波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

星流し

2010-03-30 23:58:57 | Weblog
時々、島流しという刑が復活しないだろうかと想像することがある。
かつて世界がまだ広かった頃、自分たちの社会の秩序の維持に不適切な者は島流しにしたり国外追放にしたりすることができた。
日本の社会秩序の維持に相容れない思想犯や宗教信者は、追放されてもその地で生きていくことができた。

でも、今は島流しにできるような島もないから、多くの法律違反者を抱える政府は「二度と出られない塀の中」で何十年も養うか、犯罪人の生命を絶つか、選択を強いられる。
コストの面で考えると、死刑の維持が適切なのだろう。
遠くの孤島に島流しにして自給自足の生活をさせることはできないだろうか。
あ、ロケットで火星流しの刑にする、ということがそのうちありえるかもしれないな。
火星の開拓も兼ねて。

それはともかく、元厚生次官ら連続殺傷事件で凶悪な顔をした小泉毅被告から「人の命だけなぜ尊いのか」と説明を求められた裁判長は、結局理由を答えたのだろうか。
最後まで、なぜ人を殺してはいけないのかわからないまま、死刑を宣告したのだろうか。

「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いに答えることは難しい。
その答えがわからないからこそ、平然と人を殺害したり、死刑を宣告したりすることができるのかもしれない。

「やむを得ない」と「死刑に値する」の間には、とても遠い距離があるのに、「法律だから」「常識だから」などといった前例や取り決めに基づいて、おさまりのいいところに着地している。
社会秩序の維持発展のかなめとして存在する統治機関のひとつとして、
「社会秩序を破壊するものは邪魔だから永遠に排除されるんだよ。それが死刑ってものさ」
「愛犬を殺しても社会秩序の維持には支障がなかったんだよ。君にとってはとてもかけがえのない存在でも、他の人たちにはその思いを共有してもらえなかったということだな」
などと被告人に世の中の仕組みを教えてあげればよかったかもしれない。

だけど、傳田喜久裁判長にはそれができない。
社会秩序の維持に疑問を抱くと、裁判長である自分の存在価値を見失ってしまう。
組織の外の世界は見ないようにして、この世界がより住民にとって快適であるように願い、組織の維持発展を危うくさせるものを排除する仕事にいそしむ。
そうしておけば、自分も家族もこの社会秩序の中で安定した地位を得ることができ、自信を持って生きていくことができる。
(ヤクザの世界でも同じだ。若頭はヤクザのルールを守り、組の維持発展にいそしむ)

もし、裁判長の行為がサークルや集落で行われ、ルールを破ってグループの存続を危うくさせた者が殺害されれば、私刑(リンチ)として犯罪行為とされてしまうけど、国家が行えば、正しいこととして社会の中で受け入れてもらえる。
私刑を認めると社会秩序の維持が危うくなる。暗殺やあだ討ちが多かった中世のようになってしまう。
暴力を抑えるための暴力だ、と言えばそれを受け入れる人もいるだろう。
(だが、最近は国家連合が「死刑という暴力をやめるルールに変えよう」という声を強めている)

裁判長は、身近な人間が重罪を犯したことはないのだろうか。
先日かなりふくよかな30代女性が関東と中国地方で殺人疑惑で逮捕されたとき、傳田喜久裁判長の親族のフォルムを思い浮かべた人もいるだろう。中東の人とお付き合いしていた頃と様変わりし、日本人と結婚してからずいぶんボリュームが増している。

まあ、それは別人でよかったが、身近な人が罪をつぐなう必要にせまられたとき、はじめて裁判長は「法律とは何なのだろう」「罪とは何なのだろう」とその仕組みを謙虚に認識しようとするかもしれない。
(芸術に関わっている人が、法律とは異なった価値観で表現を行い、罪に問われることはめずらしくない)

その時、かつて死刑を宣告した小泉毅さんに対し、「なぜ人の命だけが尊ばれるのか、なぜ人を殺してはいけないのか、ようやく自分なりに答えを見つけた」と言いたくなるかもしれない。
だけどもうその時には彼はこの世の中から存在を消されている。
後悔しても、時間は取り戻せない。

やっぱり、火星に星流しにできないものかなぁ。
死刑判決の報道を目にして、ふとそのようなことを夢想した。


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010033000052&j1
■死刑求刑の小泉被告に判決へ=元次官ら連続殺傷-さいたま地裁
 3人が殺傷された元厚生事務次官宅連続襲撃事件で、殺人などの罪に問われ死刑を求刑された無職小泉毅被告(48)の判決公判が30日、さいたま地裁(傳田喜久裁判長)で開かれる。
 小泉被告は動機について、捜査段階から公判まで一貫して「飼い犬が殺されたことに対するあだ討ち」と説明した。
 弁護側は動機が理解できないとして、小泉被告には妄想性障害があり、善悪を判断して行動する能力が著しく低下した心神耗弱状態だったと主張。自ら警視庁に出頭したことも考慮し、死刑回避を訴えていた。
 検察側は「動機と犯行がかけ離れているように思えるが、被告なりに筋は通っている」と妄想性障害を否定。出頭が自首に当たると認めた上で、「出頭して正当性を主張することも計画の一部。残忍極まり、減刑すべきではない」としていた。(2010/03/30-05:47)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100330-00000585-san-soci
 《死刑選択を回避する理由をばっさりと切り捨てた伝田裁判長。最後の結論に移っていく》
 裁判長「極刑は真にやむを得ない。主文を言い渡します」

http://blog.goo.ne.jp/ambiguousworld/e/472462f1120607e70e5524c154ce28b1
人の命だけなぜ尊いか(2009/11/26)


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ケツバットの法則

2010-03-29 23:12:32 | Weblog
バットで叩かれるときには、お尻をひっこめるのではく、突き出していったほうが痛みが少ない。
元組長の山本集(あつむ)さんは、著書の中で浪速商業高校の野球部の日々を振り返りそのようなことを書いていた。

嫌だなと思って腰を引くと、バットで叩かれたときのダメージが大きいけど、何をと思って腰を突き出すと、力いっぱい叩かれても痛さが軽減するらしい。
こういう姿勢は、他のことにも応用できそうだ。

自分が、「嫌だな」「苦手だな」と感じていることから目をそらしていると、知らない間に嫌なことや苦手なことが大きく重くのしかかってくる。
こじらせるとウツになるかもしれない。

そんな状況を解決するには、テントの屋根にたまった雨水を下からつついて流しだすように、横の席からはみ出してくる肥満気味の人に軽く肘を当てて侵食を止めるように、ちょっとした力点が必要だ。

そんなに力のいるようなことではない。
押し付けがましい人には「なんだか強気ですね。ぼくは押されまくりで泡食ってます」と言ってみてもいい。
ヤクザみたいな格好の人に萎縮してないで「そういう格好は怖いです」と言ってみれば、意外にフランクな対応が返ってくるかもしれない。
ものすごく緊張する相手には「緊張してしゃべれません」と泣きついてもいい。

相手は、あなたのことがわからなくて興味のない顔をしているだけかもしれない。
押してもつついても反応のない小動物にどう接していいかわからず、いたずらや虐待をしてしまうような人も、相手が体をこわばらせたり、小さく鳴き声をあげたりすると、それに反応して、観察する。
お互いに押したりつついたりして反応を確かめていると、相手の行動パターンや考えが把握でき、親しみを感じるようになるはずだ。

外国人であれば、石原慎太郎氏のことが嫌いでも、無視したりけなしたりするだけでなく、「好き放題やってていいんじゃないの」と受け入れてみてもいいだろう。嫌な人が、自分にとってほんとうにいい人になるかもしれない。
歌舞伎町の案内人、李小牧さんの文章を見ていてそんなことを思った。
(参考)
http://newsweekjapan.jp/column/tokyoeye/2010/03/post-149.php

何も意思を示さず黙っている人は、弱いところから侵食されていく。
少しでもいいから自分の意思を示しておけば、守れることは意外に大きい。
個人でも、国家でも同じことが言えると思う。


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2010-03-29 00:32:27 | Weblog
土曜日は明るい日差しの中、表参道にも原宿にも人々の笑顔が多かった。
「ファーマーズテーブル」ではテラス席で食事をしている人はいなかったけど、窓から見る木々の向こうには青い空が見えた。
温かいスープは体にやさしく、パッションフルーツのジュースには春の予感があった。
2階の雑貨店には北欧デザインを想い起こさせるシンプルな曲線が美しい食器や、モダンな新商品化と見間違えそうなアンティークの小物が並んでいる。
シンプルでいて奥行きのある調和を感じさせる、居心地のいい空間だ。

表参道の通り沿いの「生活の木」のスタッフにもシンプルで健康的な美を感じた。
手作りせっけんやハーブティーやエッセンシャルオイルを眺めていると、フレッシュなカモミールのお茶を飲みたくなる。
フェアトレードの店「People Tree」ではチョコレートと茶色の砂糖を購入した。

手ぬぐいの「JIKAN STYLE(ジカンスタイル)」はオープンしたばかりのようだ。
商品を並べる布の仕切りや内装の鏡がモダンな印象。
手ぬぐいも昔ながらの定番デザインを活かしながら、一工夫してあるものが多い。
個人的には、アイヌ文様の手ぬぐいがあれば必ず買いたいと思う。新しいことに取り組んでいるこの店であれば、ダイナミックなアイヌ文様も軽やかに仕上げてくれるはずだ。
さらに「原宿 瑞穂」で豆大福を購入。

表参道の路地には興味深いデザインの店が多い。
マッチョでもなく奇抜でもなく、幼稚でもなくルーズでもない、興味深いデザインが東京の中心部で着実に浸透している。
ナチュラルで、いろんなことを理解しているんだろうけど、余分なものは削ぎ落として、居心地のいい空間を楽しんでいる。
静かで、多くを語らないけど、共感する人々を引きつけている。

デザイン都市東京には、外国人の姿も多い。
英語、中国語、韓国語など、さまざまな国の言葉が聞こえる。
彼らは表参道や原宿で、どんな風景を見ているのだろうか。

日曜日は一転して寒さにふるえた。
美術館からの帰りに公園に立ち寄ると、まだ6分咲きといった感じだ。
それでも上野では多くのグループがお花見をしている。寒さを忘れるかのようにテンション高く騒ぐ若者の姿が目立つ。
外国人観光客も多く花の下を歩き、満開に近い桜の下では記念撮影をする人もいた。

それにしても歩いていると足が痛い。
膝の上は内出血している。打撲している。すねは筋肉痛。
きっと金曜日の夜に何かあったせいだろう。

金曜日に一人で居酒屋に入り、焼魚(のど黒)と天ぷら(稚鮎と菜の花)を食べながら日本酒を飲んでいたら、翻訳会社を経営している旧友から電話があったので、その後合流して神楽坂で飲むことになった。
久しぶりの再会にお酒が進み、どうやって帰ったのか覚えていない

かなり飲みすぎたので電車を乗り過ごしてしまった。何駅で降りたのかも覚えていない。
タクシーで帰ると確実にかなり高くつくので、あてもなく延々と住宅街や幹線道路沿いを歩き続けた。
2~3時間歩いて耐えられないくらい体が冷えてしまった頃、ようやくガストを見つけ、韓国風の辛いうどんと二日酔いにやさしそうな雑炊を頼んで一息ついた。
5時すぎの電車でアパートに戻り、仮眠してから昼に彼女と北参道で待ち合わせた。

飲みすぎを反省したけど、二日酔いや足の打撲傷や睡眠不足は感じとられることなく、楽しい時間をすごすことができた。
金曜日の夜を充実させると週末を長く楽しく感じることができる、というのがぼくの持論だ。


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フィロソフィーは哲学ではなくて知楽

2010-03-28 21:49:23 | Weblog
フィロソフィーは哲学だと訳されるから、学問だと思われていることが多い。
だけど、音楽や芸術が学問とはまた別のものであるように、フィロソフィーも学問とはまた位置付けの違うものだ。
一般人が音楽や芸術を日常生活の中で楽しんで生活を豊かにするように、フィロソフィーに親しんで生活を楽しめばいい。
フィロソフィーは難しい顔をして取り組むものではない。

なぜ風は吹くのだろう。
なぜ火は燃えるのだろう。
なぜ人は悩むのだろう。
なぜ自分は自分なのだろう。
なぜこのバランスが美しく見えるのだろう。
なぜ常識は常識なんだろう。
なぜ争いごとは起こるのだろう。
そういったことに疑問や好奇心を持った人を、快く迎え入れてくれるのが「フィロソフィー」だ。

欧米では伝統的にフィソロフィーが重視され、哲学部は医学部や法学部と並ぶ存在だったが、日本では文学が上位に扱われ、文学部の中に哲学科が収まってしまっている。

まあ、学校でフィロソフィーを教えないで、経済や戦略や規律を教え込めば、効率よく動く軍人や経済兵士を育てることができるのかもしれない。

ヨーロッパ人がアジアを侵略したときに日本が植民地にならないですんだのも、戦後すぐに経済復興してそれなりの立場を国際社会で得ることができたのも、フィロソフィーを知らず国や企業に尽くした兵隊さんやビジネスマンのおかげなのかもしれない。

だけど、それなりに金銭的にも環境的にも余裕がある社会になったのだから、個人がフィロソフィーを学び、豊かな日々を送るヒントを得てもいい。

フィロソフィーの訳は、知楽とか知術、知芸などでもいいと思う。
(ギリシャ語のフィロ+ソフィアは、愛好+知というような意味だった)
芸術と芸術学が違うように、音楽と音楽学が違うように、知楽と知楽学は違う。

絵画史に詳しい人が絵画の良さをわかっているとは限らないし、
俳句論に詳しい人がいい俳句を作れない場合も少なくない。
音楽理論に優れている人がいい曲をつくれるとも限らない。

何かを研究することと、何かを表現することは、同じではない。
芸術がわからなくても研究することはできる。
哲学史や哲学理論に詳しい人が哲学者を名乗っているけど、それは本来のフィロソファーとは言えない。

抽象的な概念をいろんな角度から眺めたり、あやふやなものに目をつむってその上に複雑な思考の建造物を作り上げる小難しいことが哲学だと思われているふしもあるが、それはなぞなぞや言葉遊びに近い。

自称哲学者よりも、気鋭の文化人類学研究者や心理学者などのほうがよほどフィロソファーであることはめずらしくない。
最先端の知について免疫学者や物理学者や精神分析医や心理学者や芸術家や文化人類学者などが論じ合っているところに、哲学者の姿が見られない場合もある。

それは、ロックやポップスやブルースや民謡の人たちが刺激しあって音楽について語る中で、クラシック音楽の演奏家が共通の話題を見つけづらいのと似ている。


(以上、ものすごくいいかげんに、「知楽」などという新名称をでっちあげてみた。知楽という言葉を使うために、とても適当なことを言ってしまった)



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俳ドル誕生

2010-03-28 21:19:07 | Weblog
先日、折りたたんだふとんに寝転がって本棚を眺めていたら、『日本語あそび「俳句の一撃」』という俳句関係の本が目に留まった。
以前購入したけど読んでいなかったものだ。

手にとって中を見ると、なかなか斬新な句がならんでいる。
俳句を専門にする人ではなく、芸術家や女優や詩人など、個性ある面々が「かいぶつ句会」を名乗って俳句を楽しんでいるらしい。
以前お会いした人の名前もあったので、興味深く読み進めた。

俳句界では、俳句界だけでしか通じない言葉を使う人も多い。
ともすると狭い世界に陥り、異業種の芸術家や海外の詩人に理解してもらえない世界に安住してしまうこともある。

だけど、そのような世界の外にいる人たちは、一般人にも理解できる、芸術として価値のある構造やバランスを俳句に求めているように見える。
だから斬新な印象を受けるのだろう。

パソコンが一般化して盛り上がっていた頃、パソコンに詳しい電脳アイドルとして人気を集めていた千葉麗子さんは、その後ベンチャー起業が注目された頃にソフト関連会社の社長となった。
ヨガブームが到来したときには早々にヨーガインストラクターとなって注目された。
そのチバレイこと千葉麗子さんが、俳句をやっているという。

もしかして、あたらしい俳句がブームになると予感しているのだろうか。
まさか、俳句アイドル、俳ドルを目指しているとか?

俳句愛好者は短歌愛好者の倍の人口だと言われている。一説には数百万の人が毎月俳句をつくっているらしい。
過半数が60代以上だから、30代40代でも若手だ。
1975年生まれで現在35歳の千葉麗子さんは容姿がいいから、俳句アイドルを名乗っても許されるだろう。
俳句界随一の美人、黛まどかさんは1962年生まれで現在47歳。
若手俳ドルの座は千葉麗子さんに譲ってくれるかもしれない。


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しゃっくりを止める方法

2010-03-27 22:28:45 | Weblog
先日発見したしゃっくりの止め方。

割り箸かスプーンか歯ブラシか何かで、舌の奥のほうをぐりぐり押す。
やがて吐き気を感じて吐く。
ふと気がつくと、しゃっくりが止まっている。

のどの奥を押して胃から「うっ」と何かが戻ってくるとき、横隔膜だか筋肉だかが一種の緊張状態になり、しゃっくりが止まるのだろうか。
しゃっくりが止まらなくて困っている人は一度試してみてください。


なんで吐こうとしたかは、聞かんといて。。。
(いつもは、しゃっくりが止まらなくなると息をとめている。苦しくなってもずっと我慢していると、そのうち止まっている。息も止まりそうになるけど)


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のどぐろがおいしい

2010-03-26 00:04:40 | Weblog
帰りが遅くなったので、スーパーに立ち寄って夕食を買う。
刺身が1パック残っている。10切れあるかないかで定価1300円。
半額シールがついて650円になっている。
のどぐろって高級魚なんだっけ。
近くの鮮魚売り場にはのどぐろそのものが並べてある。背が赤く、目が大きい。1匹2580円。
キンメダイよりももっと流線型の、なかなかスタイルのいい魚だ。

部屋の鍵を開けながら遠くを見ると、六本木ヒルズはまだ8割ほどのフロアに明かりがついている。とっくに11時過ぎているのに。ぼくは甘いなぁ。

柳宗理デザインの日本酒グラスを洗っていると手がすべって割ってしまった。
何ダースもストックはあるから新しいのを出せばいいんだけど、割った破片があたりに散らばるのはやっかいだ。丁寧にキッチンのまわりを拭く。

静岡の純米酒を足のないワイン用グラスに入れて、ようやく一息。
テレビを付けて興味の無い政治ニュースを見る。今日も日本は平和だ。

さて、のどぐろ(赤むつ)の刺身を一口。
おお、なまめかしいほどのしっとりとした舌触りと、肉厚な感触。
甘みとうまみと弾力のバランスが心地よく、日本酒にもよく合う。
クロマグロよりはるかに味わい深い。
すばらしい。
のどぐろ、これは定価で買ってもいいかもしれない。


来月はベトナムに醤油とわさびを持っていくつもりだ。現地でおいしそうな魚を見つけたら、刺身にして食べてみようと思っている。


追記
12時半を過ぎてもまだ六本木ヒルズは7割くらいのフロアが明るい。どうなっているのだろう。ぼくはもう寝る。


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田舎育ち

2010-03-22 13:43:50 | Weblog
春には土筆を摘み、袴を取って母親に渡すと佃煮を作ってくれた。
まだ開き切っていないツクシの頭の、ほろ苦さが好きだった。

裏山の竹薮では、筍が採れた。
採れたての筍を茹で、家の裏に生えている山椒の木の若葉や味噌をまぜると、香り高い木の芽和えができた。

初夏には自分の部屋の網戸にまで蛍が飛んできた。
幼い頃は親と小川に歩いて行き、闇の中で呼吸するように点滅する光を眺めた。

夏には竹林を通り抜けてくる風で涼をとった。
裏山から野生の春蘭やスミレをとってきて、鉢に植えて眺めることもあった。
父親が捕って来る天然鮎は、味噌汁に入れるととてもよい香りが漂った。

秋には刈りいれ後の田んぼを走り回った。
落穂を焚き火であぶって食べることもあった。
台風が来ると、増水した小川に出かけて網を仕掛け、鯉やライギョなどをつかまえた。

冬には身をすくめて長い廊下を爪先立ちで移動した。
とんど祭りではお餅を焼いて、砂糖醤油をつけて食べた。

田舎は、豊かなにおいや、繊細な光に満ちていた。

捕ったばかりの魚のぬるぬるとした青臭さ。採りたて野菜の力強い香り。
過ぎ行く風を受けてざわめく竹林。刈った草の青いにおい。
ススキの茂みの中に隠れていたときの枯れたにおいと静かな空。
裏山の腐葉土と赤土のしめった香り。
においたつような、日だまり。音がゆっくり伝わる、春の大気。

その頃に感じた自然が、今のぼくにとても役立っている。
さまざまな香りや繊細な味を楽しめるのは、ありがたい。

もし、ぼくが未開の大地に放り出されても、本能的に住居を構えるのに適した地形を選び、食べられる草を収集し、魚のいそうなポイントを探して生き延びることができるだろう。

日暮れまで野山を駆け巡り、爪先は黒く荒れた手に小さな傷が絶えなかったぼくは、塾に通っていた人とちがい成績は良くなかったけど、幼い頃に勉強しなかったことを後悔していない。

風や地形や繊細な香りを感じることなく育つと、バーチャル人間というか、養殖人間のような人になってしまう恐れがある。

繊細なにおいも音もかき消され、地形も日当たりも人工的に変えられた都市空間では繊細さは不要なのかもしれないけど、ぼくは田舎育ちであることを活かし、都市生活に楽しみを見出したいと思う。
町育ちの人には見えないものが、見えるかもしれない。


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マグロはいらない

2010-03-22 00:50:01 | Weblog
水産庁による調査捕鯨は、海洋生物保護団体シーシェパードに妨害されている。
和歌山県太地町のクジラ漁、イルカ漁もアメリカ映画「ザ・コーブ(the cove)」で批判されている。

たしかに、知能の高いクジラやイルカを殺して食料にすることは心が痛む。
だが、日本人は、生きているものの命をいただくことに対して、真摯に向き合ってきた。
日本には、クジラの慰霊碑がある。
大学にだって、実験動物の慰霊碑がある。
欧米にはそういうものはあるのだろうか。

かつて脂をとるためにクジラを大量殺戮したり、化粧品などの実験のために大量の動物を殺害した人々の反省が、他者に向かっているのだろうか。
過去の自分を責めるように、現在の日本人を責めるのだろか。

誠実な人であれば、まず自分が反省してから、同じ事を繰り返さないように、他者に懇願するだろう。
(ぼくは中国の人に懇願する。かつて自分勝手な考えのせいで、中国の人たちには大変な迷惑をかけた。心からお詫びする。他民族を支配することは、とても難しいことなのだ。自分は滅ぼされてもいいから、チベットとウイグルの人々のことは尊重してほしいと心から願う。同じことが繰り替えされることは避けたい)

欧米人はキリスト教の影響もあり、自分が他の命を殺して自分たちが生き延びているということに意識的ではないのかもしれない。
牛や豚の命をもらって生きていることについて深く感謝している日本人が、アメリカ中央部に「牛馬豚羊慰霊碑」という巨大モニュメントを作ったら、動物に魂は無いと認識しているキリスト教信者も訪れるだろうか。

「家畜は殺されて当然だから、罪にはならない」とか、「知能の低い生物は命を絶たれても惜しくない」などと考えている人は、自分が動物や植物を食べても何も罪悪感はないのかもしれない。
もっとも、動植物の命を絶って自分が生きることに罪悪感を感じる人は、食を断ってみんな亡くなってしまったかも。生き残っているのは、自分勝手な人が多いのかもしれない。

まあ、欧米人もいつまでも自分たちの価値観が世界で支配的であるとは思わないほうがいい。
そのうち、カロリーの摂取しすぎは、反エコ行為であるとして糾弾される。
中国人や日本人などのアジア人の体脂肪率が世界標準となり、欧米人が反環境的だとして牛肉や豚肉の食事制限を約束させられる日は近いかもしれない。

それはともかく、一般常識の裏をかいて、楽チンお気楽生活を満喫させてもらってるぼくとしては、マグロが禁猟となっても何の興味もない。
むしろ、マグロがなければありがたい。

今日も刺身の盛り合わせと日本酒の夕食だけど、マグロだけ食べ残す。
マグロのかわりにイワシでもあればうれしかったのに。
カンパチもマダイもホタテもいいけど、中トロも赤身もたいして興味はない。
ぼくは俗に雑魚(ザコ)と言われている安い魚の刺身が大好きなのだ。

本マグロやクロマグロ、インドマグロが高級食材である、というのはひとつの文化だ。
文化というか、共同幻想。
値段が高いから、価値があると思っている人が多い。

先入観なく本マグロを口に入れると、フレッシュだけど、鉄っぽい。カリウムだか水銀だか、ミネラルも感じる。甘み、なめらかさよりも水っぽさが多い。中トロは余分な脂も多い。
ぼくは鰯とか鯵とかホウボウとかアイナメとかカサゴといった青魚、白身魚のほうが好きだ。

多くの人がマグロのおいしさを評価する中で、あえてイワシやカサゴ(ガシラ)の刺身のほうがおいしい、と言い切れる人は、第二次世界大戦中でも戦争に反対できた人なのではないかと思う。

ぼくは深く考えていないけど、過敏なぼくの体が嘔吐を求めるということは、何か、良くない成分がある。
だから、マグロを食べないというのは、わるくない選択だと思う。
マグロは、刺身文化信者の人がおいしく食べてください。ぼくは雑魚をおいしくいただきます。
それが、お金持ちと貧乏人がそれぞれ充実した日々を送ることができる割り切り方だと思う。


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しずる

2010-03-21 22:55:48 | Weblog
今夜、久しぶりに下北を歩いていた。
休日は、埼玉や栃木などから来ている人たちもいるのだろう。人が多い。
むかしはぼくも茨城からわざわざ出向いていた。
駅のまわりには下北沢成徳女子高の制服姿の子たちも多い。授業でもあったのだろうか。

8時半過ぎだろうか、南口からスーパーオオゼキのほうに歩いていたら、集音マイクとカメラが目に入った。
レストランとかショップの取材なのか、べつにこのあたりでは珍しくないことだからそのまま通り過ぎようとしたら、すぐ近くにテレビで見たことのある顔を見つけた。
目のちょっと細い感じ、あれはお笑いで人気の「しずる」だ。
テレビで見たままの顔。
目視だと166センチ52キロ前後。細くて、やや小柄。
身近にいそうな顔つき。かっこいいとは言いにくい。素朴な感じ。

ぼくが歩く方向に向かって彼らも歩いている。カメラやスタッフが追いかけている。
やがてしずるに気づいた女子高生たちが「キャー」と声を上げる。
まるでぼくも彼らを追いかけているみたいじゃないか、と思いながら先に進むと、スーパーオオゼキのあたりにいた女子高生も「キャー」「あれ、しずるじゃない!」「しずる、ヤバーイ!」などとうれしそうな声を上げている。
下北の女子高生なら別に芸能人も珍しくないだろうと思うけど、今をときめく「しずる」は特別なのだろう。
制作会社のスタッフは淡々と収録作業にいそしんでいる。おつかれさま。
本多劇場方面にしずるを追って女子高生たちも向かって行った。

ぼくはしずるの熱狂を避けてスーパーオーゼキに入ったけど、入り口で20代後半らしき女性が「しずるって何? 最近のこと知らなくて」というようなことを彼氏に言っていた。
テレビや雑誌をあまり見ない人はしずるを知らないのだろう。

まあ、「エンタの神様」も昨日終わったことだし、またお笑い芸人不況の時代に突入しそうだ。
むかしの「ボキャブラ天国」もそうだけど、なぜかお笑い番組が増えてお笑い芸人バブルが発生した頃に、お笑い番組が終了する傾向がある。
芸人たちにとっては、華やかな世界にようやく顔を出したと思ったらはしごを外されるような、つらい状況だ。

でもしずるは人気が高そうだから、お笑い番組が減っても生き延びて行けそうだ。
女子高生にキャーキャー言われて、なんだか楽しそうだなぁ。
景気のいい風景を見せていただき、ありがとうございました。


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アイヌ人は新石器時代人か

2010-03-21 18:18:39 | Weblog
先日、同僚が「アイヌ語」という表記は差別語に当たるのだろうかと悩んでいた。
そんなことで悩まないでよ、という感じだが。
「何々という地名は何々というアイヌ語が起源らしい」という記述に問題がないか戸惑っていた。

差別的な印象を持つ言葉に敏感なのはいいけど、差し障りのありそうな言葉を片っ端から差別語として認定し遠ざけるのは、創造的な行為ではない。差別とは何なのかということを考えていない軽率な行為だ。
水木しげるさんは、愛情を持って南洋の「土人」という言葉を多用する。水木さんの意図するところを読み取り、その表現の使用を認めている角川書店や河出書房新社の編集者の覚悟には敬意を表する。

もし、ぼくが「関西弁」や「関西人」といった言葉に対し、粗野で馴れ馴れしい人を見下すような印象だと感じ、「関西弁」や「関西人」は差別語やで、「畿内弁」「畿内人」へ言い換えなあかんのとちゃうか、と主張しても、堂々と持論を述べて「関西弁」「関西人」の言葉を使用してほしい。

もちろん、「アイヌ語」も「アイヌ人」も差別語ではない。
もちろん、差別的に見下して言う人もいるが、それは、ネガティブな印象を塗り付ける方に問題があるのであって、用語のせいではない。ぼくにとって「アイヌ」は誇りあるいい響きの言葉だ。へんにアイヌという語を避けるほうが、アイヌを侮辱している。

それはともかく、日本文化の基礎を学ぶ授業で、大学新入生が課題図書として読まされることが多いのが、英国人のイザベラ・バードが書いた「日本奥地紀行」だ。
明治11年(1878年)の6月から9月にかけて横浜から札幌まで馬で旅をした様子が、生き生きと描かれている。
日本に馬を操る技術が発達していなかったことや、どこの家にも蚤が多かったこと、アイヌ語しか話さないアイヌ人がたくさんいたことなど、興味深い描写が多い。
むかし読んだときは、日本の農村の貧しさや不潔さ、新しく建てられた西欧的建築物の立派さなどしか印象に残らなかったけど、何十年ぶりかに読み返してみるのもいいものだ。

時としてはキリスト教文化的な視点からの感想も伺えるが、基本的には中立的な姿勢。
世界各地を旅する人の多くがそうであるように、未知のものを単純に否定していない。
見たことをありのままに、文章と素描で残している。
日本人が当たり前だと思って記録に残してこなかったような風景や習慣も描かれているから、明治初期の、おそらく江戸時代から綿々と受け継がれてきた日本の様子を知ることができる貴重な資料となっている。

イザベラ・バードはアイヌ人に対する好奇心も並々ではない。
渡島半島や北海道南部などのアイヌ人集落をいくつか訪れて滞在し、記録に残している。
印象的な部分をいくつか書き出してみよう。

(平凡社ライブラリー版p383)
 アイヌ人は日本人ほどそう簡単には酔っぱらわない。なるほど彼らは酒を冷たいままで飲んだが、日本人なら酔ってたわいもなくなるほどの量の三倍も飲んでも、彼らは少しも酔わなかった。
(p390~391)
 彼らは宿泊料を少しも受け取らなかったし、与えたものに対して少しもお返しを求めなかった。そこで私は、なんとかして彼らの手工品を買って彼らの援助にしたいと思った。しかしこれも難しいことであった。彼らは熱心に物をくれようとしたが、私が買いたいというと、自分のものを手放したくないと言った。私は彼らが実際に使用しているものを欲しいと思った。例えば、煙草入れや煙管入れ、柄や鞘に彫刻を施した小刀。これら三つのものに対して、私は二ドル半を出した。彼らはそれらを売りたくないと言った。しかし夕方になると彼らはやって来て、それらは一ドル一〇セントの値打ちしかないから、その値段で売りたいと言う。彼らはそれ以上のお金を受け取ろうとはしなかった。儲けるのは「彼らのならわし」ではないと言う。私は弓と三本の毒矢、菱形模様をつけて葦草を赤く染めた二枚の葦草製の蓆(むしろ)、鞘のついた小刀、樹皮製の衣服を買った。私は彼らが神に献酒するときに使う酒の箸を買おうとしたが、生きている人間の酒箸を手放すのは「彼らのならわし」ではないと言った。
(p405~406)
 日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱々しい瞼、細長い目、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きぶり、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。このような日本人を見慣れた後でアイヌ人を見ると、非常に奇異な印象を受ける。私が今までに見たアイヌ人の中で、二人か三人を除いて、すべてが未開人の中で最も獰猛そうに見える。その体格はいかにも残忍なことでもやりかねないほどの力強さに満ちている。ところが彼らと話を交わしてみると、その顔つきは明るい微笑に輝き、女のように優しいほほえみとなる。その顔つきは決して忘れることはできない。
 男たちは中くらいの背丈で、胸幅も広く、ずんぐりしていて、非常に頑丈な骨組みである。腕と足は短く太く、筋肉が盛り上がっている。手と足は大きい。多くの男たちの身体、特に四肢は短く荒い毛でおおわれている。私は二人の少年の背中を見たことがあるが、猫のように細くて柔らかな毛でおおわれていた。男たちの頭と顔は非常に印象的である。額は非常に高く、広くて突き出しているので、初めて見ると、知的に発達する異常な能力があるような印象を受ける。耳は小さくて低くついている。鼻は真っ直ぐに通っているが、鼻孔のところが短くて広い。口は横に広いが、よい形をしている。唇はたっぷりとふくよかになる傾向はめったにない。頸は短く、頭蓋は丸く、頬骨は低い。顔の下部は上部とくらべて小さい。喉の「垂れ肉」といわれる特性はまったく見られない。眉毛は豊富で、顔をほとんど真横に、真っ直ぐな線を描いている。目は大きく、かなり深く落ちこんでいて、非常に美しい。目は澄んで豊かな茶色をしている。その表情は特に柔和である。睫毛は長く、絹のようにすべすべして豊富である。皮膚はイタリアのオリーブのように薄黄緑色をしているが、多くの場合に皮が薄く、頬の色の変化が分かるほどである。歯は小さくてきれいに並び、非常に白い。門歯と犬歯は、日本人の場合によくあるように、不釣合いなほど大きいということはない。顎が突き出るような傾向は少しもない。日本人によく見られるような上瞼を隠している皮の襞は決して見られない。容貌も表情も、全体として受ける印象は、アジア的というよりはむしろヨーロッパ的である。
(p409)
 アイヌ女性は身長が五フィート半インチを超えることはめったにない。しかし身体の線は美しい。すらりと真っ直ぐで、身体はしなやかでよく発達している。足と手は小さく、足の甲は形よく弓形になっており、四肢は丸みを帯び、胸部はよく発達し、足つきはしっかりとして柔軟である。彼女たちの頭と顔は小さい。しかし髪は男たちと同じく顔の両側にふさふさと垂れ、同じく豊富である。彼女たちの歯は実に見事なもので、にっこり笑うときには惜しみなく歯並びを見せる。
(p445)
 黒髪が豊富なこと、彼らの目が奇妙に強烈なことが、毛深い手足と奇妙に雄々しい体格とあいまって、彼らは恐るべき野蛮人の様相を呈している。しかし彼らの微笑は「優美と明知」を湛えていて、眼も口もそれに一役かっている。その低くて音楽的な声は、私が今まで聞いたいかなるものよりもやさしく美しく、ときには彼らが未開人であることをまったく忘れさせる。これらの老人たちの神々しい顔は、その態度振舞いの奇妙なほどの威厳と礼儀正しさとよく調和している。しかしそのすばらしく大きい頭を見ていて、アイヌ人が少しも能力を発揮したことがなく、単に子どもがそのまま大人になったものにすぎないことを考えると、彼らは頭脳の中に知恵ではなくて水を溜めているのではないかと思わせるほどである。私は彼らの顔の表情がヨーロッパ的であると、ますます信ずるようになった。その表情は誠実にあふれ、率直で男らしいが、表情も声の調子も深く哀愁を漂わせている。
(p482)
 彼は身体中が深い毛でおおわれ、肩のところは猟犬のゆおうに毛がふさふさと波打ち、身体の保温のためにもまた身体をおおうためにも、衣服はまったく不要と思われた。彼らの黒い髭は、毛深い胸から腰近くまで垂れ下がり、その黒い頭髪はふさふさと肩におおい被さっていた。もし特別に美しい彼の微笑と目許を見なかったら、彼はまったくの野蛮人に見えたであろう。噴火湾沿いのアイヌ人は、山のアイヌ人よりもはるかに毛が深い。しかし、逞しいヨーロッパ人よりも毛深くない男たちを見るのがきわめてふつうであるから、毛深いのがこの民族の目立った特徴だとする考えは、肌のすべすべした日本人などによってだいぶ誇張されているように思われる。
(p494)
 一人のきわめて醜いアイヌの女が樹木の皮を裂いていたが、その醜さはとても人間とは思えなかった。日本式の囲炉裏がいくつかあり、その一つの囲炉裏に一人の堂々たる顔をした老人が、湯を沸かしている茶釜を無表情な顔つきでじっと見ながら坐っていた。年とって廃屋の中に坐っている彼は、生存していても歴史がなく、消え去っても少しも記念物を残さない民族の運命を象徴しているかのようであった。もう一つの囲炉裏の傍に坐ってというよりもむしろ蹲(うずくま)っていたのが「猿人(ミッシング・リンク)」であった。私は初めてこれを見たときびっくりしてしまった。これは人間と呼ぶべきか? あの醜い女と「つがい(メイト)」であった。これを「夫」とは私はとても書けない。


人種的な特徴以外にも、アイヌの人たちにとっての売買とか贈与などの行為についての認識も興味深い。興味のある人はぜひゆっくり読んでもらいたいと思う。平凡社ライブラリーで1575円。ちょっと高いけど、それだけの価値は十分にある500ページを超える力作だ。

イザベラ・バードが東北地方や北海道を旅して34年後、明治45年(1912年)にチェコ人作家のヤン・ハヴラサが北海道を旅し、「アイヌの秋 日本の先住民族を訪ねて」という本を残している。この本もなかなか興味深い。
ちょっと目につくところを書き出してみる。

(p26)
 アイヌ人はまぎれもなく原始人であり、先史時代の最古の人間の生き残りの一派と見なすことさえできそうである。なぜなら彼らの骨格は、扁平な脛骨と上腕骨を特徴としているが、それはヨーロッパの穴居人の遺骨以外には、今日決して見られないものであり、穴居人の脛骨(テイビア)と上腕骨(フメルス)は、現代にいたるまでアイヌ人種のなかに保たれている身体構造をまざまざと思い起こさせる。
(p70)
 ちなみに日本人は人種として見た場合、疑いもなく単一の起源のみ由来するものではない。おそらく植民地蝦夷の多くの地域では、これまで日本本土において、古来の偏見とカースト的習慣のせいでたがいに隔てられてきたような人種的要素のあいだの混血も、可能になっている。さらに言えば、たぶんこうした家族のあるものは数世紀のあいだ、日本人種の守護神が建設し獲得したものに、完全な権利を持って参与する資格のなかった出自を持っている。日本には、民族の外側に置かれた数百万もの人びとがいて、彼らはたとえて言えばわれわれの社会のジプシーに似た立場にあるのだが、事情はさらに悪い。と言うのも、彼らの宿命は放浪生活によって軽減されずに、ほかの住民から差別された特定の場所に縛りつけられているからである。とはいえ日本の社会では、この謎めいた放逐者たちの集落においても、着るものや生活様式はとにかく日本式であり、習慣上彼らの独占と認められている特定の職業にたずさわっている。
(p76)
 今日私たちが見かけたアイヌたちは一人残らず、濃い頭髪、見事な口ヒゲ、威厳に満ちたほほヒゲを自然から豊かに恵まれていた。それどころか彼らのほとんどは顔面までも毛に覆われていて、たいていは秀でて高貴でさえある額(ひたい)がなければ、繁茂した毛に覆われている部分のほうが多いと言えるほどである。とはいえおよそ野蛮な印象からはほど遠い。反対にアイヌたちは疑いもなく、底抜けの善人のように見える。聞くところでは彼らの善良さは、同族のあいだや家族のなかでも、外部の人間に対しても等しく変わらないという。
(p94)
 私たちにとっていささか意外だったのは、バチェラーが、アイヌのあいだでのキリスト教布教がどちらかと言えば失敗に終わったことを悲しんでおらず、島の日本化という運命に対しても反感を懐いていなかったことである。反対に彼は、日本人たち、とくに日本政府が、アイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている。それでももう、彼らを救うことはできないと悟っている。
(p124)
 平均的なアイヌの男性を、なにかのタイプになぞらえることができるとしたら、ロシアの百姓(ムジーク)をおいてほかにはあるまいが、それは大部分の旅行者の指摘するところでもある。
(p126)
 すでに述べたようにアイヌたちは、骨格の構造からして全世界のあらゆる種族とは異なっていて、同類を求めるとしたら、有史以前の太古まで遡らなければならない。今日のアイヌのように腕と脛に扁平な骨を持っていたのは、古代ヨーロッパの穴居人だけである。この人種は、いつ、どこからやって来たのだろうか。


遺伝子が分析できるようになる前は、彫り深く堂々としたアイヌの人たちは形質的に欧米系、コーカソイドなのではないかと認識されていた。
現在では遺伝子の分析により、欧米系ではないと結論付けられているけど、たしかにアジア人離れした容貌の人もいる。
しかし、アフリカの黒人とパプアニューギニアの縮れ毛の黒い人の外見が似ていても遺伝子的にはかなり差があるように、彫り深く発達した四肢を持っていてもコーカソイドとは限らない。
むしろ、寒冷地に対応して一重で瞼が広く、顔や体の凹凸が少なく、体毛が少ない新モンゴロイドのほうが特異型なのであって、二重で彫りが深く、胸も尻も盛り上がっている人種のほうが人類として基本型なのではないだろうか。
二重で彫りの深い古モンゴロイドの人は、時としてコーカソイドと似た形状を示すこともある。

アイヌ人の骨が原始人の特徴を示すという特質は、現在にも引き継がれているのだろうか。
日本列島に広く分布していた縄文人(新石器時代人)も、扁平な脛骨を持っていた。
そこに注目した研究者がアイヌの埋葬地を発掘して、一部のアイヌの人から大きく反発されたが、研究結果はきちんと公表したのだろうか。

<参考>
http://www.sapmed.ac.jp/medm/7-30.html
> 日本各地でみられた縄文時代人骨のいわば「旧石器時代人」的特徴は、
> 弥生時代に入り各地で失われてくる。とくに脛骨の扁平性は、沖縄から
> 東北・北海道の一部にいたるまで広範囲に失われる。

また、日本政府はアイヌを同化させ、消滅させようとしたと主張する人は現在でも多いが、アイヌ語辞典編纂でも名高いジョン・バチェラーと会って「日本政府はアイヌを滅亡から救うためにできるかぎりのことをしていると認めている」とバチェラーの認識を記しているのは興味深い。

<参考>ジョン・バチェラー
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/03/03.html


ぼくはむかしからアイヌに興味があり、今も本棚には何十冊かのアイヌ関連書がある。
アイヌ的な外見に親しみがあるし、アイヌ的な文様も好きだ。
ぼくにとってはアイヌというのはとてもポジティブな響きをもっていて、文化が消滅の危機に瀕していることを残念に思っている。
砂澤ビッキさんなど、アイヌにルーツを持つ芸術家の作品をいくつか購入して持っているし、アイヌ語小辞典を見ながらアイヌ語の俳句を書くこともある。アイヌに生まれたかったとさえ思っている。

だが、誇大な期待はない。
アイヌ人は陶器も漆器も鉄製品も作らなかったし、文字も数学もなかった。政府も法律もなかった。未開人と言われてもしかたがないような生活環境にあった。
もしかしたら、高度に発展した社会秩序に到達した上で、秩序とか組織化といったものに疑問を持ち、あえてシンプルな生活を選んだのかもしれないけど、その可能性は低い。

アイヌにルーツを持つ人たちによる文化活動は、活発ではなかった。
残念ながら、アイヌ語を維持発展させようとしている人の多くは、日本人(シサム)だ。

<参考>アイヌタイムズ
http://www.geocities.jp/otarunay/taimuzu.html

それでも、最近は若い人が精力的に活動を行っている。
AINU REBELS やOKIさんなどの音楽活動も注目され、アイヌをルーツに持つ芸術家の表現も評価されている。
岡本太郎が縄文土器の美を発見したように、現代の芸術家がアイヌに美を見出す日が来ることを願う。



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「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ」の意味

2010-03-17 23:22:45 | Weblog
テレビを見ていると、印象的なメロディーが流れる。
開放感のある海岸沿いの道を歩きながら、宮崎あおいさんが口ずさんでいる。
ブルーハーツの曲だ。
何のCFかは印象的ではないけど、曲と歌詞が耳に残る。

口のわるい彼女は「歌が下手」などと言うけど、そんなことはない。
わざと、アカペラで、シンプルに、飾ることなく口ずさんでいる。
広がる世界に向かい合って、つい笑顔とメロディーがあふれ出る感じ。

「ヒマラヤほどの消しゴムひとつ」
「ミサイルほどのペン」
とは、どういう意味だろう。

彼女に聞くと「え、わからない。大きな消しゴム?」などと言っている。
そんなはずはないだろう、と思う。
巨大な消しゴムの山とか、ロケットみたいな巨大なペンがあっても、何に使うのだ。コントじゃないんだから。

ぼくなりに、歌詞の意味を解読してみよう。

 ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
 楽しいことをたくさんしたい
 ミサイルほどのペンを片手に
 おもしろい事をたくさんしたい

これは、若者の歌だ。
つまらない授業を受けていると、先生の言うことは耳を素通りし、黒板に書いてあることは目に入らない。
自分の世界に入りこんで、手元の消しゴムを巨大な白い山脈に見立てることがある。
机の上のペンを破壊力抜群のミサイルに見立てることもある。

消しゴムの山脈の陰には何ものかが潜んでいるかもしれないし、誰かが山登りを試みているかもしれない。
ペンのミサイルは教壇を狙っているかもしれないし、前の席の男の背中を狙っているかもしれない。
ペンに見立てたミサイルをゆっくりと山脈にむかって動かすことだってあるだろう。

文房具を何かに見立てて想像を広げる若者に対しての、応援の歌だと読み取れる。
「身近なつまらないものにも想像力を広げて、いろんなことを体験しよう。楽しもう」
というような姿勢を感じる。

 今しか見る事が出来ないものや
 ハックルベリーに会いに行く

この部分にも、トム・ソーヤの冒険心や、未知の世界に対する好奇心が示されている。

「夜の扉」は開けられるし、
「支配者達はイビキをかいてる」から目を盗んで出かけられる。
「夜の金網」だってくぐり抜けられる。
好奇心に満ちて感じ取れる世界を広げて行く、若者たちの気持ちを歌っている。
抑圧に反発して顔をしかめるよりも、軽やかに枠組みを抜け出して、楽しみを見つけるほうに踏み出している。

だから、宮崎あおいは笑顔だし、ちょっと安定していないような体勢でも、軽やかに先に進んでいくことができるのだ。


(すごく見当はずれだったらごめんなさい)


■THE BLUE HEARTS
「1001のバイオリン」 作詞・作曲 真島昌利

ヒマラヤほどの消しゴムひとつ
楽しいことをたくさんしたい
ミサイルほどのペンを片手に
おもしろい事をたくさんしたい
夜の扉を開けて行こう
支配者達はイビキをかいてる
何度でも夏の匂いを嗅ごう
危ない橋を渡って来たんだ
夜の金網をくぐり抜け
今しか見る事が出来ないものや
ハックルベリーに会いに行く
台無しにした昨日は帳消しだ
(略)
※参考
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND48132/index.html

・宮崎あおい CM earth music&ecology 歩く篇
http://www.youtube.com/watch?v=QjikKRJi7qc&feature=related

コメント (5)
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高木こずえ×藤原新也トークショー(2/28青山ブックセンター)

2010-03-07 04:31:27 | Weblog
先週末、藤原新也さんの顔が見たくて青山ブックセンターに行った。
藤原新也さんの名前は以前から知っていたけど、はじめて本を読んだのは2年前だ。
「メメント・モリ」は衝撃的で、写真に添えられた短い文を見て、ぼくは俳句を再開した。

藤原さんの顔は知らなかったけど、2年前山の手通り(代官山)のマレーシア大使館前あたりを歩いていたら、自転車で過ぎた髪の白いおじさんの後姿を見て、なぜかぼくは「藤原新也さんだ」と直感したことがある。

主義主張で動くのではなく、人々や物事に真摯に向き合って言葉を発する藤原さんには、レッテル張りや自己満足を超越した純粋さを感じる。
朝日だから、産経だから、アメリカだから、中国だから、評論家だから、ギャルだから、などと言って頭から否定する人ではないから、信頼している。

実物の藤原さんは、中肉中背の、これといって強烈な個性のある顔立ちではない人だ。
鼻の高さも指の太さも肩幅も、ぼくと似たようなものだ。
身長は170に足りないけど、戦中生まれの人では高いほうだろう。
2メートルも離れていない席に座った藤原さんの目を見る。
目が合うと、藤原さんの内面に焦点がぐっと合わさっていく。深い。
いろんなものを見て、感じて来た人の目だ。

新進の写真家、1985年生まれの高木こずえさんは、トークショーの案内ポスターにあったギャル写真とは全く違う、清潔感あるシンプルな髪型。
際立った美人という訳ではないけど、多くの人に好感を与えるのではないだろうか。

トーク内容は、藤原新也さんの文にある通り。
若い写真家が保守化している。一度写真の文体を見つけるとその場に定住している。
その中で、高木こずえは異端。毎回作る作品が変化しているらしい。

・shinya talk
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

■トークショー『デジタルとアナログのはざまで』高木こずえ×藤原新也
高木こずえ写真集『MID』『GROUND』(赤々舎)刊行記念
【日時】2009年2月28日(日)18:30~20:00+サイン会(開場18:00~)
【会場】青山ブックセンター本店内・カルチャーサロン青山
【定員】120名様
【入場料】税込700円


トークショーでは、開口一番、「今日は年齢層が高いね」というようなことを言っていた。
藤原新也さんのファンが多く押し寄せていたのだろう。
だけど、藤原さんはあくまで高木さんが主役だという姿勢。
高木さんに問いかけ、話を引き出す。

高木こずえさんが長野出身だと知って、藤原新也さんは「長野といえば長野の帝王だ」と連想したらしい。
この動画がスクリーンに映し出されていた。

・長野の帝王 ダンス 最強パレパレード
http://www.youtube.com/watch?v=ck1qG3o0be4&feature=related

「長野はヘンな人が多い」という藤原さんの言葉は、やさしい。
拒否する意味での「ヘンな人」ではなく、おもしろいという意味での「ヘンな人」だ。

高木さんの写真も映写されていた。
写真をコラージュしたり、田舎の夜道の牛を撮っていたり、ぼくにはよくわからなかったけど、一緒に行っていた彼女は「いい写真があった」と言っていた。

藤原さんが次に出す本の一部も見ることができた。
書がすばらしい。
圧倒される。細くても弱くない。崩しても乱れない。
格好をつけていないのに、存在感がある。
無駄な装いがなく、立ち入る隙がない。
人気の書道家の字が甘く見えてしまう。
藤原さんの書を買いたい。

最後に、質疑応答のときに「一日で目の色が変わることがありますか」というよくわからない質問をしてきた男に対し、「見かけよりも内面が大事」というようなことを答えていた。
藤原さんはさまざまな人と向き合ってきたことがあるのだろう。対応が落ち着いている。

藤原さんはキンドルなどの電子ブックにも関心がある様子。世の中の流れにあがなうよりも、まずは受け入れてみてそこから対応を考えればいいという姿勢らしい。
高木さんはキンドルやバックライトを使わない電子インクなどについては知らなかったらしい。新聞を読まない人なのかもしれない。
いろいろ考えているというよりも、まだ感覚で行動しているのかもしれない。
それでもバランス感覚のある人はそれなりにインパクトのある作品を作ることができる。

トークショーのときのメモをちょっと記しておく。

■高木こずえ×藤原新也トークショー(2/28 青山ブックセンター)
(藤原)
若い人は保守的。ある文体を見つけるとそこに定住してしまう。
20代、30代。同じ事を繰り返すと感心する。
カメラのハードメソッドも固定している。
でも高木こずえは一作ごとに変わる。

農耕民族は毎年同じ事をずっと繰り返す。

高木君の写真は死が似合うんだよね。

底流にあるものが文体。表現が全く変わっていても表現するものが似ている。
そういうものが出来上がっている。同じスタイルを踏襲するのが文体ではない。

(高木)
天才少年が好き。天才で子どもで男っていうのがうらやましい。
自分にないものを全部持っている。

写真は天才てないんじゃないかと思う。

(藤原)
あんまり聞いたことがないね。
絵はいるけど。
写真は、あっち側が天才。
だからいかに天才を撮るか。
写真はリフレクションするものを撮る。
いかに世界の天才を見つけるか。
対象が主で、自分が従。
ピカソなどは主体性。
写真は非主体性。だけど、写っているものはすごい天才であることがある。

カメラが変わらないことが、心がかわらないことに似ている。
服が変わる以上に、カメラ。
カメラを選ぶことがその人の文体を決めてしまっている。

若い写真かも保守化。
受け手も保守化。
編集者やディレクターが一番保守化している。

あの人といえばこれ→依頼。そういうサイクル。
こう写真が変化すると編集者もディレクターも、どう使っていいかわからない。
60年代、70年代は今と違っていた。
非常に編集者が保守化。保身。創造的なことをしない。

重い、意味のある写真はなかなか使い道がない。
冒険できるニューヨークに行ったほうが花開くと思う。

(高木)
―― 行きます。

(藤原)
同じ文体に定住している人が仕事をもらっている。
わけのわからない時代。
こういう時代に不遇な目にあっている人に、ちゃんと生きていけるように。
経済も大事だからね。

新作の本について。
進化か退化か。
どんどん写真にしろ言葉にしろ意味性がなくなっていくことを目指している。
メメント・モリのようなメッセージ性でなく。

作家性を削ぎ落として、意味性、メッセージ性を削ぎ落として。

 発心の
 花水木に
 うもれ

 花の下
 過ぎ行く人の
 悩み喜び

 蝶の羽音が
 聴える

 拝む姿より
 歩く姿に
 本性が見え

拝む姿はみんな同じ。歩く姿は違う。拝む姿は立派だけど、歩く姿が決まっている人は少ない。
 
 春の陽が
 そこに
 座れと言う

 うたたねの
 頬に鈴の音

 山越えて
 葉桜

山を越えて風景が変わると満開の桜から葉桜に変わっている。旅の時間。

 花冷え
 ローソクで
 指温める

 幾世の春の
 過ぎ去りし
 幾世の春の
 残されし

高木君にはわからない?
―― そうですね。

 二人灯して帰る

メッセージ性が強いものは、その他に読みようがない。

 ニンゲンは犬に食われるほど自由だ

若いときは人のことを考えていない。
今は考える。読み手を。
テクニカルな意味ではなくて、
表現することは自己完結してしまうと意味がない。

キンドル、電子ブック。
アメリカは虚像をどんどん発信。
Macとかディズニーとか。
本をデジタル化してパネルの中に何千冊と入れる。

モニターとインクと、受け取り方に違いがすごくあると思う。
みんな見ている色相が微妙に違うと思う。
見え方が違う。
老人になると色があせる。

書とは。
若い人は、書こう書こうとして書いた字。
書というのは、わけもわからず書かされたような、
そこが、パソコンでも起きる。
Photoshopでも、そこは人任せにできない。


以上。
終了後、会場の隅に立つ藤原さんがとても気になったけど、何も声はかけられなかった。
ぼくは興味ある人のことをつい何度も見てしまうけど、話ができないのだ。
でも、やっぱり気になる。藤原新也さん。

藤原さんは「うた」だと言っていたけど、ぼくにはあの短い文は、広い意味での俳句に思える。

それから、藤原さんの言うように、編集者の保守化、保身化は著しい。
芸術家をサポートできない人が多い。
でも、ぼくは保身に走らない。
藤原さんに対して興味津々の編集者は、みんなそう思っているのではないだろうか。
新作、楽しみにしています。


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好きな曲(Sugar Baby Love)

2010-03-07 02:32:41 | Weblog
先日、青山のRED SHOES で浅井健一がDJブースに立ったとき、The Rubettes の Sugar Baby Love という曲が高らかに響いた。
ハッピーな曲だ。
前向きな気分になれる。
日々は楽しいものだと予感させてくれる。
気を抜けない校正で忙しい日々だけど、つい頭の中でSugar Baby Love がリフレインしている。
この曲は大好きだ。
100年後でも評価される要素がある名曲だろう。

・The Rubettes - Sugar Baby Love
http://www.youtube.com/watch?v=3X7PvU6qYEA&feature=fvw

The Rubettes は1974年にSugar Baby Loveでデビュー。
1982年に解散後、1985年に再結成して今でも活動しているらしい。

・公式サイト(Sugar Baby Loveの映像リンクもあり)
http://www.rubettes.com/

もしぼくが1940~1950年代に生まれていたら、先鋭的な学生運動に加わっていたかもしれない。
短気で挑発に乗りやすいから。
かの時代の人の多くも、社会主義や共産主義に関しての理解は浅く、時代の雰囲気に乗って暴れていただけと聞く。

赤軍派の中上健次(1946~1992)とゴールデン街でこぶしを交えていたかもしれない。
革マル派の松岡正剛(1944~)に殴りかかっていたかもしれない。
共産党武闘派の宮崎学(1945~)に半殺しにされていたかもしれない。
右翼学生団体の鈴木邦男(1943~)や宮崎正弘(1946~)に吊るし上げられていたかもしれない。

でも、ぼくはマッチョな人たちを敬遠して、山下達郎(1953~)や大貫妙子(1953~)の sugar babe(1973~1976) に聴き入っていただろう。
The Rubetts(1974~) の Sugar Baby Love のレコードを擦り切れるまで回していただろう。
1964年公開の「シェルブールの雨傘」、1967年公開の「ロシュフォールの恋人たち」という名作フランス映画を何度も見に行っていただろうし、フレンチポップスのささやきにも心を動かされていたはずだ。
学生運動の激しかった時代にも、そんな人たちはいただろう。

構えた力みや声の大きさが多くの人を動かすとは限らない。
聞こえないような小さな曲でも、斬新な構造を示せば静かに影響力を広げることができる。

1990年代前半に外資系CD店を中心に隆盛を極めた脱歌謡曲で非マッチョな“渋谷系音楽”はフリッパーズギターやピチカート・ファイブ、カヒミカリィや高野寛などが有名だったけど、その先駆けは、sugar babe であり、師匠格が The Rubettes だったのかもしれない。
(sugar babe の バンド名の由来は The rubettes の Sugar Baby Love なのだろうか)

・sugar babe - down town(1975)
http://www.youtube.com/watch?v=pkAKeCjdWmc

何回でも聴きたい曲だ。
1960年代70年代は、反省と焦りと驕りと開放感がうねりとひずみを見せていた。
マッチョな男が暴れ、タフな女性も目覚め、弱い男が嫌味を言って、静かな女性は引いていた。
新時代を迎えたようでいて、人々の心はあまり進化していなかった。

頭脳警察(1970~)はロックを標榜していたけど、あれはほんとうにロックだったのだろうか。存在感は好きだったけど。

・頭脳警察(1990年同志社大学ライブ)
http://www.youtube.com/watch?v=MpcOmfoB2YI

支配者も被支配者も、差別者も被差別者も、上司も部下も管理者もバイトも、同じレベルの意識の中で対立していたのではないだろうか。
弱者も貧者も、強者の立場になれば偉そうに振舞った。
お金があっても権力があっても知能が高くてもその逆の立場でも、人を見下すことはなかなか克服できなかった。

ロックミュージシャンは自由を求めて、無秩序の中でおぼれていた。
少なくないロッカーはありふれたコード進行に無自覚で、独創性に欠ける歌謡曲ロックを大きな声で歌っていた。
Toshiさんのパーカッションは独創的で輝いていて、天才的だと思うけど。

芸術作品として曲の構造を眺めてみると、山下達郎や大貫妙子の sugar babe は派手さはなくても独創的で、芸術的なバランスを感じる。
軽やかに新境地を切り開いていた。
ぼくは1940~1950年代に生まれていたら、リアルタイムで sugar babe を何度も聴いていただろう。

ちゃらちゃらした長髪の若者が、聞いたことのないような音を浮かべ、スライドさせ、リズミカルな曲線を描く。
力んだ人が偉そうに彼らを批判しても、おしゃれを感知できない人の言葉に説得力はない。

柔軟で、おしゃれで、自然で、力んでいない知性に憧れる。
淡いものや儚いものや微かなものを感知することができる。

時として男性は単純で侵略的で暴力的でおしつけがましい。
物事の連続性や因果関係を無視して抽象的な言葉を積み上げることができる。
理解できないものを否定することも得意だ。
(ぼくにだってそういう面はあるだろう)

社会や組織の秩序を維持するためには、単純でマッチョな男性の存在が重要なのかもしれないけど、ぼくは懐の深い女性が好きだ。
東京の山の手やベトナムの海辺が好きなのは、どこかに女性的な居心地の良さを感じているからかもしれない。


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