ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

文庫「永遠の0」 百田尚樹著

2010-01-30 17:36:07 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
書店に平積みされていて、魅惑的な題名「永遠の0」と美しい大空の写真と、当店No.1のポップに惹かれて購入した。

しばらくは別の本を読んでいて、やっと、手に取り読んだ。

読み進むうちに“0”が零戦の事と知り、内容が太平洋戦争の特攻隊の事と知る。そして、このフィクションであり、又、ノンフィクションとも言える太平洋戦争の物語にのめり込み、何回も目頭を熱くした。

あの戦争に行った父を思い出した。父に戦争の話を聞いた事は無いが、小さい時、冬の囲炉裏端で近所のとーちゃん達と酒を飲みながら、戦争の時の話をしていた。彼らの戦場は中国だった。子供心に残っているのが、何回も何回も殴られた事、真冬の夜の氷点下の歩哨が地獄だった事。その時、「南方に行かなくて良かった。あっちは本当の地獄だった」と話していた。

この本にも。ガダルカナル島の戦いでのおびただしい犠牲者の事が書かれていた。

陸上戦闘での戦死者、約5千人。
餓死者、約1万5千人 !!
沈没した艦艇、24隻
航空機、839機
戦死した搭乗員、2362人

そして、この時、海軍の誇る珠玉の熟練搭乗員のほとんどが失われた。

だから、最後はカミカゼ特攻しか方法が無かったのだろう。その、未熟な彼らは目標のはるか手前で、すべて打ち落とされた。この本で米兵に、重い爆弾を抱えて動きの悪い新人パイロットは、羊の群れと言わせている。

初期の頃の零戦は、世界最強の無敵の名戦闘機であり、世界に零戦と互角に戦える戦闘機は無かった。

だが日本は、戦闘機を作る現場の優秀な人材も、もっと優秀な戦闘機を設計し作り上げる人材も、その戦闘機を操縦する優秀なパイロットも、彼らを育てる優秀な教育者も、消耗品として前線にドンドン送って行った。

アメリカは、日々、戦闘機を進化させ、強力になって行き、そして量産されて行ったが、日本は全てにおいて置いていかれ、乏しくなって行った。

読んでいて、辛いというよりは、悲しく腹立たしくなって行く。安全な所にいて、命令だけをしていたトップ達に。

そして、戦後を振り返る特集をしているという新聞記者が出て来る。彼は、「カミカゼアタックは、9.11と同じ自爆テロのテロリストだ」と切って捨てる。

「世界史的に見ても、組織だった自爆攻撃は非常に稀有なもので、カミカゼアタックと現在のイスラム原理主義による自爆テロの二つが、その代表です。洗脳された彼らは喜んで死んで行きました。」と言う。

そんな風に考える若者が、確かにいるのだろうなと思う。あの9.11の時、アメリカではカミカゼ特攻隊、真珠湾攻撃だと言った。それに対して、日本から「カミカゼ特攻隊とは違う」と言うメッセージが発信されたという記憶が無い。

インタビューを受けている元特攻要員は激しく怒る。「ニューヨークの自爆テロの奴らは一般市民を殺戮の対象にした。無辜の民の命を狙ったものだ。我々が特攻で狙ったのは爆撃機や戦闘機を積んだ航空母艦だ。米空母は我が国土を空襲し、一般市民を無差別に銃爆撃した。そんな彼らは無辜の民なのか。」と。

アメリカと戦争をした事を知らない若者がいる。沢山の若者が歩いている渋谷や原宿や六本木に雨のような焼夷弾や爆弾が降りそそぎ、死体の山が築かれ、町が焼け野原になった事を知らない若者がいる。

そんな事を考えた事もないほど、平和な時代が続いた日本がある。そして、今でもあの戦争が生き続いている沖縄がある。

未だに、ノモンハンで戦死した兄を思って悲しい顔で話す、夢うつつの母がいる。一人息子が戦死した為に、婿を迎え母、そして私がいる。

雲ひとつ無い青空を見つめながら、あの時代の幾多の若者の心情に胸が熱くなる。

娘にもぜひ読んで欲しいと薦めた。そして、私も、もう一度読んでみようと思う。




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FC東京が始動

2010-01-24 09:51:55 | FC東京とサッカー
やっとFC東京が始動した。待ちに待った新しい年の始まりだ。冬晴れの青空のように期待が膨らむ。

小平に行こうかどうしょうか随分と迷った。きっと沢山のサポーターで大変なのでは、と思い、大國魂神社の方に行く事にした。

こちらの方も沢山の人が配られた旗を持って待っていた。前列に座った子供達は、お尻が冷たいだろうに長い時間をおしゃべりしながらじっと待っていた。

 

そして、待っている間に結婚式があり、私達の間を恥ずかしそうに歩いて通った。周りの人達の拍手の祝福を浴びながら。私も、目の前を通った新郎新婦に「おめでとうございます」と声をかけた。



そして、いよいよ選手達の登場。

   

 

 

ワクワクしながら、私の選手達が通り過ぎるのを見守った。見なれた選手に、新しく入った選手達。沢山の私達の声援を浴びながらユックリと歩き過ぎて行く。

必勝祈願が終わり、出て来た選手達が一列に並び、監督が挨拶をした。写真は遠くて望遠がぶれてしまったが、こんな感じだった。



帰りの選手達はリラックスしていて、周りの人達に答えたり握手したりしながらバスの方に歩いて行った。私も、ナオくんが握手しながら歩いて来たので、思わず手を出して「頑張って」と言った。

バスの周りも沢山の人で埋まっていた。

 

バスは、沢山の人混みと声援と振られる青赤小旗をかき分けるように、ユックリと道路に出て行った。スモークの窓ガラスは中の選手達は見えない。長友くんが窓を開け、身を乗り出すように手を振った。歓声がひときわ大きく上がる。周りで「さすが長友!」と声が上がる。

帰り、伊勢丹の前でバッタリと友達に会う。夫と別れて久しぶりに彼女達とおしゃべりをした。東京の事を思い切り話せて楽しかった。

家に帰り、新体制発表のネット中継を見、城福監督の熱い言葉に感動した。新しいシーズンの始まりが待ち遠しい。


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一時、帰宅する

2010-01-19 14:18:12 | 姉さん
姉が、別の病院に転院して落ち着いたので、一時、帰宅する事にした。

これから、2週間くらいかけて検査をし、手術の日程などを調整するそうだ。だから、又、手術する時に、改めて行く事にして帰宅する事にした。

転院した病院で、私や姉の夫と一緒に先生の説明を聞いた。姉が「去年の秋に、人間ドックに入り、検査してもらったのに何の異常もなかったのですが」と、言うと「検診でも、ドックでも、全ての検査をするわけではないので。特に、子宮は奥の方の検査はやりません」と言われた。

確かに、レントゲンを見ながらの説明では、本当に子宮の奥での病巣だ。ここは、検診の対象外との事。だから検診をしているから、大丈夫と思ってはいけないという事だ。

これから、手術に向けて色々な検査をするそうだ。それで、私が「そう言えば、ねーちゃんはペニシリンはダメな体質だったよね。」と言ったら「よく覚えていたね。」を笑う。子供の頃、母達が話しているのが子供心に相当インパクトがあったらしい。

「でも、今は、もうペニシリンは使わないしね」と笑った。

家に帰った来て、ホッとした。姉の所は寒くて寒くて眠れない程だった。ストーブを点け、コタツに潜っても寒かった。マンションと違って、昔の一戸建ては寒い。姉も母も病院は暖かいので、その点は安心だ。

母と姉が入院していた病院は、3年前に建て替えたという事で、本当に綺麗だった。病室も廊下もどこもかも、床や壁の色もやさしいパステルカラーで明るかった。廊下は広く、休憩室もゆったりとやさしい感じで、看護師さん達も皆やさしく感じが良かった。

全ての階の廊下の壁には、絵が飾ってあった。名前が書いてある絵が沢山あり、それらの絵はクラブや同好会の人達の絵だそうだ。

姉も、何十年と書いているので、飾ったらと言ったら、何と、母の絵を飾ってもらったという事で見に行った。



母が田んぼ仕事を出来なくなった頃、姉が絵の道具と画集と書き方を教えたら、夢中で描き出した。絵が出来上がるたびに、父が額を買って来て、実家のあちこちに掲げた。

素人の気持のままに描く母の絵を、姉も私も好きだ。もう、絵を描く意志も力も無くなった母。

目覚めている時の母の心は、何を考え何を見ているのだろう。彼女の中の時間は“今”しかないように思える。5分前も5分後も、彼女の世界には無いのではないかと思える。

私が話しかけている時は、ちゃんと私を認識している。でも、私がいなくなっても「ふみちゃんは、どこに行ったのだろう」との考えは無いようだ。姉夫婦に、私に会いたいとは言わない。でも、私を見れば「会いたかった」と泣く。父の事を尋ねても「思い出した事も無い」と言う。

彼女が生きて来た膨大な時間の記憶は、どこに行ったのだろう。私の中にある母との沢山の思い出が、彼女の中に見えないのが寂しくて悲しい。






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病院にて

2010-01-17 21:01:12 | 姉さん
姉の所に同居している高齢の母は、去年の暮れに軽い脳梗塞を起こして入院した。それが、たまたま、姉の入院した病院だった。

今、姉の所と母の所と、上に行ったり下に行ったりしている。

昨日、母の所に行った。母は寝ていたが、声をかけたら、目を開け、私を見て泣き出した。

「おばあちゃん、私。分かる?」と言ったら、「うん。ふみちゃん、会いたかった」と、タオルで顔を覆ってエンエン泣き出した。

娘が分かれば、まだ大丈夫。

入院した時には、口も曲がり、水さえも飲み込め無い状態だったと、姉が言った。

今は、必死のリハビリのお陰で、私が食べさせなくても、一人で食べれるし、ちゃんと飲み込めるようになっていた。

もう退院出来る状態になって来ているが、姉の事があるので、後、一ヶ月は入院させてもらう事にしたと、姉が言った。

姉は、今の所、落ち着いている。休憩室の日溜まりで、お茶を飲みながら話ていると、二人とも姉の病気の事は忘れている。

明日、別の病院に移る。そして、手術等の話を聞くのが怖い。
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姉が入院

2010-01-16 12:05:16 | 姉さん
木曜日の夜、姉から電話があった。

電話があっても、いつもは私は取らず、夫が出る。私への用は携帯に来る。姉は別だけど、家の電話はほとんど夫への用である。

でも、なぜがその時は私がすぐに電話を取った。

「もしもし」と私。「ふみちゃん」「…?ねーちゃん?」「うん。私…」

初めは誰?と思った。いつもの元気印の姉の声とは違っていた。

私は三姉妹。姉と一番、仲がいい。時々、一緒に泊まりで出かける。妹は嫁に行き、商売をしているので、あまり会わない。

姉とは去年の暮れに熱海で一泊したばかりだし、先週も楽しくおしゃべりをしたばかりだ。

姉が言うには“子宮癌”だと言う。今、入院している病院では手術出来ないので、月曜日に大きな病院に移るそうだ。

「ふみちゃん、私、心細い」「明日、休暇届けと後の段取りをして、明後日に行くから。」

姉には娘がいない。息子三人は遠くに住んでいる。

そして姉は言う「誰にも言わないで。子供達にも。みっちゃん(妹)にも。まだ、知られたくない。」と。

その気持ちは、私にもよく分かる。私も、きっと姉だけに話すだろう。

気持ちが乱れて、夜、眠れなかった。

今、新幹線に揺られながら、早く姉の元へと思いながら、いや、着いて欲しくないとの気持ちで、流れる冬晴れの景色を見つめている。
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映画「アバター」

2010-01-14 22:32:44 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
面白かった。

ストーリーは単純。地球の歴史で古代からずっと続いて来たストーリー。侵略者が先住民を抹殺して、欲しいものを奪う。抵抗し戦う先住民。そして、先住民の娘に恋した主人公が、救う為に戦う。分かりやすいストーリー。

主人公は下半身不随で車椅子の生活。でも、アバターになれば自由に動き回れる。森を駆け回り、翼竜に乗って大空も風のように飛びまわれる。酸素マスクだって必要ない。

色彩豊かな美しいパンドラの世界。まるで重力が無いかのように自由で美しい身体を手に入れた主人公。現実の世界に戻れば、自由に動き回る事も出来ない。色彩の無い建物の中。その落差。

見ている私も、その美しいパンドラの世界に魅了されて行く。3Dならではの飛翔感。私も、翼龍に乗って自由にパンドラの自然の中を飛び回ってみたいと思った。

侵略者にとっては、ナヴィは“青いサル”でしかない。豊かな文明も美しい自然も、彼らにはどうでもいい事。希少鉱物の為には、全てを焼き払ってしまう。

地球上で何回も何回も繰り返されて来た侵略行為。ナヴィの文明も見た目もアメリカインディアンに似せているのは意図的なのか。

“パンドラの箱”災いをもたらすから開けてはいけない箱。開けられたその箱の中から、様々な災いが飛び出して行く。そして、ただ一つ残ったのが“希望”。

地球上には、争いの無い美しい国はどこにも無い。どうして人間は人間同士で殺し合うのだろう。戦争という合法的な殺人もある。どうしたら、相手だけを大量に殺せるか、兵器は日々進化して行く。

いつか、パンドラのような心穏やかな世界は来るのだろうか。希望はもてるのだろうか。

娘と「面白かったね」と3Dメガネを外した。メガネonメガネだったので、鼻の付け根が痛くなった。

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感動した高校サッカー決勝戦

2010-01-12 11:15:21 | FC東京とサッカー
国立での決勝戦を見に行こうか迷った。天気が良かったら、1時頃からの開始だったらと思いながら、寒そうなのでTVで観戦する事にした。

高校サッカー決勝での思い出は、何といっても国見の平山くんだ。仲間とゴール裏で、彼のゴールを目を丸くして見ていた。得点王の平山くんは、決勝も期待通りの活躍だった。

まさか、その平山くんがFC東京に来るとは、思っても見なかった。

市立船橋の増嶋くんが東京に来るというので、仲間と国立決勝に応援に行った時は、彼の人気にビックリした。カレンロバートくんより、はるかに女子高校生の黄色い声が圧倒していた。

今年は、そんな圧倒するほどのヒーローはいないみたいだけど、TVでの放送はずっと見ていた。

でも、昔はもっと放送が多かったように思う。BSでも見たような…。大学の決勝戦もTVで見た記憶がある。

Jリーグもそうだが、サッカー関連のTVでの放送が少なくなった。以前は各年代の世界大会を真夜中に放送していて、起きて見ていたけど、最近は、それも無くなって寂しい。特に、若い子達の国際試合を見たいのに…。

今回の高校サッカーは、山梨学院に、FC東京のU-15出身者が多いと言うので、特に注目していた。

でも、彼らのプレーを見れたのは準決勝からだった。野洲や前橋育英との試合も見てみたかった。

準決勝の矢板中央との試合を見ていて、正直、決勝戦は大丈夫かしらと思った。ミスが多かったし、簡単にボールを奪われるシーンも多くて…。

サッカーって不思議なゲームだなと思う。どんなに内容が良くても、シュートの精度が悪くては勝てない。反対に、守備がしっかりしていれば、ゴールを枠に飛ばせれば、ワンチャンスでも勝てるのだ。

プロでもアマでもどの年代でも、守備とゴールの精度が何よりも大事なのだと、つくづく思う。

しかし、決勝戦での山梨学院は、準決勝での山梨学院と違っていた。良く走り、ボールを追いかけ、ひたすらゴールへと向かって行く。シュートへの迷いも無い。

青森山田も、いいチーム、いいゲームをしていた。ゴール前でもっと落ち着いて、そして枠に行っていれば、又、違った展開になったかも知れない。

東京が、ナビスコ決勝戦で前評判を覆したように、決勝戦は予測出来ない力学が働くのかも知れない。あの、満員の雰囲気は、異様に独特だ。

勝って泣く選手も、負けて泣く選手も、又、未来への一歩が始まる。

どんな道を選び、どんな方向へ歩んで行っても、国立決勝での仲間達と味わった感動を忘れないで、そして、サッカーを人生を楽しんで欲しい。






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今年も花を食べに鳥さんが…

2010-01-10 21:29:59 | Weblog
去年の今頃、朝、花に水をやりに行ったら、花々がちぎれていた。「あれ?どうしたのかな?」と思った。夜、北風が吹いていたからかしら。

翌日の朝には、花が、もっと酷い事になっていた。そして、万両の赤い実も無くなっていた。

そして、あちこちに鳥のフンが。鳥が万両の実を食べるのは分かるが、パンジーやプリムラの花を食べるとは知らなかった。

どうしてだろうと考えて、ふと気が付いた。

目の前の南山の開発工事が始まったからだと。

南山の頂上は、沢山の木々が根元から引き抜かれ、少しづつ少しづつ削られて行った。今では、禿山になり、こっちから見えない奥の方は、もっと凄い事になっているそうだ。来年には、南山の一角が無くなっているかも知れない。



それで、夜寝る時に、レジ袋をかぶせる事が毎日の行事になった。

今年も、やっぱり、鳥さんが花を食べに来た。早く気が付いたので、プリムラ・ポリアンサの一鉢だけが食べられ、パンジーは一花、二花つままれていた。万両はほとんど食べられていた。

 

又、夜、袋をかぶせる事にする。

 

 

鳥さん、可哀想だけど、ごめんなさいね。

よりうりランドの近くに住んでいる友達が、「最近、タヌキをよく見るわ。今まで見た事無かったのに。山が崩されて始めたからね」と言っていた。

南山に住んでいる“オオタカの家族”はどうしただろう。

奇跡のように生き残って来た里山を、どうして、今頃、開発しなくてはならないのだろう。稲城の最大の誇りであり、オンリーワンの風景が壊されて行くのが辛い。

ここに住み始めた時には、春には梨の花の絨毯が広がっていた。でも、今は、家々の間に、所々に残っているだけになった。いつかは「稲城の梨」は幻になってしまうのだろうか。最近、売り出し始めた“稲城の梨のワイン”は、どうなるのだろう。サッパリと美味しい、私の好きなワイン。

去年、収穫の手伝いをした梅畑も無くなってしまった。

“太陽と緑と土の香り”と稲城市民憲章に詠われているが、何だか、つまらない、特徴の無い街になって行くようで寂しい。

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白菜の漬物

2010-01-10 09:56:36 | Weblog
寒くなって来て、白菜漬けが美味しくなって来た。

今年は寒いせいか、去年よりも白菜がよく漬かって美味しい。去年の暮に漬けたのが無くなったので、又、早々に漬けた。

マンションなので、置く場所に困る。家の中は暖かくて置けない。それで、いつも北側向きの玄関の外に置く。朝、ちょっと朝日が当たるが、ほぼ、寒くて大丈夫な所に。



夫も私も、新潟県の田舎育ちなので、どうしてもご飯には漬け物が必要だ。冬は白菜漬け、それ以外の時はぬか漬け。

今、田舎に帰ると、田舎の人でもぬか漬けをしなくなった人が多い。何処の家に行っても、漬け物は、きゅうりやナスの塩漬け。私が、ぬか漬けを食べていると言うと、ビックリされて、こっちがビックリする。

又、若い人は、田舎でも、漬け物を作らなくなっている。スーパーで買って来るか、そもそも食べなくなっているそうだ。畑で、ナスやキュウリを一杯作っているのに…。寂しい風景だ。

白菜は二玉漬ける。昔は、いろいろな人の秘伝(?)を教えてもらい、いろいろな物を入れて漬けた。でも今は、やはり、母が漬けていたように、塩とトウガラシだけを入れるシンプルな漬け方が、私には一番美味しいと思う。

昔、子供が小さくて専業主婦だった時は、いろいろな物を手作りしていた。

子供と一緒にケーキやクッキー、シュークリーム、プリン、レアチーズケーキ、パウンドケーキ等々。仲良しの主婦達とワイワイいいながら。

又、ぬか漬けや白菜漬けの他に、沢庵漬け、奈良漬、味噌、ラッキョウ漬、梅の蜂蜜漬け、梅酒等々。

夫の転勤で、引っ越し業者にビックリされたっけ。

子供が手を離れ、仕事に出るようになってからは、ぬか漬けと白菜漬けと、梅漬けしか作らなくなった。

多分、これだけはずっと続けて行くだろう。私自身が食べたいから。

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ジェフサポの年賀状

2010-01-04 17:28:54 | FC東京とサッカー
夫の勤めていた会社にジェフサポの社員がいた。彼はJ元年からずっと、熱烈なジェフのサポーターだった。

私がFC東京のサポーターになり、彼のジェフと戦うようになり、私とも接点が出来た。

1999年はナビスコカップで戦った。初めて市原臨海にバスツアーで行った時は、私にはまだ知り合いはいなくて一人だった。雨の中、一人でゴール裏に座って応援していた。

J1に上がり、調布市役所の所から出発したバスツアーで市原臨海に行った時は、NHKの密着取材を受けた。その時には、仲間が何人もいた。

オシムさんがジェフの監督だった時、インタビューで「強敵の鹿島やガンバや磐田との対策は?」と言われて、「FC東京を忘れてはいけない」と言ってくれたのが嬉しくて今でも忘れられない。その頃、東京とジェフはいいゲームをしていた。

私のFC東京のポスターや切り抜きを貼ってある壁の一部に、ジェフサポからの年賀状が貼ってある。



2000年の年賀状のジェフのTシャツを着たタローくんは、まだ、3歳になっていなかった。パパと二人でゴール裏で旗を振っている。雨の国立での試合の時の、黄色レインコートの彼は、女の子のように可愛くて、外人さんがカメラを向けていた。

2001年の年賀状は、お腹の大きくなったママも一緒に、ジェフのユニやTシャツの3人だった。

2002年の年賀状は、小さな女の子のヒロちゃんも一緒。

毎年毎年の年賀状は、タローくんとヒロちゃんの成長の記録。

途中からは、ママが入っていなくて、パパも抜けて、二人だけが写った年賀状。

今年の年賀状は、中学生の制服を着たタローくん。あの小さいタローくんが中学生とは、感慨深い。去年は、FC東京はナビスコ優勝し、ジェフはJ2に落ちてしまった。

そして、パパのメッセージは

「今年は“J2”ということで、トホホな一年です。J1復帰予定は今のところ未定です。オシム時代が懐かしいです」と。

私もジェフとのゲームが無いのは寂しい。頑張って早くJ1に戻って来て欲しい。

今年は、味スタに、ジェフやフジくんの札幌を応援に行こうと思う。アウェイの東京と重ならない限り。

ジェフも札幌もガンバレ!

モチロン、FC東京は優勝を!!
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