今年は本当に、よくバラが咲いた。
もう、寒くなって来たのに、まだ咲いている。
5種類のバラがあるが、挿し木で増やしたのが次々と咲いた。
もう、これ以上増やすのはやめようと思うが、挿し木に丁度いい季節になると、増やしたくなる。
ほとんど、手入れをしていないのに、咲いてくれる。
たまには植え替えや肥料をやらないと、とは思っているが。
山茶花の挿し木も咲いた。
元の木は、元気が無くなったので切ったら、萌芽更新して枝が伸びて来た。
来年くらいには咲くかな。
今年は本当に、よくバラが咲いた。
もう、寒くなって来たのに、まだ咲いている。
5種類のバラがあるが、挿し木で増やしたのが次々と咲いた。
もう、これ以上増やすのはやめようと思うが、挿し木に丁度いい季節になると、増やしたくなる。
ほとんど、手入れをしていないのに、咲いてくれる。
たまには植え替えや肥料をやらないと、とは思っているが。
山茶花の挿し木も咲いた。
元の木は、元気が無くなったので切ったら、萌芽更新して枝が伸びて来た。
来年くらいには咲くかな。
朝の連続テレビ小説を見続けたのは、何十年ぶりだろう。
昔、専業主婦だった頃は、毎日見ていた。
勤め始めてから、そんな時間もなかったので見なくなった。
エールも見てはいなかったけど、娘が面白いというので、途中から、ちょっと見出したが、直ぐにコロナで中断となった。
そして、中断時に、最初からやると言うので、最初から見始めたらはまってしまった。
そして、作曲家になって、ドラマの中で歌われた歌は、本当に懐かしい。
まだ、生まれていない頃の歌は、母達が歌っていたので、耳に残っている。
ドラマの中で歌われた数々の歌は、歩んで来た過去を思い出させる。
子供の頃の、母や父の働く姿だったり、姉や妹と遊んだ事だったり、まだまだ、田舎の村が活気に溢れていたいた頃だったり。
ドラマの運動会の様子を見ながら、私の育った村の小学校の運動会は、村中のお祭りだったと懐かしく思い出した。朝から花火が開始を告げ、村中の人達がグランドに集まり、大人も子供も一緒に競って、賑やかで楽しかった。
その村の小学校は、もう今はない。
子供の頃、長男が家を継ぎ、それ以外の子供たちは、皆都会に働きに出た。
でも、私が高校に上がる頃には、その長男達もポツポツと都会に働きに出たり、裕福な家の子は大学に行ったりと、村から若い人たちが居なくなって行った。
今は、田舎に帰っても、時間が止まったような静まり返った村になっている。
そして、私も都会に働きに出て結婚し、子供が生まれ、その子供も結婚したりと家を出て行き、夫も亡くなり・・・。
ドラマの中の歌を聞いていると、数々の楽しかった思い出が浮かび上がり、何度、胸が一杯になったか知れない。
最終回の、若い夫婦が二人で浜辺を駆けるシーンには、幸せ一杯の未来を疑わなかった私と夫の、若い頃を思い出し涙があふれた。
あっという間に過ぎて行った何十年、何と遠くまで来たのだろうと、一人寂しく思う。
東北大震災と同じ年に、あっという間に逝ってしまった夫が生きていたら、今、二人でどんな生活を送っていたのだろう。
この、災厄の年に、エールに出会えて良かったなと思う。
ドラマの中とはいえ、素敵な夫婦に出会えて良かったなと思う。
もう一度、録画してある最終回とフィナーレを見ようかな。
それと、二階堂ふみさんのドラマの「ストロベリーナイト・サーガ」のラストのシーンを見ようかな。
彼女が犯人にピストルを向けて投降を促すセリフが、目に涙を溜めて説得する言葉が、心に刺さるのだ。
そのシーンだけの為に、このドラマの録画を消さないでいる。そして、時々、そのシーンだけを見て感動している。
良く晴れて気持ちいい日曜日、南ちゃんの会で「芋煮会」を行った。
毎年、市の広報で参加者を募集していた。
初めて募集した時には、集まるかしらと心配した。手品等の催しも用意して。
でも、心配無用だった。
それから、参加者も増えて、途中から参加者の上限を決めて、毎年行っていた。
でも、今回は、コロナの為、私達だけで行う事にした。
私は、娘の家族を誘い、何回も来ているのに、「よく道が分からない」と言う娘達を駅まで迎えに行った。
仲間達が、ゆうなを見て「大きくなったね。何才?」。「6才になりました」とゆな。
「来年、小学校か。早いね」「ランドセル買ってもらいました」
日々見ている私も、大きくなったなと思うのだから、今年会うのが初めての人には、大きくなったなと思うだろうな。
新しい一の森の畑は、前の畑を借りていた農家さんに返したので、新しく開墾した所。
でも、ちょっと日当たりが悪いので初めて植えたサツマイモの出来は悪かった。
でも、里芋は、前の畑よりは良く出来た。
ゆうなも、大喜びで、芋の収穫を手伝った。
もう、虫もクモの巣もないので、ゆなと落ち葉をカサコソ踏みながら、ドングリ拾いや、まだ残っている木の実集めをした。
私は、仲間が芋煮の準備をしているけど、ゆなと林の中を散策した。
暑くもなく、寒くもなく、虫もクモの巣も無く、本当に気持ちいい日だ。
大鍋で2つに、作った芋煮は、本当に美味しかった。
お代わりして、お腹一杯になった。
あちこちから、お菓子も回って来て、ゆなの為に持って来たお菓子を、「みんなに配る」とゆなが言うので、一緒に、みんなに配った。
「どうぞ、食べて下さい」とゆな。
食後も、ゆなと林の中を歩き回った。
そして、みんなに「お世話になりました」と挨拶して、帰って行った。
私は仲間と後片付けをし、帰りは女性だけで桜の広場を散策して山を下りた。
後で、娘からのラインで、「ゆなが帰りの車の中で、もっと皆と遊びたかったと、べそかいてたよ」との、嬉しい報告を受けた。
道具小屋の隣の畑の持ち主さんの飼い犬の「さくら」
6月に注文した鬼滅の刃の「ねずこのメガネ」が、やっと届いた。
とっても可愛。
ケース
着物の模様とリボン。
マスク姿のめがね拭き
マスク姿の缶バッチ
直ぐにメガネ屋さんに持って行って老眼鏡(必要な年になってしまった)に、作り変えた。
お店の人が、メガネケースを見て「鬼滅のねずこですね」と。
亡くなった夫が、メガネをあちこちに置いておいて、それでも「メガネ、メガネ」と探していて私に笑われていた。
今になって、それが良く分かる。
私も、使わなくなった近眼のメガネがいろいろあるので、それらを老眼鏡に作り変えて、あちこちに置いてある。
最近、もう一つ新しいメガネを買おうかなと、出かけた時にメガネ屋さんがあると、見ていた。
そんな時、ネットで見て直ぐに注文した。
今、知り合いや友達に会うと、「可愛いでしょう」と見せている。
天気が良く気持ちいい日だったので、午前中に南山に出かけた。
家から見ると、南山はそろそろ紅葉が始まって来た。眼下の街路樹は紅葉している。
でも、南山の中は紅葉はまだまだ。
作業をしていると、歩いて来る保育園の子供たちの声が聞こえて来た。
最近、山に入ると、いつも子供たちが遊びに来る。
クヌギ林の隣の、保育園が作った遊び場で遊ぶためである。
私が、ハアーハアーと言いながら登るシイタケ山の登りを、子供たちはキャーキャー言いながら走って登る。
羨ましい。
子供たちの元気な遊ぶ声を聴きながら、伸びて来た笹を刈り、ちょっと混んでいる幼木を切った。
クヌギ林は小道等で、ほぼ4等分される。
私が勝手に場所の名前を付けた、一の場と二の場の笹刈をした。
二の場は、もう一回作業をすれば終わりかな・・・。
三の場と四の場は来年かな。
子供たちの遊ぶ声を聴きながら、私は先に山を下りた。
ずっと、賃貸で生活していた息子が、中古だけどマンションを買ったというので、お祝いを兼て娘の家族と行って来た。
自分で家を買うなんて、感慨深い。
息子は、小さい時から、一人遊びが好きな子だった。
友達と遊びはするが、やっぱり一人で遊ぶのが好きな子だった。
世はまさに「腕白でもいいたくましく育ってほしい」の時代。強い事はいいことだ。
女は主婦、男は会社で目一杯働く時代。
小学校一年生の時、担任の先生に相談した事がある。
先生は「タカシくんは、しっかりと自分の世界を持っています。彼は、弱いのではなく気持ちが優しいのです。本当は彼の様な子が、大人になって世の中を平和な住みやすい世にしてくれるのです」と、おっしゃってビックリした。いまでもその時の学校での夕方の教室を思い出す。
そして、こんな事もおっしゃっていた。
いつも大人しい息子が、何が原因かは分からないが、クラスのボス的男の子と取っ組み合いのケンカをした事があるという。
先生は、そのケンカを止めないで、見守ったという。「彼にとってよほどの事があったんでしょうね。原因は聞かなかったし、無理やり仲直りもさせませんでした。その後は二人とも普通に話したりしてました」と。
今の教育現場とは、かけ離れた先生の対応だったなと思い出し、いい先生だったなと懐かしく子供の小さい頃を思い出した。
小学校、中学校、高校と、世の中は校内暴力や家庭内暴力の嵐が吹き荒れていた時代だった。
でも、息子も娘も反抗期もなく(心の中にはあったのかも)優しく育ち、お父さんの転勤等で、平均で5年ごとに引っ越した。新しい環境には適応して行ったように思えたが、どうだったのだろう。
息子が大学卒業の時は、たいへんな就職難だった。
やっと入った会社は、あの子の性格には会わないと思っていた。
「どんな会社でも、3年は我慢して頑張りなさい。その経験は良きにつけ悪しきにつけ、絶対にあなたの身になり、逞しくしてくれるから」と、送り出した。
結局、5年頑張った。心身ともに逞しくなって、今の会社に入った。もともと、お父さんに似て絵を書いたりイラストを書いたりが好きだった彼にとっては、与えられた仕事場は最適だなと思った。
会社は、食品関係なので、コロナの影響はないという。
私が家を買う時に、「1に駅のそば、2に駅のそば、3、4が無くて駅のそば」と呪文(笑)のように言っていたので、娘も駅の近くで、息子も駅の近くだった。
千葉の中古マンションは、東京に比べて本当に安い。でも、ウチよりも広いかもと思える家の中は、今風の新築のようにリフォームされていた。とにかく収納場所が多くて、娘が羨ましがっていた。
でも、定年になったら戻って来るのかな、と思っていた私は、何となく寂しかった。息子は「お母さん、先の事は分からないから。もしかしたら、戻るかも知れないし」という。そうね、先の事は分からないね。
本当の寂しさは、会うたびにあなたが、おじさんになって行く事。私の中では、まだまだ学校へ通っていた時のままなのかも・・・。
毎年、都心のレストランで、何回か皆で集まって食事をしていたが、今年はコロナだったので、今年初めての家族皆での食事は楽しかったし、美味しかった。
久しぶりに、味スタへ東京を応援に行った。
寒くなるとはいっていたが、寒かった。
だいたいこの辺の席で、と言っていた友達が、直ぐ後ろの席だった。
そして、もう少し後ろの席に、去年までの席の御近所さんがいた。
久しぶりねと、いろいろと話をする。
何か、マスクをしていると、違う人と話しているような気がする。去年まで、他にも話をしていたご近所さん達がいたのに、来ているのだろうか。名前は知らないが、会ってお話したい。ちょっと寂しい気がする。
寒いし、試合も何か盛り上がらないし、勝ったからいいかなと。
他のサッカー友達は、味スタに来なくなった。そして、ライン上では盛り上がっている。
後、何回、東京を応援出来るのだろう、ACLを含めて。
何となく今年が終わってしまうような気がして、寒さと共に寂しくなってくる。
ガンバレ!! トーキョー!!
ゴールを喜ぶ
早いもので、もう、ゆなは6才になった。
私の夫が、アッというまに亡くなって、胸にポッカリと穴があいたように悲しくて寂しい日々を送っていた。
娘は、夫が亡くなってから知り会った今の娘の夫の上ちゃんは、時々はウチに来て泊まったりして付き合いが続いていた。
私としたら、気に入っているので「早く、結婚したら」と言っていたが、なかなか、進展しない。
私が「いっその事、一緒に住んだら」と言ったら、向こうの方で何日か泊まったり、こっちに来て一緒に泊まったりしていた。
後で聞いた話では、彼は結婚を申し込みたかったが、父さんが亡くなった事を、ずっと悲しんでいたから言い出せなかったそうだ。でも私の前では、娘は明るく振舞わっていた。娘に言わせると、私を一人にするのが気になったみたいだ。
付き合い始めたその年のクリスマスに、彼は正式に結婚を申し込み、正式に一緒に暮らし始めた。
娘は結婚式はあげないと言い、彼も式にはあまりこだわらないという。
結婚届は、私の夫の誕生日まで待ってその日に届けを出した。
車のナンバーも結婚日(私の夫の誕生日)に変えた。
地方から出て来た上ちゃんは、横浜から大学生活を始め、就職も横浜。だから、自分の生活圏の横浜エリアに住まいを決めるつもりだったらしい。でも、決めたのは、私が自転車でも行ける範囲の多摩川を挟んだ対岸。嬉しかった。
そして、生まれたのが女の子。
私は、娘が仕事をしていたので、時々、保育園に迎えに行ったり、家の中の片付けをしたり、お庭の草取りをしたり、してきた。
子供が女の子だったので、娘に「ゆなが大きくなった時の為にも、二人の結婚式の写真を撮ったら。絶対にお母さんのウエディングドレス姿を見たいと思うよ」と言ったら、両方の家族だけで結婚式を挙げる、と言う。
ゆなの1才の誕生日に結婚式を挙げた。
娘が決めた表参道の、美しい式場で、家族だけの素敵な結婚式を挙げた。ゲーキは、ゆなの為の誕生日ケーキ。ローソクが1本の。
私の家族や上ちゃんの家族で、皆で「可愛い、可愛い」と育てて来た、ゆなは6才になった。
車で横浜に行き、ゆなへのお誕生日プレゼントを買ってやり、海沿いの素敵なレストランでランチを食べた。
私は、横浜は、新横浜あたりから日産スタジアムや、横浜FCのスタジアムしか知らない。
ほとんど知らない横浜は、日曜日だったが、沢山の人が歩いていた。
娘達が、こっちの方に住居を決めなくて良かったと思いながら、ゆなとおしゃべりしながら歩いた。
来年は、小学校一年生。
天国の、両親、ねーちゃん、ハルオさん、見ていますか?
ゆうなは、6歳になりました。
第一日曜日は南ちゃんの活動日。
お弁当を作って、南山へ向かう。
シイタケ山の入り口で、何人かに会って、おしゃべりしながら登る。
一人で登るよりは、仲間と登ると、楽に登れるように思う。
集合の道具小屋の所には、もう何人か集まっている。
この前の時に連れて来て、体験として作業した知り合いが、会員になってくれると言うので良かった。体験作業が楽しかったとの事。
道具を持って、一の森へ行く。薄曇りではあったが、富士山が見える。
それぞれ散らばっての作業。
お昼は、いつも楽しい。
誰かのお菓子が回って来たり、おしゃべりをしたり。
綺麗になった林。
午後も1時間ほど作業して、畑のサトイモや食用菊等を収穫。
帰りは林の中を散策して山を下りる。
久しぶりのアウェイ川崎戦。
行くつもりは無かったけど、友達が「チケット3枚もらったから、行こう」と言うので行って来た。
毎年、アウェイ川崎戦は、バックスタンド2階の川崎ホームの指定席で観戦している。
川崎サポーターが、友達に東京戦だけは、ゆずってくれると言うので、有り難くいただいて応援に行っている。
そこは、川崎ホームなので、東京を思わせるものは一切身に付けず、静かに心の中で応援していた。
周りの川崎ファンには、私達が川崎の応援をしていないので、東京ファンだろう事はまる分かりだとは思う。
武蔵小杉で待ち合わせ、ちょっと早いけど夕食を食べてから向かう事にした。
「ボコボコにされそう」と友達が言うが、「なかなか会えない仲間に会えて、おしゃべりできるだけで嬉しいよ」と私。
今年の川崎は、本当に強い。
ダントツのリーグ1位にいるのが納得するほどの強さと、上手さを感ずる。
美しい満月を仰ぎながらスタジアムに向かった。
そして、スタジアムに流れる多摩川クラシコのアンセムを聞いて、「あ、今日の試合は多摩川クラシコだったのね」と今さらながら気が付いた。私達の中で多摩川クラシコって話題にも上らないない・・・。
狭い狭いアウエィ側エリアに、東京のサポーターも集まっていた。
やっぱり、川崎のパス回しは上手いなって思う。どうやったら勝てるんだろう。
やっとマイボールにしても、直ぐに相手ボールになるのはどうして、と思ってしまう。
ハーフタイムの笛が鳴る寸前にトイレに行った。
出て来たら、女性も男性も長い行列。行列だけでなく、沢山のサポーターで身動き出来ない。かき分ける様にしてやっとの思いで席に着いた。
スタンドと違って、その混みようは今の時期は怖い。
後半も始まって終わりまで、私達は周りの盛り上がりとは違う雰囲気で座っていた。
東京が1点返した時の東京。
試合中に、白い鳥がスタジアムの上を飛んで行った。
前の席の赤ちゃんが、私達の方を向いていて、その子に手を振ったり物を振ったりしてあやして(?)時間を過ごしたり。
終了の笛と同時に席を立って帰った。
点差以上に内容で負けていたな、と思いながら。
帰りは、どこにも寄らないでサッサと電車に乗って帰った。
次のルバァンカップ決勝は絶対に勝ちたい、優勝カップを掲げて欲しい。
そして、何よりも東京の国立競技場で東京がトップに立ちたい。
当日は、早く行って、競技場を一周しょう。そして、中も出来るだけ、ウロウロしたい。
凄く楽しみだ。
ガンバレ!! トーキョー!!