民数記 6章
男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合……、(6・2)
第6章では「ナジル人の誓願」について記録されています。
男または女が、主のものとして身を聖別するため特別な誓いをして、ナジル人の誓願を立てる場合……、(6・2)
第6章では「ナジル人の誓願」について記録されています。
「ナジル人」とは部族とか氏族のことではありません。ナジルとは「分離する」とか「聖別する」という意味の「ナーザル」という動詞から派生した言葉だといわれています。
つまり、何らかの誓願を神に願い出て、自分の決意を表すために、ぶどう酒やぶどうから作られた食物を口にしません。そして、髪を剃らないことで、自分を聖別する生き方をする人のことを「ナジル人」と呼んだのです。
神の働きはレビ人だけの特権ではありません。また、男性だけの働きでもありません。自ら信仰をもって神に願い出る者は、男でも女でも、ナジル人として自分を聖別し、整えることによって神に仕える働きが用意されていました。
このような人々は自発的な奉仕者です。
旧約で活躍した人物はレビ人以外にも多くあります。たとえば、サムソンは生まれながらのナジル人として、彼は髪に剃刀をあてませんでした。そのことによって、彼には神からの特別な力が注がれました。
また、預言者サムエルも、母胎にあるときから母ハンナによってナジル人として聖別の祈りがささげられました。彼には特別な預言の働き、霊的指導者としての働きが与えられました。
今日の私たちにも、自らを聖別して神の働きに捧げることができます。断酒をしたり、髪を切らないというのは、験を担ぐという意味ではなく、自分自身を世俗と区別する意味があります。
信仰のない人々と同じ生活や感覚や価値観のままで、神の働きをなすには少々無理があります。神の価値観、神の習慣、神の方法というものに、自分を合わせるという工夫が必要です。そのために、今まで常としてきたものを断つことによって、自らを神のものとして位置づけることは有益なことです。そんな工夫をもって、ご用にあたるなら幸いです。
かくして、現代のナジル人とは、信仰による自発的な献身者と言えるでしょう。
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