ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

三沢川の桜並木

2021-03-31 20:39:02 | 花と自然

いつもよりも早く咲いた桜。

入学式に桜は当たり前だったが、今は卒業式の花になったようだ。

満開に咲く桜は、そして風に吹かれて舞い散る桜吹雪は、私の心に悲しみの面影を思い浮かべる。

3月の終わりに入院した夫は「桜が咲くころには帰りたい」と言っていた。

夫が入院した時に、私と子供達は主治医の先生から夫の残り時間を聞かされた。早くて2週間、長くて1カ月か、と。

でも、子供と話し合い本人には言わない事にした。その時まで明るい時間を過ごして欲しかったから。

だから、調子がいい時に見舞いに来た人々と楽しく語り合っていた姿には、それで良かったなとは思っていた。

5月の22日に旅立つまで、そのうちに退院して家に戻るだろうと信じていた夫。

桜の花が咲いた時には、三沢川の桜を見たがっていた。カメラで撮って来た桜を見る夫に「来年は見ようね」と私。

昏睡状態の眠りに着くまで夫は、家に帰れるだろうと思っているように見えたが、どうだったのだろう。

毎年桜を見ながら、夫を想うと心が辛くなる。

夫と生きて来た日々の、いろんな思い出を病室で夫と語り会えなかった後悔がある。

本当に死期を伝えなかったのは良かったのだろうか。伝えていたら、彼にありがとうと感謝の気持ちを伝えられただろうと。

彼と、話がしたいとの溢れる想いを桜の花は誘ってくる。

そして、姉の事も想う。

夫と同じように、入院した時には、残りの人生のカウントダウンが始まっていた。

姉は、毎年私の家に遊びに来た。

でも、なぜか桜の季節には来たことは無かった。

来年こそ、三沢川の素敵な桜並木を見に来ると約束したのに、その約束は果たせなかった。

この桜が満開になると、どうしょうもなく夫と姉を想い、心が乱れる。

二人が相次いで亡くなってから、10年。

毎年、春になれば桜は満開になり、美しいピンク色の桜吹雪に染まる。

そして、涙を誘う森山直太朗さんの「さくら」を、心に浮かべながら、桜を見上がながら桜並木を歩く。

 もう葉桜のオオシマザクラ。

 のんびりと泳ぐかも。

 

稲城の「稲城の梨」の花も見ごろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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FC東京、神戸に勝利

2021-03-29 08:30:51 | FC東京とサッカー

お昼頃、凄い雨で、嫌だなまた雨、と思っていた。

でも、出かけようかな、と思う頃には雨があがった。

味スタに着いたら、桜が満開になっていた。

そういえば、去年はコロナの緊急事態宣言でサッカーが休止になり桜は見れなかったんだと、思い出した。

久しぶりの味スタの桜は、綺麗だった。

おにぎり広場の方へ歩いて、バックスタンド側から入り、ゴール裏に向かった。

席に着いたら、近くに知り合いがいて「久しぶり」としばらく話す。

友達とも同じ場所で応援出来なくて、以前の御近所さん達にも会えなくなって随分と経ったなと思う。

雨も上がり、サッカーの試合には最適かなと思う。

今回は、東京の選手が滑って転ぶシーンがあまり見られなかったが、神戸の選手が滑っていて、今日はそっちと思った。

東京は立ち上がりから、勢いのある面白いサッカーをしていた。

今日は、面白いし楽しい、と拍手。

その勢いのまま、2点を先行。

後半、2-0は怖いから、早く3点目を思いながら応援。

ゴール前でゴチャゴチャとパス回しをしないで、どこかで誰かがシュートして、と思うがクリアされてため息のシーンがあり、あと2点入ったかもと思ってしまった。。

2点入った事はうれしいし、0で押さえられたことがより嬉しかった。

試合中に友達から「波多野と安部が丸刈りの坊主になっているよ」のラインが来たが、双眼鏡を持って来なかったので見れなかった。

本当に反省してください。チームに大迷惑をかける事になるのだから。それに、自分たちもこうして試合に出れないし、その間に他の選手達が素晴らしいパフォーマンスをしたら、自分にも損になるのだから。

普段から、友達とはぐれた時の為に決めている場所で、友達を待って一緒に帰った。

調布の駅でそれぞれの帰りの電車に向かいながら、「サッカーの帰りに友達と飲んだり食べたりしなくなって随分たつな」と思いながら電車に乗った。

友達と、東京の試合の後で、楽しくサッカーや諸々の話をしなくなって長い時間が経つ。

仕方ない事だけど、寂しい。アウエィにも行けないし、いろいろな事に見通しがつかないのが辛いな。

次回も

ガンバレ!! トーキョー!!

 

 

 

 

 

 

 

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ゆうなの卒園式

2021-03-28 11:04:53 | 家族

最愛の姉と夫を亡くして沈んでいた私に、娘が家族となるカッコいい男性を連れて来た。

そして、夫の誕生日に結婚届を出し、稲城と多摩川を挟んだ調布市に住むことになった。

本当は彼の生活エリアは、学生の時も就職してからもずっと横浜だったので、そっち方面を考えていたらしい。

そして、孫娘が生まれ、私の人生も楽しくなった。

結婚式はしないと言っていた娘に、せめて、ゆなの為にお母さんのウエディングドレス姿を撮ってと言った。

そして、ゆなの1才の誕生日に、家族だけの素敵な結婚式を、青山の今風の綺麗な式場であげた。

近くの保育園に入れて、娘は仕事に復帰して新宿まで通勤した。

だから、時々は私が迎えに行った。

小規模の保育園だったので、私も先生や子供達と、すっかり顔馴染みになった。

今でも、迎えに行くと小さなゆなが、精一杯、私に向かってヨチヨチと走って来る姿が蘇る。可愛かった。

保育園での催し物には、いつも出席して、ゆなの成長を見つめて来た。

でも、コロナで去年の一年間の行事は全て参加出来なくなった。

卒園式も、両親だけの参加となり、コロナが恨めしい。

でも、園まで一緒に手を繋いで行って、写真は撮って来た。

先生に「おめでとうございます」と言われ、ちょっとウルッとした。

卒園生は8人。

小規模の園なので、途中で幼稚園へ行く子が毎年いて、卒園生がいない年もあったそうだ。

今、小学校の2年生にお兄ちゃんがいる子がいるが、そのお兄ちゃんの卒園式は一人だったと。

ゆな達の組は、一人もやめないで、卒園まで一緒に通ったせいか、先生たちの想いも強かったのだろう。

先生方が皆、泣いていたそうだ。もう始まる前から涙を流していた先生もいて、給食の先生も泣いていたとの事。

途中で辞めて行った先生達も来ていたそうだ。

式の後は、それぞれの家族みんなでマスクとディスタンスを保っての昼食会。

ママ達も仲が良いくて、パパさん達も時々集まって飲み会をしていた。

来月から、ゆなは一年生。

今度は入学式も、写真を撮りに行く。

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FC東京、仙台に勝利

2021-03-23 08:53:16 | FC東京とサッカー

嵐の味スタ。

チッケト発売日を忘れていて、気が付いたら、ゴール裏は完売。

バックスタンドは、天気だと暑いので2階を購入。

かえってその方が良かった。風も雨も気にすることなく観戦出来た。

ゴール裏の前目を買った友達から、「風雨でたいへん」とのラインが来た。

でも、2階はトイレに行ったりとか、階段を上ったり下りたりが疲れる。

最近、2階で見るようになって、2階の観戦もいいかも、と思うようになった。

本当に見やすし、サッカーの試合自体が美しく感ずる。特に、東京のユニフォームの赤と青が、緑の芝生に綺麗に映えて見える。

そして始まった試合。

前回と比べて東京の気持ちが伝わって来る。

攻めている時にゴールが欲しいと思っていたが、またもや失点してしまう。

でも、「あー」と思ったが、「あ~あ」とは思わなかった。

そして、田川の力強いシュートからの素晴らしいゴール。

2点目のゴールを期待する私達に、期待通りのディエゴのゴール。

そして、終了間際の、あわや失点かとおもわれたシーンで、ディエゴが救ってくれた。

雨も風も吹き飛ばすような勝利だった。

帰り、2階からの階段を下りて、出口に向かい出したら、友達夫婦に後ろから声をかけられた。同じエリアに座っていたらしい。

帰りにいつも待ち合わせている場所で、別の友達と一緒になり、風雨の中を楽しく帰った。

次回は、失点からではなく、まずは東京のゴールで始まって欲しい。

ガンバレ!! トーキョー!!

 

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花を飾る

2021-03-18 12:13:18 | 花と自然

亡くなった母が、花が大好きな人だった。

家の前の花壇には、絶えることなく花が咲いていた。

家の裏の畑も、私達が家を離れ、野菜をそんなに作らなくなってから花畑にして、冬の雪の季節以外は花が咲き乱れていた。

だから、私も亡くなった姉も花が大好きだった。

ベランダは、一年中、花が咲いている。挿し木したり、挿し芽したりして増やして行った。

今は、バラを増やしている。

夫の転勤で、大阪から東京に戻ってくるときに、引っ越し屋さんに「これ、全部運ぶんですか?」と言われた。でも、幾鉢かは積み残されていたけど。

その後も、何回か引っ越しをし、そのたびに沢山の鉢花も一緒だった。

マンションの大規模修繕の時には、部屋が植木鉢で占領された。次の大規模修繕に向けて、少し、減らそうと思っている。

でも、考えてみたら、切り花はあんまり買わなかった。

時々の記念日に、夫や子供が切り花をプレゼントしてくれたが、主には花鉢のプレゼントだった。

去年の暮れごろから、切り花をきらさないように買うようになり、リビングのテーブル(飾る所がそこしか無い)に飾るようになった。

テレビで、コロナ禍で花を育てている人達の苦境を取り上げていた。

自粛生活で、各種のパーティー、結婚式も葬式も歓送迎会も、全ての式典が中止になり、膨大な花の行き場が無くなったという。

それから、花を買うようになったが、私が買う花は、スーパーの安い花。

何の力にもならないかもしれないが、私にとって安い花なら買い続けて行く事が出来る。

その時により、二束か三束も買える。

その花を見ながら、「いつか、何の考えもしないで、晴れやかに外に出れる日が早く来ますように」と語りかけている。

その日が来たら、旅に出たい、どこに行こうかな。

 

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2011年の年に私は・・・。

2021-03-15 12:55:45 | Weblog

20011年3月11日金曜日

あの東日本大震災から10年が経った。

あの大震災は直接的には関係ないが、私にとっては、忘れる事の出来ない年となった。

大好きな姉と夫が亡くなって10年の月日が経ったのかと、あらためて辛い日々を思い出す。

大好きな姉が突然亡くなったのは、大震災の前年の晩秋だった。

入院の知らせを聞いて駆けつけた時に、お医者さんは「もって1週間、もしかしたらもっと早くかも」とおっしゃった。

私は、直ぐ家に帰り、旅行鞄に諸々詰めて、家族にいつ戻るか分からないと告げて、新幹線に飛び乗った。

それからの一週間を病院で寝泊まりした。個室にはシャワールームがあり、シャワーを浴びながら泣き、洗濯機回しながら泣いた。

手を握り、夜中に足をさすり、何を話していただろうか。

最後の言葉が

「ふみちゃん、緑が光る林の中を、真っ赤なワンピースを着た少女が楽しそうに走っているよ。ウソと思うかもしれないけど、本当に見えるよ」

と灯りを落とした天井を見つめて言った。

その翌日、昏睡状態におちいりモルヒネを投与され、静かに美しいまま逝った。その時、一筋の涙がほほを伝って落ちたのを今でも鮮明に思い出す。

山や自然が大好きだった姉は、「死んだらお墓はいらない、海や山に眠りたい」と言っていた。だから長男が「お墓、どうしょう」と言った時に、3人の息子に、お母さんはそう言ったけど、お墓は残された人の気持ちで決めていいと思う。私は手を合わせて思い出す場所があったらいいなと思うけど、と言った。

そして泣いて泣いて年が明け、ずっと夫や子供たちは気を使ってくれていた。

そろそろ、前を向かなければと思い、2月に夫とFC東京がキャンプしている宮崎に三泊四日で行った。

磐田とのプレシーズンマッチを、旦那さんの転勤で鹿児島に住んでいるサッカー友達と応援し、半日観光で桜島にも行った。夫との最後の思い出になった。

悲しみに、時には涙しながらも、日常の諸々の生活に戻って行った。

そして、あの東日本大震災が起こった。

あの黒い津波の惨状を中継するテレビを、夫と声もなく見つめた。こんな想像を絶する最悪の災害があるのだろうか。まして原発まで関わって来るとは。

なにもかもが、色彩を失ってしまったような日常に、何をどうしたらいいのだろうと、想いながら気持ちが揺れた。

その翌週に、南ちゃんの会の大切な仲間が突然亡くなり、またまた涙の溢れるお葬式となった。

その週の土曜日に、夫が「しんどい。風邪ひいたのかも」と言う。本当に辛そうなのでタクシーで病院に行き、入院となった。

翌日病院に行くと、「直ぐに大きな病院に行ってください」と救急車で、時々診察を受けている府中の都立病院に行った。

駆けつけた子供たちと、あり得ないような話を主治医に告げられた。

「早ければ一週間。持っても1カ月」と。

毎日毎日、病院に通い、それでも何とか頑張り、5月の20日に夫が私に言った。

「ヤタガラスが前を歩いている。こっちにおいでというように」と、空中を指さす。

絵が大好きだった夫が紙にその様子を、震える手で書いた。彼にはカラスに見えるが、私にはただの何本も交差した線にしか見えなくて悲しかった。

その翌日、姉と同じように「最後の治療に入りますので、今日から誰か夜も付き添ってください」と言われ、息子が付き添った。

その夜中に電話が来て、娘とタクシーで駆け付けた。

昏睡状態の夫の手を握り、私達は傍にたたずんでいた。そして、いつ息を引き取ったか分からないような静かな最後だったが、私達にはその時が分かった。

私も子供達も、何かが夫から抜けて行ったように感じた。ふっと夫の緊張が解けたような・・・。

子供達と同時に、後ろに控えていたお医者さんと看護婦さん達を振り返った。

5月22日に夫は旅立った。

悲しみの2011年は、大震災と夫や姉の事以外は、私の中に記憶がない。

その年の手帳を見ると、びっしりと予定や出来事が書いてある。読んで、ああ、こんな事もあったのかと思うけど、思い出せない。

今年の11日は、特に今年は溢れる思いの、涙の一日を過ごした。

 

 

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雷雨と虹

2021-03-13 17:56:27 | Weblog

娘の家族と出かけたけど、雨が酷かった。

雷が鳴り、ゆうなに「怖くない?」と聞くと「大丈夫」と。

小さい頃のゆなは、本当に怖がりだった。

雷が鳴っても、花火でも大きな音は、怖くてギャーギャー泣いた。

豆まきの頃、スーパーに飾ってある鬼のお面にも「怖い怖い」と泣いた。

今年の保育園の豆まきにも、先生の鬼が怖くて泣いたそうだ。

「鬼、怖かったの?先生だよ」

「でも、怖かったの。だから泣いたの」

本当に怖がりで、何でこんな事に?思う事でも怖がって泣いていた。

ギュッとしがみついて、抱っこされて泣いているゆなは可愛かった。

娘の家族とユニバーサルに行った時には、ベビーカーの屋根を降ろして隠れるようにして、泣いていた。

今日も、雷が鳴ると、握った手に力が入ったが、泣かなかった。

娘が小学4年生の時、大阪から東京に転勤で戻って来て直ぐの頃、私が仕事に行っていた時。

学校から帰って一人で家にいたら、突然、雷が鳴り出して、まだ、よく知らない隣の家に怖くて逃げ込んだ事があったっけ。

夕方、ふっと外を見て「あ、雨がやんでいる。もしかして」と東の空を見たら、虹が出ていた。

大きな、ハッキリとした二重の虹。

カメラには収まりきらなくて、外側の薄い虹がカメラにはよく映らない。

太陽が沈んだ西の空。

 

 

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FC東京、神戸に負ける

2021-03-11 10:13:02 | FC東京とサッカー

昼間は暖かかったが、夜になったら非常に寒くなった。まだ、冬なんだな。

席は、2階の一番前。他のスタジアムで2階で応援する事はよくあるけど、味スタの2階で応援した事あったかな、と振り返る。思い出せない。

最近、チケットを取るのに出遅れている。それでも、スタジアムで応援出来るなら、どこでもいいかなと思い始めている。

でも、2階って凄く見やすい。2階もいいかなと思った。

特に明るく照らされた輝くような緑の芝生に、日常から離れた異空間を実感する。ここで、選手達の勝利への激しい攻防が見れるのだと、ワクワクする。

そして始まった試合。

あれ、何か熱量感じられないな。

上から見ていると、今まで見えなかった事が良く見えるように思う。

今までも感じていたけど、東京の選手のパススピードがゆるいなと思った。

あれでは、相手に簡単にパスコースを読まれてしまうな、パスをもらってからの攻撃へのスピードに乗れないな、って素人なりに考えてしまう。

それに、なぜか、東京の選手だけ滑っている。相手攻撃時に、1対1で滑って交わされると、直ぐにピンチになる。1回、2回なら・・・。

なぜかアダイウトンのボールロストが多かったが、ゴール裏から見ていると分からない事も多いなと思いながら前のめりで見ていた。

そして、またもや失点。どの失点もゴール前のゴチャゴチャから。

東京は2点ゴールで追いついた。特にディエゴのゴールの時には、周り中の人達が立ち上がった。私も立ち上がり、思わず、4席離れた両隣の人と、無言で肘タッチをした。それほど、彼のゴールは嬉しかった。

でも、3点目は東京には入らなかった。

セレッソ大阪と同じように、後半の選手交代から活性化して、もしかして逆転して勝てるかも、と思ったが無理だった。

戦い終わった選手達に拍手を送り、私達は静かにスタジアムを後にした。

次の勝利を目指して

ガンバレ!!  トーキョー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第一日曜日は、南ちゃんの活動日

2021-03-09 10:55:14 | 南ちゃんと南山

南山での作業が、久しぶりなような気がする。

そういえば、最近は忙しくて一人で南山に入っての、笹刈をしていないせいか。

いつものように、お弁当を作って南山に向かう。

いつも思うのは、シイタケ山の登り。短い登り坂なのに、本当にキツイ。

ハアハア言いながら、誰もいないのでマスクを外して登る。途中で一息つく時には、ちょっと疲れているかなと思う。

集合場所の道具小屋の前には、もう仲間が集まっていた。

一の森の下草刈りと、エゴノキ広場の下の新しい畑の開墾作業を行うと言うので、必要な道具を持って一の森へ向かう。

私は、畑よりは下草刈りの方が好きなので、笹刈を選ぶ。

去年は、皆で頑張ったので、ほぼ綺麗になっている。

今は、草等が枯れているので、笹が目立って作業がしやすいが、夏になる頃には、草が繁茂して作業も大変になってくる。

南山の中でも、綺麗になっている所もあるが、そういう所は草刈機で刈っているので、簡単に綺麗に出来ている。

私達も、機械で刈る所もあるが、ほとんどは手で刈っている。

それは、数々の山野草や、育てて行きたい木々の芽を刈ってしまいたくないから。

寒い冬でも、暑い真夏でも私には作業は苦にならない。

時々は、作業後に私達のフィールドを、山野草や木々を愛でながら歩くのが楽しい。

冬は、里山は眠っているが、それでも木々をよく見ると、新しい芽が目覚めてきている。

人間は、コロナで制限の多い生活を続けているが、自然は関係なく自分たちの生命の時間で息づいている。

そんな自然の営みの中にいると、もろもろの負の感情から解き放たれる。

たった月に2回の作業だけど、参加するもしないも自由で、なんの制約もなく集まった人だけで作業をする。この緩い会は私にも皆にも長続きするのに丁度いいのだ。

そろそろ、お昼の時間になるので、畑で作業をしている人達を呼びに行った。

お昼で帰る人は帰り、残りの人達で楽しいライチタイム。

畑の開墾作業した人達が「疲れた」と言うので、午後の作業は止めにした。

道具の手入れをして作業小屋に片づけ、クヌギ林、さくらの広場、カエデの広場を散策しながら帰った。

落ち葉の間から飛び出してきてビックリ。

栽培しているシイタケ。

 

 

 

 

 

 

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FC東京、セレッソ大阪に勝利

2021-03-07 20:39:37 | FC東京とサッカー

水曜日とうって変わって、暖かい日だった。

チケットがゴール裏が取れなくて、バックスタンドだったので、暑いだろうなと思いながら指定の場所へ行った。

入場者数の上限が5000人なので、希望の場所が取れない。

それでも、スタジアムで観戦出来るのは嬉しい。

今年、選手紹介の前の、セレッソ大阪の試合に向けたPVが楽しかった。

そして終わりに、

「桜は散る様が美しい 東京がセレッソ大阪を倒す!」

大久保が調子いいし、今回もゴールした。

本当に、どうしてウチにいた時に活躍出来なかったのだろうと思う。彼にウチのサッカーが合わなかったのだろうか。ウチででもヨシメータを作っていたのに。

先行されたけど、何となく大丈夫だろうと、心の中で声を出して応援していた。

そして、ビックリの田川のゴール。相手のキーパーもビックリした事だろう。田川くん良くやった。

でも、直ぐ逆点される。

前に座っていたおじさんが、試合が始まってから、ずっと大声で応援していて、ウチの選手がファールされると、大声で罵声を浴びせる。

逆点された時に、大声出したので、彼に聞こえる声で「大声出したらいけないんですよ」と言ったら、チラッと振り返り、それからは大声を出さなかった。

思わず出る声はしょうがないけど。私でも「あー」とか「えー」「やったー」とか思わず小さく漏れる事があるから。でも大声はいけません。ルール違反です。

レアンドロのフリーキックは、いつも素晴らしい。

そして締めの逆転ゴールは、またも森重。

試合前のPVで約束した通りになった。

桜は満開も綺麗だが、桜吹雪は妖しいほど美しい。東京ではまだまだ桜は咲かないが、セレッソの桜は東京で散ってくれました。

帰りは、いつも待ち合わせ場所と決めている所で待っていた友達と話しながら帰った。

また直ぐに水曜日に試合がある。

ガンバレ!! トーキョー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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