ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

萩尾望都「バルバラ異界」を読んで

2005-09-29 23:57:15 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
萩尾ワールドはいつ読んでも不思議な世界だ。本当は昔の頃の作品が好きだが。今回も久々のSFかなと読み始めたが読み終わっても不思議な世界だった。終わりはアレでいいのか。ちょっと急ぎ過ぎた終わりのような。

現実と夢の世界。眠ったまま目覚めない少女がいる。人間の夢の中に入って行く能力をもっている主要人物の一人が、その少女の夢の中に入って行く。その少女の夢の中には「バルバラ」と言う別の世界があり、少女はそこで生活している。そして人々の生活が普通にあるのである。そしてその世界は、今の世界の未来に何百年後か何千年後かに繋がっているのである。

ずっと昔に読んだ本を思い出した。題名も作者も忘れたが非常に印象に残っていて時々思い出す。その世界は地球と同じような環境で人々も地球人と同じような生活をしている。違うのはそこの太陽がもう直ぐ寿命を迎え爆発して終わりを遂げてしまうのである。人々は皆、別の惑星を求めて旅立っていった。ところが一つの町だけが、離れる事を拒否して留まっているのである。

そこで一人の調査員がその町に赴く。そこでは人々は最後の日の為に別の世界を築いていたのである。その町の人々が今いる世界での生活と同じように皆で暮らせるように、訓練をしていた。その生活の場は人々の無意識下の世界である。その調査員が訓練士に導かれて無意識下に下りていくと、そこには現実の世界と同じ町があり、町の人々がその日の為に一生懸命に町造りをしていて、彼を歓迎してくれるのである。何の違和感もなく、彼らと話す事ができるのである。

調査員はその星を去り、その町の人々はその日、皆ベットの上で眠りにつき、その精神世界に降りていくのである。肉体は消滅するけど、その精神世界は存在する事が出来るのだろうか。その世界に行った人々はどうなったのだろう。読み終わった後、いつまでもその事が気になった。そして、折々その事を思い出し、小説ながらあの人々はどうなったのだろうと気になったしょうがなかった。

もし、肉体が無くなっても精神世界がありそこに行けるのであれば死ぬのも怖くはなくなる。そうすれば寿命のその時まで精一杯生きられるのでないだろうか。死ぬと言う事は全てが消滅する事、すべてが無になってしまう事、何もなくなるという事はやっぱり怖い。その為に宗教があるのだろうけど。

死んだ後の事は誰にもわからない。戻ってきた人は皆無なのだから。
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非バリアーフリーの勧め

2005-09-27 22:06:10 | Weblog
日経夕刊で連載している「逆転の発想」の非バリアフリーの特集はなるほどと思った。世はまさに猫も杓子もバリアーフリーで進んでいる。あっちでも、こっちでもバリアーフリーがキーワードになっている。

で、あえて「高齢者にこそ住んで欲しい」とニューヨーク在住の日本人美術家が設計した「三鷹天命反転住宅」と言う名の集合住宅。「自然界に平らな場所はない。この家に住めば、内に眠っている感覚や機能が目を覚ます」。死という運命にあらがう場と言う意味で名付けたと言う。バリアーフリーとは正反対の発想で造った住宅。

球体や横になった円筒形などの部屋の組み合わせ。球体の部屋は床も曲面。円筒部屋の窓際にあるトイレに行くには、シャワーブース脇のすき間を身をよじって通らないといけない。ダイニングの床は不規則な傾斜と凸凹のあるたたき。調理場は床より低い。電気スイッチの位置は高かったり低かったり。

何か楽しそうだけど、疲れそう。たしかにそんな所に住んでいたら、普段使わない筋肉もちゃんと使って足腰の衰えも防ぎそう。私の田舎の家も昔の家なので、段差だらけ。年老いて縮んだ母は杖をつきながら玄関から板の間へ、そして畳の部屋へとやっと歩いている。

前にTVで見た番組で、アメリカの老婦人と日本の老婦人の骨密度を比べていた。日本の老婦人はアメリカの老婦人に比べて遥かに骨粗鬆症だと言う。アメリカ人の方が子供の頃から乳製品やサプリメント等でカルシウムを多く取っているからと。ところが骨折や車椅子生活になるのは、アメリカ人の方がずっと多いと言う。番組では日本人は年取ると骨粗鬆症で背が縮み、体重も少なくなり、又アメリカに比べて家は段差だらけ。それにベットではなく、朝晩の布団の上げ下ろしがあるからと。

でも、今ではマンションなど家の中はフラットになり、生活様式もベットになり、トイレも洋式。食べ物の嗜好もそんなに変わりなくなりつつある。

本当は不自由な事は悪い事ではないのかも知れない
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シュート打て!FC東京

2005-09-25 20:34:41 | FC東京とサッカー
何と言う試合!もう負けられないというのに、このマッタリした展開!上の方で「やる気あんのか!」と何回も怒鳴っていた男性がいた。多分、選手にやる気がないとは思わない。絶対に勝ちたい気持ちは誰よりも、そう私達よりも強いと思う。でも、そうは見えないのは何故だろう。

昨日のガンバと鹿島の試合をTVで見たけど、本当に面白い試合だった。それに比べて・・・。やっぱり、首位を走るチーム同士の試合と下位同士の試合は、こうも違うものなのだろうか。見ていて、本当にフラストレーションが溜まった。大分が相手だったので何とか負けなかったという試合だった。

どうしてもゴールへが遠い。まず、梶山がボールを持つと確実にスピードダウンしてしまう。どうしてウチのチームは自分でドリブルして何とかゴールまで近づこうとしないのだろう。そうすればそれを追い越していく選手にパスすればよりゴールに近づけるのに。かならず中盤の選手にまずパスをする。その選手は何処へ出そうか探す。そうすると、敵陣はガッチリと守備を敷いてしまう。何か、その繰り返しが多過ぎるような。それに今日のフジくんどうしたのだろう。プレーが迷ってばっかりいた。ユータや阿部チャンを先発で使ってほしかったな。そうでなければ、もっと早く交代してほしかった。時間なんてアっと言う間に過ぎてしまうのだから。残り15分の早い事。

何といってもシュートが少なすぎ。去年はJで一、ニ番を張るほどシュートの数が多かった。多ければいいというものではないが、シュートを打たなくては何も始まらない。いつもセットプレーで点は取れないのだし、枠に行くシュートを打てば、何かドラマが始まるかもしれないのだから。

帰りに友達と「J2には行きたくないな。アウエが遠すぎる。今は関東近辺に沢山あるけど、J2は海の向こうだものね」と笑った。笑い話ではない。お金もかかるし、休暇もそんなにとれない。それに何より代表クラスの選手がいなくなる。それはとっても悲しい事。ネガティブに考えるのはよそう。

次は大宮。絶対に勝利を!もう負けられない(何回言っただろうか・・・)


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広岡流「組織論」

2005-09-20 21:40:53 | Weblog
ある雑誌に載っていた連載の“弱いチームを強くする広岡流「組織論」”になるほどと思った。巨人の低迷を礼を欠いているからだと指摘している。巨人のOB会で「耳のピアス、選手達のみっともないユニホームの着こなし、平気で帽子を脱ぐ姿。ファンに対して失礼ではないだろうか。」と言うと江川氏が「今の時代、それを説いても、選手達は理解して受け入れてくれるでしょうか」と反論した。それに対して広岡氏は「理解してもう必要はない。受け入れさせるだけのことだ」と。

広岡氏は監督を務めたとき選手個人の自由はいっさい認めなかった。あくまで野球に関しての事だけど「気持ちよく戦ってもうらおう」と考えた事はなかったし、抗うような選手はベンチに入れなかった。ピンと張り詰めた緊張感があってこそ戦う集団が成り立つのであると言っている。

ただ、勝つだけでなく、ファンがうなるような勝ち方をするのがプロ野球の宿命である。そのために、最高のプレーをみせることが、ファンに対しての礼儀である。「礼煩わしければ則ち乱る」の言葉があるが、最低限の礼儀はわきまえなくてはならない。

「礼に始まり礼に終わる」。スポーツはすべて、礼儀、作法を重んじなくてはならない。秩序を保つための規範であると。

そして、それはスポーツだけでなく社会生活すべてにあてはまるのでないだろうかと私は思う。若者の事件が多発している事も、大人達に礼儀や礼節や作法を教わってこなかった事も関係しているのではないだろうか。又、そう言う事をキチンと教えられる常識的な大人がいなくなったのではないだろうか。社会でも会社でも「嫌われたくない」とか「かかわりたくない」とか、はっきりと物を言えない大人が増えているのだろう。

私も反省しなくてはと思う。犬や猫はほっておいてもりっぱに犬や猫になるけど、人間は人間として育てないと、人間にはならないのだから。
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偶然の再会

2005-09-19 14:01:52 | Weblog
よくドラマを見ていて、人ごみの中で偶然に知り合いに会うシーンがあるが、いつも「そんな偶然あるわけないよ」と突っ込みを入れていたが、本当に偶然てあるのだなとビックリした。それも人が込み込みの銀座の松坂屋の前。本当に一秒でも、たった一歩でも早いか遅いかで会う事はなかっただろう。

土曜と日曜にかけて、会社の「設立50周年」の社員大会があった。全国の支社の人達も全員東京に集まり、土曜日は記念式典や、有名人の講演会、夜のパーティがあった。日曜日には全員で「東京発見」をテーマにバスを連ねて色々回った。

タマタマ銀座松坂屋の前に止まっているバスに向かう為に、同僚と歩いていた。自分のバスはどれかなと話している時、「○○ちゃん!」と肩をたたかれた。ビックリした。沢山の人ごみの中に何年も会っていない友達の顔があった。「聞き覚えのある声がすると思ったら、○○ちゃんじゃない、もうビックリした」銀座の真ん中で再開の喜びで手を握り合って、もう泣きそうになった。知り合いの絵の個展を見に行く為に歩いていたそうだ。

彼女とはある銀行が派遣社員の会社を立ち上げ募集した時の第一期生である。そして同じ支店に配属され、家族ぐるみの付き合いにまでなった友達のうちの一人である。同じ小田急線沿線であり、泊りがけの旅行にもいったし、夫婦同伴で飲みにいったり、親しく付き合った。6年ぐらいそこに勤めている間に彼女は田園都市線沿線に引越し、私もたまたまその沿線に引っ越した。その内に私は正社員の仕事を求めて今の会社に移り、しばらくて今度は京王線沿線に引っ越して距離的に遠くなってしまった。その頃から、互いに忙しくなり会う事もままならなくなり、いつしか年賀状の付き合いになってしまっていた。時々会いたいなアと思いながら・・・。

久しぶりに会った彼女はちっとも変わっていなかった。忘れていた楽しかった事が一杯思い出されて、今胸が一杯になっている。近々、何としても電話連絡して会おうと思う。友達っていいなア。どんなに時間的距離や空間的距離が離れても、会えば全ての距離がなくなってしまう。そしてまだまだ若かったあの頃に戻ってしまえる。
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FC東京のルーカス・ナオ・・・

2005-09-19 11:51:16 | FC東京とサッカー
今年は本当にウチのチームはどうしたのだろう、と思うほどアクシデントがありすぎる。ルーカスが退院したけど後遺症が心配だし、ナオはもっと心配。海外に行ってサッカーをしたいと言っていたナオにオファーが来たというのに、長期離脱とは・・・。当日は仕事だった為に、撮っておいたビデオを気持ち的にまだ見れないでいる。だからどのような状態でナオくんが怪我したのか分からない。ルーカスの場合はスポーツニュースで何回もやっていたので倒れた状態は分かったけど。

負けても、順位が思わしくなくても精一杯応援して来た。でも土曜日の大分戦は何か辛いな・・・。「ブラジルディー」のイベントがあるけど胸が一杯になりそう。

これからルーカスやナオくんの為にも、私達も含めて一致団結して勝って行かなければならない。特にナオくんの為に絶対に降格争いに参加する訳には行かない。だって、東京に残る決断をしてくれたんだもの。ナオくんは最近、怪我や故障が多いけど、焦らずにじっくりと完全に直してほしい。

ナオ!!頑張れ!君は私達サポーターの、そして東京の“宝”だ。

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「女王の教室」最終回

2005-09-18 22:35:35 | Weblog
最終回の「仰げば尊し」のシーンで思わず涙。今は卒業式でこの歌は歌わないらしい。私は古い人間だから、やっぱり卒業式には「仰げば尊し」。私にとって思い出す先生は誰だろう。沢山の先生に教えてもらったけど、思い出しても顔が浮かぶ先生があまりいない。

唯一思い出すシーンが小学校の5年生。私の小学校は新潟の田舎。あの頃暑い時には小学生でも“お昼寝”!!の時間があった。まだ若くてほっそりしていて悪い事やいたずらすると、とっても怖い熱血の男性の先生だった。そのお昼寝の時、ふっと目覚めてそっと薄目を開けてみた時、子供達の寝息以外何の物音も聞こえない静かな教室の中で、机に向かい何か一生懸命に書き物をしている先生のシルエット。もう何十年も立つけど、不思議とそのシーンが一枚の絵のように心に残っている。学校の先生と言うと、いつもその先生とそのシーンを思い出す。後はすべて忘却の彼方なのに・・・。途中で失明されたと風の便りに聞いたけど、まだ存命だいらっしゃるかしら。

女王の阿久津先生は最後までクールだった。かっこいい!!でも最後のあの暖かい笑顔がすべてを物語っていた。「いいかげんに目覚めなさい」天海祐希さん、かっこよくて役にぴったりで、彼女以外には適任者はいないと思った。
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明日はFC東京と横浜戦

2005-09-16 22:37:57 | FC東京とサッカー
又も負けられない試合。もう何回こう言ったかしら。やっと上向いて来たのだから、明日はどうしても横浜には負けてほしくない。清水戦のような魂のこもった試合をしてほしい。

去年は一回も横浜には勝てなかった。そして、セカンドステージは悔しい負けだった。どうして引き分けで終われなかったのかと、力が抜けたように友達と座っていた。ボーっとヒーローインタビューを見ていた(聞いてはいなかった)。そしてあの地震!まさか新潟地震があったなんて知らなかったから、どうして携帯が繋がらないのか分からなかった。前に携帯を水に落として、「もうダメです。新しいのに変えて下さい」と言われたのを無理やり拝み倒して直してもらったけど、とうとう壊れたかと思った。家に帰って「携帯が壊れちゃった」と言ったら「新潟で大地震があった!」と。それからが大変だった事を思い出した。新潟県の私の実家や、同郷の夫の実家に電話が繋がったのはいつだったか・・・

ところがこんなに面白そうな試合を、仕事の為ライブで見れないなんて悲し過ぎる。そう言えば去年は“ハチ公”に集まったっけ。沢山の人数でビックリした。今年も何人かは、そういうグループがいるのだろうな。あ~あ、横浜に応援に行きたい。

絶対に私のFC東京、負けないで!。応援に行くサポーターの人達、応援ヨロシクお願いします。



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北海道旅行番外編

2005-09-15 22:42:35 | 旅行
知床峠で若者三人にあった。荷物を沢山積んだ自転車を止めていた。よく日に焼けて笑顔が素敵だった。

「どこから来たの?」「大阪です」「どのくらい日数がかかったの?」「二週間くらい」「すごい!」

「去年は沖縄へ行って着ました。」「わー!青春ね。うらやましい」「今、先行している仲間を追っています。三日くらい先行しているのかな」「会えるといいね」

北海道は自転車やオートバイで回っている人達がいっぱいいる。そして、北海道には地図を見ながら何日もかけてユックリと気ままに旅行をして見たいと思わせる雰囲気がある。今度は違う季節に違う場所に行って見たい。

一緒に写真を撮った三人の自転車の若者は、今頃どのあたりを走っているかしら。先行していた仲間達に合流できたかしら。怪我も病気もしないで無事に家まで帰りつけるように願う。


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北海道旅行最終日

2005-09-15 22:17:19 | 旅行
今日のメインは「霧の摩周湖」。一度は行ってみたかった“摩周湖”。私が高校生の時、あの布施明が歌ってヒットした「霧の魔手湖」ずっと憧れだった湖。神秘の湖

ガイドさんが言うには一年の八割は霧に包まれるそうだ。八回目にやっと晴れた摩周湖を見たと言う観光客もいるし、来るたびに晴れていて「霧の摩周湖」を見たくて何回も足を運んだという人もいるそうだ。バスに乗って向かっている時は晴れていた。山の上の方は霧で霞んでいたけど、見れるかどうかツアー客皆で祈りながら山を昇って行った。

やっぱり北海道!外はひんやりと肌寒かった。そしてそこに“摩周湖”があった。空は灰色の濃淡。それを映して湖は静かに灰色の濃淡に輝いていた。回りを取り囲んだ山々も上半分は雲の中だけど、下の方は灰色の濃淡。何とも言えない不思議が風景だった。そしてエクボのような小さな島が一つ。

雲ひとつ無く晴れ渡った時の摩周湖は何とも言えない濃い美しい青色だそうだ。そしてその色を“摩周ブルー”と言う。青い摩周湖も見てみたいけど、私にはこの摩周湖の方が印象に残る。何とも言えない、ここだけが別世界のような神秘的な不思議な静かなたたずまいの湖。私が夢に描いていたそのままの“霧の摩周湖”だった。

摩周湖を離れてしばらくしたら、あの摩周湖での山々の半分から上を雲で覆われ、色彩のなかった世界がウソのような、夏の太陽の中をバスは走っていた。

又、北海道に行きたい。今度は宗谷岬に行って見たい。
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