一連の復活をまとめて「第一の復活」と呼びます。
復活する時間差がありますが、いずれも救いを完成するための復活であり、総じて「第一の復活」です。イエス・キリストを信じて救いを得た私もあなたも、第一の復活に与る者です。信仰の結果にはこんな栄光に富んだ報いが用意されているのです。それ以外の死人は千年の後に復活します(20・5)。それは、あえて言えば「第二の復活」です。この場合は、大きな白い御座でさばきを受けるために復活します。
第一の復活に与らなかった他の人々も復活するのですが、それは千年の後です。第一の復活と区別するために、これを第二の復活と呼ぶことにします。聖書にはその語句はありませんが区別するためです。
では、第一の復活があって、千年王国が終わった後に何があるのでしょうか。
「千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される」のです(20・7)。なぜ神は、サタンを野に放たれるのですか。それは、千年王国を生きてきた人々の信仰が真実であるか否かを試みるためです。
それを理解するためには、千年王国の住民構成を知る必要があります。ひとつは、第一の復活に与った人々で、朽ちない体を受けています。次が、患難期を生きのびたユダヤ人たちです。彼らは民族的な悔い改めに至りイエスを信じました。3つめが、患難期を生きのびた異邦人たちです。彼らもイエスを信じて救われた人々です。獣に殺されずに生きのびて肉体のまま千年王国に入ります。
ですから、千年王国のスタートは信者ばかりの国です。悪魔も閉じ込められていますから理想的な環境です。その様子は次のように預言されています。
「彼(キリスト)は諸々の国の間にさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国にむかって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2・4)
自然界も呼応するように、創造された当初の姿を取り戻します。「狼は小羊と共に宿る」とか「獅子も牛のように藁を食べる」「乳飲み子がコブラの穴の上でたわむれる」などの記述は、自然界の環境が回復された様子を表しています(イザヤ11章)。
ただひとつ問題があります。彼らの子孫は信仰を保ち続けるかということです。第一の復活に与った人々は子を生みません。復活の体になると、めとったりとついだりする必要がありません(マタイ22・30)。子孫を生んで増え広がるのは、肉体のままで千年王国に入った人々です。
ユダヤ人たちは新しい契約を受けて「人はもはや、各々その隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」と預言されているので、信仰は継承されるでしょう(エレ31・34)。
では異邦人はどうか。彼らは都エルサレムに座されるキリストに教えを乞うてやって来るでしょう。
「多くの民は来て言う、『さあ、我々は主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道を我々に教えられる、我々はその道に歩もう』と。律法はシオンから出て、主の言葉はエルサレムから出るからである。」(イザヤ2・3)
しかし、千年の期間でふとどき者も出てくるのです。どんなに良い環境でも信じようとしない者が出てきます。自然界が回復された環境では、人類は長寿です。百歳までに死んでしまう者は呪われた罪人と言われます(イザヤ65・20口語訳)。裏を返せば、こんな良い環境の中にも罪人が出てくるという意味です。
説明が長くなりました。だからです。サタンを解放し人々の信仰を試すというのです(黙示録20・7)。サタンは「出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は海の砂のように多い」のです(20・8)。
この戦いも、ハルマゲドンの戦い同様に一瞬にして決着がつきます(20・9)。そして、ようやくこの段階に至って龍と呼ばれた悪魔も〝火の池〟に投げ込まれて終わります(20・10)。
以上が千年期の概要です。この千年の期間が終わると、残りの人々が復活します。第一の復活に与らなかった人々の復活です。あえて言えば「第二の復活」です。
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第一の復活にあずかる者は幸いな者であり、また聖なる者である。(20・6)
ハルマゲドンの戦いによって反キリストの軍勢は滅亡し、獣(反キリスト)ともうひとりの獣(にせ預言者)は、硫黄の燃える火の池……すなわち地獄に投げ込まれました。ここまでが19章でした。
20章からは龍に対する処罰です。悪魔とかサタンと呼ばれる龍は「千年の間つなぎおき、そして底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終るまで諸国民を惑わすことがないようにしておいた」のです(20・2~3)。※底知れぬ所に閉じ込めたのであって完全に滅んではいない。千年の後に「しばらくの間だけ解放されることになっている」。この意味は後述する。
ですからこの千年の期間は悪魔の働きのない至福の時代になるわけです。そして、この期間をキリストが王として統治されるのです(20・4)。
この統治を「千年王国」とか「メシヤ王国」と呼びます。これについては旧約聖書が多くの紙面を割いて預言しているので、黙示録では千年王国の詳細は省略されています。ただ、黙示録ならではの新しい啓示が明らかにされています。
旧約預言だけを解釈すれば、神が悪魔を滅ぼしメシヤ王国が地上に完成し、それが永遠に続く。神の啓示はそこまでです。でも、黙示録によってメシヤ王国の統治には〝千年の期限がある〟ことが明らかにされました。だから新約的にはメシヤ王国のことを「千年王国」と呼ぶわけです。その王国を治めるために「第一の復活」があります。
「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。また、イエスの証しをし神の言を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり、また、獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々がいた。彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。」(20・4)
だれが復活するのか。3つに区分されています。
ひとつは「多くの座にすわってさばきの権が与えられた者」です。イエスの12使徒は民をさばくのだと預言されていますし(ルカ22・30)、キリスト教会も世界をさばくようになると言われています(Ⅰコリ6・2)。イエスを信じた新約のクリスチャンは、患難期の前に携挙された時点で第一の復活に与ります。
ふたつめは「イエスの証しをして神の言を伝えたために首を切られた人々」です。彼らは患難期前半で殉教した者たちです。そして3つめは「獣をもその像をも拝まず、その刻印を額や手に受けることをしなかった人々」です。彼らは患難期後半の殉教者です。
これらの人々は第一の復活に与って、キリストと共に世を治めるのです。新改訳では「王となる」と訳されていますが、キリストが王であって、私たちは共に統治する者という理解が良いでしょう。
そもそも復活の初穂はイエス様でした。その他にも患難期にふたりの証人が反キリストによって処刑されますが、彼らも復活しました。これら一連の復活をまとめて「第一の復活」と呼びます。
復活する時間差がありますが、いずれも救いを完成するための復活であり、総じて「第一の復活」です。イエス・キリストを信じて救いを得た私もあなたも、第一の復活に与る者です。信仰の結果にはこんな栄光に富んだ報いが用意されているのです。それ以外の死人は千年の後に復活します(20・5)。それは、あえて言えば「第二の復活」です。この場合は、大きな白い御座でさばきを受けるために復活します。
第一の復活に与らなかった他の人々も復活するのですが、それは千年の後です。第一の復活と区別するために、これを第二の復活と呼ぶことにします。聖書にはその語句はありませんが区別するためです。
では、第一の復活があって、千年王国が終わった後に何があるのでしょうか。
「千年の期間が終ると、サタンはその獄から解放される」のです(20・7)。なぜ神は、サタンを野に放たれるのですか。それは、千年王国を生きてきた人々の信仰が真実であるか否かを試みるためです。
それを理解するためには、千年王国の住民構成を知る必要があります。ひとつは、第一の復活に与った人々で、朽ちない体を受けています。次が、患難期を生きのびたユダヤ人たちです。彼らは民族的な悔い改めに至りイエスを信じました。3つめが、患難期を生きのびた異邦人たちです。彼らもイエスを信じて救われた人々です。獣に殺されずに生きのびて肉体のまま千年王国に入ります。
ですから、千年王国のスタートは信者ばかりの国です。悪魔も閉じ込められていますから理想的な環境です。その様子は次のように預言されています。
「彼(キリスト)は諸々の国の間にさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはその剣を打ちかえて鋤とし、その槍を打ちかえて鎌とし、国は国にむかって剣をあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。」(イザヤ2・4)
自然界も呼応するように、創造された当初の姿を取り戻します。「狼は小羊と共に宿る」とか「獅子も牛のように藁を食べる」「乳飲み子がコブラの穴の上でたわむれる」などの記述は、自然界の環境が回復された様子を表しています(イザヤ11章)。
ただひとつ問題があります。彼らの子孫は信仰を保ち続けるかということです。第一の復活に与った人々は子を生みません。復活の体になると、めとったりとついだりする必要がありません(マタイ22・30)。子孫を生んで増え広がるのは、肉体のままで千年王国に入った人々です。
ユダヤ人たちは新しい契約を受けて「人はもはや、各々その隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」と預言されているので、信仰は継承されるでしょう(エレ31・34)。
では異邦人はどうか。彼らは都エルサレムに座されるキリストに教えを乞うてやって来るでしょう。
「多くの民は来て言う、『さあ、我々は主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道を我々に教えられる、我々はその道に歩もう』と。律法はシオンから出て、主の言葉はエルサレムから出るからである。」(イザヤ2・3)
しかし、千年の期間でふとどき者も出てくるのです。どんなに良い環境でも信じようとしない者が出てきます。自然界が回復された環境では、人類は長寿です。百歳までに死んでしまう者は呪われた罪人と言われます(イザヤ65・20口語訳)。裏を返せば、こんな良い環境の中にも罪人が出てくるという意味です。
説明が長くなりました。だからです。サタンを解放し人々の信仰を試すというのです(黙示録20・7)。サタンは「出て行き、地の四方にいる諸国民、すなわちゴグ、マゴグを惑わし、彼らを戦いのために召集する。その数は海の砂のように多い」のです(20・8)。
この戦いも、ハルマゲドンの戦い同様に一瞬にして決着がつきます(20・9)。そして、ようやくこの段階に至って龍と呼ばれた悪魔も〝火の池〟に投げ込まれて終わります(20・10)。
以上が千年期の概要です。この千年の期間が終わると、残りの人々が復活します。第一の復活に与らなかった人々の復活です。あえて言えば「第二の復活」です。
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