光文社のリストラについて当事者が綴ったブログが注目されたのは、2010年だっただろうか。
もう8年も前の話だというのは感慨深い。
『リストラなう!』が出版された後も、ごくまれに「たぬきち」さんのブログを見ることがあった。
今年になってから知ったけど、2016年2月に、『その後のリストラ!――割増退職金 危機一髪』という本が出ていたらしい。
45歳にして退職金を約4500万円もらったけど、外資系銀行(HSBCプレミア?)で投資を行い、2000万円近く失ったそうだ。
なかなか壮絶な経験だ。
他にも、労働、鬱、座禅、被差別部落史、隠居などについて興味深い記述が続く。
この本は、多くの人が読んでおくべきだろう。
誰もがいつかはリタイアするのだから。
私も早期リタイアについて考えることがあるけど、不用意に早期リタイアすると、あまりにも暇すぎて無気力になり、後悔してしまうかもしれない。
著者は岡山大学文学部卒、駒沢公園近く在住。
私もかつてその大学を受験したことがあるし、そのあたりをジョギングしていたこともある。
出版社勤務、被差別部落史への関心、ロック音楽や外山恒一などへの興味など、自分と共通するものを感じる。
ただ、本書でひとつよくわからなかったのは、交際・同居しているという「ツレ」のことだ。
同性なのだろうか。
別に同性でいいのだが、どのようなお付き合いなのか気になった。
家賃は払っていないらしいが、家事はやっているのだろうか、婚姻関係は目指さないのだろうか、少し気になる。
また、リタイアした後、長期間海外に行くことは考えなかったのだろうか。
海外を旅していれば、引きこもりではなく、「旅人です」と言うことができる。毎日新しいことに遭遇できる。
滞在費が安いところに行けば、お金の心配もない。
英語も英検3級レベルの能力があれば、なんとかなる。
なぜ外国に行かなかったのか、気になる。
私は、早期リタイアしたら、「日本語パートナーズ」という制度で10か月ほど海外に日本語を教えに行ってみようかと想像するこの頃。
印象深かった箇所をいくつか。
P14
会社を辞めると、壮絶に寂しい。自分の場合、会社を辞めて一人で過ごす時間、刻一刻が辛くて、身体にリアルにダメージが溜まるほどだった。自分と向き合う、ということがそもそもしんどいのだ。そして何より、“どこにも属していない”という宙ぶらりん状態が、耐えがたい。
P15
私は、会社に通っている頃は、自宅アパート周辺の平日の昼間が、いったいどんな風景かまったく知らなかった。みなさんはご存知か? 自分ちの近所の、平日昼間の様子がどんなだか。
ちょっと極端だが、誤解をおそれず云ってしまおう。
平日昼間の商店街は、勤め人が出払っていて居ない。だけではなく、勤め人諸氏はあまり付き合いがない人が出歩き始める。主婦と子どもたち。老人。そして障害者の姿が目立つ。住宅街が現場のガテン系の人や営業マンもいるにはいるが、割合は少ない。
会社を辞めたばかりの私は、初めて見る平日の風景にかなりギョッとした。
P17
そうだ。私もあなたも、年を取れば誰でも老人になり、身体に障害を抱える。ゾンビとは将来の私自身の姿なのだ。(略)
早期退職するまで、日常世界にこんなに弱者がいるとは想像できなかった。「多様性、ダイバーシティ」なんて美辞麗句を云っても、実は「私も年を取れば自然に老人・障害者になる」という事実から顔を背けていたのだ。
P21-22
会社を辞めた翌日に引越した。二十年の間溜め込んだ本とCDを売ったり捨てたりして、衣服は新宿でホームレスをお支援しているNPOに引き取ってもらった。
交際している相手が一部屋空けてくれるというので、居候することにした。それまで私は練馬と池袋近辺しか知らなかったのだが、今度住むところは世田谷だった。
P36
もう時効だろうから書いてしまうが、退職の日の朝、銀行口座に退職金が振り込まれていた。
「44,349,528」。
P136
「現在の評価額は、いくらですか?」
私は努めて冷静に尋ねたつもりだった。でも語尾が震えていた。
「はい……日本円で……一千、六百、二十九万……」
千六百万! 三千万円が、ほぼ半減である!
(略)私は衝動を抑えられず、コーヒーカップをソーサーから持ち上げて、デスクの天板に垂直に叩きつけた。
P145
私は並んで腰かけたツレの膝に顔を埋めた。今になって涙が出て来た。
「“たぬきち”はギャンブルが苦手だもんねえ。俺がもっとちゃんと止めてやればよかったね……こっちこそごめんよ」ツレはそう言って私の肩を抱いた。
大金を失ったのも辛かったが、これまでずっと、ツレに何も云わずに来たのも辛かったのだ、と今気づいた。
私はしばらくツレの膝に顔を埋めたまま、鼻をスンスン云わせてじっとしていた。ツレは私の肩を抱いたままじっとしていてくれた。体温が伝わってきた。
P161-162
私にはずっと、中学時代に受けた同和教育の副作用があった。はっきり言うと解放運動に否定的な感情を持っていた。
差別はいけない、そりゃそうだろう、だが激烈な糾弾や、判で押したように同じ“差別への怒り”とか“立ち上がる民衆”といった表現がすごく嫌だったのだ。解放同盟がブイブイ言わせていた七十年代広島東部では、陰でひそひそと解同への愚痴や、関係者の黒い噂が話されていた。学校で“正義の”解放運動・同和教育について教わるたびに、“正義”への違和感が増していき、逆にこっそり話される陰口の方にリアリティを感じるようになっていた。
その私が、解放同盟関係の公式なイベントに参加し、窮屈な思いをしながら報告を聞いているのはなぜだろう?
(略)
報告者は言う。
「私たち解放同盟の“不祥事”に触れざるを得ません」
そして「大阪飛鳥会事件」や奈良の同盟幹部の不正受給事件などへ言及してゆく。
内田樹が不二家の不祥事について述べたコメントが引用される。「あらゆる社会組織は……存続を自己目的化した時に死に始める」「私たちは存在しなくてもよいのではないか、という問いを引き受ける勇気がある者しか生き残るチャンスはない」。報告者は「解放運動に即して言えば、解放同盟はこの社会になくてもいいのではないかと、組織自身、自分自身に問いかけながら問題に取り組むべき」……私はへえ、ここまで言うか! と感心した。
P164
それまで私が習ってきた同和教育・の歴史では、「身分差別は時の権力者が、民衆を分断して支配するために設けた制度です」と説明されてきた。“近世政治起源説”というやつで、これは昨今では批判されている。しかし、解放同盟側にとってこの説は説明しやすく便利なものだったので、今でもこういう言い方がされることは多い。
P235-236
“現役”の人にはわからないだろうな。
私も一時よく言われた。
「そんだけ退職金もらったんだから、何があっても平気でしょ」
「損してるって言っても分散投資してるんでしょ?」
「私らみたいな投資するカネもないよりゃ全然マシじゃないですか」……。
全然わかってくれないんだよね、“現役”の人は。
退職者、隠居した人間は“もう定期収入はない”“今持っている金がすべてだ”と、心理的に追い込まれた状況にある。だからどんなに莫大な資産を持っていても少しでも損するのは恐怖だし、全然不自由してないのに年金額の多寡に固執する。金の亡者的になる。
P248-249
二十年前、呉智英は『危険な思想家』(一九九八)で民主主義・人権思想の欺瞞を鋭くチクチクと批評した。私も大好きな思想家だ(彼の思想に完全について行くのは難しいけど)。
(略)
呉の「人権思想は無謬の、絶対のものに祭り上げられているから、暴走を止められない」という指摘が私は好きだ。
例えば呉は“人権平等”に対して“御慈悲”や“憐憫”といった価値を対置してみせる。老人というのは、目は老眼でかすみ、体力は衰え、身体はあちこち痛むし、心は頑なで偏屈、心身共に事実上の障害者だ。だから、若くて元気な者は年寄りを憐れんで、敬ってやれ――と昔なら言えた。
ところが、「人権平等」の現代だと、老人や障害者を憐れむのはよくない。“上から目線”だから。人を憐れむとは、憐れまれる立場の人間を差別することである、と。
憐れみ、憐憫には、たしかに不平等な関係がある。憐れむ側の優位、かわいそうに思う側の一方的な優越、不憫・不幸と認定する非対称的関係。侮りや差別と隣り合わせかもしれない。
P259-260
本誌の読者諸兄は多くが会社なりなんなりで働いていらっしゃるからご存知ないかもしれないが、引き籠もって暮らすのは心身に大変なリスクなのだ。一週間もすると精神・身体のあちこちが変調を来し、鬱々と二週間も過ごすと、ほとんど鬱病を発症したも同然となる。
「お化けにゃ会社も 仕事もなんにもない」という。が、毎日嫌々でも会社に行くから健康でいられるのである。
もう8年も前の話だというのは感慨深い。
『リストラなう!』が出版された後も、ごくまれに「たぬきち」さんのブログを見ることがあった。
今年になってから知ったけど、2016年2月に、『その後のリストラ!――割増退職金 危機一髪』という本が出ていたらしい。
45歳にして退職金を約4500万円もらったけど、外資系銀行(HSBCプレミア?)で投資を行い、2000万円近く失ったそうだ。
なかなか壮絶な経験だ。
他にも、労働、鬱、座禅、被差別部落史、隠居などについて興味深い記述が続く。
この本は、多くの人が読んでおくべきだろう。
誰もがいつかはリタイアするのだから。
私も早期リタイアについて考えることがあるけど、不用意に早期リタイアすると、あまりにも暇すぎて無気力になり、後悔してしまうかもしれない。
著者は岡山大学文学部卒、駒沢公園近く在住。
私もかつてその大学を受験したことがあるし、そのあたりをジョギングしていたこともある。
出版社勤務、被差別部落史への関心、ロック音楽や外山恒一などへの興味など、自分と共通するものを感じる。
ただ、本書でひとつよくわからなかったのは、交際・同居しているという「ツレ」のことだ。
同性なのだろうか。
別に同性でいいのだが、どのようなお付き合いなのか気になった。
家賃は払っていないらしいが、家事はやっているのだろうか、婚姻関係は目指さないのだろうか、少し気になる。
また、リタイアした後、長期間海外に行くことは考えなかったのだろうか。
海外を旅していれば、引きこもりではなく、「旅人です」と言うことができる。毎日新しいことに遭遇できる。
滞在費が安いところに行けば、お金の心配もない。
英語も英検3級レベルの能力があれば、なんとかなる。
なぜ外国に行かなかったのか、気になる。
私は、早期リタイアしたら、「日本語パートナーズ」という制度で10か月ほど海外に日本語を教えに行ってみようかと想像するこの頃。
印象深かった箇所をいくつか。
P14
会社を辞めると、壮絶に寂しい。自分の場合、会社を辞めて一人で過ごす時間、刻一刻が辛くて、身体にリアルにダメージが溜まるほどだった。自分と向き合う、ということがそもそもしんどいのだ。そして何より、“どこにも属していない”という宙ぶらりん状態が、耐えがたい。
P15
私は、会社に通っている頃は、自宅アパート周辺の平日の昼間が、いったいどんな風景かまったく知らなかった。みなさんはご存知か? 自分ちの近所の、平日昼間の様子がどんなだか。
ちょっと極端だが、誤解をおそれず云ってしまおう。
平日昼間の商店街は、勤め人が出払っていて居ない。だけではなく、勤め人諸氏はあまり付き合いがない人が出歩き始める。主婦と子どもたち。老人。そして障害者の姿が目立つ。住宅街が現場のガテン系の人や営業マンもいるにはいるが、割合は少ない。
会社を辞めたばかりの私は、初めて見る平日の風景にかなりギョッとした。
P17
そうだ。私もあなたも、年を取れば誰でも老人になり、身体に障害を抱える。ゾンビとは将来の私自身の姿なのだ。(略)
早期退職するまで、日常世界にこんなに弱者がいるとは想像できなかった。「多様性、ダイバーシティ」なんて美辞麗句を云っても、実は「私も年を取れば自然に老人・障害者になる」という事実から顔を背けていたのだ。
P21-22
会社を辞めた翌日に引越した。二十年の間溜め込んだ本とCDを売ったり捨てたりして、衣服は新宿でホームレスをお支援しているNPOに引き取ってもらった。
交際している相手が一部屋空けてくれるというので、居候することにした。それまで私は練馬と池袋近辺しか知らなかったのだが、今度住むところは世田谷だった。
P36
もう時効だろうから書いてしまうが、退職の日の朝、銀行口座に退職金が振り込まれていた。
「44,349,528」。
P136
「現在の評価額は、いくらですか?」
私は努めて冷静に尋ねたつもりだった。でも語尾が震えていた。
「はい……日本円で……一千、六百、二十九万……」
千六百万! 三千万円が、ほぼ半減である!
(略)私は衝動を抑えられず、コーヒーカップをソーサーから持ち上げて、デスクの天板に垂直に叩きつけた。
P145
私は並んで腰かけたツレの膝に顔を埋めた。今になって涙が出て来た。
「“たぬきち”はギャンブルが苦手だもんねえ。俺がもっとちゃんと止めてやればよかったね……こっちこそごめんよ」ツレはそう言って私の肩を抱いた。
大金を失ったのも辛かったが、これまでずっと、ツレに何も云わずに来たのも辛かったのだ、と今気づいた。
私はしばらくツレの膝に顔を埋めたまま、鼻をスンスン云わせてじっとしていた。ツレは私の肩を抱いたままじっとしていてくれた。体温が伝わってきた。
P161-162
私にはずっと、中学時代に受けた同和教育の副作用があった。はっきり言うと解放運動に否定的な感情を持っていた。
差別はいけない、そりゃそうだろう、だが激烈な糾弾や、判で押したように同じ“差別への怒り”とか“立ち上がる民衆”といった表現がすごく嫌だったのだ。解放同盟がブイブイ言わせていた七十年代広島東部では、陰でひそひそと解同への愚痴や、関係者の黒い噂が話されていた。学校で“正義の”解放運動・同和教育について教わるたびに、“正義”への違和感が増していき、逆にこっそり話される陰口の方にリアリティを感じるようになっていた。
その私が、解放同盟関係の公式なイベントに参加し、窮屈な思いをしながら報告を聞いているのはなぜだろう?
(略)
報告者は言う。
「私たち解放同盟の“不祥事”に触れざるを得ません」
そして「大阪飛鳥会事件」や奈良の同盟幹部の不正受給事件などへ言及してゆく。
内田樹が不二家の不祥事について述べたコメントが引用される。「あらゆる社会組織は……存続を自己目的化した時に死に始める」「私たちは存在しなくてもよいのではないか、という問いを引き受ける勇気がある者しか生き残るチャンスはない」。報告者は「解放運動に即して言えば、解放同盟はこの社会になくてもいいのではないかと、組織自身、自分自身に問いかけながら問題に取り組むべき」……私はへえ、ここまで言うか! と感心した。
P164
それまで私が習ってきた同和教育・の歴史では、「身分差別は時の権力者が、民衆を分断して支配するために設けた制度です」と説明されてきた。“近世政治起源説”というやつで、これは昨今では批判されている。しかし、解放同盟側にとってこの説は説明しやすく便利なものだったので、今でもこういう言い方がされることは多い。
P235-236
“現役”の人にはわからないだろうな。
私も一時よく言われた。
「そんだけ退職金もらったんだから、何があっても平気でしょ」
「損してるって言っても分散投資してるんでしょ?」
「私らみたいな投資するカネもないよりゃ全然マシじゃないですか」……。
全然わかってくれないんだよね、“現役”の人は。
退職者、隠居した人間は“もう定期収入はない”“今持っている金がすべてだ”と、心理的に追い込まれた状況にある。だからどんなに莫大な資産を持っていても少しでも損するのは恐怖だし、全然不自由してないのに年金額の多寡に固執する。金の亡者的になる。
P248-249
二十年前、呉智英は『危険な思想家』(一九九八)で民主主義・人権思想の欺瞞を鋭くチクチクと批評した。私も大好きな思想家だ(彼の思想に完全について行くのは難しいけど)。
(略)
呉の「人権思想は無謬の、絶対のものに祭り上げられているから、暴走を止められない」という指摘が私は好きだ。
例えば呉は“人権平等”に対して“御慈悲”や“憐憫”といった価値を対置してみせる。老人というのは、目は老眼でかすみ、体力は衰え、身体はあちこち痛むし、心は頑なで偏屈、心身共に事実上の障害者だ。だから、若くて元気な者は年寄りを憐れんで、敬ってやれ――と昔なら言えた。
ところが、「人権平等」の現代だと、老人や障害者を憐れむのはよくない。“上から目線”だから。人を憐れむとは、憐れまれる立場の人間を差別することである、と。
憐れみ、憐憫には、たしかに不平等な関係がある。憐れむ側の優位、かわいそうに思う側の一方的な優越、不憫・不幸と認定する非対称的関係。侮りや差別と隣り合わせかもしれない。
P259-260
本誌の読者諸兄は多くが会社なりなんなりで働いていらっしゃるからご存知ないかもしれないが、引き籠もって暮らすのは心身に大変なリスクなのだ。一週間もすると精神・身体のあちこちが変調を来し、鬱々と二週間も過ごすと、ほとんど鬱病を発症したも同然となる。
「お化けにゃ会社も 仕事もなんにもない」という。が、毎日嫌々でも会社に行くから健康でいられるのである。