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朝マナ

人はパンだけで生きるのではなく、神の御言によって生きる。
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民数記 36章

2024年06月05日 | 民数記
民数記 36章
そうすればイスラエルの人々は、おのおのその父祖の嗣業を保つことができる。
(36・8)


嗣業の割り当てにあたって、ある父祖の家には後継ぎである男子なく、嗣業が割り当てられないという事態が生じました。マナセ族のゼロペハデの娘たちはそのようなケースでした。

彼女たちは父祖の名を残すべく嗣業を与えてくれるようモーセに訴え、神はそれをよしとなさいました。その経緯は先の27章に述べられていました。

36章では、嗣業を割り当てられた娘たちは、他の部族に嫁いではならないと命じられています。他部族との婚姻によって嗣業の地が入り交じり、嗣業が曖昧にならないためです。

このように、旧約の民は自分に与えられた嗣業を何としてでも守ろうとしました。

新約の私たちも、神に仕えるべく「嗣業」を受けていますが、それが絶えてしまわないように、祈り、工夫します。 ※新約における嗣業とは信仰であり、その群れや地域といえるだろう。

ある人々は、子供たちにこの嗣業を受け継がせようと身悶えます。信仰は強制できないですから、涙の祈りなくしてはたすことができません。

また、ある人は、未信者の夫(妻)と嗣業を共にしようと日夜闘いの中にあります。また、ある人は、隣人や友人に伝道することによって、この嗣業を絶やすまいと愛をもって働きます。

また、キリスト教会も「嗣業」といえるでしょう。恵みキリスト教会はイエス様からいただいた高崎市中居町における嗣業です。この嗣業を絶やしてはならない。信仰の火を受け継ぐ牧師と聖徒たちを絶やしてはならないのです。

どうか、私たちの嗣業が天に至るまで脈々と受け継がれて行きますように。そのために、涙をもって種まく者たちに、喜びの収穫がありますように祈ります。


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