とうとうヴェルディが来年からJ2になる。今年の状態では仕方がなかったと思う。でも、やっぱり寂しい。私は1998年の秋からFC東京のサポーターである。まだ、どんなチームか分からなかった時から。
1996年まで私は川崎の多摩川近くに住んでいた。強い強いヴェルディの頃。その頃は鹿島や浦和をTVで応援してた。知合いでJリーグが始まる前から、仕事の関係でヴェルディを応援している人にサポーターになってと言われたけど、あの頃のヴェルディの華やかなタレントのような選手達には、私のポリシーとは相容れないものがあった。
私には決定的にヴェルディが嫌いになった事がある。娘が高校の頃、友達の女の子がヴェルディのある選手のファンで一緒に等々力に応援に行った事がある。娘は広島のファンだったけど、サッカーは好きだから一緒に応援に行き、終わった後、出口で待っていた。沢山のファンが待っていた。そこに選手達が出て来た。娘の友達は大好きな選手に「○○さん!」と言って、通り過ぎる彼の腕に触ったらしい。その時、その選手が振り向き「汚い手で触るな!」と言った。
娘の友達はあまりの事にビックリして涙ぐみ、それ以来ヴェルディが嫌いになり、娘もそれ以来ヴェルディが大嫌いになった。私もそれを聞いてから、ヴェルディが大嫌いになった。その選手は有名な大選手で、いまだに活躍している。丁度、Jリーグの、ヴェルディの、ヴェルディの選手達の絶頂期である。
2000年から、私のFC東京がJ1でプレーするようになり、ヴェルディと戦うようになった。でも、ヴェルディは昔と変わった。パス回しの上手さは変わらないが、あの巨星の華やかさは無く普通のクラブになっていた。
稲城の住民になり、FC東京のサッカーに夢中になっていた私に“ヴェルディ川崎”が“東京ヴェルディ”となって稲城に来たのには反発した。駅前に翻る緑のフラッグ。市役所に掲げられた応援垂れ幕。どうして、稲城なの、どうして他の東京じゃないの、と。でも、一生懸命に駅前でビラを配り、稲城祭りの時は選手が地元の子供達と一緒にボールを追いかけている姿を目にしていると、ウチは絶対に負けないけど、あなた達も頑張ってと思えるようになった。
来年はもう“東京ダービー”は無い。それはとっても寂しい。又、東京ダービーをする為にも、稲城住民の一人として、期間限定でヴェルディを応援しようと思う。モチロン、FC東京と試合がダブらない限りのホーム限定で。緑のグッツなど身に付けるのは論外だけど、J1に上がるまでスタジアムの片隅で応援しよう。
1996年まで私は川崎の多摩川近くに住んでいた。強い強いヴェルディの頃。その頃は鹿島や浦和をTVで応援してた。知合いでJリーグが始まる前から、仕事の関係でヴェルディを応援している人にサポーターになってと言われたけど、あの頃のヴェルディの華やかなタレントのような選手達には、私のポリシーとは相容れないものがあった。
私には決定的にヴェルディが嫌いになった事がある。娘が高校の頃、友達の女の子がヴェルディのある選手のファンで一緒に等々力に応援に行った事がある。娘は広島のファンだったけど、サッカーは好きだから一緒に応援に行き、終わった後、出口で待っていた。沢山のファンが待っていた。そこに選手達が出て来た。娘の友達は大好きな選手に「○○さん!」と言って、通り過ぎる彼の腕に触ったらしい。その時、その選手が振り向き「汚い手で触るな!」と言った。
娘の友達はあまりの事にビックリして涙ぐみ、それ以来ヴェルディが嫌いになり、娘もそれ以来ヴェルディが大嫌いになった。私もそれを聞いてから、ヴェルディが大嫌いになった。その選手は有名な大選手で、いまだに活躍している。丁度、Jリーグの、ヴェルディの、ヴェルディの選手達の絶頂期である。
2000年から、私のFC東京がJ1でプレーするようになり、ヴェルディと戦うようになった。でも、ヴェルディは昔と変わった。パス回しの上手さは変わらないが、あの巨星の華やかさは無く普通のクラブになっていた。
稲城の住民になり、FC東京のサッカーに夢中になっていた私に“ヴェルディ川崎”が“東京ヴェルディ”となって稲城に来たのには反発した。駅前に翻る緑のフラッグ。市役所に掲げられた応援垂れ幕。どうして、稲城なの、どうして他の東京じゃないの、と。でも、一生懸命に駅前でビラを配り、稲城祭りの時は選手が地元の子供達と一緒にボールを追いかけている姿を目にしていると、ウチは絶対に負けないけど、あなた達も頑張ってと思えるようになった。
来年はもう“東京ダービー”は無い。それはとっても寂しい。又、東京ダービーをする為にも、稲城住民の一人として、期間限定でヴェルディを応援しようと思う。モチロン、FC東京と試合がダブらない限りのホーム限定で。緑のグッツなど身に付けるのは論外だけど、J1に上がるまでスタジアムの片隅で応援しよう。