ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

日常に戻る

2010-10-29 19:34:45 | 姉さん
家に帰って来て、日常の家事をいていると、姉がいなくなったのがウソのような気がする。姉は安城でいつものように元気に走る回っているような気がする。

みんな、夢だったような気がする。

葬儀は姉と生前に二人で“こんな葬式がイイね”と、よく話していた。

姉の息子と姉の夫と葬儀屋さんに行って、そんな事を話しながら諸々の手続きをした。

葬儀は姉の希望通りに、家族だけでとり行う事にした。近所の人や友達も呼ばないでと。それは私も一緒。死んだ顔を見られたくないから。そして、諸々な事に煩わされずに、家族だけに見送って欲しいから。

花の大好きだった姉の為に、祭壇は花だけを一杯に飾った。戒名も無しの慣れ親しんだ普段の名前で。

一つ一つ、姉ならこうするね、母ならこれを選ぶな、と話しながら決めて行った。

知らない人は誰もいない25人の家族、近しい人だけのこじんまりとした葬儀は、祭壇の花一杯の中に、花のように微笑む姉の写真が飾られ、思う存分に悲しみに浸れた。

姉の長男の小学校2年生の二男が、どうしょうもなく泣き崩れていた。「ばーばと別れるのはイヤだ。サヨナラしない」 と、地団太踏んで泣き叫んでいた。「なおきくん、今日はどんなに泣いてもいいのよ。おばちゃんと一緒に泣こうね」 と、私も泣いた。

娘が 「姉ちゃん(娘はおばさんの事をそう呼ぶ)の化粧が自然で素敵だね。」 と言った。確かに、ピンク系の口紅が微笑んでいるような表情に見せていた。「マニキュアを塗ってあげると言っていたのに、出来なかったね。」 と言うので 「私の時はお願いね」 と、又、涙。

田舎から出て来たいとこが、「こんなお葬式は初めて。でも、いいお葬式だったね。はっちゃんらしいね」 としみじみと言った。

お坊さんが最後に、しみじみと語ってくださった言葉の数々が、泣きつかれた心に温かくしみ込んでいった。そして、姉がいなくなった事を、受け入れて行かなければと思えるようになって行った。

姉の分も一生懸命に生きて行かなければと、妹達とお互いを抱きしめた。

まだまだ早すぎる。まだまだ一緒に一杯話がしたかった。まだまだ、いろんな所に一緒に行きたかった。

そっちには当分、行けないけど、あなたの子供達を見守っていてね。





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6時25分 一筋の涙

2010-10-25 20:51:02 | 姉さん
今日の朝、6時25分、姉が永眠した。

昨日の夜は、ちょっと眉をしかめて何となく苦しいような。声をかけても反応があるような無いような。

看護師さんが、「眠れるように眠剤を使いましょか」 と。姉がグッスリと眠れるならばと入れてもうらう。

私も、7時には折りたたみベッドで寝た。

時々、看護師さんが姉の様子を見に来ている。そのたびに私も起きて様子を見る。看護師さんが 「どうぞ、寝ていて下さい。何かありましたら起こしますから。」 と言ってくれるので、又、寝た。

ハッと目が覚めると、看護師さんが二人で姉のベッドの両側に立ち、姉を覗き込んでいる。私も起き出して、見に行くと、「体位を変えに来ました。」 と言う。

姉を覗き込むと、何となく今までと違うような気がする。

それから、眠れなくなって、姉のそばに椅子を持って行き、姉の手を握り、声をかけたりする。何か、胸騒ぎがする。

そのうちに、看護師さんが入って来て、「血圧がちょっと下がって来たので、だんなさんや息子さんを呼んでください。」 「あの、眠っているのと昏睡状態と、どう区別するのでしょう?」 と聞く。「声をかけて下さい。反応があるかどうかですね。」 「朝早くに、長男と姉の夫が来る予定ですが…。」 「会わせたい人がいれば、呼んでください。」

2時50分に姉の夫と、長男に電話する。車でくるので「気をつけてね」 と。

3時半には二人が来る。

柏崎の次男と鹿児島の三男にはどうしょうかと相談する。

看護師さんは、「この状態でも、何日か持つ人もいるけど、朝までも持たない人もいます。」 とおっしゃる。

もうちょっと様子を見ようと、三人で姉を囲む。

酸素マスクをして、必死に呼吸をする姉。身動きをしないでただ呼吸をしている姉。

「何か、顔の表情が変わったよね」 と私。「そうかな…」 と二人。

そのうちに呼吸の仕方が変わって来た。「呼吸の仕方が変わったよね」 と私。「そうだね…。」 と二人。

部屋に看護師さんが二人入って来る。私たちは、凍りついたように固まって姉を見つめる。

そのうちに、フッと呼吸が止んだ。その時、姉の目尻から、すーーーっと涙が一筋、流れた。この世から別れる事への無念のように…。

そっと姉の涙を拭く私。「6時25分です。」と看護師さん。

誰はばかる事なく、姉にすがって泣く私。隣で40歳過ぎの長男が 「母さん!!」と手を握り号泣。

穏やかに眠っているような姉。

どうして、こんなに早く逝ってしまうの。本当にあなたに会えなくなるの?

よく、自分の葬式はこうしたいね、と二人で話していた。あなたの望み通りのお葬式にしてあげるね。

お花に囲まれた祭壇で、子供達家族と姉妹の家族と従姉だけでお別れをするね。

姉妹の中で、一番美人だった姉。誰よりも、行動的で山登りが好きで、旅行が好きで、お花が好きで、姉御肌の姉。

ああ…。




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姉ちゃん

2010-10-22 20:58:42 | 姉さん
姉は、昨日は、入れ替わり見舞い客が来て緊張して、夕方には疲れたみたいで、寝るときに眠り薬を飲んだせいか、今朝は早い時間に気持ちよく目が覚めた。私も、熟睡したみたいだ。

しばらく、話をしていて、又、寝てしまったので、休憩ラウンジに行って、まだ、覚めやらぬ外や中庭をパチリ。

 

 

 

今日の午前中に妹、従姉、姉の夫、姉の三男夫婦と子供が来た。

妹と従姉はしばらくして帰るために病室を出た。姉の夫と特養のおばあちゃんの所に寄り、そのまま駅に送ってもらう。

病院の玄関まで送って行ったが、病室の外に出た時から、涙をポロポロこぼした。姉の前ではニコニコしていたが、別れた瞬間に我慢が出来なくなったのだ。姉と話が出来るのはこれが最後だから。

三男夫婦は、夕方、姉の夫が迎えに来たので帰って行ったが、二人とも外に出たときには目を赤くしていた。鹿児島に帰る彼らも、姉と話をするのは、これが最後だから。

今日は、比較的、姉は気分が良さそうだった。昨日、少し、腹水を抜いた事もあるのかもしれない。

今まで、果物を少ししか食べなかったのが、「おかゆが食べたい」 と言うので、病院内のコンビにでレトルトのお粥を買ってきて、少量をチンして食べさせた。

ゆっくりゆっくり食べながら、「美味しい」 と嬉しそうに言う。

残りを冷蔵庫に入れながら、「明日も食べれたらいいな」 と思う。

皆が思うことは一つ。

奇跡が起きないかな…。












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姉ちゃん

2010-10-21 20:49:09 | 姉さん
今日は、姉の三男夫婦が、11ヶ月の三番目の女の子を連れてきた。彼らは鹿児島に住んでいるので、姉は、まだ、その子に会ってなかったので連れて来たと言う。人見知りもしなくて、愛嬌が良くて、姉も嬉しそうだった。

お昼には、今度はおばあちゃんに会いたいからと、姉の夫と、おばあちゃんがいる特養に出かけて行った。

入れ違いのように妹といとこが来た。

夕方には、姉の長男と三男と姉の夫と私と妹で、主治医の先生の話を聞く。

先生が言うには、「ビックリするほど、進行が早い。今年一杯と言っていたが、もしかしたら、来月一杯もつか…もしかしたら、来月まで…。」 と。

今日、姉にはっきりと告知すると言う事だったが、もう、そんな状態ではないと。あとは苦しまないようにするだけだと。

病室に戻ったら、姉は苦しそうに酸素マスクをしている。

今日は、「人が一杯来て疲れたのね。」 と言ったら、「緊張した」 と言う。人一倍、気を使う人だから。

後、何日、こうして、ここで姉の付き添いのために寝泊り出来るのだろう。出来るだけ長く、この折りたたみベッドで寝る事が出来るように祈っている。






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姉ちゃん

2010-10-20 19:26:07 | 姉さん
ベッドの上で、ほとんどまどろんで過ごす姉ちゃんを見ているのは辛い。

呼吸をする時に、しんどそうに、胸一杯でするのを見ていて、妹に電話した。

妹は土曜日に姉の次男と車で来る事になっていたが、早く来た方がいいかも知れないと思ったから。

それに、姉は苦しいから腹水を抜いてと看護師さんに言っていた。看護師さんが私に、抜くと楽になるかも知れないが、意識が朦朧となり、会話がかみ合わないようになると言ったので。

妹といとこは二人で、明日新幹線を乗り継いで来る。長岡から東京に出て、名古屋から名鉄に乗り、豊田まで来るのは、彼女たちにとっては、大変な旅行だろう。私にはそんな事は、何でもない事だが、車社会の彼女たちには大旅行だ。夫達に行き方、乗り継ぎ方を詳しく紙に書いてもらったと言っている。

2月に姉の子宮摘出手術の付き添いで一週間ほど、泊まりこんだ時には、未来があった。

でも、今、こうして姉のそばに泊まりこんでいても、今回には、彼女にもう未来が無い。

何で?どうして?信じられない。

一人で、じっと姉のそばにいるのは、本当に辛い。何も考えないように、ひたすら本を読んでいる。眠っている姉の顔を見ている時も、頭の中を空白にするように努力している。過去のいろいろな楽しい思い出を思い出さないようにしている。こみ上げそうになると、ノートPCを持って休憩室に行き、ニュースでも読んでいる。

あ~あ、又、長い夜が始まる。



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大好きな姉ちゃん

2010-10-20 14:26:33 | 姉さん
昨日に比べて、今日は、又、弱ったような気がする。

話している口調も言葉ももう一つはっきりしなくなった。耳を口に近づけても、聞き取りにくくなっている。

ぽっかりと天井を見ている姉に 「どうしたの}と聞いたら、「天井に林が見える。夢を見ているのかと思ったけど、今、天井に林が広がっている」 と、天井を指差す。「娘が、ジャムをもって走っている。ガソリンスタンドに向かっている」と言う。

「そうなんだ。きっと、綺麗な林なんだろうね」 と私。はっきりと見えると姉は言う…。

姉の次男が、午前中に来て、「これから帰るから。又、土曜日に来る」 と。「気を着けてね」 と姉。

私の妹が、姉の次男と同じ柏崎に住んでいるので、今度来る土曜日に、妹と、やっぱり近くに住んでいる、姉妹のように仲良くしてきた、いとこを連れてくるという。

姉に 「みっちゃんとみよちゃんが来るよ」 と言ったら、ちょっと考えて 「私、もう体に自身が無くなった。来てくれるんだ」 と、にっこりした。

4年前の父の事を思い出す。

86歳だった父が倒れたと連絡があった。「癌で、持って3ヶ月」 と言われ、次の日には 「あと1ヶ月だって」 と言われた。

帰る準備をしていたら、「既得状態になったから、すぐ来て」 の連絡があった。

準備してあわてて駆けつけたら、本当にもう昏睡状態になっていた。

意識がなくても、先生が、「最後まで耳は聞こえるんですよ」 と言うので、聞こえるように大声で呼びかけると、「うん、うん」 と答える。「頑張ってね」 と言うと 「分かった」 と答える。

何か、その時の事を思い出して、胸が一杯になる。

まだまだ、早すぎる、何で、姉ちゃんがと思う。

昨日までは、あまり感じなかったが、今日は、足も相当むくんで来た。

辛い、辛い・・・。



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ああ、姉ちゃん

2010-10-19 19:17:32 | 姉さん
朝、支度が出来次第、癌が再発して入院している姉の所に向かうために新幹線に乗った。

早く着いて姉に会いたい気持ちと、いつまでもこのまま着かないでほしい気持ちとで穏やかならざる心を持て余しながら、姉の所に行った。

姉の近くに住む長男と、私たちの実家の柏崎に住む次男が、車を飛ばして来ていた。

先月、姉の快気祝いで、姉夫婦、私たちの家族、姉の長男の家族と次男の家族で、山中湖で2泊したばかりだったのに。あの時には、姉が一番、元気だった。

こうなって見ると、九州に住む三男の家族も無理をしてでも、来れば良かったなと思う。

友達に 「あなたたち姉妹は本当に仲がいいね。ビックリするくらい」 と言われる程、私たちは仲がいい。

東京と安城と離れていても、年に何回か、二人で、又は夫婦一緒に温泉に泊まりに行っている。

姉とは7歳も年が離れている。私が、小学校の頃、美しい女子高生の姉は憧れだった。

姉は、高校を卒業して愛知県に就職し、そこで結婚し、家を建てた。

私も高校を卒業すると、当然のように姉の家に同居し、名古屋の会社に通った。

そして、姉に長男が生まれ、二人で育児書を読みながら育てた。そして、次男が生まれ、又、楽しんで二人で育児をした。

そのうちに、私は結婚し東京に住み、長男を、姉は三男を、同じ年に産んだ。

私の家族と姉の家族は毎年、一緒に実家に帰ったり、旅行したりした。

私の家族がが関西の高槻市に転勤になって、子供も小学校に入り、姉の三男は毎年の冬休みを、ウチで過ごすようになった。お正月は毎年、ウチは5人家族だった。子供達が中学に入り、それぞれの部活が忙しくなる頃まで続いた。

それからは、もっぱら姉と二人で、あるいは両親も一緒に温泉などに行った。

年が明けたら、私と姉と娘と三人で、ハワイに行く予定にしていた。

姉ちゃんは、私の姉であり、大の親友、掛け替えのない友。

辛い、本当に辛い。

眉を寄せて、目をつむり、ベッドに横になる姉を見るのは、辛い。

こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。








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起きてね、シクラメン

2010-10-18 20:33:10 | 花と自然
今年は猛暑で、夏眠中のシクラメンが心配だった。

毎年、春、シクラメンの葉が枯れて無くなったら、水やりを止め、ベランダの隅に置いた。

そして、10月になると水をやり出す。

何日か水をやっていたら、起きる時が来たのね、と芽を出し始めた。

まだ、芽を出していないように見える鉢も、よく見ると小さく小さく芽が出ているのが分かる。



今年も、一つも脱落しないで、眠りから覚めた。

いつから花が咲いて来るだろうか、楽しみだ。




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逆転負けした、FC東京

2010-10-17 09:56:42 | FC東京とサッカー
朝、5時11分の始発で家を出る。真っ暗な中、コンビニによってからツアーバスに乗る為に調布に向かう。

ツアーバスの3号車だったので、MXTVの前田さん、三田涼子さん、青赤娘さん達が乗り込んで来たのは3番目だった。仙台に着くまでは楽しい時間を過ごした。



私は、チケットを買うのが遅かった為、ゴール裏もメインアウェイ側も取れなかったので、バックスタンドで夫を観戦した。黄色い人達の中でヒッソリと応援。チラホラと東京らしき人がいる。

丁度、隣に座った人が東京の人だったので、試合中もヒッソリと話し合いながら応援。

東京のゴールが決まるたびに、私達はひそかに小さくガッツポーズ。

でも、どうして東京は、相手がゴールするたびに気持ちが下がるのだろう。

2-2に追いつかれた瞬間に、選手達の気持ガクっとなるのが分かった。その前から、両方のチームの中盤が間延び始めた。こうなれば、気持ちの問題だ。

勝ちに行くのか、守り切るのか。今年は、そんな状態で最後は同点に追いつかれたり、逆転されたりの試合が多かった。

昨日はどうしても勝たなければならない試合だった。サポーターも青赤風船を用意して力一杯に応援していた。



先行して、少しは気持ちを楽に戦えるのかなと思いながら応援していた。でも、ゴンちゃんが始まりからほとんどボールを大きく前線にキックするのが気になっていた。どうして、DFからボールを繋いで行かないのか。監督の指示なのか、ゴンちゃんの考えなのか。

隣の東京の人と、もっとパスを回して落ち着いて欲しいね、と話していた。セカンドボールが拾えていないのだから。

後半の後半からは全体が浮足たっているように思えた。パスミス、トラップミス、連携ミス、意志疎通ミス等々、仙台に振り回されているように感じた。落ち着いて落ち着いて慌てないで、お互いに声を掛け合って助け合って、とドキドキした。

そして、今年何回も見て来たシーンが目の前に広がっていた…。

先行しても守りきれない、先行されたら逆転出来ない、結局、最後は気持ちの問題なのだろうな。

帰りのバスの中で、アマラオのDVDが流された。それを見ながら、東京にはアマラオのような絶対的な心のリーダーがいないからなのではないかと思った。

若い選手達ばかりで、経験のある修羅場をくぐり抜けて来た戦士が、そういうリーダーがいないからではないかと思った。

心が浮足立った時に、アマラオのような存在が交代でピッチに入ってくれば、自滅する事は免れたのではないだろうか。

個々の選手達を見れば、皆、それなりに名の知れた選手達。各年代で代表に呼ばれた選手達。あのメンツでこの位置にいるのが信じられない選手達。

あまりにも若さにこだわったチーム作りの弊害なのだろうなと思う。

プロチームなのだから、まずは、なりふり構わず勝ちにこだわって欲しい。自分の選手としての価値は勝利にしかないのだから。

私の隣にいた東京の男性は、2000年に東京がJ1に上がり、ホームが国立と聞いて東京の年間チケットを買ったという。別に東京が好きだからではなく、東京なんて知らないけど、ただ鹿島や横浜や大阪や名古屋等、Jリームのチームを国立で観れるから、それだけで年間チケットを買ったという。

でも、毎回、国立に通うようになって、東京のサッカーに魅せられて行って、そして、東京サポーターとして年間チケットを買うようになったという。東京を好きになったのは人それぞれ。負けが続いた時もあったが、それでも、感動した試合も多かった。

今は、東京にとって最大の危機。どのように立て直して行くのか、このままズルズル行くのか、私達はただ信じて応援して行くしかない。







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ああ、姉ちゃん…

2010-10-15 20:20:30 | 姉さん
母が特別養護老人ホームに入る事が決まったので、その引っ越しに姉の所に行った。

姉と一緒に住んでいた母は、姉が癌の手術をする事になり、近くのショートステイにお世話になっていた。そこは、3ヵ月更新で長くいる事は出来ない。それで、姉の住んでいる安城市の特養に申し込んでいた。

なかなかすぐには入れないとは言われていた。

ところが急に入れる事になり、その手伝いに行った。

でも、行ったら姉が 「この間から、お腹が張ってしょうがないの。近くの内科に行ったら、便秘のせいでしょうと薬もらったんだけど、ちっとも出ないし」と言う。

でも、明らかに、それは便秘の症状では無い。もしかしたら腹水が溜っているのでは、と思ったので、直ぐに姉が手術を受けた“トヨタ記念病院”に連れて行った。

即、入院となる。

そこで、先生が私と姉の夫と二人に話したのは、とても、信じられない言葉だった。

お腹一杯に散らばった状態の末期がん…、今年一杯で…。

あんなに辛い抗がん剤治療を受けたのに、ぜんぜん効かなかったそうだ。治療中は数値が減りも増えもしなかったが、治療が終了して、その効果が無くなったので、急に増殖したのだという。

手術をした時には、「わかる範囲の癌は全て取りましたが、この、癌肉腫は、悪質なのです」とは言われていた。

でも、こんなに早いとは。

「もう、対症療法しかないのですね」と言ったら、先生は辛そうに 「はい」と小さく答えた。

今日、帰る予定で行っていたので、取りあえず帰る事にした。

「姉ちゃん、帰るけど、退院する時には来るからね」と、まだ知らない姉に明るく行って病室を出て来たが、姉はしんどそうに、「ありがとね」 と言っていた。

もしも、退院出来たら、行って、姉の所にその時までずっといるつもりだ。

もしも、退院出来なかったら、やっぱり、行ってその時までずっといるつもりだ。

明日は、仙台に東京の試合を応援に行くつもりで、ツアーに申し込んでいたので、一応、行く。

辛い。本当に辛い。昨日も一睡も出来なかった。今日も眠れるだろうか。明日は一番の電車で行かなくてはならないのに…。

まだ、いつ、姉の所に行くかは、姉の夫の連絡待ちだが、今年のサッカーは、私の観戦は諦めたが、チームは絶対に諦めないで、一つでも二つでも上位を目指して欲しい。




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