列王紀上2・4 心をつくし、精神をつくして真実をもって、わたしの前に歩むならば……、
王位についたソロモンは、父ダビデの時代に悪を重ねてきた者たちに対する処罰がなされました。この処罰を通して、神の御国に相応(ふさわ)しくないことは何かを考えてみましょう。
(1)アドニヤの場合
彼は油注ぎを無視して、自分が王になろうとしましたが、ソロモンが王に即位するや、幕屋に逃げ込んでいのち乞いをしてゆるされました。しかし、彼の悔い改めは上辺だけのものでした。彼の言動にも、本来なら自分が王であるのにと、ソロモンが王であることへの不満があらわれています(2・15)。
アドニヤは、父ダビデの妻アビシャグ ――彼女はダビデの晩年に嫁いだので若かった―― を自分の妻にしたいと願い出ました。この申し出には、再び王位を狙うための下心が隠されていました。
下心のある者は神の国に相応しくありません。自分が中心になろうとする下心……それは、神を認めず、自分が神の座につこうとするサタン的な罪につながります。
(2)ヨアブの場合
彼はダビデ王に仕えた将軍ですが、これまでたびたび、王の意志にそむいてダビデを窮地に追い込んできました。ここぞという時に、自分の肉なる考えで動いたのです。
ダビデ王が和平交渉を進めていた矢先に、ヨアブは敵軍の将アブネルを暗殺しました。先の戦争で自分の弟を殺したアブネルに復讐をはたしたわけです。
また、アブサロムによるクーデター後の収拾のために、ダビデ王はあえてアブサロム側のマアサを将軍職に就けたのですが、ヨアブはそれを不服としてアマサを暗殺しました。
王国を平和的に確立しようとしたダビデの方針に逆らい、ヨアブは憎しみと恨みに動かされて、不要な血を流してきました。ヨアブは、軍人としては長けていましたが、自分の心にわき上がる「肉の思い」を支配することができませんでした。
この肉の思いを治めなければ、「神の御国」を建てあげることは難しくなります。ヨアブ的な考えを十字架につけて葬る必要があります。
(3)シメイの場合
アブサロムの反乱によって都を追われたダビデ王に罵詈雑言(ばりぞうごん)をもって呪ったのがシメイでした。やがて、ダビデ王が闘いに勝って凱旋(がいせん)するや、シメイは先の非礼を詫びて許しを得たのでした。
彼の悔い改めは真実ではありませんでした。ダビデ王が統治する期間は神妙(しんみょう)にしていましたが、息子のソロモン王の時代になると、再び侮りの心が芽生え始めました。表向きは反省しているが、内実は不誠実。従順に見えて、内面は不真実な男です。
このような不誠実は神の国に相応しくありません。
冒頭の聖句にあるように、神の御前で私たちは、「心をつくし、精神をつくして真実をもって」歩むのです。それが神の御国に相応しい生き方です。
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