波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

本村洋さんと弁護士

2007-06-29 00:39:51 | Weblog
本村洋さんの態度には、おどろきを感じる。
若くして妻と娘を殺害され、それに対してコメントを求められるのは酷すぎる。
それでも理路整然と、語る。
信じられないくらい、しっかりとした人間だと思う。

いったい何者だ、と思っていたけど広島大学工学部卒らしい。
高校のときのクラスメイトが4、5人広大の工学部に進んでたと思うから、本村さんと面識のあった者もいるかもしれない。
(ぼくは学生時代あまりにも成績が悪くてクラスの最下位近くの成績だったから、とてもじゃないけど広大などには行けなかった)

死刑制度の是非はむずかしいところだけど、現行制度で死刑という刑がある以上、それに値する犯行を行ったものは死刑になってもしょうがないだろう。悪法でも法は法、という言葉もある。

だけど、法曹関係者?のブログでは圧倒的に本村さんに対して批判的というか、安田弁護士に同情的というか、死刑に反対する論調が多い。

極悪人でも弁護するのは当然、事実に沿って弁護するのは当然、その通りだろう。

だけど、ほんとに少年の自白に沿って弁護しているのか?弁護側が誘導したりしていないのか?ストーリーを作って、絵を描いてそこに少年を巻き込んだりはしていないのか?
そんなことをしていないんだったら、なぜ今までの裁判とあきらかに証言が違うのだろう。
もう遅すぎるのでは。今までの弁護士のやり方がまずかったのであれば、今までの弁護士が罪を問われるべきでは。

法曹関係の人のブログでは、「人道的」だとか「先進国では」「法律学的には」などという言葉を使って死刑に批判的な人が多く、まったく一般人はわかっちゃいないな、ワイドショー的なものに流されて、困ってしまうな、素人は、っていうような論調が多く見られる。

でも、法曹関係の人は、自分たちに確かな判断力があると思っているのだろうか。
社会とは何か、罪とは何か、善とは何か、復讐とは何か、死とは何か等々といったことに関して真摯に深く思考している法曹関係の人がどのくらいいるのだろう。
いるとすれば、なぜ生物学者や心理学者や社会学者や哲学者や医者や言語学者や宗教学者等々がさまざまな物事の意味や現象について知的に語っているフィールドの中で、あまり発言がなかったのだろう。
現代思想やイマーゴといった雑誌でもどれほどの法曹関係者が発言してきただろう。法曹関係者は基本的にはフィロソファーであることは求められていないのではないかとも思う。

弁護士資格はとってもむずかしく、すばらしく頭のよい人でないと取得できない資格だけど、どちらかといえば一種の技術者だと思う。
プログラミングの技術者がいるように、法律の技術者。

余談だけどアメリカには司法書士も社会保険労務士も行政書士もいない。ぜんぶ弁護士資格にまとめられている。
だから日本よりもはるかに弁護士の人数が多く、日本の司法書士よりも取得しやすい資格になっている。


ま、弁護士さんが頭いいのはわかるけど、では「なぜ法律は生まれたのですか」「正しいこと、とは何ですか」「なぜ司法判断は社会常識の変化に影響されるのですか」「なぜ人を殺してはいけないのですか」などといったことに対して突き詰めて真摯に考え込んだりしているのでしょうか。
簡単には答えが出なくて当然だと思います。だけど、迷いながらいろんなことを考えるのはとても誠実なことだと思います。

「人権は普遍的な価値観」とか「絶対的に悪いことってあると思う」とか、そんな「前提」を「真理」だと思い込むようなことをして物事を単純に判断して、迷える一般人を鼻で笑ったりしたら、それこそ知的なことではありません。

弁護士さんには誠実な技術者として、弁護に専念してもらいたいです。
死刑廃止論については法曹学者よりもフィロソフィーの世界で活躍している人たちに意見を聞いて判断してもらったほうがいいのではないでしょうか。



>光母子殺害「聞くに堪えない」
>http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=241889&media_id=2


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岸田秀先生

2007-06-18 20:54:37 | Weblog
90年代の半ば頃だろうか、学生だったぼくは岸田秀の著作に大きな影響を受けた。
「ものぐさ精神分析」その他。力の抜けたタイトルのその本は平易に書かれており、現代思想ブームの中でも注目されていた。

その先生を囲むオフ会があるというので、先週水曜日に新宿の居酒屋に向かった。

はじめて先生を見て驚いた。1933年生まれ、もう74歳なのに、ひょうひょうとして非常に若い。小柄だけど、弱々しくはない。

20人くらいの人が集まった。和光大学のゼミ生だった人も多い。


最初は質問応答形式。和光大学のゼミもこういった形だったらしい。
みんなが質問を紙に書いて読み上げる。

ちょっと離れていたので声がなかなか聞こえなかった。


Q.日本でキリスト教などの一神教がはやらないのはなぜ?
Å.社会が不安定になると一神教敵なものが強くなる。
日蓮宗や浄土真宗は一神教的。被差別階級に支持された。
明治期に安定がなくなってきた下層武士階級がキリスト教に入った。
一神教は被差別者の逃避先だ。

Q.和光大学であったひどいことは?
Å.学生に殴られた。自分の彼女を奪っただろう、と言われて殴られた。
痛いのも幻想だろ、と言われた。
だけど、その男が自分の彼女と思いこんでいるのも幻想だった。

Q.奥さんとの出会いは?
Å.早稲田の心理学科の1年後輩だった。


ぼくもちょっと質問してみた。

Q1.香川を離れられて長いと思うんですけど、うどんと蕎麦とどちらがお好きですか?
Å1.うどん。東京でもいろんなところにうどん屋はあるし。

Q2.被差別者などの、「差別」の定義って何ですか?
Å2.相手を自分以下だと見ること。役にただない、と思うこと。
みんな差別的傾向がある。人間はみんな差別的。


先生と話せてよかった。あの雰囲気。
人を否定しない感じ。主義主張を訴えるのではなくて、世の中の仕組みを理解している感じ。それは幻想だよ、と言う姿を見ると、原初的な仏教の哲学との共通点を感じる。
世の中のしっかりと存在しているようなものでも、そんなものではないよ、と教えられるような感覚。
なんだか、なじみやすい、よくわかる感じ。

ぼくは終電で帰ったけど、朝4時半まで他の人は飲んでいたらしい。
エロ話で大いに盛り上がったらしい。いいなぁ。


コメント (6)
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美人考

2007-06-07 19:54:15 | Weblog
鼻がつぶれてても、短足でも、目が離れてても、黒くても、白くても、毛深くても、肥満体でも、やせすぎでも、かわいい~!って言われるのはペットの世界。

ペットの世界では多様性に満ちたいろんな容姿が受け入れられ、歓迎されている。
人間にとって、ペットはかわいがる対象であって、あこがれる対象ではないからだろうか。
先日浅草の三社祭りに行ったところ、道端でかわいいパグ犬が観光客の注目を浴びて何枚も写真を撮られていたが、パグにちょっと似た容姿の飼い主はぜんぜん興味をもたれていなかった。

人間の世界では、強いもの、影響力のあるものがあこがれられる傾向がある。
アメリカが今よりはるかに強い影響力をもっていた時代、アメリカ映画やアメリカの音楽に影響を受けた人々はアメリカ人にあこがれて、アメリカ人のようになりたいと思った。

時代や地域によって価値観は変わる。
世界各地にそれぞれの魅力的な人々がいる。

世の中にいろんな価値観が交差しあって、人々がいろんな価値観を知り、世の中がより複雑化していけば、そこらじゅうに魅力的な人々が増えることになるだろう。

あこがれるなら、自分を否定しないほうが、世界は広がる。
自分を否定しなくても、相手の価値を認めることはできる。
かわいがるなら、自分に優位性を感じないほうが、世界は広がる。
対等に相手を認めて、かわいがることもできる。




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