いつもよりも早く咲いた桜。
入学式に桜は当たり前だったが、今は卒業式の花になったようだ。
満開に咲く桜は、そして風に吹かれて舞い散る桜吹雪は、私の心に悲しみの面影を思い浮かべる。
3月の終わりに入院した夫は「桜が咲くころには帰りたい」と言っていた。
夫が入院した時に、私と子供達は主治医の先生から夫の残り時間を聞かされた。早くて2週間、長くて1カ月か、と。
でも、子供と話し合い本人には言わない事にした。その時まで明るい時間を過ごして欲しかったから。
だから、調子がいい時に見舞いに来た人々と楽しく語り合っていた姿には、それで良かったなとは思っていた。
5月の22日に旅立つまで、そのうちに退院して家に戻るだろうと信じていた夫。
桜の花が咲いた時には、三沢川の桜を見たがっていた。カメラで撮って来た桜を見る夫に「来年は見ようね」と私。
昏睡状態の眠りに着くまで夫は、家に帰れるだろうと思っているように見えたが、どうだったのだろう。
毎年桜を見ながら、夫を想うと心が辛くなる。
夫と生きて来た日々の、いろんな思い出を病室で夫と語り会えなかった後悔がある。
本当に死期を伝えなかったのは良かったのだろうか。伝えていたら、彼にありがとうと感謝の気持ちを伝えられただろうと。
彼と、話がしたいとの溢れる想いを桜の花は誘ってくる。
そして、姉の事も想う。
夫と同じように、入院した時には、残りの人生のカウントダウンが始まっていた。
姉は、毎年私の家に遊びに来た。
でも、なぜか桜の季節には来たことは無かった。
来年こそ、三沢川の素敵な桜並木を見に来ると約束したのに、その約束は果たせなかった。
この桜が満開になると、どうしょうもなく夫と姉を想い、心が乱れる。
二人が相次いで亡くなってから、10年。
毎年、春になれば桜は満開になり、美しいピンク色の桜吹雪に染まる。
そして、涙を誘う森山直太朗さんの「さくら」を、心に浮かべながら、桜を見上がながら桜並木を歩く。
もう葉桜のオオシマザクラ。
のんびりと泳ぐかも。
稲城の「稲城の梨」の花も見ごろ。