ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

日本代表 決勝戦

2011-01-30 17:47:44 | FC東京とサッカー
今回のアジア杯は、本当に面白かった。

決勝戦もTV中継の最後まで見た。花火が凄かったなア。

南アワールドカップも最後の方は一生懸命に応援した。その流れで、今回の代表選手達には注目していた。特に、選ばれる代表選手達に。

そして、今回のアジア杯。ピッチ上で必死にプレーする選手達に、久しぶりに興奮して応援している自分がいる。

代表の顔ぶれが新鮮になり、全力でボールを追い、相手にシュートさせないように必死に身体をぶつけて行き、そして、協力してゴールに迫る姿に、応援しなければと、こっちにも力が入る。

韓国戦。90分で決着が付かず、延長でも決着が付かず、PKにもつれ込み、そして、PKへ。

まさか、韓国がPKを2本も止められ、そして、1本外すとは、誰も予想しなかっただろう。

その精神力に、利用もなく、決勝戦は大丈夫だろう、勝つだろうと思った。

そして、決勝戦。

オーストラリアとの身長差なんて、何のハンディにもならなかった。

あれだけの、背の高さに向かってのクロスにコーナーキックにフリーキックの、降り注ぐボールの雨に、誰一人として最後まで気を抜かず、集中し続けた。

今までだったら、どこかで、フッと緊張し続けられない時間があったけど、今回の代表は違った。ピッチ上の選手達も、控えの選手達も、誰もが自分達を仲間を信じて勝利に向けて走っていたと思う。

ただ、勝ちたい、優勝カップを掲げたい、との強い気持を、応援する全ての人に伝えられたのではないだろうか。

日本代表選手達、優勝おめでとう。
そして、感動をありがとう。





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映画 「デザートフラワー」

2011-01-27 13:07:21 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
娘に誘われて見に行って来た。

娘と映画館で待ち合わせて、私は早めに行って番号札をもらう。早く行って良かった。開場の時には満席になっていた。もっとも小さな映画館ではあるが。

トップモデルの自伝本の映画化という事で、ほとんどが女性だった。

ソマリアの遊牧民のの娘として生まれたワリス。まだ、少女の時に4番目の妻として老人と結婚させられそうになり、明け方砂漠に逃げ出す。僕も一緒に連れて行ってと、弟。寝床の中で、静かに涙を流す母。

ロンドンのソマリア大使館で下働きをして生活するが、ソマリア政変で帰らなければならなくなり、逃げ出してホームレスになる。

たまたま知り合ったマリリンの部屋に無理やり住みつく。

ダンサーを夢見てオーデションに落ち続け、それでも頑張って明るく生きているマリリン。逆立ちしても、ダンサーにはなれないだろう体型と踊りのマリリン。そして、安ホテルの女将さんや、そのホテルの従業員のさえない男性との日常が可笑しかった。モデル業界のエージェントのテキパキした女性も可笑しかった。

マリリンは、女として過酷な現実がある事を知り、衝撃を受け泣く。だから、いつもトイレが長いのね、とワリスの手をそっと握るマリリン。

そして、同じ女でありながら、マリリンのような生き方が普通なのだと知って衝撃を受け泣くワリス。

ハンバーガーのお店で掃除婦として働くワリスは、そこで一流ファッションカメラマンに見いだされてトップモデルになって行く。

彼女のファッションショーが素敵だった。ジッと前を見つめて歩く瞳が素敵だった。

TVで彼女のサクセスストーリーが放映され、高級誌のインタビューを受ける。

綺麗に金髪をセットし、高級ファッションに身を包み、最高級クラスの女性記者の前に、トップモデルとしてワリスは座る。

記者に向かって、遊牧民からトップモデルになったチェンジの話はしたくないとワリス。「私には、もう一つの別の物語がある」 と、言って黙ってジッと記者の目を見るワリス。

困惑する記者。「では、話してみて」 と。

ワリスは静かに話しだす。「私のチェンジは3歳の時」 と、衝撃的な話を始める。

砂漠の大地で母に抑え付けられて、麻酔も無く術者に直接切り取られる女性器。マッチ棒程の穴を残して、完全に縫い合わされる。結婚した初夜に夫がナイフで縫い目を切り取るまで、女性は痛みと苦しみを我慢してい大きくなって行く。

泣き叫ぶ、幼いワリスの映像に涙があふれた。

話し終わり、静かに席を立って帰って行くワリス。その後には、あの完璧に装っていた女性記者が、鼻水を流しながら泣く姿が残された。

最後に国連で演説するワリス。

ワリスの姉の一人は、その時の感染症で亡くなり、もう一人の姉は結婚してお腹の子供を産めないまま亡くなった。だから、私は大きくなって女にはなりたくなかった。

でも、今、私は“女になる”と、FGMの廃絶を訴えた。

それからFGMは激減したが、それでも、今日でも、一日、6000人の女の子がFGMされているという。

何の、予備知識もなく、ただ、世界トップモデルのサクセスストーリーと思って見に行って、衝撃を受け、そして感動した。

名前のワリスは、“砂漠の花”という意味だというが、過酷な人生を前を見つめて生きて行く彼女にピッタリの名前だと思った。

そして、その名のように、映画は決して暗くはなく、クスリと笑う場面も多くて、もう一度見たいなと思った。

女性の映画だけど、男性にも見てもらいたいと思った。


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ドーハでの日韓戦

2011-01-26 12:51:09 | FC東京とサッカー
勝った!勝った、勝って決勝戦に行く。

今回の代表チームは、本当に応援しがいがあると言うか、夢中になって応援出来る。

誰一人として、上から目線のプレーをしない。スタメンもサブも一緒に闘っているのが、画面のこっちにも伝わって来る。一致団結して闘っているなと。

最近、サッカーを斜めに見ている娘が、今回の大会は一緒にTV前で応援している。

「今回のチームは、応援したくなるチームなんだよね。このチームだったら、スタジアムに応援に行きたくなるよね。それに、何か東京が多くない?」 と。

そうなのだ、元も含めれば5人もいる。最近の東京を見てない娘には、伊野波や李くんは馴染みがある。一緒に撮った写真があるから。

流れの中から、同点に追いついたシーンは最高だった。

本田のスルーパスも最高だったし、長友のスピートのある駆け上がりと、狙いすました折り返しも素晴らしい。

長友にまだボールが渡っていない時には、しっかりと前田に相手DFが付いていたが、長友にボールが渡ると、韓国DFは皆、足を止めてそっちを見て前田を見ていない。前田はその空いているスペースにスルスルと入って行き、長友のボールを受けたが、その時、DFが慌てても遅かった。

私には、前田の動きがさすがと思った。長友が出しやすい場所に入る動きは、さすが、J得点王と思った。

PK戦、3-0 なんて不思議な数字。

韓国は一つも決めれなかった。精神的に日本に負けたわけではないだろう。それに、仁王のような眼光の川島の睨みに負けたわけでもないだろう。中二日の疲れが、予想以上に足に来ていたのだろうか。

何よりも、韓国に勝てたのが嬉しい。

そして、精神的にもタフになった日本代表。彼らに誇らしい気持ちを持てるのが、嬉しい。

ガンバレ!日本代表。
優勝して日本に凱旋を!!











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FC東京の始動日

2011-01-24 13:32:40 | FC東京とサッカー
昨日は、小平に友達と行って来た。去年よりはサポーターが少ないように、私達には思えた。

監督の挨拶は、いつものように生真面目。



選手代表として、平山くんが挨拶した時には、ちょっとざわめき、そして、「気をつけ、礼」 には笑いがもれた。



そして、ランニング等の練習に入る。



隣のグランドでは子供達のスクールが開催されていた。子供達がピッチに並んで座っている真ん中に、フジくんが座っている。その姿に、「何か、いいな」 と微笑ましく思った。

帰りには、そっちの方に行き、しばらく見つめた。

東京に帰って来たらいいな、と思っていた。だから、嬉しい。

友達とお昼を食べてから、大國魂神社に移動した。

一時間も前に行ったけど、もう、並んでいた。警備員がカラーコーンを置いて並びを整備をしていた。そして、時間が迫った頃、沢山の子供達が来て、並んでいる人達の前に座った。去年もそうだったから、私達もニコニコ見ていた。

そしたら、子供達のお母さん達が、「私達も、ここでいいですよね」 と言いながら、子供達と、1時間も前から並んでいた人達との間に割り入った。必然的に子供達が前に出て、警備員に 「選手が通るから、もっと下がって下さい」 と言われた。

そのお母さん方が、後を向いて 「下がって下さい。後の方が空いているのだから」 と言い、早くから来て待っていた人達と小競り合いになった。

早くから並んでいた人が 「お母さん方は、後の方へ行った下さい。皆一時間以上も並んで待っていたのだから」 と言うと 「私達は、言われて来たんだから。」とそのまま居座った。

そばで聞いていて、ちょっと違うんじゃないと思った。後から来て、サポーターでもないのに、一番前に並ぶなんて、やっぱりおかしい。

結局、並んでいる人達の気迫に負けて、「私達は後に行くけど、子供達だけには、意地悪しないで暖かく見守って下さい」 と、捨てゼリフのように言って、出て行った。後味が悪かった。

去年は、もっとサポーターが一杯いたように思えた。それに、選手達が通る時に、いつもよりも声掛けが聞かれず静かだ。それに、歩くのが早すぎた。去年は、もっともっとユックリと歩いたので、選手達を一人一人見れた。通り過ぎて、あの選手いたっけ、この選手いた?と友達と話し合った

帰りの行列には、「ガンバレ!」 の声や選手の名前を呼ぶ声や、出した手に答える選手達もいた。



友達と、「ウチのサポーターって大人しいね。」 「声をかけるような人が来ないだけかも。そういう人は、ここには来ないのよ」 と。そうかも知れない。

選手が選手バスに乗る時に、集まっている私達に、笑い掛け手を振り深々と頭を下げたのは、ナオくんだけだった。

  

集まった人達に、せめて微笑み手を振るべきではないかと、私は思う。バスが出て行く時も、窓を開け、手を振って、寒い中を期待を込めて集まった人達に答えるべきではと思う。去年の長友くんのように。特に、子供達に。よそのチームの選手のように、ヘンなパフォーマンスをやれとは言わないが、手を振るくらいの気持ちは欲しい。

帰り、冷え切ったので、暖かい所でお茶にした。

FC東京、これでいいのかと議論?した。

昔、FC東京がJ2だった頃、初代社長や前社長、フロント、サポーター達と、よく未来について熱く語り合った。FC東京の有り方、私達の幸せは、年を重ねるごとに方向が変わって来たように思う。わずかのずれが、だんだんと幅が広がって行くように。

ガス時代から、熱烈に応援して来た人達が、いつの間にか姿を消し、いなくなっている。私はその頃の事を知らないから、いつも、キラキラして聞いていた。彼ら彼女らは、どこに行ったのだろう。

“ソシオ”と言う言葉を、それがどういう意味か、熱く語ってくれた常務は社長になった。そして、ブラジルでは親から子供へ孫へと受け継がれて行くソシオは、彼らの誇りだと、FC東京のソシオを、そのように育てたいと言っていた。私達も、かの地の人々のように、地元に日常に応援する愛すべきサッカーチームがある幸せを共有したいと思った。

でも、最近、そのソシオ会員よりも、サポートメンバーの方に軸足を移したように感ずるのは私だけだろうか。

クラブの基盤は年間チケット保持者、つまり“ソシオ”だと思っていた。私自身、初期からずっとビッグフレームスに入っているが、プラスアルファーだと思っていた。

それに、東京のサポーターは、圧倒的に個人とか、二人とか、家族だったりの少人数の集まりだと思う。私だって、一人で来て、一人でサポーターになり友達が出来た。

そういう一人一人のソシオ会員に目が向けられなくなったように思う。

クマさんが監督に戻って来たのだから、そして、始まりのJ2に戻って来てしまったのだから、初心に帰り、今度こそ、クラブも選手もサポーターも一帯になった強固なFC東京を作り上げて欲しい。

新生FC東京の、新しい一歩となる事を開幕戦に望む。



これは、小平練習場のご近所のコンビニ。微笑ましくてパチリ。

  








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チャリティーコンサート

2011-01-22 21:14:15 | Weblog
アップルビーツというバンドの 「今宵はビートルズナイト」 が、稲城の文化センターで開催された。

ビートルズ原曲と同じキーでの演奏との事で、楽しみに夫と出かけた。

観客の顔ぶれが、ほぼ同年代以上だったのが可笑しかった。皆さん、ビートルズ世代。

昔、過激で、夢中になるのは不良と言われたのが、今、そのサウンドを聞くと、何かレトロで懐かしい。

姉が、丁度、ビートルズ世代だけど、姉はプレスリーが好きで、その影響で私もプレスリーだった。そして、彼の映画を姉と二人でよく見に行った。美女とオープンカーと歌の、いつも同じような内容の映画だったけど、ワクワクと映画を見たのを思いだす。

姉は結婚していたけど働いていて、私は青春真っ盛りで楽しかった。

改めて、そんな時代があったのだなと、遠くまで来たのだなと、つくづく思った。そして、姉は会う事が出来ない遠くへ行ってしまった…。

小さい会場なので、音楽が目の前で気分よく楽しんだ。2時間なんて、アッという間だった。

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海外ドラマ「プリズン・プレイク」

2011-01-21 20:07:35 | Weblog
海外ドラマの 「プリズン・ブレイク」 が終わった。本当に終わった。

やっと脱獄出来て、逃亡生活に入ったら、又、捉えられて脱獄しなくてはならない。

又、脱獄し、こんどこそと思えば、またまた、ブレイク。

途中で、ちょっと?となって、娘は、「もう、いいや」 と見なくなったが、私は最後まで付き合った。数々の危機状態を、どうやって脱するのかと。

昨日の友は今日の敵に、昨日の敵が今日の味方になったり、誰を信じ、誰を警戒すればいいのか、ゴチャゴチャな人間関係。

嫌悪し忌み嫌うティーバックとも、手を結んで自由の為に闘わなければならない。

死んだはずの母親が出て来て、「マイケル、私を信じて。母でしょう」 と言っても、結局、信じる相手では無く、その為に大切なサラが刑務所に入れられてしまう。そして、最後のブレイク。


兄とは違い、冷静な理知的な、そして、ちょっと悲哀を帯びたマイケルの、ジッとこっちを見つめる瞳が素敵だった。

最後まで、サラの為兄貴の為に戦いを強いられ続けたマイケル。そして、自分の命と引き換えにサラとお腹の子供を守ったマイケル。「僕の命は続いて行くんだよ」 と。

そして、騙されているフリをして、悪者は永遠に塀の中に閉じ込めて置くマイケル。

あり得ない展開もあったけど、余り深くは考えないで、ただ、ドラマを楽しんだ。

ティーバックの悪役ぶりは最高だった。前に、娘と映画を見に行った時、彼が良い役で出ていて笑ってしまった。別人みたいだったけど。

又、一つ、見続けていたドラマが終わった。











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大根洗い

2011-01-19 19:28:27 | 南ちゃんと南山
今日は、“おとうさん”に頼まれて、学校給食用の大根洗いを手伝った。

約束の時間に行ったら、一人しか来ていなくて、「あら、今日は二人?」 と。

軽トラに積まれた大根を下ろしながら、洗い始める。もう、何回もしているので、二人でもツーカーでやり始める。いつものように、おしゃべりを楽しみながら。

と、一人、「遅くなってゴメン」 と言いながら来た。

一人増えただけで、はかどる、はかどる。

何とか、全部洗い上げ、もらえる大根を袋に詰めていたら、畑も手伝ってと言うので、軽トラの荷台に乗って(本当はダメなはず)畑に行った。

丸い大根なので、これは引き抜きやすい。

青首大根は、抜くのに大変。傷つけないように、葉も痛まないように抜くのは、難しい。力まかせに抜いていると 「ダメ、ダメ」 と言われる。

帰りは、お土産が重くて、やっと家に辿り着いた。

今日は、大根がたっぷりの、トン汁。



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南ちゃんの会

2011-01-17 17:12:55 | 南ちゃんと南山
昨日、今年初めての、“南ちゃんの会”の日で南山に入る。

そして、今日は、私達の拠点となる南山の一部を確定する日。

売ってくれた人を待つ間、私達は地図を見ながらここかあそこかと言い合っていた。山は、地図を見ても目印が無いので分からない。

仲間の一人が、「境にウツギの木が植えてあるよそうだよ。」 と言ったが、何本もある。どれ?

約束の時間を大幅に遅れて来てくれたが、はっきりと「ここ!」 とならなくて、だいたい“ここ”となった。で、だいたい“ここ”を下草刈りする事にした。

山は風が強く、時々曇るから寒かった。それで、風を避けて、陽だまりを探してお昼にした。いつものように、お菓子や漬け物が回って来る。

昼食の後は、私達の山の下草を刈った。余り、時間が無かったので、そんなには出来なかった。陽が陰ると寒くなるので、ほどほどで止めにする。

始める前の藪状態。

   

そして、作業している姿と、下草を刈った後。

  

ここを綺麗にすれば、富士山が見えるという。楽しみだ。これは、直ぐ近くの場所から見た富士山。



ここには、オオタカが巣作りをしたという木もある。



作業をしていたら、“ぽんぽこ”さん達が通りかかり、ハンモックを置いていった。さっそくブランコ代わりに乗ってみる。今度、“桜の広場”で使ってみよう。




南山を歩いていると、あちこちに畑が点在している。ここの土は稲城砂が混ざっているので作物には非常にいいと思う。作物の育ちがいいそうだ。

          

そして、開墾して畑にしょうとしている所もあった。



私達も、畑を借りてジャガイモ等を作るつもりだ。

だんだんやる事が増えて来て、忙しくなりそう。そして、楽しそうだ。




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“南ちゃん”の会議

2011-01-15 17:47:44 | 南ちゃんと南山
昨日は、今年の活動の前に、集まれる人だけ集まって、話し合いをした。

一番は、“南ちゃんの会”で、南山のほんの一部だが、皆でお金を出しあって取得する話。

地権者の人で、山を手放したいから南ちゃんで買ってくれないか、との話があった。里山を何とか残したいから、南ちゃんにと。

その内のほんの一部を買う事にした。今現在、何とか開発を免れている里山を守る足掛かりにしたいと。

以前に、宮崎駿監督の、里山保全のお話を聞きに行った時、おっしゃった事が、私達の出発点でもある。


お金を出せる人はお金を、知恵を出せる人は知恵を、動ける人は行動で。


同じ思いを共有する仲間ではあるが、お金の事になれば人の事情はそれぞれである。だから、寄付出来る金額については、いくらでとかは決めないで、無理の無い範囲で出せる額をと決めた。そして、誰がいくらかは公表しないと言う事で。

これからも、広く寄付を募って行こう、そして、基金のような形にして、“ととろの森”のようになったらいいなと、話し合った。

一応、畑も借りる事になっているし、その植え付けをどうしょうか、とか、“桜の広場”のイベントはなにをしようか、とか、話があっちにこっちに行く。

男性に言われた。「ちょっと待って。一つ一つ、順番に決めて行こう」 と、時々、待ったが入る。

女性の話は、あっちに行ったり、こっちに行ったり、関係無い話をしたり、男性には付いて行けないと言う。

でもね、女性の話は、ちゃんと、いつの間にか元に戻って、しっかりと決める事は決まるのだから、と、女性陣は笑う。

この、どうでもいい話が大事なのだ。そんな所から、イロイロなアイデアが生まれる。

“南ちゃんの会”だって、そうして生まれたのだ。誰が音頭を取ったわけでも無く、気が付いたら、10人強の人が里山に入ってカマを持っていた。

明日は、今年の山開きで仕事初め。
楽しみだ。






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市民講座

2011-01-13 19:28:47 | Weblog
去年の10月からの、ある大学の市民講座が今日で終わった。

約3割が大学生で、後は、一般市民。私は近いけど、遠く千葉の方から通って来る人もいる。名前の知れた有名な講師の話を聞けるからだろう。

第一回から参加しているが、初めての時には、大学生の私語が多くてうるさくてビックリした。

でも、今は、静かに聴講している。

しかし、質疑応答の時には、市民からは多くの手が上がるが、学生は質問をした事がない。講座名が 「現代世界解析講座」 とあるから、難しいのだろうか。

今日は最後なので、この講座を監修している大学の学長が、秋学期の総括と今の日本の立ち位置とこれからの日本を講義した。

日本の30年後、50年後と言われても、もう私はいない。

まさに、後ろで聞いている学生達の問題である。

彼らが、私のような年になった時に、日本はどうなっているのだろう。

人口も、2046年には1億を割り、2100年には4771万人になるという。何か寒気がする。

経済の予想は当てにならないが、この日本人の人口予想は、そんなに外れないと言う。

少子高齢化で日本の未来が大変だ、と政財界は口では言うが、それだけのように思う。

女子供にお金を使うよりは、企業の税金を何とかしろと言う。このままでは、企業は中国・インドに出て行くと恫喝する。

もし、日本の未来を憂慮するのなら、若者の職と未来を真剣に考え実行して欲しい。もう、評論の時は終わり、勇気を持って辛い事でも実行して行かなければならないと、思う。

今の私達の年代は安泰かも知れないが、未来の日本の子供達が心配だ。





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