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人生アラカルト

どうせ過ごすなら楽しくね。

80以上、スマホの必要度

2016-08-22 21:09:21 | 80はミステリーゾーン
スマホに挑戦しようと決意して、家の近くの系列の
専門店へ行った。

電話してあったので、店長らしき人が私のお相手を
してくれた。ひとしきり、スマホをやってみようと
いう私の意気込みを聞いた後、店長はケータイでい
くら使っていますか、と聞いてきた。

随分前のひと月の請求書を見せた。

店長はすぐに答えを出した。

いままで通り、これでいったらいいと思います。

使用料が少なすぎるということであった。

スマホではこれの何倍ものお金が必要。

もともと、電話とメールしか用がなかったのだから、
スマホにはいらないアプリがあって、ほとんど無駄
になる。

一刀両断でばさり。

かなり使い古したガラケーを変えようと思うのなら、中
古品を買えばいいと、教えてくれた。

なんか、これがほしいとだだをこねる子供に噛んで含め
る説明であった。


家電のスーパーでは、なんとか私の意にかなうものがない
か、と探してくれた若い店員さんに比べて、専門店の店長
さんは、80過ぎの老人に無駄な努力をさせまいとする意向
が見えた。

要するに予選落ちである。
前にも、がんの手術前地域包括センターのお世話になろうし
しくじった経験を思い出した。







ついにスマホの世界に

2016-08-22 07:00:07 | 80はミステリーゾーン
おれは電話とメールしか利用しないから、ガラケーでいいや。
と、思っていた。

ところが、人間の生活は時間の速度をどんどん増している。
「我」を通そうとしたら、おいてけぼりをくって、人生おしま
いになりそう。

亡くなった新聞社の先輩が、声で印刷されるまで、ワープロな
んか使うもんか、と万年筆で原稿書いていた。PCの世界に突
入すると、先輩は達筆でいい原稿を書いていても、手足まとい
の存在になった。

いまや、言った言葉でロボットが動くし、スマホが答えを出す。
万年筆派の先輩はスマホの進化を多分知らなかっただろう。

昨日、別の目的で家電量販店に行った時、スマホ売り場をのぞ
いていたら若い店員さんが「ガラケーはなくなりますよ」と言
った。いま、ガラケーにスマホの機能をつけた「ケータイ」も
あると。

いよいよ、我も万年筆派になったかの感じ。

そういえば、先日テレビで生後6か月の赤ちゃんがスマホで自
分の写真を探そうとしているのを見て驚いた。

目的がある。秋に北海道旅行を計画している。
秋までスマホを使えるようにして、赤ちゃんの先を越したい。

店員さんに、進歩したガラケーの「ケータイ」に「近所のラー
メン屋」と叫んで教えてくれるかと、聞いたら「聞いて来ます」
といっていなくなった。店員さんも知識不足。

その間、目的の調べをしてると、店員さんが帰ってきて「スマホ
でなければ、ラーメン店はみつかりません」と言った。
新潟の娘も「スマホ」と決めつけてくれた。


それで、決まり。
じじいの挑戦がまた増えた。




ここは暑さに抵抗せず

2016-08-21 11:44:18 | 80はミステリーゾーン
今年は法事が相次ぐ。
今年は母親の25回忌があり、9月には妻の13回忌を
予定している。

人としての儀式は最後は自身の葬儀のみ、か。

昨日から、夏バテで家に蟄居している。
意欲を失っているときは、碌な考えが浮かばない。

と思っていたら、テレビでオりんピックでの日本勢
の活躍が伝えられている。

これまで、陸上は日本人はとても勝てない世界であ
った。それが男子の400mリレーで、見事銀メダ
ルを取ったではないか。

どうだ、じじい元気出たか。

出た。

でたけど、現実の世界からどんどん離れて行く。

フルートは吹いているか。

吹いている。先日、長年使っている「むらまつ」製
をメンテナンスしてもらった。年に1回調整してもら
っているが、ピカピカになって都度意欲が湧く。

今度、上越の先生の発表会に出よう思っている。

練習せんとあかんな。

そや、うちで練習すると迷惑かけるから、近所のカラ
オケ屋、公園などを練習場所にするつもりだ。

がんばれ。

オリンピックじゃないから、頑張らない。
まず、暑さに負けないで生きること。












タンゴが認知症治すきっかけに

2016-08-16 23:34:06 | 80はミステリーゾーン
面白いテレビをやっていた。

なにをしても回復の様子のない母親の認知症に悩む息子。
ドライブ中ラジオから流れる「ラ・クンパルシータ」に
母が指でタンゴのリズムを打っているのを見つけた。

息子は早速ダンス教室へ母を連れて行った。見るだけの
母はやがて先生に手を取られて踊り出す。

母は認知症から脱却するのに成功し、海外旅行にも行く。


シナリオ作りで無いことは、患者だった母親の姿を映し
出している。


認知症から抜け出すきっかけのNO1は社交ダンスだそうだ。
2番目は忘れた。3番目が楽器だった。

こういう風に、テレビのデータは自分の都合の良いように
受け取る。

私は「タンゴ」「ラ・クンパルシータ」「楽器演奏」だけ
に注目した。

社交ダンスは踊れないので無視。

タンゴもクンパルシータも楽器演奏も興味ない人は、「ほ
んまかいな」とい目でTVを見ていただろう。

そうや、私だってそんなことありか、との見方だった。


「ひもじい」という言葉

2016-08-15 18:59:33 | 80はミステリーゾーン
「ひもじい」という言葉知ってるかい。
「お腹が減ったことや」

「減った」とその時ばかりの状態じゃないのだ。
毎日、お腹が減っていることなんや。


「ひもじい」を知らない子にはこれだけの説明が
必要かもしれない。

夏休みにスーパーに来ている子供たちにはありえ
ない世界が70年以前、いやその後もあったことを
教えたい、と思う。

すべて、戦争の結果、人類は馬鹿げた行為を繰り
返し行い、人々は子を失い、国土を荒廃させ、そ
してみな「ひもじい」思いをした。

戦争とは「普通」の状態ではない。「普通」で無
い状態が日本では70年にわたり、続いてきた。

どうか、この「普通」がいつまでも、いつまでも
続くよう80のじじいは願う。

たとえ「ひもじい」という言葉がなくなったとして
も。

命綱をつけながらオートテニス

2016-08-10 05:56:21 | 80はミステリーゾーン
オートテニスとはバッティグセンターのことでテニス版。

毎日36度以上、京都の暑さは半端ではない。
エアコンの部屋に閉じこもって逃げているのでは負けである。
ここは暑さに向かって壁打ちと、オートテニスに出ている。

ただし、いつでも身体の調子を見ながらいつでも動きを中止で
きる”命綱”をつけている。

コートではかんかん照りの日もゲームにレッスンにそこそこ満
杯状態。コートの中では40度はあるだろう。
若い時は温度なんか全然気にせず、コートに立っていたものだ。

年を取って向こう意気はあっても、長時間の試合や練習は禁物
だ。

胃袋に飛び込んでも泳げるくらいお茶を飲んで(おっと、私には
胃がなかった)打ちを始める。今日の目標は20分、歩数計では
3000歩。

余力を残しながら、この日は終了。

さて昨日のことであった。
コートテニスに30分の予約を告げて車で15分のコートに出かけ、
る。5秒間隔で飛んでくるボールを打つこと30分間、休みなし。
汗だくで頑張った。

帰って昼ご飯を食べたが、食欲なし。
影響はじわりか。

晩飯も進まず、調子が良くない。
これは、練習の結果か。ほかに原因があるのか。

翌日、起きると腹が減ってたまらない。

??ー。あれが限界か。
”命綱”は効いていたが。






歩きながら「アイウエオアオ」

2016-08-09 08:22:28 | 80はミステリーゾーン
国道24号わきの歩道で歩きながら発声の練習をする。
行きかう車の音は、少々声を出してもかき消して
くれる。

アエイオウアオから始めてわえいおうわおに至る
まで音階を変えて練習する。

音階の次は「アシータハマベニ・・」を低い音程
で始める。曲は高くなっていくので練習にはうっ
てつけだ。

人が来ると黙る。



稲荷山登山でボケ防止の「100-7」

100、93、86、79,72・・・

だれが考えたか知らんが、7が一番いい。

歩くだけではつまらんからね。

足を鍛える器械で、記憶練習をする。はさみ、トラ、
メロン、ドライバーを覚えるために「はとめど」と
声を出す。



練習をなんのために?

もちろん、足腰を鍛え、ぼやけずに生きるためさ。






死ぬまで社長やれ、いわれたら

2016-08-08 00:21:08 | 80はミステリーゾーン
オリンピックの真っ最中に国民は天皇のお言葉に
釘付けになった。

やはり、国民の象徴という存在は途方もない世界
に生きていらっしゃる。

分かりやすく言うと、あなた死ぬまで社長やで、
いわれたら、あなたどうする。

「堪忍して」普通の人なら逃げの姿勢を見せるの
ではないか。それが許されない。

ありがいことである。

今のところ私には感謝の言葉しか浮かばない。



女子マネはグラウンド入るな、か

2016-08-03 12:09:28 | 80はミステリーゾーン
甲子園では、ノックのお手伝いもしてはあかんのか。
女子マネは、ときには選手以上の力あり、だよ。

どの世界でも男だ、女だという線引きはトイレくらい。
甲子園では、女子は「危険だから」グラウンドに出てはあかん
と、ルールにあるらしい。

時代遅れ。

あの退屈な試合前のノック練習に女生徒が監督にボールを渡す
図は絵になると思うよ。

新聞の投書欄に、「やめてほしい」と4つの提案があった。
・本塁打を打った後の派手なガッツポーズ。
・全員が一本指で天を指す。
・監督が選手を「こども」いうのをやめよ。
・ブラバンの定番ばかりの演奏から脱皮せよ。

どれもこれも、私は気にならんが。

新聞記者在職中、負けた方のチームを持ち上げよと指示した
デスクがいた。実につまらん紙面ができた。
勝負事は勝ってがなんぼのもんや。
勝つ。
それだけ。

ホームラン打って「悔しかったら、お前らも打ってみ」とば
り手を上げてベースを回れ。




話は外れるが、
タイガースはもうあかん、と思っていたが、いつの間にか4位
に上がっとる。

ファンの喜びは常勝よりうれしいのと違うか。






母の25回忌に思う

2016-08-02 23:59:49 | 80はミステリーゾーン
親孝行したい時には親はいない、と思いながら今年は
なんと25回忌を迎えた。

81歳を頭に4人の兄弟姉妹が集まって、金沢のお寺で
法要を営んだ。

父は昭和26年に50歳で亡くなっている。
それから、母は父が仕事をしていた京都を離れ、父の
実家である金沢のお寺に帰った。

それから、最初は保母をしながら、4人の子供を育てた。
一番上が私だったから、母の苦労を一番知っているはず
だが、馬鹿息子のこと、時だけ稼いで大きくなった。

教育者であった父は、高校を新制高校と呼んでいたころ
こと。今にちの学制の発展ぶり?を知ったら驚くだろう。

まだ、GHQなるアメリカ支配の時代に学制改革の仕事に
力を注いだ。だから、苦労を重ねて早くに亡くなった。

と長く思っていたが、最近読んだ本によると、そのころ
平均寿命がまだ50歳ちょいだった。

だから、そう早死でなかった。
でも、父はやるだけのことやって死んだんだ。
もしあの世で、のんびり屋の息子が全国紙の記者になっ
ていたことを知ったら、ひっくり返るほどびっくりした
だろう。

それより、今ほど社会保障制度が充実していなかったこ
ろのこと。苦労したであろう母を思い、「ほんまに、お
世話になりました」と手を合わせ、焼香した。