浦賀の造船所の解体がほぼ終わったようだ。
それで郷土資料館へ寄る。
近代造船所の歴史はペリー来航から始まる。
サスケハナ号
咸臨丸は、浦賀で物資の積み込みをしてアメリカへ向かったそうだ。
46000トンのタンカー「バトリア号」昭和34年浦賀造船所で竣工した。
他、浦賀奉行所の模型や、地元の幕末の偉人、中島三郎助の資料もある。
西叶神社前のおかげまいりの説明文。
幕末の動乱期。
伊勢神宮のお札が降って来た。
「ええじゃないか」「ええじゃないか」と民衆が大騒ぎ。
踊り狂って集団でお伊勢参りをしたという謎の民衆運動。
今ならロックフェスティバルへ行くような心情か。
愛宕公園へ登る。(草ぼうぼう)
与謝野晶子と鉄幹の歌碑
春寒し造船所こそ悲しけれ浦賀の町に黒き鞘懸く
与謝野晶子
私の解釈。
春なのに寒い日だ。
造船所はなんだか悲しげだ。
浦賀の街に黒き鞘・・・(刀のさやのこと)を懸けているのだが、
では黒い鞘とは何なのか?
浦賀港は細長い入江である。
浦賀港の海を内側に突き刺さる刀と見て、その両岸に立ち並ぶ造船所の施設を海を内に収めた刀の鞘に見たてた?
黒色は黒船、西洋文明の日本侵攻に掛けている?
愛宕山から見るとそんなふうに見えたのかもしれない。
黒船を怖れし世などなきごとし浦賀に見るはすべて黒船
鉄幹
黒船を恐れた時代などなかったかのようだ。浦賀に来てみると今ではみんな黒船ばかりだ。
鉄幹さんのはストレートだ。奥さんの方が奥が深い。
ところで愛宕公園を抜けると竜馬像建設予定地という看板がある。
なんで浦賀で坂本竜馬なのかわからない。中島三郎助だろうが。
海沿いの公園も着々と整備されてきている。
東叶神社を経て観音崎方面へ
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