ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ジャガイモ収穫祭

2013-06-30 14:54:34 | 南ちゃんと南山
昨日、“南ちゃんの会”でジャガイモ収穫祭を行った。

この間から、ビラを張ったり、知り合いを誘ったり、郵送したり。

沢山、集まってくれた楽しかった。



今年は、天候に影響されたのか、葉に虫が付き、ほとんどのジャガイモの葉が無くなってしまった。去年は、葉が生き生きと茂っていたのに…。

だから、集まった人に、「今年は、宝探しですよ」 と。葉は無くても、地面の中にはジャガイモがゴロゴロあるはず。

かえって、葉が無くて、シャベルで掘ってジャガイモをさがすのが楽だった。葉の始末もしないでいいし。

子供達も、「あったー!!」 と大喜び。








途中で、私達はお昼の準備。

ゆでて来たジャガイモを切って油で揚げてクレイジーソルトを振る。こんなに沢山揚げるの?と思ったが、全部、食べて無くなった。





畑のキュウリも入れた野菜サラダ。畑のインゲンやナス等での天ぷら。あと持ち寄りのオカズ等でテーブルも賑やかになった。

私は、もっぱらジャガイモを揚げていた。

そして、食後は恒例の手品ショー。



その後は、隣の畑の農家の人が、そばにある梅林の梅の木を一本、南ちゃんに安く提供してくれたので、皆で梅もぎ。









参加してくれた人達が、ジャガイモと梅をお土産に、楽しんで帰ってくれた。

トマトに網かけもした。そろそろ、赤くなりつつあるので、網をかけないと烏に食べられてしまうので。



3時頃から、他のグループの「野鳥観察会」に参加する人は残ったが、私は帰る事にした。

いつものように、一の森に回って帰った。

じゅんさんが、富士山の見える方向の残っている丈高い篠笹を刈ってくれて、目の前が広がって眺望がよくなった。富士山は見えなかったが。



又、崖の下に行き来出来るように階段を作ってくれていた。ありがたい。




タクマくんが取って来たカミキリムシ。いつも沢山のカミキリムシが集まっている木に、penさんが連れて行って取って来た。タクマくんは、大喜び。確かに、去年連れて行ってもらったが、何匹もいてビックリした。




今日は、昨日、取って来た梅で、梅ジュースを作った。去年も作って美味しかった。











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畑の草取り

2013-06-28 19:56:34 | 南ちゃんと南山
今日の午後、畑へ行った。

ちょっと疲れているので、どうしょうかと思ったが、そんなに暑くないし行く事にした。

畑へ行く時に登る坂道が、今日はきつかった。登ってしまえば、あとはそんなに坂道は無い。一気に里山に登るので、体調によっては2~3回休む。畑仕事や山仕事は楽しいのに…。

自分の体調のバロメーターにもなる。元気な時にはルンルンと一気に登れる。

畑に着いたら、会長、もみじさん、かんちゃんがいた。

しばらく草取りをして、トマトやキュウリの支柱も直す。

草取りをしていたら、急に黒い流れが。よく見ると、沢山のアリが水のように流れて行く。その先をたどったが草むらに入り、その先は分からない。しばらくしたらアリの流れは無くなった。

しばらく草取りをしていたら、又、急に黒い流れが。今度は、元来た方向に流れて行く。よく見ると、それぞれ小さな白いタマをくわえて運んでいる。どのアリも同じ。多分、卵だろうと皆で話す。

アリさんの引っ越しだね、と、その先をたどって行ったら、土手の上の小さな穴の中に入って行った。

アリって凄いな。アリにもアリの言葉があるのだろうか、どうやって細かい事まで伝えられるのだろう。

不思議、不思議。

適当な所で終わりにし、お茶にし、おやつを食べて片付ける。

その後、一の森に回って帰る。

畑の隅にウマノスズクサがあるという。これはジャコウアゲハが卵を生むそうだ。もの凄く楽しみだ。


そして、可愛いチョウ。






そして、そして気持ち悪い毛虫。




花達をパチリ。















写真では、よく分からないが、今日は富士山がうっすらと見えた。









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ポポナイト

2013-06-28 13:13:44 | FC東京とサッカー
中野は行った事がなく、会場も分からないので、ちょっと早めに出た。

地図を見ながら、ちょっと不安になり、歩いて来た女子高生達に、「ZEROはずっと先?」 「はい、ずっと先です」 違う子が、「直ぐ、そこです。」 彼女達の笑い声。「ありがとう」と歩き出す。

直ぐに分かった。開場の30分前に着いて、誰か来てるかなと思ったが、誰も来てない。

準備をしていた係りの人に、「どこで待てばいいかしら?」 指示された場所で、しばらく係りの人と東京の話しをした。

そのうちに、ボツボツと人が並び始めた。後の女性と東京の話しをした。昔の話をしていたら、彼女の旦那さんが、西が丘サッカー場の直ぐそばに住んでいて、連れて行かれたそうだ。

会場では一番前に座り、彼女も隣に座った。

ポポさんと通訳の塚田さん。前田さん、三田さん、ゆってぃさん、トーチューさん、Jリーグキングさん。

カズマとソータンの話しが多かった。

カズマは、去年はスタメンにあまり出れなかったけど、本当に頑張って練習していた。それが、この結果であり、活躍に繋がっている、と。そして、彼の守備を見て下さい、と力説していた。

李くんの話しも出た。彼はレンタルだったから、帰って行った事は本当に残念だったと。

ソータンの話しも多かった。

ゆってぃさんが、「鹿島戦はソータンの置き土産ですね」 と言ったら、

ポポさん、「それでは、ヒデトもアーリアもスペインに行ってもらわないと」 と笑わせた。

そして、ソータンには、楽しみだとか遊びとか考えるのではなく、東京を代表して、そして日本を代表して行くのだから、その気持ちで頑張って欲しいと。

Jリーグキングさんが、東京独占企画の「東京貫徹」本の中で、監督が左手を突き上げて怒鳴っている写真撮影の時、「何か、怒鳴って下さい」 と言ったら、

「ソーターン!!」 と怒鳴ったのがあの写真との事。大笑い。

東京がシュートだろ、の場面でパスをしたり、パスの為のパスが多いのではの質問には、ポポさんは納得しない。

「シュートの数を対戦相手と比べて下さい。東京の方が少ない試合はそんなにないはずです」 と。

どんな質問にも、選手に対する信頼と期待は揺るがなかった。

サポーターの質問で、「アーセナルのベンゲルみたいに、東京を優勝させて下さい。」

「私は、ベンゲルよりも早く東京を優勝させます」 とキッパリとポポさん。

アッと言うまに終わりの時間になったが、本当に楽しかった。

そして、最期のプレゼントタイム。

ポポさんが、プレゼントの数分の好きな数字を書いた。フラッグだったり、トーチューのオリジナルのTシャツだったり。

最後は、ポポさんのサイン入りユニフォーム。

私は1番に来たので、1番のカードを持っていた。

もしかしたら、とポポさんの手元を見ていたら、一回しかペンが動かない。

「今年は優勝します。」 と書いた数字は、やっぱり“1”

隣の人が、「早く来た甲斐があったね」 と言ってくれた。

嬉しい!!




どうでもいい事だけど、椅子に座っている三田さんの足のラインが綺麗だった。










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昨日、雨の日に

2013-06-22 16:39:43 | 南ちゃんと南山
昨日、あるグループが、南ちゃんの畑でジャガイモ掘りをする事になっていた。

雨だったので、延期と思い、新聞を読んだりノンビリしていた。

メールが来たので見たら 「ジャガイモ掘りは、まだどうするか返事が来ないけど、山アジサイの挿し木をするので来れる人は来て」 と。

あらあら行かなくちゃ、と思っていたら、又メールでジャガイモ掘りをするとの事。

家を出る時は雨が降っているようないないような天気だった。

本当に、テントを買って良かった。雨が降っても荷物は濡れないし、気にしないでお昼も食べれる。



雨がパラパラ降っていたが、彼らは喜んでジャガイモ掘りをした。



私は、挿し木用の土作り。





そして、もみじさんと大ちゃんと、濡れた藪の中に入り、挿し木用の山アジサイを取って来た。

大ちゃんが、楽しそうにアジサイをカット。



2年ぐらいしたら、山に植えれるだろう。楽しみだ。

雨に降られたけど、気持ち良かった。






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アスチルベの花

2013-06-22 09:41:32 | 花と自然
今年は、赤色のアスチルベが沢山咲いた。



ピック色は一房しか咲かなかった。いつもはピック色の方が花付きはいいのだが。



もう、15年以上も前、実家の裏庭に沢山咲いていたアスチルベを掘り起こして持って来た。

ピンク色だった。翌年、今度は赤色を掘り起こして持って来た。

ホントに可愛い花が咲く。花が咲いていない時でも、そのフサフサとした葉が夏は涼しそうだ。

アスチルベはドライフラワーになるので、過去の花達がドライフラワーになって玄関にある。



アスチルベを見ていると、実家を思い出す。

もう、誰も住んでいない家。

手入れをされていない裏庭のお花畑はどうなっただろう。

花が大好きだった母が、沢山の花を咲かせていた。今は、草ボウボウとなり見る影も無くなっているだろう。

寂しいし、悲しい。アスチルベを掘り起こした頃、こんな未来が来るとは想像も付かなかった。あの頃は皆が元気だった。

私の田舎に行くと、私の実家のような状態は普通なのだ。もっと奥の方に行くと、消滅した村や消滅しそうな村々がある。

子供の頃、コシヒカリの実った、あの見渡す限り美しく広がった田んぼは、減反政策で悲しい状態だ。沢山あったウチの田んぼや畑もどうなっているのだろう。

田舎で、農業をやりたいという都会の人が借りてくれたら、と思った事もあった。

年をとって行く事は、いろんな事が思い出に変わって行く事なんだな、とつくづく思う。

そして、娘が新しい家族を築いて、新しい未来を作って行く。

その娘から去年、母の日にもらったアジサイが今年も綺麗に咲いた。




アジサイとゼラニウム。







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挿し木した山アジサイの地植え

2013-06-18 18:45:17 | 南ちゃんと南山
今日は、畑の日。

もう暑くなって来たので、活動は夏時間の3時から。

でも、朝、会長に電話したら、畑に運ぶ物があるとの事で、10時に行って手伝う事にした。

運ぶ物があると言う事は、車で行ける。あの坂道を登らなくてもいいから、楽ちん。

テントや土を畑の小屋まで運んだ。

会長が、一の森の挿し木の畑の山アジサイを地植えして、その後に、ポットに挿し木した山ツツジを植えようと言う事で、一輪車に必要な物を積み込んでいたら、大ちゃんが来た。

一輪車を押さなくていいので助かる。

三人で、山アジサイを植える所の草刈りをし、掘り起こした山アジサイを植えた。







思ったほど、山アジサイが無く、予定していた場所が空いてしまった。今年も山アジサイを挿し木して、来年植える事にした。

途中から、もみじさんが来たので、一緒に山アジサイが植えてあった所も、綺麗に草を抜き、ポット植えした山つつじを地植えした。大きく育てて、下草刈りをしたアチコチに植えるつもり。



木陰でお昼を食べ、畑に戻った。

知り合いの農家の人から、サツマイモとサトイモの苗をいただいたので、それを畑に植えた。

その後、テントを組み立てた。これがあれば、これからの暑い日差しを遮り助かる。



このままにしておいても、大丈夫だという。

風が吹いても大丈夫なのか心配と言ったら、モミジさんに、「いつも大丈夫大丈夫と、楽天的なのに」 と笑われた。

まあ、なるようになるでしょう。


これはバッタ?随分とカラフル。







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名シーンでたどる映画100年史

2013-06-17 17:30:41 | Weblog
昨日、「20世紀・映画の時代」 の副題が付いている自主制作のビデオ上映会に、南ちゃんの仲間と門前中町まで出かけた。

南ちゃんの活動を、ずっとビデオ撮影してくださっている監督のビデオ上映会である。

門前中町は、ずっと昔、仕事で書類を届ける為に一度だけ行った事がある。他の人も似たようなもの。

まずは、お昼を食べようと、お蕎麦屋さんに入った。

暑かったので、皆、冷たいそばやうどん。

お店の人に、道を聞いて歩きだしたら、会長が 「あ、カサ忘れた。」 と。

取りにもどり、おしゃべりしながら歩いていると、「お客さーん」 の声。

振り返ると、お店の人が走って来る。

会長が名刺入れを忘れたのだ。

又、おしゃべりしながら歩いていたら、マタマタ、「お客さーん」 の声。

振り返ると、今度は自転車でお店の人が、「ペンケースが落ちてました。」 と。

もう、大笑い。皆でお礼を言いながらも、大笑い。歩きながらも大笑い。

会場に着いたら、丁度始まった所。

おもにアメリカ映画だけど、本当に、初期のまだまだ映画とは言えない物から始まっての90分間。

無声映画は声がないから、よけいに可笑しい。思わず、笑い声がでてしまう。

子供の頃、学生の頃、青春の頃、結婚してからの、それぞれの時代に見に行った映画に、その頃の自分を思い出す。懐かしい。

特に「風と共に去りぬ」 を見た時の衝撃。日本があの戦争に突き進もうとしている時に作られた事が信じられなかった。こんなに文化的に豊かな自由な国と、資源の無い日本が戦争をしようとしていたのかと。そして、アメリカに憧れたっけ。

最後は、「ターミネーター2」で終わり。

これ以降は、コンピューターが進歩して、CGや3Dになり映画の作り方が変わって行ったからだそうだ。

確かに、昔の「クレオパトラ」等の、あの頃の映画の人海戦術の手作りには、今でも圧倒される。今だったら、何万人でも何十万人でも簡単に作り出せる。

映画大好きな私は、本当に、沢山の映画を見て来た。ハリウッド映画大好きで、娘と良く見に行った。

でも、今は、ハリウッド映画に飽きて来たのか、最近は、単館系の映画を見に行っている。特にヨーロッパ系の映画が面白い。

こんな地味な映画、見に来る人いるのかなと思いながら、地図を見ながら初めての映画館に行っても、ほぼ席が埋まっている。ビックリする。私みたいな人が増えているのだろうか。

お金をかけてなくても、しっとりと感動する映画が、今は見たいと思っている。

帰りは、監督とそのお仲間さん達とお茶しながら、楽しくおしゃべりをした。

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李くん、さようなら

2013-06-15 09:05:13 | FC東京とサッカー
昨日、小平に行って来た。

30分前頃に練習場に着いたら、長蛇の列。ビックリ。

門が開かれ、中に誘導された。まだ、30分ある。

そして、李くんが現れるまでの30分間で、その行列は練習場の真ん中にある通路のずっと先の終わりまでの行列になった。まだまだ、人々が駈けつる。

そばにいた小学生を連れたお母さんは、「この子が学校を休むと言って、大変だった」 と言う。それを聞いて見渡すと、確かに子供達が一杯いる。

私はまだ前の方だったので、結構、李くんとの時間に余裕があった。

私は、東京がスペイン遠征の時、彼と増嶋くんと一緒に撮った写真を持って行った。

それを見た李くん。

「わー、まじ!ヤベー!9年前だ。」 とまじまじと。

一緒に写真を撮って、「これからも頑張って」 と握手して離れ、見学用の椅子に座って、彼の挨拶を待つ事にした。

あらためて行列を見る。本当に真ん中の通路をビッシリと埋めて向こうに届いている。まだまだ、入り口から入って来る人達もいる。





こんなに人気があったんだと、今さらながらに驚く。



サンフレッチェのユニや、日本代表時のユニを着た人達もいる。

サンフレッチェの人が、李くんと一緒に弓を射るポーズで写真を撮っていて、微笑ましく思う。

触れ合いは30分の予定だったはず。とてもとても終わらない。

途中から、サインだけになり、順番待ちの並びも終わりになった。6時半を過ぎた頃から、握手のみ。

ハンドマイクを持っての挨拶に拍手拍手。そして、一緒に「リーリーリー…」 と何回か歌う。



終わって、引き上げる時に、「リーー!リーー!リータダナリ!」 と甲高い少年達の声が何回も何回も響く。向こうに行った李くんが、振り返り、「分かったよ!」 と手を振る。

私が門の外に出るまで、李くんを呼ぶ少年の声が聞こえた。









子供達が大好きだった李くん、これからも頑張ってね。

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夫の本

2013-06-13 19:40:11 | 家族
夫が残した膨大な本。

やっと片付ける気持ちになった。

この間の日曜日に業者に取りに来てもらった。

土曜日から息子に来てもらい、彼の欲しい本等をのけたり、押し入れの中やトランクルームなどを調べて本がどこにしまってあるかを調べた。

時間は、10時頃から夕方の5時半頃までと言われ、そんなにかかるのかと思った。

当日、手際よく本箱や押し入れ等から出してビニール袋に詰めて、それを折りたたみ式の箱に詰めて行く。

段ボールを使わないのね。その方が保管に場所も取らないし、繰り返し使えるからと。

私と息子は、ついでに夫の遺品を整理した。

2時頃には終わり、「意外と早いですね」 と私。
「本箱とかにキチンと整理されていたから、助かりました。家によっては、2日もかかる時があります。2階建てで、いろいろな所にグチャグチャに入っていたり。」
「夫が、全然捨てられない人で、本当に溜って溜って」
「奥さんが先に亡くなられた人なんて、歯止めが利かなくなって、どうしょうもなく増えた家もありました。」

約1600冊もあったそうだ。そんなに!!

本箱はほとんど夫の手作りだった。2重に重ねてある本箱の、手前の本箱には動かしやすいように下にキャスターが付いていた。

それらの本箱を、分解し、燃える、燃えないと分類し、又、長い板はノコギリで適当に切って、ゴミ袋に詰めた。

まだ、本箱は残っているが、後は来週にしょうと、夫の部屋の物入れ等を整理していたら、綺麗な箱の中に赤い表紙の本?ノート?

開いてみたら、日記?

夫は、ずっと日記を付けていた。中学生の時から亡くなるまでの日記帳を残されて呆然とした。途中から5年日記になって。でも、読むに読めずそのまま引き出しにしまってある。亡くなった年の日記を少し読んだが、とても、辛くて読めなかった。

そんな日記の一部かなと思い、読んでみた。

なんと、家族の交換日記だった。

こんな日記を書いていたなんて、全然、覚えていなかった。

それは、大坂時代だった。息子が4年生に、娘が1年生になる年のお正月から始まっていた。

息子の汚い字。娘はなんとか読めるひらがなと絵。

息子が朝起きなくて困っている。

夫が自分の靴を買いに行き、バーゲンの中でも更に安い靴を買い、子供達の物には高いものでも気前よく買えるのに、自分のものとなるとダメだと嘆いている。

息子と“銀河鉄道999”を見に行き、これで3回目だと書いている。そういえば、あの頃は、子供とアニメマンガをよく見に行った。楽しかったな。

そして、子供達はどんな青春時代を送るのだろうと書いている。

娘が小学校に上がるので、一部屋を模様替えし、板を買って来て、息子の机とくっつけて二人分に広げた事。私が、「北の国から」みたいだと感激している。そして、子供達も大喜び。

息子が朝起きたら、宿題をするのを忘れていて慌ててやった事。「僕は天才だから、すぐできるよ」 といいながら。

下の娘が2才の誕生日が終わってすぐから、小学校の4年生になる時まで過ごした大坂時代。

ママ友が一杯いて、私にとって一番楽しい時代だった。

家族だけが世界の濃密な時代。

父も母も元気で農業をし、私達の上に君臨していた。

姉も、超腕白で超ヤンチャな三人の男の子の手綱をしぼるのに必死だった。下の男の子は、ウチの息子と同い年だったので、小学校の6年間、冬休みは我が家で過ごしていた。

あんな事、こんな事、いろんな事を思い出した。

外は雨。一人、思い出に浸った一日。













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健康診断

2013-06-12 18:15:16 | Weblog
昨日の午後、健康診断に行って来た。

会社をリタイアしてから、健康診断は受けていなかった。

姉と夫が相次いで亡くなった事から、子供達に、どうしても健康診断を受けてと言われて、夫が亡くなった年から行くようになった。

娘が、会社で受けている、新宿の検診専門のクリニックに行く事にした。

そろそろ、一年が立つかな、と思っていたら、ちゃんと受診ご案内のハガキが来た。

それで、予約を取り、行って来た。

会社勤めをしていた時の検診は、病院の待合室のような所で、沢山の人が順番を待っていた。検診なんてそんなもんと思っていた。

でも、新宿の高層ビルの中にあるそのクリニックは、本当に明るくて綺麗でユッタリとしている。

予約制なので、ほとんど待たなくてスムーズに終わる。

姉が子宮癌で亡くなったので、オプションで婦人科腫瘍マーカーも受けている。

今年は、大腸・すい臓・肝臓の腫瘍マーカーも受けた。

バリウムが嫌いなので、胃の検査は受けていない。

会社勤めの時も、胃の検査が選択制になってから、受けていない。どうしても、バリウムがイヤだ。一週間は腸の調子が悪い。

胃は丈夫だからと、勝手に納得している。

これまで再検査は無いけど、やっぱり、結果が送られて来るまでは、ちょっと心配だ。




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