ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京、鹿島に引き分ける

2014-08-31 20:27:41 | FC東京とサッカー
鹿島まで、友達と車で行った。

友達が、「鹿島への行き方が、何回行っても覚えきれない」 と言って道路地図を見る。

「今時、地図を見ながら運転するのは、私ぐらいかな」 と笑う。カーナビの方が分かりにくいというのだ。彼女は、都内の道は本当によく知っている。多分、カーナビでの運転をしないからなのだろう。

鹿島に行くと必ず “道の駅” に寄る。昨日は、ちょっと遅かったので、もう、ほとんど売り切れだった。

駐車場は、いつもの所。スタジアムの向こう側だが、帰りがすぐに道に出れるのがいいし、帰りの渋滞個所を回避出来るのもいい。それに、アウェイ入り口に近いのもいい。

それに、必ず、季節の野菜を1袋いただける。今年はじゃがいもだった。

東京サポーターはいつものように、飲食に行列、笑ってしまう。

鹿島スタジアムは、本当に見やすくていい。サッカー専用スタジアムに来るとうらやましくなるが、もう、今では、味スタに完璧に愛着がある。私のマイホーム。

立ち上がりから、おやおやな展開。ミスが多いし、前も中盤も後も遅れを取っている。何となく自信無げに感ずる。点を取られて、よけいにそんなふうに感じてしまう。

鹿島は上手い。

友達が、「鹿島は、適当にパスしているように思えるし、適当に放り込んでいるように思えるのに、ちゃんと味方に渡っている。本当に上手いわ」 と言う。

ゴンちゃんが蹴っても、カズマでは収まらない。つくづく、平山の怪我が痛いなと思う。カズマは、ゴールに背中を向けて受けるので、自身のゴールが遠い。たとえ、DFを背負っていても、半身ゴールに向けれないものかと思うし、ボールを待つのではなく、自分が動いて取れないものかと思う。あれでは相手は怖くないと思う。

0-2で折り返した時、また、勝てないのでは、と思った。

でも、サッカーで、2点差は怖いというから、それに期待しょうと友達と後半の応援に入る。

目の前には、武藤カメラがズラッと構える。すっかり注目選手になってしまった。

南ちゃんの仲間に、「世間に隠していたのに、見つかってしまった」 と言って笑われたが。

後半、直ぐに手を打ってきた監督。

徐々に、落ち着いて来たように思うし、攻撃の時間も増して行くようになった。

私達の応援の声のボルテージも上がって行った。

ぜんぜん運動量の落ちないムトウくん。

その、ムトウくんを止めきれなかった相手のファールでPK。

エドゥーのゴールで、東京の攻撃にもう一つのスイッチが入ったように、こっちに攻めて来る事が多くなった。

そして、泥臭くムトウくんのゴール。

ヨッチコールに沸くゴール裏。

よく、同点に追いついたなと思う。以前の東京だったら、「先行されて、やっぱり今回も勝てないのか」 と選手達も私達もフッと思っただろう。

今までの勝負弱いと言われていた東京だったら、多分、追いつけないで、もしかしたら、もっと点差が開いて負けていたかもしれない。

でも、今年は違った。前線の選手達が頑張って点を取ってくれる。

だからこそ、もう少し、後の選手達が頑張って欲しかった。

でも、鬼門の鹿島スタジアムで負けなかった。それも、追いついてのドロー。

帰りの車の中は楽しかった。

次は、天皇杯。代表に呼ばれた、森重とヨッチはいないが、

ガンバレ!! トーキョー!!





今回は3枚だけね。
以前、来た時には、出てくるわ出て来るわ、14枚くらいまで数えて分からなくなった。友達と、「ひょっとして、今までの分を蔵から出して来て、虫干し?」 と笑った。







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FC東京、浦和と引き分ける。

2014-08-24 20:02:52 | FC東京とサッカー
浦和との試合と言う事もあったが、天皇杯の時に、忘れ物をしたので、早くに出かけた。忘れ物で電話した時に、係りの人に、「浦和戦なので、早くに取りに来て下さい」 と言われたので。

文庫本を忘れたのだ。本は、別にいいのだけど、ブックカバーが会員限定で買ったもので、もう絶対に手に入らないから、それで電話してみたら、届いているとの事。良かった。

その後、娘と連絡をして、娘と顔馴染みのお店でランチを食べた。

昨日は、用があって来れないといっていた友達を思い出して、取っていた席を開けたら、直ぐにおじさんが座った。

そのおじさんと、試合前から、盛り上がった。

ユルネバの時に、「大事なマフラーを忘れた」 と言うから、「ウチワでいいんじゃない」 と言ったら、ウチワを掲げていた。

でも、ユルネバの時の浦和のブーイングは凄かった。

ローソンでの会員チケットの買い方を教えてあげた友達夫婦が観戦に来ていて、彼女達は、遅かったので浦和に近い場所だったので、そのブーイングがうるさかったそうだ。

「FC東京の、あの英語の歌を聞きたかったのに、浦和のブーイングがうるさくて聞こえなかった」 と笑っていた。

「試合中も浦和の応援が上からも降って来たけど、凄いね、ピタッと合って、拍手も乱れなくて」 と感心していた。

でも、浦和って、昔に比べて人数が少なくなった。昔は、バックスタンドの真ん中近くまで浸食していたのに。あの頃の応援の声は、轟音だった。

浦和も東京も失点の少ないチーム。だから、大方の人が、固い試合になるだろう、一点勝負の試合かな、と思っただろう。

ところが、4-4、合計8点も入るような、数字だけを見れば派手な試合になった。結果だけを知った人は、何が起きたのだろうと思ったかもしれない。

まさか、私もこんな点の取り合い(?)になるとは思わなかった。でも、PK3本は、ちょっと…。

3-1と勝っていたのに、勝ちきれなかったのは、悔しい。

でも、以前の東京だったら、このような試合展開では負けたかもしれない。中断明けから、点が取れるようになった。頼もしいと思う。

特に、武藤くん。

旦那さんと観戦に来ていた友達が、「武藤くん、凄いね。可愛い顔をしているし」 と。
「あら、内緒にしていたのに、見つかってしまったね。」
「まだ、大学生だって」
「そうよ、慶応ボーイ。ウチのユース育ち。トップに上がるのが自信がないって大学に行ったのよ」

3点目が入った時、あんなにうるさかった浦和の人達が、“シーン”となったそうだ。私達は、大騒ぎしていたので、気が付かなかったが。面白かったよと言っていた。

でも、気を取り直して始まった浦和の応援は、そのボリュームがアップしたそうだ。

しかし、森重や徳永がPKを与えてしまったのは、やっぱり、疲れていたのだろうなと思う。判断が、コンマ何秒か遅くなったのだろう。それに浦和の大きなサイドチェンジに、チェックに行ききれない。

この暑さの中、中2日はキツイ。それでも、よく、選手達は走っていた。終了の笛で、ピッチに座りこんだ選手達もいた。本当にお疲れ様でした。

だけど、友達も言っていたが、エドゥーの所で、ボールが収まらないのはキツイな。平山の退場が悔やまれる。大事にならない事を祈る。

隣のおじさんが、「続けて2試合応援したみたいな気分だ」 と。
「本当に、そうね。勝った試合と、引き分けた試合ね」 と私。

「また、どっかで会ったらヨロシク」 と握手して先に帰って行った。

しかし、どうしても浦和には、勝ちきれない。今年こそ、快勝したかったが、また来年に持ち越しになった。

ゴールの4点取った事は、素晴らしいけど、失点の4点がどうして、と思ってしまう。

きっと、浦和もそう思っているだろう。

友達夫婦が言った。
「本当に面白かったよ。初めは、一応、東京を応援していたけど、あなたには悪いけど、途中からサッカーそのものを楽しんだよ。本当に楽しかった」
「ぜひ、また、来て。チケットの買い方は分かったでしょ。」
「主人も面白かったと言ってるから、また、ぜひ行きたい」

勝てなかったけど、4回もワッショイして周り中とハイタッチを繰り返して、私も楽しかった。

今度は、鬼門のアウェイ鹿島。

ガンバレ!! トーキョー!!








コンコースでのミニトークショー(?)








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天皇杯、FC東京勝利!

2014-08-21 18:15:55 | FC東京とサッカー
昨日は、本当に暑かった。蒸し暑かった。

平日の夜は、いつもゴール裏の入り口に近い所に席を取る。都心に勤める仲間が、直ぐに席に着けるように。でも、結局、遠くからくるので来れなかった仲間もいた。

私の娘婿は、マリノスのサポーターだが、松本出身なので、どうしても味スタに行きたいといっていたが、勤め先の横浜からは無理だと嘆いていた。

昨日は、天皇杯・平日なので、いつものように早くは行かなかった。

夕方になって日が暮れて来ても、時々、風は吹くが、やっぱり蒸し暑い。

私も、何となくバテ気味で、立つ気になれなくて、座って応援していた。

選手達も、立ち上がりは、何となく体が重そうに感じた。私がそうだからそう感じたのか。

でも、途中から、いつもの東京になって、走しる守備をしていた。

特に、河野くん。ゴールを決めただけでなく、守備にも走っていた。

特に後半、私達の目の前のタッチライン際での守備。ボールを持った相手選手に激しく行き、交わされても、諦めずに、3回も追いかけて激しく行き、最期は外へボールをクリア。

でも、その後に、河野くんの交代を告げられ、私はちょっとガッカリ。もっともっと河野くんのプレーを見ていたかった。

最近、本当に、河野くんはよく走り回っている。河野くん、ガンバレ!

ゴンちゃんのキックが最近、前線の選手にちゃんと届く。セカンドボールが味方に渡らない事はあるが、それでも、依然とは違うなと思う。

特に、最近の矢のような直線のキックにはビックリ。

昨日も、後半にこっちに向かって弾丸のように飛んで来たボールが、東京の選手(誰だったか覚えていない)の胸にバシ!っと渡った時には、ビックリした。

私達のどよめき、あれは何って。

ナオくんはやっぱりナオくん。彼がボールを持つと、何かワクワクする。ゴール裏も盛り上がる。

昨日は、カジくんを見たかった。もしかしたら、見れるかもと期待をしていたが、森重の退場があったから、しょうがない。

ドリブルで独走してキーパーと1対1になったカズマくん。期待で息をつめて見つめた私達の前。あれは、迷わずシュートを打つべきだよ。迷ったら、アッというまに囲まれてしまってチャンスを逸してしまった。

東京の選手もまだ上がって来ていなかったのだから、あそこは迷わず打つべきだった。たとえ、キーパーにぶつけても、大きくそれたとしても、私達のため息よりは拍手をもらえただろうに、残念に思う。

そして、去年はあまり見られなかった、大きなサイドチェンジやロングパス。それが、ピタッと決まる。鹿島みたいに。私が、鹿島のそういう所を、「上手いなー。」 といつも感心するので友達は笑っていたが。

後半、そんな所が本当に見ていて気持ち良く楽しかった。

それにしても、最近の東京の守備は凄い。無失点が続いている。そして、得点もしている。

何か、勘違いしそうだけど、土曜日の浦和戦まで待つ事にする。もし、浦和に勝ったら、一気に夢が膨らみそう。

土曜日の浦和戦が、非常に楽しみだ。

ガンバレ!  トーキョー!




スイカ割りのドロンパ



コンコースで子供達へのアンケート










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長渕剛のコンサート

2014-08-18 19:23:08 | Weblog
横浜アリーナで開催された長渕剛のコンサートに行って来た。

先月、フッと思い出した、「そうだ、長渕のコンサートがあったはず。行ってみようかな。でも、もう、チケットはないだろうな」 と。

でも、ネットで調べたら、武道館は売り切れだったが、横浜アリーナはまだ購入可能だった。

10年以上も前、Jリーグアウォーズで何回か行った事があるので、大体の席割は分かる。

一階のどこにしょうか迷った。正面だとステージまで遠いし、直ぐ脇は見ずらいだろうし、と悩んで決めた席はステージが見やすくて、ちょうど良かった。時々、横目で大画面を見たりはしたが、ずっと、ステージにくぎづけだった。

長渕のコンサートに行くと言ったら、「え?長渕のファンだったっけ」 と友達に言われた。

昔、子供が小さくて専業主婦だった頃は、ほとんどTVは見ないでラジオを聞いていた。そして、そこから流れて来た 「順子」 がすっかり気に入った。

それから、彼の歌を聞き、テレビドラマを見るようになり、ファンになって行った。

長渕の歌が、ちょっと静かな曲になり、周り中も静かになったので、私は座った。そして昔、「順子」 の曲を聞き始めた時は、何処に住んでいた時だったろう、と思い出の中に入って行った。

転勤で、いろいろな所に住んだ。多分、大坂時代だったのでは。あの頃は、子供も小さくて、夫も若くて元気で、幸せだったな…。まさか、今、夫が亡くなり、子供達も家を出て行きそれぞれの生活を営み、私は一人で生活するようになるとは、想像もつかなかったな。

そんな事を思っていたら、突然、胸が一杯になった。そして、長渕の歌が、「順子」 に変わった。

ああ、もうダメ、と思った。

長渕の 「順子」 を聞きながら、座り込んで、涙をポタポタこぼしている変な女の人になってしまった。

でも、「順子」 の歌が終わるまでは、そうしていた。

そして、また、立ち上がって身体中を揺さぶるサウンドの中に入って行った。

開場に入ってコンサートが始まるまでは、ちょっと寒くて、長渕のバスタオルが欲しいなと思っていたが、終わってみれば、暑い、そして熱い!

始めて行った長渕のコンサートだが、もっと尖がった人達が行くのかなと思ったが、本当に普通の人達ばかり。

それも、おじさん・おばさんが多い。それも、どちらかというと、サッカーよりも野球観戦に行くような人達。

最後に長渕が、「今度、10万人のコンサートをやろう!オールナイトで朝までやろう!皆、来てくれるかな!」 と言っていた。

夫と、夫が亡くなった年の2月に鹿児島のFC東京のキャンプ地へ行った。その時に、半日観光コースのバスで桜島まで行った時の事。

バスは、桜島を見学した後に、長渕がコンサートを開催した広場まで行った。

ガイドさんが 「ここで、長渕剛さんがコンサートを開いたんですよ。まさか、あんなにたくさんの人が来るとは思いませんでした。コンサートを開く前に、地元の人達に、たくさんの人が来るから地元にもそれなりの経済効果があるから、ぜひ協力して下さい、と挨拶に来ました。でも、地元の人達は半信半疑だったんですよ。それが、大変な賑わいで、ビックリしました。漁船まで出して、人を運びました。」 と。

それで、今は記念して、モニュメントを立てたそうだ。音楽は、一晩中、鹿児島市にも聞こえていたという。

オールナイトには、体力的に参加出来ないが、また今度、都内や横浜でのコンサートがあったら行こうかな。



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編集会議

2014-08-17 11:09:20 | Weblog
南ちゃん、ではなくて、もう一つのグループ 「稲城いきものみつけ隊」 で本を出す事にしたのだ。

今年の初めに立ち上げて、やっと、ほぼ概要が出来た。



皆で集まり、「いいね、いいね」 と、編集長の大ちゃんを労った。

稲城の里山が大好きで、そこに生息する生き物たちを、こよなく愛している人々がいる。

その人々が、もっともっと、その素晴らしさと知ってもらいたいと。

そして、「稲城いきものみつけ隊」 を立ち上げて、募集して集まった親子達と遊んだ夏の昼と夜。

里山の四季折々の表情を、そこに息づく生き物たちを、もっともっと知ってもらいたい、遊びに来てもらいたい、未来に残して行きたい、と。

私自身も、こんなに夢中なるとは思わなかった里山の魅力。

その中で、下草刈り・保全に汗を流すのも楽しいが、子供達とチョウや昆虫を探して歩き回ったり、芽を出した山野草を愛でたり、目をつむって小鳥たちの囀りを全身に浴びる心地よさ。

そんなこんなを盛り込んだ小冊子。

「春」 をテーマに原稿を、と言われた。

仲間の中で、一番、植物や昆虫やチョウチョウ達に疎い私は、「春と遊ぼう」 と生きる喜びをテーマにした。

そして、同じ春をテーマに原稿を書いたサラさんと、中身がかぶっている所があるので、共著と言う事でいいか、と大ちゃんに言われた。

もちろん、オーケー。私とさらさんの感性が似ているのだろう。南ちゃんで一緒に活動をしているから。

そして、出来上がった私とさらさんの文章。我ながら感激!

皆で、文章や写真、レイアウトをチェックして、次回には最終版が出来上がる。

そして、それでオーケーならいよいよ発注になる。

すごく、楽しみだ。今からワクワクしている。

私の元原稿を書いておく。まるで、生きものみつけ隊ではなく、南ちゃんのテーマだね、と言われたが。


≪春と遊ぼう≫

眠りに付いていた里山が、目覚め起き上がる春
真っ青な冬の空に、突き刺さるように伸びる裸木
固く鋭角的な梢が、柔らかい春色の空にもやもやと色づいて来る春
里山がパステルカラーに染まってくると、透けて見えた遠くの景色が
膨らむ芽吹きに、視界が緑に閉ざされた里山になって行く
馴染みの鳥たちのさえずりの中に、美しく鈴を鳴らすように流れる鳥の鳴き声
稲城に来て初めて聞くその鳥の名を、仲間は「ガビチョウ」と教えてくれた
美しい声に中国から連れてこられ、逃げ出したガビチョウが繁殖したのだという
そんな鳥たちのハーモニーを聞きながら、里山散歩
藪におおわれた森の下草刈りをすると、2年目頃から
豊かに降り積もった落ち葉をかき分けるように、山野草が芽を出し、伸び上ってくる
愛らしいキンラン、ギンランだったり、エビネやシュンランだったり
桜の広場を取り囲む大きな山桜の花達は、見上げる春霞の空に溶け込んで眩しい
木漏れ日を受けて赤く燃える山ツツジ。
両手を広げ、目を閉じて胸いっぱいに春を吸い込む
生命が立ちあがってくる香りを胸の中に、そして体にまとい、
仲間と手入れした林の中を歩く
足を踏み入れることも出来なかった林は、遊べる林に変わった
寒さに固まった心と体を優しさに変えるためにも、春を遊ぼう
萌え出した里山では、山野草が出会いを待っているよ


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南ちゃんの畑へ

2014-08-16 10:44:00 | 南ちゃんと南山
昨日は久しぶりに、南ちゃんの畑へ行った。

夏時間は4時からだけど、3時半ごろには着いて、山を見ながらのおやつタイム。

お盆の15日なので、誰も来ないかもと思いながら、畑の草取りをしていたら、いつものメンバーが来た。

桜の広場の、シイタケの菌打ちをした後のブルーシートがそのままになっているので、その片づけをする事にして、桜の広場に登ったら、台風の影響で、枝が落ちたりして荒れていた。

片付けながら、小道を直したりして、嵐で汚れてしまったブルーシートをクヌギ林まで持って行き。そこに広げて、乾かす事にした。

その後、畑に降りて草取りをしていたら、親しくしている農家のカワシマさんが来て、ネギに肥料を一杯入れないといけないよ、と言われた。

ネギはカワシマさんにいただいて植え付けたもの。

それで、言われたとおりに、肥料を入れて、その上に刈ってそのままにしていた乾いたカヤを根元に被せた。乾いたら燃やそうと思っていたカヤも役に立つのだなと思った。



その後、隣のカワシマさんのスイカを見に行った。

スイカを組み立てた柵から吊るしているというので。

スイカが鈴なり!





なるほど、こうしておけば、私たちみたいにタヌキやハクビシンに食べられないか。

まだ、ちょっと早いけど、といいながら一つを取って、割って私達にくれた。

それでも甘くて美味しかった。

来週なら、もう大丈夫だというので、来週、譲っていただく事にした。

時計を見れば、もう、6時になる。日が暮れるのが、ちょっと早くなって来た。

帰りは一の森に寄って帰る事にした。





木々の生い茂っているシイタケ山の下り道は、薄暗くて、一人ならちょっぴり怖い。

まだまだ、真夏だけど、山の中の日陰は、風の流れに何となく夏の終わりを感じた。









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8月15日

2014-08-15 12:17:17 | Weblog
何十回もの8月15日を迎えたが、今日の8月15日を特別な思い出迎えている。

母が今年の1月に亡くなり、鬼籍に入った事が大きい。

やっと、両親や姉達、最愛の兄や夫と再会出来たのだから。そして、長女と私の夫とも。

母だけではないけれど、戦争に振り回され苦労に苦労を重ねた母。

母の姉達の父親は戦死し、母の母は随分と年の離れた夫の弟と結婚させられたという。それまで、女の子しか生まれなかったので、農家の跡取りとしての男子をどうしても産まなければならなかったのだ。

そして、やっと跡取りの男子が生まれ、もう高齢になっていた母から、思いがけずに望まれない状態で私の母が生まれたと言う。うらなりの女の子といわれたそうだ、可哀想に。

今度は、その大事な跡取りの兄が、町役場の不手際で赤紙が来て、あのノモンハンで戦死した。

姉達は皆結婚していて、まだ独身だった母は(母にはお嫁に行きたいとひそかに思っていた人がいたそうだ)婿を取らされた。

そして、姉が生まれたが、姉の父は姉が幼い頃に病死する。

母と、年老いた私の祖母と病弱の祖父と、農家をやるのは、辛い事だったそうだ。今のように機械の無いあの頃の農作業の労働は本当に過酷だった事だろう。

それがたたったのだろう、私が物心付いた頃には、病弱の祖父は病死していた。

そして、家の為に母は、中国戦線から復員してきた私の父と結婚した。2代続けての、家の為の再婚である。

昭和23年に私が生まれたが、その前後、農家なのに食べる物に困り、私は、未熟に生まれ、生まれた後も、栄養不良の母の母乳が出ず、何とかお米を調達して(農家なのに)粉にしてミルク代わりに私に飲ませていたという。

一つ違いの妹は、もう、食料も豊富になり、たっぷりの母乳で育った。

極端に小さく痩せていた私は、直ぐにお腹をこわしたり病気になり、村の医者から育つかどうかと言われたらしい。

でも、やせっぽちだったが、小学校入学した頃から、ありがたい事に、これまで病気とは無縁の人生を送っている。

私は小さいころから、母から戦死した兄の事を何回も何回も聞かされた育った。

戦争に行く時に、両親に別れを言うよりも、母に、ただひたすら母に、「フジ、後を頼む。達者でな」 と汽車に乗っていつまでも手を振っていたと。

老人ホームに入って、いろいろな過去の思い出がまだらになっても、母は、自分の夫よりも亡くなった兄の事を恋しがっていた。

まだ、元気だった母が、東京に住む私に、「靖国神社に行きたい。兄に会いたい」 と言ったので、夫と子供達と一緒に行った事がある。

参拝客もまばらな、穏やかの日。

母はいつまでもいつまでも手を合わせ祈っていた。

私達は、そんな母を目の隅にとどめて、境内を散策した。そこで、神社の木々から種が落ち、芽を出した小さな樹木の鉢植えを売っていた。知らない名前の 「モッコク」 という鉢植え記念に買った。今も、なぜか大きくならないが元気だ。



母は、長い御祈りを終わり、私達の所に来て言った。

「兄は、ここにはいない。もう、来る事はないよ。さあ行こう」 と。

今でも、あの時の、さばさばした母の顔が忘れられない。

あの世で懐かしい人々に会った母は、きっと、昔の元気な頃の母のように、仕切っているだろうな。

いつかは、私も、その仲間入りする日が来るだろう、いつかは分からないが。

そして、私の中での “戦後” が、やっと終わったように思う。


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田舎から帰って来て思う

2014-08-14 17:28:49 | Weblog
久しぶりに、本当に久しぶりに田舎の柏崎にお墓参りに行って来た。

息子に頼んで車で行って来た。

若い時には、車を運転する事が何よりも好きだった。

結婚前に免許を取り、夫は免許を持っていなかったので、いつも私が運転していた。

結婚してから東京に住み、その頃には関越道は出来ていなくて、お盆には大渋滞の三国峠を越えて行った。山道を1メートル進んで止まり、5メートル進んで止まりのノロノロ運転だった。夫は、助手席で小さな息子をだっこし、行きも帰りも私が運転していた。今のようにオートマだったら、楽だっただろう。

でも、若かったのか、全然苦にはならなかった。

その後、夫も免許取り、大阪に転勤になり、今度は、交代で運転しながらの帰省だった。

今の駅に近い所に住むようになって、必要なくなったので車は手放し、田舎へは新幹線で帰るようになった。

今回は、夫の実家にも寄りたかったので、車がないと、とても不便なので息子に連れて行ってもらった。

実家は誰も住んでいないので、ホテルの予約をしようとしたら、9日(土曜)しか空いていなくて、その日に行って来た。

前の金曜に会社帰りに来てもらって、土曜の朝に出た。始めて圏央道から関越道に入ったが、ほとんど渋滞はしていなかった。

まず、夫の実家に寄った。

夫の遺品で、お義兄さんに欲しいと言われたもの等を渡し、久しぶりに楽しくおしゃべりをした。

夫が何よりも思いこがれていた、大好きな夫の実家は何も変わっていなかった。

帰りには、車なので、コメや野菜等をもらった。コメ一袋(30キロ)は、車から家までどうやって運ぼうかと考えながらも。

「古米だけど、新米が出来たら、また送るから」 と。何よりもお米は有りがたい。これは私が食べて、新米は娘夫婦にあげよう。

翌日は、台風が来て雨が降りそうなので、翌日と思っていたが、帰りに私の実家に向かった。

先に、お墓に。

草取りやお掃除をしないといけないかな、と道具を持って行った。でも、一度綺麗にした後があり、その後に生えた草を綺麗にした。

途中で、お店かコンビニがあったらお花を買おうと思ったが、何もなくてお花は持って行けなかった。

家から持って行ったロウソクとお線香でお参りをした。

今年の5月に、お墓に入った母。やっと、帰りたかった田舎に戻って来たね。

子供が小さい時には、浴衣を着せて、提灯を持たせて大勢で来たっけ。遠い遠い昔なんだな、と思うと寂しい。

その後に、直ぐ近くの実家に行った。

誰も住んでいないので、庭は草ぼうぼうで、家を見ても悲しい状態になっている。甥が、せめて草取りでもしてくれていたらなと思うが…。

姉が生きていれば、二人で年に2~3回は来て草取りや掃除したりしたのにな…。

私が、

「夏草や兵どもが夢の跡」 だねと言うと息子が

「本当だね。子供の頃は、にぎやかだったものね」 と。

確かに。私の子供二人と、姉の子供の腕白な3兄弟、時に、妹の子供2人が、朝から晩までドタバタドタバタと走り回っていた。

元気だった父や母や夫や姉の声が聞こえてきそうで、胸が熱くなった。

母はモミジが大好きで、モミジのお庭みたいだった。その草だらけのの中から、モミジの赤ちゃんを見つけて、持って行ったスコップでいくつか掘り起こして来た。

10年近く前に持って来たモミジは、今、一鉢は盆栽風にして、一鉢は、娘の庭に地植えした。

大事に育てようと思う。

花が大好きだった母が、裏庭をお花畑にしていた。何か持って来たかったが、もう、草ぼうぼうで…。

アッと言う間に過ぎ去った思い出達。なるべく過去を振り返らないようにしているが、時に、どうしょうも無く辛くなる時がある。

目をつむって、ちょっとだけ身をゆだね、目を開けて、今と少しだけ先を見つめて歩いて行こう。

従姉と妹の家族と会い、ちょっぴり疲れて、日常に帰って来た。

いっぱいおしゃべりが出来た、息子との二人だけの旅は楽しかった。




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田舎へお墓参りに

2014-08-08 20:30:19 | Weblog
久しぶりに、明日から田舎へお墓参りに行く。

8年前に父親が亡くなり、母を安城市に住む姉が引き取り、実家は無人になった。

両親が生きていた時にも、実家に行く時は、姉と二人で、春と秋に帰っていた。お盆は、何かと忙しくて、両親とユックリ出来ないので。

今年の初めに母のお骨を納めたので、本当に久しぶりに、お墓参りに行く事にした。

夫が亡くなり、夫のお兄さんに欲しいと言われていた、夫が集めていた郷土の種々の本等を届ける必要もあるし。

私の実家と夫の実家は、車で山越えの近道で30分くらいの距離だが、夫の実家も久しぶりに行く。

過ぎ去った年月を指折り数えて、こんなにも月日の経つのが早いのかと、寂しくて悲しくなって来る。

息子に車で連れて行ってもらうので、柏崎をウロウロしてみようかなと思っている。

そういえば、4年に一度開かれる同級会の案内状も来ていたな…。

同級会にも、ずっと出ていない。

昔、何回か出た事もあるが、年とともに、田舎に住み続ける人達との、すべての面でのズレや、考え方の違和感で居心地が悪くて行くのを止めた。

年を取ると同級生に会いたくなると、友達は言ったが、私は、同級生の顔を思い浮かべても、会いたいと思う同級生も先生もいない。楽しくない小学校・中学校生活を送っていたから。

夫や姉がいないのは、とっても寂しいが、私は、今を充実して生きている。

秋の終わりには、娘がお母さんになる。

あの、ちいちゃくて可愛かった娘が、いつも、「お兄ちゃん、お兄ちゃん」 とお兄ちゃんにくっついて遊んでいた娘が母親になる。

まだまだ、親としての仕事がある、頑張らなければ。


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夏のシクラメンとフウセンカズラ

2014-08-07 17:19:02 | 花と自然
真夏なのに、シクラメンが次から次に咲く。



他のシクラメンの鉢は、いつもの夏の状態の葉を付けたものや、夏眠に入ったものや。



一鉢だけ、それも、ベランダの一番、陽の当たる暑い所にあるのに。

まだまだ、蕾があるから、これからも咲いて来るのだろうか。

今年のフウセンカズラは、たくさんの緑のフウセンが風に揺れている。

ずっと前に、友達からフウセンカズラの種をいただき、毎年、3~5株程、育てて種を取り育てていた。

ところが、去年、そろそろ種を収穫しょうと思っていたら、夜のうちに強い風が吹き、全ての風船が飛んで行ってしまった。

それで、友達に、種をもらったら、たくさんの種をいただいき、今年、大きめの植木鉢に種をまいたら、たくさん、芽を出した。

娘に少し持って行ったけど、そのまま、間引かないで育てたら、たくさんのふうせんが可愛く涼しげに、ぶら下がっている。

最近、毎日、風が強いので少し心配している。

茶色になったら、風で飛んでい行く前に収穫しなければと思っている。







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