創世記 5章
エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたのでいなくなった。(5・24)
5章は、人々が罪をおかした結果、神にそむいた記録です。それを象徴するかのように、「そして彼は死んだ」との記録が続いています。罪人は結局は死んでおしまいなんだと……。むなしい「死」の連続を見るようです。
しかし、エノクの記録だけが違います。神を離れた人間の歩みが闇のような死の連続であったとしても、そんな闇の中に光が輝くかのように、エノクは「神と共に歩んだ」と記されています。
神と共に歩んだので、エノクは〝死んだ〟のではなく、神が彼を取られて〝いなくなった〟のです。やがて後、キリストによって救われたクリスチャンの歩みを予告するかのような記録です。
イエス様は言われました。「わたしを信じる者は、たとえ死んでも〝生きる〟」と。
クリスチャンの死は、「死んだ」のではなく、この地上から「いなくなった」だけで、今も神と共に生きています。私たちの歩みは「死」で終わらないのです。エノクが神と共に歩んだように、私たちもキリストと共に歩むのです。
エノクは神からの啓示を受けて、彼が65歳で生んだ子に「メトセラ」と名付けました。その名の意味は「死後何かが起きる」です。
メトセラは969歳で死にましたが、丁度そのときノアが600歳の時でした。それは、あの大洪水が地上をおおった時でした(創7・6)。
※年齢と子を生んだ歳をもとに経過年数が算出できる。創世記の記述年齢は文字通りの年数だと考えられる。その根拠は、ノアの洪水以前は長寿が可能な環境だったと推測できるからだ。創世記1章7節の「上の水」は水蒸気層であり、宇宙からの放射線を遮断するのに有効であった。
今日でも大気圏があることで、宇宙からの有害な宇宙線の多くを遮断している。原発でも核燃料棒は水の中で放射能を防いでいる。であれば、地球全体が水蒸気層で守られることによって長寿を保っていたのは妥当だろう。
しかし、その「上の水」が、洪水として雨となって地表に降り注いだ結果、水蒸気層はなくなり地球環境は激変した。それ以降、人々の年齢は下がって行き、アブラハムの時代には百歳前後になった。次の図表はそれを物語っている。
さて、エノクはメトセラをさずかった時、地上の大いなるさばきについて啓示を受けたのでしょう。だから彼は、人々に、神のさばきが来ること、それに備えて悔い改めるようにと語ったのだと思います。しかも、わが子にも預言的な名をつけてまでそうしたのです。
私たちクリスチャンも、エノクのように神と共に歩みます。そして、神がエノクを取られたようにして、天に携挙される日が来るのです。
エノクは神と共に歩み、神が彼を取られたのでいなくなった。(5・24)
5章は、人々が罪をおかした結果、神にそむいた記録です。それを象徴するかのように、「そして彼は死んだ」との記録が続いています。罪人は結局は死んでおしまいなんだと……。むなしい「死」の連続を見るようです。
しかし、エノクの記録だけが違います。神を離れた人間の歩みが闇のような死の連続であったとしても、そんな闇の中に光が輝くかのように、エノクは「神と共に歩んだ」と記されています。
神と共に歩んだので、エノクは〝死んだ〟のではなく、神が彼を取られて〝いなくなった〟のです。やがて後、キリストによって救われたクリスチャンの歩みを予告するかのような記録です。
イエス様は言われました。「わたしを信じる者は、たとえ死んでも〝生きる〟」と。
クリスチャンの死は、「死んだ」のではなく、この地上から「いなくなった」だけで、今も神と共に生きています。私たちの歩みは「死」で終わらないのです。エノクが神と共に歩んだように、私たちもキリストと共に歩むのです。
エノクは神からの啓示を受けて、彼が65歳で生んだ子に「メトセラ」と名付けました。その名の意味は「死後何かが起きる」です。
メトセラは969歳で死にましたが、丁度そのときノアが600歳の時でした。それは、あの大洪水が地上をおおった時でした(創7・6)。
※年齢と子を生んだ歳をもとに経過年数が算出できる。創世記の記述年齢は文字通りの年数だと考えられる。その根拠は、ノアの洪水以前は長寿が可能な環境だったと推測できるからだ。創世記1章7節の「上の水」は水蒸気層であり、宇宙からの放射線を遮断するのに有効であった。
今日でも大気圏があることで、宇宙からの有害な宇宙線の多くを遮断している。原発でも核燃料棒は水の中で放射能を防いでいる。であれば、地球全体が水蒸気層で守られることによって長寿を保っていたのは妥当だろう。
しかし、その「上の水」が、洪水として雨となって地表に降り注いだ結果、水蒸気層はなくなり地球環境は激変した。それ以降、人々の年齢は下がって行き、アブラハムの時代には百歳前後になった。次の図表はそれを物語っている。
さて、エノクはメトセラをさずかった時、地上の大いなるさばきについて啓示を受けたのでしょう。だから彼は、人々に、神のさばきが来ること、それに備えて悔い改めるようにと語ったのだと思います。しかも、わが子にも預言的な名をつけてまでそうしたのです。
私たちクリスチャンも、エノクのように神と共に歩みます。そして、神がエノクを取られたようにして、天に携挙される日が来るのです。
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