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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

2011-07-24 02:24:18 | Weblog
土曜の夜、テレビを見ていたら坂本美雨の歌声が心地よく響いた。
冷静で、豊潤で、音のひびく空間になめらかな曲線を産み出すような、
しばらくひたっていたくなる曲だ。

クリアでテクノなポップチューン?
ナチュラルでささやくような都会的ロック?
ただようようで冷静なあたらしい環境音楽?
落ち着いたモダンな空間の広がりを感じる。

何回もテレビで聞いたことのある曲だけど、
今日はなぜか気になって何度もyoutubeで試聴。

・坂本美雨「Precious」
http://www.youtube.com/watch?v=e2iqNDizpbc&feature=related

若くしてデビューした人だけど、30を過ぎた今がいちばん表現豊かに感じる。
すてきな人だなと思う。
エフェクターに負けない地声。
硬質さと透明さのバランスは、良質な日本ワインを思い出す。
日本的しめっぽさのなさと、日本的なしなやかさを同時に感じる。

海外で育った日本人や日系人といえば、さいきん資生堂のコマーシャルで聞くマイア・ヒラサワも印象的だ。

・Maia Hirasawa「It Doesn´t Stop」
http://www.youtube.com/watch?v=wn2eLMUKOro&feature=related

2年前に「海外で活躍する日本人女性ボーカリスト」という文章を書いたときにマイア・ヒラサワのことも書いたかな、と思ったけど、書いてなかった。
スウェーデン人だから書かなかったのだろうけど、当時から気にはなっていた。
http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/8737fe8b5ab8de318a7b9d8a1444bf07

さいきん、あまり興味のあるバンドはないけど、LAMAの動向には注目している。
90年代に一世を風靡した八戸・十和田出身のバンドsupercarの中心メンバー、
ナカコーとフルカワミキが中心になって結成したバンドだ。

・LAMA「Spell」
http://www.youtube.com/watch?v=ev5M_2uHbek

これは、元ブルーハーツの甲本ヒロトや真島昌利が中心となって結成したハイロウズやクロマニヨンズ、元ミッシェルガンエレファントのチバユウスケとクハラカズユキが結成したThe Birthdayに続く大きなニュースだ。
ライブに行きたいなぁ。

ナカコー(中村弘二)は一種の天才だ。
人それぞれ評価は違うと思うけど、ナカコーとradioheadのトム・ヨークがいればぼくは音楽に関わる必要はない、と感じてしまう。
ぼくが思いつくメロディーをはるかに上回る創造性を彼らが持っているからだ。
風景の中で、自分なりに思いついたメロディーをBGMがわりに思いうかべていることが多いけど、ふと気づくとナカコーかトム・ヨークの劣化版か?と感じることもある。

東京マラソンを走りながらも、ミャンマーのビーチ沿いの田舎道を歩きながらも、
iPodでスーパーカーやレディオヘッドの曲を聴いている。
坂本美雨の曲も入れておこうかな。
涼しげにテンポよく走ることができそうだ。ぼくの走るリズムはこんな感じかもしれない。


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バラの名前

2011-07-23 22:29:55 | Weblog
教育テレビでフランスの小村ジェルブロワのことが報じられている。
かつて廃村のようになっていたこの町に画家がやってきて、
オールドローズを植えたことがもとになり、現在はオールドローズの美しい村として
有名な観光地になっているらしい。

ぼくの育った山沿いの集落にオールドローズを植えるのもわるくないな。
そんなことを夢想する。

実家の庭にもバラの木はあったけど、品種名は知らない。
大輪の赤い花を咲かせるバラには大きなトゲがあって、
幼少時の自分がトゲに刺されて涙ぐんでいたことを思い出す。

ぼくは花が巨大化した園芸品種にはあまり魅力を感じない。
花と葉と茎のバランスに自然なものを感じる、原種に近い植物が好きだ。
バラだってチューリップだってリンドウだって、原種の小さな花に凝縮された美しさを感じる。

そういえば何年か前に「趣味の園芸」誌の編集者とオールドローズの魅力について語りあったこともあるけど、残念ながらぼくはオールドローズについてあまり知らない。

何しろ、オールドローズの品種名を知らないのだ。
カタカナの、なじみのない名前を覚えるのは苦手。
小ぶりなオールドローズの、環境と調和した色彩は魅力的に感じるし、
映像で見れば、「ああ、この花は知ってる。ガーネット色にそそられるんだ」とか
「赤色を支える黄色がまたしぶい色をしてるんだ」とか「この、もどかしい感じに
広がっている花弁の白色に心うばわれるよ」などと適当なことを言うのかもしれないけど、
花の名前を知らない。

もし、松下奈緒とか檀れいとか臼田あさ美とか小嶋陽菜などと言った名前を知らない人が、
あの清楚な日本女性はいいな、と感じたとき、その人のことを知りたいと思うだろう。
名前を知れば、その人のことを少しは理解している気になってしまう。
名前を知っているか知らないか、それだけの違いにすぎないのに。

だけど、名前を知っていれば妄想もしやすい。
名前という記号をもとに、自分の思考の一端に組み込むことができる。
美しさにおどろいでも、名前を知らないと「あの花は美しかったな」と思い出すことしかできない。

ほんとうは、名前を知っているからといって、相手のことを理解しているとは限らない。
容姿と名前と、外向けの態度しか知らないのに、
思考パターンも好き嫌いも癖も体質も気性も知っている気分になってしまうのは、
名前のせいだ。

言葉はおそろしい。
ついつい、「美しい」とか「幸せ」とか「平和」とか「民主主義」とか「正義」とか
口にしてしまうけど、ぼくらはどのくらいそれらの言葉の示す構造を把握しているだろう。

見知らぬ美しいものに興味を示す開拓者や冒険者、クリエイターたちは
今日も言葉にならない世界に向き合って、何かを記録しようともがいているのだろう。
そういう姿勢は、好きだな。


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警察派出所を暴徒が襲撃、4人死亡、デモ鎮圧への報復か―新疆

2011-07-19 23:37:45 | Weblog
以前、ゴビ砂漠を縦断するバスでウイグル自治区のウルムチからホータンまで24時間かけて南下したことがある。
ホータンに着いてから町中を散策していると道に迷い、市場で地元の人に道を聞いていたら、中国人の警官がやってきてパトカーで宿まで送ってくれた。

そのホータンで警官と人質が4人も殺害される事件が起こったらしい。
ニュースが気になるけど、日本のメディアが事件の背景にあまりふれていないことが物足りない。
中国政府系の新華社の報道を引用するばかりで、ジャーナリストらしい切り込みがない。

少なくとも、殺害された警察官が中国人(漢族あるいは漢族化した少数民族)で、加害者が中国国籍のウイグル人であるということや、
中国が長年ウイグルを武力で抑圧し支配しているせいで、ウイグル人たちの間に不満が鬱積していることを説明すべきではないだろうか。

ウイグルにはイスラム教徒のトルコ系民族であるウイグル人が多く、独立を求める彼らに対する弾圧は厳しい。
中国政府は、ウイグル人が中華民族として同化することを望んで支配を強めている。

ウイグル人は経済活動でも文化活動でも中国政府、漢民族の意に沿わない活動はできない。
新疆ウイグル自治区の奥地に行っても、ホテルやレストラン、商店の経営者やスタッフ、運転手、博物館のスタッフ、警察官などは入植してきた中国人がほとんどだ。
自転車タクシーの少年や屋台のおばちゃん、ナイフ屋のおじさんなどはウイグル人だったけどね。
中国人とウイグル人の権力格差や収入格差は大きい。

ウイグル人は漢民族に近い顔もあればアラブ人に近い顔もあるけど、基本的にトルコ系というか、東洋系と中東系のハーフのような、やや濃い顔立ちが多いので中国人と見分けることはむずかしくない。

「ウイグル人は法的に漢民族と対等の地位をもっているからウイグルを植民地ということはむずかしい」、などと言う人もいるけど、ウイグルの現実を見たことがあるのだろうか。
とてもウイグル人が中国人と同等の立場にあるとは思えない。

ウイグルが中国の植民地だと認めないことは、朝鮮半島や台湾が日本の植民地だったと認めないことに等しい。

植民地の存在は許せないと言う人のなかには、日本や欧米による植民地経営を断罪しても
中国によってウイグルやチベットが併合・植民地化されていたり、
沖縄によって宮古や石垣などが併合・植民地化されていたことを批判しない人がいる。

植民地からの搾取という構造的な問題に反対しているのではなく、別のものを攻撃したくて活動しているのではないかと疑ってしまう。

中国系メディアの見出しでは
「警察派出所を暴徒が襲撃、4人死亡、デモ鎮圧への報復か―新疆」
アメリカのニュースの見出しでは
「新疆ウイグル自治区で派出所襲撃=4人が死亡」
となっていた。
中国系のニュースでは、「暴徒」という言葉を使い、「ウイグル」という言葉は使っていない。

時事通信は記事の文中で「暴徒」と言う言葉を使っているが、毎日新聞は「何者か」という表現にとどめている。
それにしても日本の報道は新華社の報道に頼りすぎだ。
戦争中に大本営の報道に頼りすぎたことを反省していないのだろうか。

海外の報道では、事件の背景やウイグル人側のコメントも掲載してある。
海外の人たちだって中国の存在感の大きさは理解しているけど、
言うべきことはきっちり言う。
日本人みたいに周囲の雰囲気に合わせて波風立たないようにして動いていたら、
海外では意志あるジャーナリストとして認められない。

事件を報道するのであれば、事件の概要と背景、当事者双方の認識くらいはおさえておくべきではないかと思う。
中国政府に文句言われると面倒だから、と感じて及び腰になる人は、
きっと戦時中には軍部や好戦的な一般人に合わせた報道を行い、
戦後は手のひらを返したように民主主義や人権や平和の重要性を報道したのだろう。
そんな姿を見て、誰が信頼できるか判断する人もいる。


★★★★ウォールストリートジャーナル。事件の概要と背景、現状について言及。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000005-wsj-int
■新疆ウイグル自治区で派出所襲撃=4人が死亡
ウォール・ストリート・ジャーナル 7月19日(火)9時33分配信
【北京】中国国営新華社通信によると、新疆ウイグル自治区ホータン市で18日正午ごろ、数人の暴徒が警察の派出所を襲撃し人質を取って立てこもった.。このため、武装警察が出動し午後1時半ごろ事態を鎮圧した。襲撃で治安要員と人質の各2人が死亡し、治安要員1人が負傷した。しかし、暴徒のうち何人が殺害されたのかなど詳細は明らかになっていない。
ウイグル自治区では2009年に暴動が起きるなど、独立を求めるイスラム教ウイグル族による民族暴動やテロが散発的に発生している。ウイグル族の間では、中国政府は大量の漢民族を同自治区に送り込み埋蔵される石油を収奪するとともに、宗教の自由を厳しく制限しているとの不満が強い。中国政府はこうした批判を否定し、これら不満分子は国際テロ組織アルカイダと関係があると主張し、テロ撲滅に向け国際支援を呼び掛けている。
ドイツに拠点を置く世界ウイグル会議は、連絡をとったホータンの住民の話として、同地では土地紛争がらみで、警察が数カ所を家宅捜索し数人の若者の身柄を拘束、このため18日に約100人の住民が抗議行動を行ったという。
新華社がこの事件を報じた後、インターネット上では「ホータン」という言葉による検索が阻止されるようになっている。

★★★ロイター。事件の概要と中国政府とウイグル人双方のコメントを掲載。
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-22254720110719?feedType=RSS&feedName=worldNews
■ウイグル自治区の警察襲撃で4人死亡、デモへの発砲端緒か
2011年 07月 19日 10:57 JST
[北京 18日 ロイター] 中国の新疆ウイグル自治区ホータン市で18日、何者かが警察署を襲撃し、人質を取って建物に放火した。新華社によると、犯人ら数人は警察に射殺されたが、制圧の際に人質と警察官ら計4人が死亡した。
 報道によると、襲撃があったのは同日正午ごろで、警官隊が直ちに現場に動員され、犯人らを射殺。人質のうち6人は無事解放されたという。
 国営テレビは、事件は既に制圧されたと伝え、政府の反テロ部門チームが現地に派遣されたという。
 一方、ドイツに拠点がある在外ウイグル人組織の「世界ウイグル会議」は、現地住民の話として、警察が平和的な抗議活動に発砲したことが事件につながったと明らかにした。

★★サーチナ(日本の中国情報サイト。BBCの報道を引用した記事)。事件の概要と背景に言及。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000036-scn-cn
■警察派出所を暴徒が襲撃、4人死亡、デモ鎮圧への報復か―新疆
サーチナ 7月18日(月)22時18分配信
 18日午後12時ごろ、中国新疆ウイグル自治区和田(ホータン)市で警察の派出所が数人の暴徒が襲撃し、人質を取り立てこもるとともに放火した。中国の警察、武装警察が現場に急行し、現場で頑強に抵抗する数人を射殺。人質6人を救出した。18日付新華社などが伝えた。
 警察側は午後1時半ごろには暴徒を制圧した。武装警察官1人と補助警察官が1人、人質2人が死亡した。
 公安部によると、国家反テロ弁公室が担当官が指揮のため現場に向かった。
 BBCによると、世界ウイグル会議の広報担当者は「抗議活動に対する当局の弾圧が招いた結果だ」と話している。担当者によると、ホータンのウイグル人は、漢人による土地の収用などに抗議し平和的なデモを行っていたが、当局が発砲して鎮圧し、死傷者が出たことが原因となっている。(編集担当:中岡秀雄)

★レコードチャイナ(日本の中国情報サイト。新華社の報道を引用した記事)。事件の概要のみ掲載。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000018-rcdc-cn
■暴徒が派出所襲撃、武装警官ら4人死亡=対テロチームが現地へ―新疆ウイグル自治区
Record China 7月18日(月)21時15分配信
18日、新疆ウイグル自治区ホータン市の派出所が暴徒に襲撃され、武装警察官ら4人が死亡した。暴徒数人は当局によって射殺された。写真は10年6月、同自治区で行われた対テロ演習。
2011年7月18日正午(日本時間午後1時)ごろ、新疆ウイグル自治区ホータン市の派出所が暴徒に襲撃された。新華社が伝えた。
記事によると、暴徒は派出所に入り込んで警察官を襲い、人質を取った上で放火した。人民警察や武装警察官が現場に駆けつけ、暴徒数人を射殺。事態は午後1時30分(日本時間同2時30分)ごろ収束したが、武装警察官ら4人が死亡し、1人が重傷を負った。
中国公安部によると、国家反テロ工作協調小組弁公室は事件の処理のため、現地に対テロチームを派遣した。(翻訳・編集/TH)

★時事通信社。新華社(中国政府系)の報道だけ引用。事件発生の背景について言及なし。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110718-00000062-jij-int
■新疆で派出所襲撃、4人死亡=容疑者数人を射殺―中国
時事通信 7月18日(月)19時17分配信
 【北京時事】新華社電によると、中国新疆ウイグル自治区ホータン市で18日正午(日本時間午後1時)ごろ、公安局の派出所が暴徒に襲撃された。暴徒は人質を取って立てこもり、放火するなどして武装警察官ら4人が死亡、1人が重傷を負った。武装警察隊などが出動し、午後1時半までに容疑者数人を射殺。人質6人を救出し、事態を鎮圧したとしている。
 襲撃で死亡したのは武装警察1人、治安要員1人、人質2人。国家反テロ工作協調小組弁公室は事件処理を指導するため、同自治区に作業チームを派遣。警察を狙ったテロ事件とみて、動機や背後関係などを調べる。

★毎日新聞社。新華社(中国政府系)の報道だけ引用。事件発生の背景について言及なし。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110719-00000001-mai-cn
■<中国>新疆の警察で立てこもり…人質、警官ら4人死亡
毎日新聞 7月19日(火)0時33分配信
 【北京・成沢健一】新華社通信によると、中国新疆ウイグル自治区ホータン市で18日正午(日本時間午後1時)ごろ、何者かが警察の派出所を襲撃し、人質を取って立てこもった。警察などが出動し、襲撃した数人を射殺して約1時間半後に制圧したが、襲撃した者が放火するなどし、人質や警察官ら4人が死亡、1人が負傷した。人質はほかに6人いたが、救出された。襲撃の背後関係や要求など詳しいことは不明。
 中国政府はテロ対策の調査チームを現地に派遣した。新疆ウイグル自治区では08年8月にカシュガル市で警察施設が襲撃されるなどテロが相次いだほか、09年7月には区都ウルムチ市でウイグル族による大規模暴動が起きている。


時事通信とか毎日新聞は何をしているんだろう。
民族問題がからんでいることを知らないはずはない。
中国政府の目を気にしてややこしい問題はスルーしたのだろうか。
それは言論の自由をみずから返上する行為だ。

「新疆で派出所襲撃」「新疆の警察で立てこもり」という見出しも不用意。
「新疆」は新しい国土、ニューテリトリーみたいな意味で、中国人の視点だ。
ウイグル人の視点には配慮してませんよ、という姿勢を見せつけているようなものだ。


後追いで、時事通信はウイグル人側の認識も報道していた。
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011071900779
■抗議活動の20人が死亡=中国新疆派出所襲撃に反論-ウイグル組織
 【北京時事】中国新疆ウイグル自治区ホータン市で18日、公安局の派出所が襲撃され、人質ら4人が死亡、容疑者数人が当局に射殺されたと新華社が伝えた事件について、ドイツに拠点を置く在外ウイグル人組織「世界ウイグル会議」は19日、「抗議活動に参加していたウイグル族少なくとも20人が警察との衝突で死亡したものだ」と主張し、中国側の報道を否定した。
 同会議によれば、ウイグル族のグループが拘束されている家族らの釈放を求めて抗議活動をしていたところ、警察部隊が発砲したという。ほかにも11歳の少女を含む12人が重傷を負い、70人以上が拘束されたとしている。(2011/07/19-20:11)

中国共産党と仲のわるい産経新聞は、アメリカでの報道を引用している。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110719/chn11071913310001-n1.htm
■中国新疆の派出所襲撃、当局によるデモ阻止が原因か 
2011.7.19 13:30
 中国新疆ウイグル自治区ホータン市で起きた派出所襲撃事件で、米国の海外向け放送、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)などは19日までに、デモを阻止しようとした警察と、群衆が衝突したのがきっかけだとの見方を伝えた。海外に拠点を置く亡命ウイグル人組織「世界ウイグル代表大会」の話として報じた。
 同組織によると、ホータンでは18日午前、地元のウイグル族が、外部からの企業進出が相次ぎ、自分たちの土地が奪われていることなどに抗議するデモを計画。これに対し、公安当局が発砲してデモの実施を阻止したため、警察と群衆が衝突。その後、事件に発展したとみられる。
 18日の新華社電は、ホータンの派出所で暴徒が人質を取って立てこもり建物に放火、人質ら4人が死亡したと報道し、テロの可能性を示唆。しかし同組織は新華社の報道について「完全に事実をねじ曲げている」と反論している。(共同)


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サッカー女子ワールドカップ優勝

2011-07-18 08:41:04 | Weblog
夜更かししてテレビを見ていたら徹夜してしまった。
まさか優勝するとは。すごいなぁ。
世界のトップにはどんな分野でもなかなか立てない。うれしいだろうなぁ。
優勝が決まった瞬間、選手たちは全開の笑顔を見せて駆け寄って抱きついていた。
みんなでかたまって芝生の上に倒れこんで、気持ちいいだろうなぁ。

試合がはじまって早々から何度も相手に決定的なシュート機会を与えたけど、
バーに当たったり枠を外れたりして運よく危機を逃れた。
後半終わって1-1というのは随分ラッキーな展開だった。
3~4点とられていてもぜんぜんおかしくなかった。

アメリカの選手たちは端正な顔立ちをしているけど体は力強く、
えげつないまでの圧力で日本選手たちを翻弄していた。
スピードもパス回しも日本チームが勝っているとは思えなかった。

日本チームは個々のボールさばきもパスも走りもシュートもカバーもテンポがちょっとおそく、
相手に圧力をかけているようには見えなかった。

後半になると相手も疲れてきたのか意外にすこしはボールを持って攻撃をしかける機会もあり、
意外に大敗はしないかもしれないと思えた。

そんな中でも、集中力のなせる技か、ところどころですごいプレーを見せて
彼女たちは勝利をたぐりよせた。
ぼくはサッカーに詳しくないけど、すごいなと思ったのは次のような場面だった。

後半むずかしい場面で同点に追いついたMF澤のシュート。
相手DFを振り切ってキッカーの方に走り足先で横蹴りしたのか、ボールにちょっとかすって方向を変えたのか、相手DFに当たっただけなのか。
どうやればあのような角度でゴールポストにいれられるのか知らないけど、あれは難易度が高い技だ。

PK戦になったときはひさびさに手に汗をにぎった。
あんな舞台に立ってGKと向き合える人はすごい。
どんな心境なんだろう。

PK戦では、最初にGK海堀が足ではじいて防いだことが大きかった。
次にMF宮間が遠藤保仁ばりのゆるいキックを決め、よっしゃーポーズが緊張を解いた。
最後のPKのDF熊谷も、むずかしいところ、ゴール左上に迷いなく決めた。

アメリカの選手たちの呆然と悲しみに沈んでいる様子を見るとなんだか申し訳ない気持ちになる。
奇跡的に勝ってしまって恐縮する。

それにしても、日本の選手たちは、うれしいだろうなぁ。
ほんとうにおめでとうございます。
歴史に残るすごい試合をリアムタイムで見ることができました。


追記
世の中には、国家がなくなれば人々はもっと自由になれると考えている人がいる。
ぼくから見たら家族も地域も会社も猛虎会も国も宗教も国連もひとつの枠組みだ。
取り立てて国だけを嫌わなくてもいいんじゃないかと思う。
国民意識を嫌悪する人が家族の絆やタイガースの優勝に涙ぐんだりしてると、
なんだそりゃ、と感じてしまう。
国民意識なんか必要ないと思ってる人は、日本代表チームが注目をあびて
人々に一体感を与えている様子を見るとどう思うのだろう。
まあ、むずかしいことは考えず、親近感のあるチームを応援して、
はらはらどきどきすることを楽しんでもいいのではないだろうか。
吉本隆明さんあたりは意外に「おお、日本女子が世界一か。それはコーフンするなぁ」
などと言っているかもしれない。

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おいしいきのこ

2011-07-17 20:15:17 | Weblog
最近お気に入りの食材は、ハナビラタケだ。
下北沢のオオゼキでは1パック200円ほどで売られている。
白く波打つ姿に、これはおいしいに違いないと感じる人も多いだろう。
いつ購入してもその味に期待を裏切られることはない。

ぼくは主に炒め物に使う。
細切れ豚肉の弾力に、ハナビラタケのしゃきっとした歯ごたえは実によく合う。
塩コショウが加わった肉汁も、淡白なハナビラタケと相性がいい。

心地よい歯ざわりと弾力はキクラゲと少し似たところもある。
マイタケのように枝分かれした形なので、キクラゲよりもしゃきっとした歯ごたえを感じる。
ぼくは生キクラゲも大好きなのだが(これもオオゼキで1パック200円程度だ)、
最近はすっかりハナビラタケに心うばわれてしまった。

さっきはハナビラタケとオクラとピーマンと豚肉をそれぞれ別にゆでてから全部鍋に入れ、
GABANスパイスドレッシング和風醤油&バルサミコ、
さらに東村山のポールスタアの「ごまみそめんつゆ」をちょっと加えて混ぜて食べた。

バルサミコの香りをゴマのうまみが支える。
さっぱりした豚肉にハナビラタケの歯ごたえが爽快感とボリューム感がくわわる。
包丁も使わずにささっと作れる、じつに手軽でおいしい一品だ。
ビールがすすむ。

先日、ブックオフオンラインで農業関係の本を10冊買った。
ぜんぶ2000年以降の本だけど、1冊150円だ。
もうかる農業、センスのいいライフスタイルを実現する農業を考え中。

ハナビラタケ栽培農家っていうのもいいなぁ。
ツバメの巣とかフカヒレよりも、ハナビラタケはおいしいかもしれない。
中国人もぜったい好きだと思うな、この味は。
あ、健康にもいいらしい。

・かつらぎ産業(和歌山県)
http://www.k-katsuragi.jp/food_material/index.html


追記
さっき渋谷から歩いて帰ってくる途中にサミットに寄ったら「はなびらたけ」を売っていたので158円で買った。
オオゼキのハナビラタケと同じく生産者は長野県飯田市鼎名古熊のJAみなみ信州きのこセンター。
ただ、サミットのほうが1パックの分量がかなり少ない。オオゼキで買うほうがお得かな。

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療病院

2011-07-14 00:17:52 | Weblog
さっきテレビの歴史番組をながめていた。
厩戸皇子は四天王寺に療病院という施設を作っていたという。
療病院とは、現在の病院。

それを見て、ふと思った。
もしかしたら、数十年後には「病院」という語は不適切な言葉として排斥されているかもしれない。

「病院」は字面だけ見ると、「病んだ院」に見える。あるいは「病の院」。
これよりは、医院、治療院、施療院、療病院などのほうがポジティブな印象がある。
病を癒し、治すことが視野に入っている。

「獣医」だって字面だけ見ると、「獣の医者」に見える。
獣を治療対象にする医者だと読むこともできるけど、
いまどき獣(けもの)扱いされる動物も少ないだろう。
数十年後には「動物医」「ペットドクター」などに名称が変わっているかもしれない。

「産婦人科」だって、「産女性科」「助産科」「産科」などになっているかも。もうなってるか?
「小児科」だって、「子ども科」「幼児科」などになっているだろうか。
あたりまえのように扱っている言葉でも、時代が変わればへんな言葉として疎外されることは珍しくない。

いくら時代劇などで時代考証が大事だと言われても、言葉遣いも喫煙率もずいぶん現代にあわせた表現になっている。
歴史的な表現でも放送禁止用語だとか差別語だと認定されてしまえば、名称がなかったことにされてしまう。
(高橋貞樹の名著『特殊一千年史』は著者関係者の許諾も得ず『被差別一千年史』に改題されてしまった)

いま、ふつうに使われている言葉が何年か後に差別語として使用が制限されるかもしれないということは意識しておいてもいい。

正義を主張して何かを否定する言動の中にも、後の世に否定されてしまう要素があるかもしれない。


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組合

2011-07-14 00:09:07 | Weblog
協調性がなくて申し訳ないけど、ぼくはあまり組合に興味がない。
でも組合活動のことを知らないわけではない。

大原社会問題研究所とか労農党などの名前を聞いたこともなく、
執行委員長という名称や白紙委任状に何の疑問も持たないのどかな人たちが
たたかう姿勢をもつとは思えなくて、距離を置いているだけなのかもしれない。

亡くなった山登りの師匠は組合の闘士だった。
組合員のために命をかけて働き、心身のバランスを崩した。
たまに一緒に飲みに行く80近い大先輩も、過激な闘争を行っていた。
遊び好きな人だけど、ぼくがアナーキーな一面を見せるとぎろりと目をかがやかす。

きわめて穏やかで暴力革命や政治対立になんの興味も示さないぼくが
やさしく紳士的な元闘士の人たちに親しくしてもらえたのは、
相通じる素朴さと危うさがあったからだろうか。

もし、闘争激しい時代、そう、界隈の畳屋さんが
御社の屋上に赤旗掲げて声を上げていた時代があってね、と記憶をたどっていた
その場にぼくがいたら、かなりの頑固さは示していただろう。
ハトコも学生運動のときはバリケード作ってあばれていたらしいし。

現在の組合にはあまり興味がない。
もう10年以上も前のことだけど、白紙委任状というものの仕組みがよくわからなかった。
欠席する人は、議決を委任します、という紙に自分の名前を書いてサインだけして提出するのだ。
誰々に委任する、という欄はあるけど、そこには何も記入してはいけないと釘をさされる。

委任状は組合大会に出席する人に会場の入り口で手渡しされる。
誰かの委任状を持たされた人は、議案に対して賛成か反対か保留か、誰かの代わりに手を挙げる。
だけど、事実上「賛成」に挙げることが求められる。
「保留」などに手を挙げるぼくは陰口をたたかれる。
選挙実行委員長はさすがに直接理由を聞きにきてくれて、たしかに白紙委任状は一票の平等に反するし、委任する人の名前を書いてはいけないというのもおかしいね、と理解してくれたけど、その後も何も変わっていないのではないだろうか。
社内の狭い世界での旧態依然の行為だから、社外の人の目には届かない。

いまは力みもなく形式主義的でもなく自然でいいなと思うけど
むかしは組合の文書の日本語もひどく、日本語学や国語学を専攻・副専攻した人たちが
「これらの表現は日本語としてあまりにも不適切だ」と苦言を呈しても
理由を述べることなく「問題あるとは思いません」というコメントが返ってくるだけだった。
判断する力がないのに自分の基準で問題なしとする姿勢に官僚的なものを感じ、
そのようなところには染まりたくないと思った。

もっと組合に失望したのは、これももうずいぶん前のことだけど
当時同期の男が執行委員長や書記長をやっていた。
夜9時すぎに組合の集まりを終えて廊下で解放的な声を出して飲みに行く様子を横目に、
ぼくらは11時12時までは毎日働いていた。

同じ部署の社員が椎間板ヘルニアと診断され、別の人は顎関節症と診断され、1人は鬱のようになり休職し、ぼくも沈み込み、展望の見えない日々を送っていたけど、組合はあてにならなかった。
相談しても、問題を解決する気があるような態度には見えなかった。

まったく労働状況が改善されないのであらためて委員長に尋ねると、「あれ、ずいぶん改善されたと聞いたんだけど」というような返事が帰ってきて愕然とした。
いったいだれにそんなことを確認していたのだ。

年に一度の労働状況報告書を提出する前に、組合執行部の彼らの意見も聞いておこうと思い
「残業時間が年間1千時間を超え、サービス残業もウン百時間にはなっているが、支払いを求めて裁判になった場合、組合は支持してくれるのか」
「毎月100時間以上残業し、心身を病んでいる人が何人もいるが、労災認定を求めないのか」
と質問したが、それにたいしての答えははっきりと
「できない」だった。

労働条件が改善されないことに関しても、論理で組合員に向き合おうという姿勢は見られず、不満があるようだととりあえず組合員にあってなだめてガス抜きをしよう、というあいまいな態度だった。
どこの問題先送りの公務員だよ、というような印象だった。

何よりも、労働状況報告書を提出する前に回答を求めたのに、期限が何日もすぎてから、形式的なメールをよこしたことにがっかりとした。

べつにぼくは組合に頼らなくても会社と交渉すれば組合よりは譲歩を得ることができる。
会社と関わりのある弁護士も知っている。
当時は知り合いの元おえらいさんも健在だった。
会社と交渉したいことがあれば自力でできるけど、組合の頭越しに交渉するのもわるいかなと思って一応組合にも話を向けた。
だけど、組合の態度にがっかりしてすっかりやる気を失った。
もっとも、すでにそのときはかなり鬱的状態だったのかもしれない。

昨日、組合の執行委員立候補者を求める集まりで、同期の男が「むかし、同期の委員長にも言ったんだけどさ、組合を一度なくしてしまったもいいんじゃないかな。なくすと絶対たいへんなことになるって。いちど、どうしようもない状態にならないとだめじゃないかな」というようなことを言っていた。
毎年、執行委員のなり手がなくて、押し付けられた若手社員がいやいや行うことが多い。

会社の経営陣に顔を覚えてもらえたり、事務的な手続きを覚えたり、いろいろ得ることは多いだろうけど、労働運動の歴史も意義もあまり考えていない人はむかしながらの「組合活動」には関心がない。

組合があるおかげで経営陣の暴走を食い止められていると言う人がいるけど、実際どの程度食い止められているのだろうか。

もしかしたら、組合がなくなっても何も変わらないかもしれない。
かつてリストラがあったときも、組合は何ができただろう。
あのとき、会社を去っていった人たちは、組合にあきらめの視線しか向けていなかった。
期待なんてしていなかった。
彼らのことを思い出すと、とてももうしわけない。

そういうわけで、ぼくは組合の解体に異論はない。
なくしてしまえばいい、それで問題があればやる気のある有志が立ち上がればいい、と思っている。

だけど、解体を望まない人が現状を維持しようとすることに異論をとなえるつもりもない。
現在ぼくはただの組合観察者だ。
昼休みに1時間もかけて何も話が進まないので、ぼくは手帳のカレンダーを眺め、世界一周旅行のプランを検討していた。
東南アジア、ヨーロッパ、北米を旅したいけど、ニューヨークからロサンゼルスまでは長距離バスで行ってみようかな。土地の広大さを感じるには、長距離バスという手段もわるくないと思う。
大陸横断の長距離バスですごす時間は、無駄じゃないと思う。


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農村

2011-07-03 21:32:58 | Weblog
中国から日本に視察に来る経済人や官僚は多い。
先端科学の情報や一般市民との交流に関心を示し、企業経営や官僚組織などにも興味を持つ。
日本の受け入れ側は礼儀正しく親切だけど、中国の人が何を知りたがっているか把握していないときもある。

中国の人たちは、自分たちの社会において問題となっていることが日本ではどんな状況なのかということに興味がある。
例えば、都市部と農村部の生活レベルの格差。
一般人の教養レベル、官僚の汚職、環境汚染などにも関心があるだろうけど、もっとも興味があるのは日本の農村部の経済はどうなっているのだろう、ということだ。
日本の都市部が先端的なことは知っているけど、農村部ではそんなことはないだろうと思っている。

中国の人が視察に来たら、田舎出身の人は彼らを実家に連れて行けば喜んでもらえるかもしれない。
海の幸や山の幸の手料理や、むかしながらの和風建築も喜んでもらえるだろう。

日本では、田舎の家に車や液晶テレビやパソコンやエアコンがあるのは普通だ。
土地は安いし交通機関は発達していないから、庭のある広い家に住んで複数台の車を持っていることも珍しくない。
給料は少なくても、東京よりも余裕のある生活をしている世帯が多く、農村部と都市部の所得格差は大きな問題になっていない。

だけど、中国では農村部と都市部の生活レベルの差が激しい。
収入も住居も食べるものも、着るものもヘアスタイルも違う。

日本の農村に行くと、ひっつめ髪というか、後ろでまとめてしばった髪の女性たちが何人かで買い物をしている姿を目にすることがある。
中国の農村部出身の女性が、日本で研修生として働いているのだ。
アメリカ国務省などでは外国人研修生制度に人身売買のような要素があると指摘しているけど、中国の農村部の人は、中国都市部の工場で働くよりも、日本の農村の工場で働いたほうが多くの収入を得ることができる。

日本の農村には若い人が少ないから、外国人研修生が貴重な労働力となっている。
中国人をはじめとする外国人も、密入国で都会に紛れ込むよりは、低賃金でも合法的に研修生として日本に入国することを望む人は少なくない。

日本の農村と中国の農村はひそかに支えあっているのかもしれない。


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2011-07-03 13:50:35 | Weblog
読売新聞の「時代の証言者」欄で邱永漢さんが半生を振り返っている。
邱永漢さんが今までに書かれていた本の内容と同じような記述が多い。
だけど、読売新聞は1千万部も発行されているから、邱永漢さんの人生をはじめて知る人は何百万人もいるだろう。
1924年3月生まれで87歳になっている邱永漢さんは、スイスで受けたアンチエイジング治療の効果もあり、今も元気に執筆、経営、調査などに従事している。

豊かな生活を楽しむお金持ちマインド、作家や実業家や評論家など自分の活動領域を広げていく創造力、窮地に陥っても動じないで活路を見出す態度、そんなところに以前から魅力を感じている。

邱永漢さんのことを、財テクに詳しい金の亡者だと思う人がいるかもしれないけど、それは違う。
金の亡者というのは態度的にも思考的にも余裕のない人がお金に飲み込まれてしまった姿だけど、ほんとうに豊かな人はお金とうまく付きあい、それを活用する。
邱永漢さんは、成金でもなければがめつい人でもない。悪趣味でもなければ小賢しくもない。お金より価値のあるものの存在も知っている。

ふところも頭脳もハートも、それなりにリッチな人だと言えるだろう。
そんな邱永漢さんの食エッセイは楽しい。
手元にあった2004年発行の『口奢りて久し』を開いてみると、4ページの食エッセイが50話載っている。
何十年もの邱永漢さんの経験の一端を知るだけで豊かな気分になれる。
世界にはおもしろく好奇心を刺激されることが多い。

何もやりたいことがない、夢も希望もないという人は邱永漢さんの本を読んでみればいい。
知らない世界、味わったことのない美食、考えたこともないビジネスチャンス、そんな話のどこかに触発されることがあるだろう。

『口奢りて久し』では台北の鼎泰豊(ディンタイフォンだと思うけど、本文中ではテンタイフオンとルビが振られていた)の小龍包が賞賛されていた。
たしかに台北の鼎泰豊の小龍包は風味豊かでおいしかったけど、一緒に注文した鳥ソバの味の薄さにおどろいたことも思い出した。
鼎泰豊では化学調味料を使っていないのかもしれない。
昨日、渋谷センター街の沖縄食堂やんばるで沖縄そばを食べたとき、なぜかダシの味よりも塩っぽさを感じるなと思ったら、食後に妙に舌に残る妙な感触があった。
きっと化学調味料(うまみ調味料と言うのか?)をたくさん使用しているのだろう。
化学調味料を入れるとうまみは強くなるけど、それを補強する味わいがなければ妙なバランスの料理になってしまう。

表面だけつくろって見栄えよくしている料理や人に違和感をおぼえる人は多い。
底の浅さや内容のなさ、バランスの悪さや人を欺こうとしている態度を見破る人は、ほんとうにおいしいものやほんとうに素晴らしい人と出会うことができるのではないだろうか。

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