すっぴんハート

心の声、つぶやきを思うまま綴ります

甘いサラリーマン

2010年06月14日 | 思うこと
一度も転職をしたことのないサラリーマンは、考え方がすごくあまい。
世間の冷たい風にさらされたことがなく、自分の実力も見えず、ただ毎月振り込まれる月給を当てにしてるだけの人達だ。
昔、「サラリーマンとは、特殊な能力もなく、行き場の無い人がなるものだ。」と、聞いたことがある。
確かに当たっている。そのうえ、学校を卒業して、そのまま自分の力を試さず会社に入社した人達は、本当に自分の力を発揮できず、ただのほほーんとしたダメ人間そのものだ。
そういった人達ほど、自分の力を過信して会社を伸ばしているのは自分だと思っている。
本当に会社を知っている人は、転職者なのだ。
いろんな会社を渡り歩いて、何が一番良いのかを肌で感じ取っている。
転職者たちの話は、現実味がある。
そして、いろんな立場からの考え方ができる。
今、私のいる会社の人達は、考え方が甘すぎる。
全然、危機感がない。
そして、会社を倒産させるのは、そういった甘い考えの持ち主である。
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2010年06月12日 | 思うこと
小学生の頃、手芸部にいた。
でも、自分から進んで入部したんじゃなくて、必須クラブで、どこかに入部しないといけない状態だった。
運動も出来なくて、芸術にも疎くて、仕方ない無しに手芸部にした。
やっぱり手芸部は女の子のクラブらしく、ハンカチに刺繍をしたり、簡単な洋服を作ったりする。
手先が不器用なので、どれを作っても見栄えのいいものはできなかった。
しかし、必修クラブなので、辞めれば、またどこかのクラブに入らないといけない。
結局、宙ぶらりんの状態で1年を過ごした。
今考えると、化学部とか数学部に入部したらよかった。
そしたら、今よりもいい頭になっていたかもしれないし、いい人生を送っていたかもしれない。
何がきっかけで、人生が開花するかわからない。
もしかしたら、明日、別の道がひらかれるかもしれない。
だから、人生はやめられない。
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自転車

2010年06月10日 | 思うこと
私は、子供の頃、自転車にあまり興味が無かった。
しかし、父が新しい自転車を買ってきたので、乗る訓練をさせられた。
父が、会社から帰ってくると、自転車を引っ張り出してきて、無理やり乗らされる。
ほかの人から見れば、自転車の乗る訓練をさせるいい父親に見える。
私は、父が会社から帰ってくるのが、嫌だった。
でも、乗らなければ、ものすごい叱られる。
叱られるのと、乗るのを比べたら、乗るほうが、賢い選択だった。
結局、自転車には乗ることが出来るようになった。
しかし、あまり自転車を好きではなかったので、歩きのほうが多かった。
私は、あまり何をするにも興味は無いほうである。
今では、あの時、自転車の訓練をしていてよかったと思う。
この年で、自転車に乗れないのは恥ずかしいから。
スイスイと乗れる自転車で、遠くまでいけるような気がしてきた。
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犬太郎

2010年06月08日 | 思うこと
私は、動物を見て、そのまま直感で、雄や雌を決め付けてしまう癖がある。
犬は、雄。猫は、雌。ハムスターは、雄。という具合に。
うちの、愛犬は、雌である。
しかし、犬は、雄と思い込んでいる私は、雌の犬に「犬太郎」と呼んで可愛がっている。
でも、犬太郎と呼んでも、自分ではないと思っている愛犬は、全然そばに寄ってこない。
母がつけた名前を自分の名前と思って喜んでいる。
でも、どう見ても犬太郎である。
犬太郎は、私をご主人様だと勘違いしている。
私が、会社から帰ってきたら、えさを食べるし、糞尿をする。
それまでは、ずっと隠れているらしい。
私は、犬太郎が人見知りをしていることを知らない。いつも両親に、私のいない間のことを聞くと、どこかへ行っていないらしい。
ややこしい犬だ。
でも、かわいい。
私の変な思い込みのせいで、犬太郎と呼ばれている愛犬は、幸せなんだろうか。

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ボケ老人

2010年06月06日 | 思うこと
ボケてしまった老人は、同じことばかり繰り返して話している。
一応、何度でも同じ話を聞いて応えてあげるが、ちょっとうんざりである。
ボケ老人にとっては、リピートする話を、すぐに忘れてしまうのか、それとも何度も繰り返さないといけないくらい大事なことなのか、私には不明である。
私は、ボケてはいないが、同じ話を同じ人に2~3度したことがある。
さすがに、その人は、私が繰り返す前に、その話をして、私に「アッ。」っと、悟らせたことがある。
私は、繰り返した話を、もっと面白おかしく話を広げたかったのを覚えている。
ボケた老人も同じことをしているのだろうか。
でも、何度聞いても、面白くないし、話が広がっていかない。
もう脳が退化して、新しい情報を覚えるのが出来ないと、わかってしまった。
ボケた老人同士なら、話が合うかもしれない。
聞いたそのたびに忘れていくから。100回でも200回でも繰り返して話しても違和感無いだろう。
ボケた老人は、もう若者と接するのは止めたほうがいい。迷惑はなはだしい。

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