今、私は、心から信頼できる親友が一人いる。
いい年こいて、親友なんて言葉が言えるのは、まだ幼稚なのかもしれないが、何でも話せる唯一の人だ。
一度、人間不信に陥って、引きこもり生活をしていたことがある。
その時、私は、携帯電話も持っていなくて、パソコンも持っていなくて、人との接点がまるっきり無い状態だった。
何とかして、友達は連絡を取ろうとして、手紙を送ってくれた。
でも、人が信じられなくて、その手紙も破ってしまった。
数ヶ月が経ち、家族がパソコンを買ってくれた。
何気なく友達の存在に気づき、パソコンからメールを送ると、返事がきた。
何をとがめることもない普通のメールだった。
友達のメールアドレスは、毎年くる年賀状に記載されてあるものだった。
普通、個人情報を極力さける状態でくる年賀状に、メールアドレスと、携帯電話の番号まで印刷されていた。
なんか一部の嫌な人間達を見て、全部がそうだと決め付けていた私は、友達の優しい心遣いに嬉しくなった。
人間不信は、しばらく続いたが、友達とのメールのやり取りで、やっと、人の心の温かさを知った。
まだ、人間不信は治ってないけど、一人でいい心から信頼できる友達を持つことの大切さを教えてくれた人だった。
いい年こいて、親友なんて言葉が言えるのは、まだ幼稚なのかもしれないが、何でも話せる唯一の人だ。
一度、人間不信に陥って、引きこもり生活をしていたことがある。
その時、私は、携帯電話も持っていなくて、パソコンも持っていなくて、人との接点がまるっきり無い状態だった。
何とかして、友達は連絡を取ろうとして、手紙を送ってくれた。
でも、人が信じられなくて、その手紙も破ってしまった。
数ヶ月が経ち、家族がパソコンを買ってくれた。
何気なく友達の存在に気づき、パソコンからメールを送ると、返事がきた。
何をとがめることもない普通のメールだった。
友達のメールアドレスは、毎年くる年賀状に記載されてあるものだった。
普通、個人情報を極力さける状態でくる年賀状に、メールアドレスと、携帯電話の番号まで印刷されていた。
なんか一部の嫌な人間達を見て、全部がそうだと決め付けていた私は、友達の優しい心遣いに嬉しくなった。
人間不信は、しばらく続いたが、友達とのメールのやり取りで、やっと、人の心の温かさを知った。
まだ、人間不信は治ってないけど、一人でいい心から信頼できる友達を持つことの大切さを教えてくれた人だった。