波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

けもの道

2010-05-23 23:13:44 | Weblog
1940年代、ぼくの親は裏山の道なき道を歩いている時に、細い竹の切り株を踏み込んで足の甲を貫通させてしまった。
日ごろ、はだしかわらじで歩いていたらしいけど、その時は何をはいていたのだろう。

2010年の今、はだしやわらじで歩く人は目にすることがない。
東南アジアではまだ舗装されていない道も多いけど、日本ではほとんどの道がアスファルトでおおわれている。

世の中は、さまざまな道でつながれている。
大企業のビルが並ぶビジネス街の大通り。
一歩裏に入った飲み屋街の小さな通り。
駅前に続く商店街のメインストリート。
バスが通る都心の住宅街の道。
準工業地帯の路地の道。
農村の田んぼを横切る道。
舗装された林道。
田舎の山道。
たんぼのあぜみち。

なかには、地図にない道もある。
見慣れていない人には判別しづらいだろうけど、山中に笹や低い雑木が密生して足を踏み入れることができないところにも、動物たちが通る道がある。
それは、けもの道という。

少年時、ぼくは身をかがめて裏山のけもの道を小走りで駆けていた。
たんぼのあぜ道を友だちと歩き、雑木林や茂みの道なき道をめぐった。
やがて野山を駆けめぐることが少なくなり、国道沿いを中高に通い、モダンな学園都市の歩行者専用道路を利用して大学に通った。
混沌とした繁華街や被差別地域に興味をもち、やがて静かな高級住宅街のゆるやかな道の曲線を好むようになった。

これからぼくはどのような道を歩むのだろうかとふと想像する。
一般的には、ビジネス街の大通りに面する土地の価格が高い。
文化人や経営者が住む高級住宅地や保養地の道も多くの人を集める。
それにくらべて、田舎の農道沿いの土地はとても安価だ。
社会的評価は、農業よりも工業や金融、中小企業よりも大企業のほうが高いのだろう。

ぼくは今後、かつてのように、けもの道を小走りで駆けていくことになるのか、都心のビジネス街を闊歩することを望むようになるのか、表参道の裏道を歩けば満足だと言うようになるのか。

さまざまな道に魅力があり、あらゆる道を知ることに興味があるけど、寡黙なぼくはいつかまた一人でけもの道を走ることになるのかもしれない。
その時、表参道や広尾や代官山などの裏道を歩いた記憶は、きっとぼくの感覚を豊かにしてくれるはずだ。
笹やつる草をかき分け、斜面の落ち葉に足をとられ、樹皮や樹液のにおいをかぐとき、カラフルな昆虫や美しい常緑樹の葉にアートを感じることだろう。

もしかすると、骨董りや旧山手通りや職安通りを歩くぼくは、すでにそこにけもの道を見出しているのかもしれない。
都心のけもの道をしなやかに走り抜けるのもわるくない。メインロードもわるくないけど、人と人がすれ違うことも難しい細いけもの道は、原初的な衝動を秘めて刺激的だ。

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初夏のマダムトキ

2010-05-20 00:22:40 | Weblog
昨日は彼女の誕生日だったので代官山のマダムトキに足を運んだ。
小さな門を入ると左手に厚みのある木の扉が存在感を示す。
近づくと中から開けられることもあるけど、今日は誰も開けてくれなかったので自分で扉を引いた。

彼女の好きなフォアグラはAコースにはないので、Bコースをオーダー。
最初にグラスのシャンパンを頼んで、料理を待つ。
シャンパンは最初ハチミツのような甘みを感じたが、そのうち芳醇さの背後にあった酸味が前に出てきた。
酸味の後に甘みを感じるシャンパンやスパークリングは多いけど、甘みの後に酸味を感じるのは新鮮だ。いつも飲んでいる1000円台のスパークリングとは格が違う。しっかりした作りなのだろう。

パンは、イタリアンパセリを練りこんだパン、オリーブを入れたパンなど5~6種類がサーブされる。
バニラを含んだ発酵バターの繊細な舌触りがうれしい。
ヒマワリの種を含んだ固めのパンの香ばしさが引き立つ。
カルピス社の発酵バターはこのお店の名物だ。

そのうち最初の一皿が来た。
「ランド産ホワイトアスパラガスのブランマンジェ、新玉ねぎのヴルーテ、空豆のグラス添え」はガラスの皿に見た目も涼しげ。
ひとくちすくい、口に入れてしばらくたたずむ。
目を閉じたくなる。瞑想ができそうな一皿だ。心地よいひと時。
たまねぎやアスパラの香りとともに、丁子か何かのスパイスを感じる。

2品目は「鴨フォアグラのポワレ、デリストマトキャラメリゼ」。
あとにまだ魚も肉も待っているのだけど、これはもうメインとしかいいようがない。
フレッシュなフォアグラの表面はパン粉なのか何なのかカリッと熱が加えられ、なめらかなフォアグラの繊細さを引き立てている。彼女も絶賛だ。

次に来た焼いたマナガツオは、余分なソースはなく、日本料理のような仕上がり。
もちろん焼き加減はやさしく、慎重で完璧だ。

ここでグラスワインを頼む。今日の赤はボルドーとブルゴーニュ。
ぼくはあまりカベルネソーヴィニヨンを好まないので、ピノノワールのブルゴーニュにする。彼女はしっかりとしたボルドー、メドック。
メインの肉はまずまず。ぼくの仔うさぎのパイ包み焼きよりも彼女の仔牛のほうがおいしそうに見える。

ここまででもう満腹だが、これから別腹がスタート。
目の前に数々のチーズが並べられる。国宝級の人が作ったというミモレットの鮮やかな色に魅せられ、今日一番のおすすめだというカマンベールや、上出来だというウォッシュタイプのチーズも試す。
ミモレットは今まで食べたことのないもの。フレッシュで香り高く、これはすばらしい。

テーブルの上にケーキが並べられ、その中から4種類もオーダー。
特にシューのようなケーキは、皮もクリームも実に楽しい味わい。

仕上げにマシュマロも食べ、カモミールティーで気分を整えて周りを眺める。
ぼくは毎日のようにポンパドールのカモミールティーを愛飲しているけど、ここのカモミールティーはそれ以上にナチュラルで香り高い。まったくエグみがない。どこのカモミールなのだろう。

夜10時過ぎ、店を出ると庭の花に目が行く。
きっと週末は結婚式でにぎやかなことだろう。
いつまでもアットホームな美しい店でいてほしいと思う。

年に1~2回しか来ない店だけど、ぼくたちにとっては記念の店だ。
何年か前にシェフの方が変わられてから、モダンなフレンチに対応してきている印象がある。そのうちミシュランの星もつくことだろう。

今日もすばらしいひと時を提供していただいたスタッフの方々に感謝。
新しく入った方々もウィットや余裕、誠実さがあり、すてきな存在だ。
次回の訪問を楽しみにしている。

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ミャンマーの古い日本車

2010-05-15 18:47:57 | Weblog
ミャンマーの街角では古い日本車を見かけることが多い。
経済的に孤立している面もあるミャンマーでは、古い車も大事な戦力だ。
ボロボロの車が現役のバスやトラックとして町の物流を担っている。

マンダレーでは昔懐かしいオート三輪を何台も見かけた。
小型のものから大型のものまで、さまざまなオート三輪が荷物を運んでいる。
日本の田舎では1980年代でもごくまれに目にすることがあったが、もう何年も見たことが無かったので思わず撮影した。

ぼくは車に詳しくないので、いつ頃に作られたものなのか想像がつかない。
ただ、パテインからビーチリゾートのグエサウンまでローカルバスに揺られながら、内装のボロボロさに、相当古いものだろうと感じていた。
たまには、薄く固い背にもたれ、足元に積まれた米袋に窮屈な思いをしながら、朽ち果てそうなバスに揺られて、峠を越えて行くのもわるくない。


■ダイハツとマツダの古い車。
2009年10月24日、ミャンマー中部マンダレー市のバスターミナルにて。


■日野自動車の古いバス。
2009年10月30日、ヤンゴン西方パテイン市のバスターミナルにて。



■番外 
ときどき見かけた自作車?
2009年10月28日、ミャンマー東部シャン州のニャウンシュエにて。


マンダレーのトゥクトゥクみたいなオート三輪。


マンダレーの市内中心部。


マンダレーのバスターミナル。


マツダや日野自動車やダイハツの関係者の方は、ぜひミャンマーに足を運んで、往年の名車が今も日常生活の中で活躍している様子を見てきてください。
きっと感動すると思います。

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砂澤ビッキ回想展はどうなるのだろう

2010-05-15 15:38:49 | Weblog
5月に行われるという彫刻家砂澤ビッキの回想展を楽しみにしていたけど、なかなか情報がない。再延期、あるいは中止になるのだろうか。
あの迫力ある曲線を見られないのはとても残念だ。

Google検索をしてみると、回想展を企画したビッキさんのご子息が何やら活発に活動されているようだ。
後進民族アイヌ」という挑発的なタイトルで、アイヌ協会の不正を突いている。
どうされたのだろう。ちょっと緊張する。
保守系の「正論」5月号にも寄稿しているようだ。

父親の砂澤ビッキさんは社会党の五十嵐広三さんと親しかったと思うのだが。
産経新聞社の「正論」は、ちょっと書店で立ち読みしてみよう。

検索しているうちに、あるブログの記事を見つけた。
「正論」5月号について書いている。
もっとも、内容の分析ではなく、広告の量と内容を分析。
「正論」を否定したいのだろうけど、少しまわりくどい。

「こんな雑誌」「『正論』なんか」「質が低い」「記事のレベルが悪い」「まともな人が読んでくれるはずがない」などと書いている。
どんな視点から分析を見せてくれるのだろう、と興味を持ったけど、一方的に貶める言葉を使用するだけで、具体的な根拠をなかなか述べない。
保守派の人が「世界」や「金曜日」について論理的な分析もなく「とんでもない」「ひどい」「ばかげている」「極左」「反日」などと言って拒絶することに似ている。

判断力のある人は、どのような構造をどのような観点から判断するのか、淡々と論理を述べることができるはずだ。
自分と異なる考え方の論理を把握し、それについて分析・対応することもできるだろう。

相手の論理の読み取りを拒否し、否定的な言葉を投げつけて牽制しようとする人は、対立する相手と立ち位置が異なるだけで、その視点や姿勢は似ている。
差別者を差別する反差別者や、暴力を暴力で阻止する平和主義者や、排他的な人を排斥する良心派の人と同じく、差別や暴力や排他性を克服したとは言えない。

そのブログでは、砂澤陣さんのことにも少し触れられていた。

http://blog.goo.ne.jp/mccreary/e/ecc372f245fe463ea132d542e1276bee?fm=rss
> なお、『正論』2010年5月号の目次によると「短期集中連載」として
> >全国紙が書かないアイヌ利権の腐臭
>  第一回 税金にたかるプロ・アイヌの実態
>  アトリエビッキ代表 砂澤陣
>
> というのを掲載しているみたいですね。
>
> (略)
>
> さて、この雑誌を読んでの私の勝手な感想を書きます。それは、
> ほんとつまらん雑誌だということです。
>
> 私とイデオロギーが違うとかそんなことを言っているのではなく、
> 執筆者の質が低すぎるし(略)、また新聞社のだしている総合雑誌だから仕方ないのですが、
> 産経新聞社関係の人が多く記事を書いており、彼らは実力が高いとはとてもいえず
> 記事のレベルが悪すぎます。これじゃあまともな人間が読んでくれるわけがありません。

なるほど。そんなにレベルが低いのか。
根拠となる分析を読んでみたいけど、残念ながら見当たらない。
自分の精神の安定を保つために、自分と意見の違う人のことを「ばかだ」「まともじゃない」と見下しているのだろうか。それはとても保守的な行為に見える。
残念ながら、リベラルや反権力を自称していても保守的な型にはまった人は多い。

「ライプツィヒの夏」を書いている人も、親に似て言葉がきたないとか厭味な人格だとか女性に評判悪いねとか言われたくないだろう。
もし否定的なことを言われるのであれば、どのような構造に対してそのような判断をしたのか、きちんと説明をしてもらいたいと感じるだろう。
そう感じるのであれば、自分が他人を否定するときもきちんと理由を述べればいい。

それをしないのであれば、意見の違う相手を左翼だとか反日だとか言って否定してひとときの安息を得ているような人たちと同じ保守的な人だと見られてもしかたない。

さっき本屋で「正論」5月号の砂澤陣さんの文を立ち読みしてみた。
編集者が校正しているせいか、ブログで見る文章よりもまとまっていて、読みやすい。
論理構成や状況把握についても、「ライプツィヒの夏」よりはわるくないように感じる。
少なくとも、適切な根拠を示さず「つまらん」「質が低い」「レベルが悪い」などと荒っぽく書くようなことはしていない。

「つまらん、質が低い」とぼやいている方が、保守的で楽しみの少ないおじさんのように、つまらないのではないか。
静かに相手の急所を突いたり涼しい顔で関節技を決めればいいのに手当たり次第に猫パンチを繰り出してくる人とか、論理を述べ合うディベートをすればいいのに感覚的なことを怒鳴っている人も、見ていると疲労を感じる。
人のことを「バカだ、アホだ、頭が悪い」と言っている人は知的に見えないし、「幼稚だ、子どもだ」とバカにする人が大人っぽく見えることもない。

ぼくはそういう人よりも、砂澤ビッキの彫刻に興味がある。
あれは、芸術だ。
保守とか革新とか右とか左とか関係なく、時代の流行や各国の美的感覚にも流さず、独自に到達した高度なバランスを示している。
芸術は、誰かを否定して保身を図るようなところで成り立つものではないのだ。

保守派の人たちを攻撃するついでに砂澤ビッキとか陣さんのことを否定してもいいけど、芸術の邪魔をするなら、出来のわるいものを見せてげんなりさせないで、上出来な作品を見せて黙らせてほしい。


追記 6/2
いつの間にか、2010年11月に回想展が延期になったらしい。砂澤陣さんのサイトに書かれていた。とても楽しみにしているのに、この急な告知は何なのだろう。残念だ。どのような運営になっているのだろう。


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世界平和の近道

2010-05-10 00:29:18 | Weblog
世界平和を達成するのは簡単だ。
世界中の人々が、人を憎まない心を身につければいい。

いくら武器を持っていても、人を憎まない心があれば、
誰かを攻撃してその存在をなくそうと試みたりはしない。

人を憎まない心を身につけるにはどうすればいいか。
それは、あらゆる存在に価値を見出すことができるようになればいい。

そのためには、自分の価値判断の基準を客観的に眺めることが有効だ。
自分がどんな視点から何を判別しているのか。
なぜ、何かを否定しようとするのか、何かを拒絶しようとするのか。
その理由や因果関係を受け止めれば、少なくとも、世の中にはさまざまな価値が息づいているということに意識的になることができる。

もしかしたら、過去にもそういうことを意識していたやさしい人はたくさんいたのかもしれない。
だけど、何かを否定できる人たちが、強固な組織を作り上げて、やさしい人たちを追い詰めて行ったのかもしれない。
生き残った強い人たちの子孫がぼくたちなのかもしれない。

強い人や強引な人が弱い人や控えめな人を隅に追いやる、世の中の堂々巡りから脱することができれば、安らかに過ごすことができる世界に到達できるだろう。

ぼくから見れば、反戦団体や護憲団体や平和団体の人たちも、強い人たちだ。
やさしい人は、もっと目立たないところにいる。


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ベトナムから復帰

2010-05-09 22:16:53 | Weblog
金曜日の朝、成田に着いてそのまま勤務先に直行。
たまっている仕事を9日ぶりに処理して、夜は友人と遅くまで飲食。
日本の日本酒や刺身はおいしい。新鮮で繊細で、安らぎを感じる。

歌舞伎町の「ぶんご商店」から2時間歩いて帰宅。
4時過ぎの東の空はもう明るい。
コンビニでおでんを買って食べて就寝。
昼前に起きて、友人から請け負った校正を少し行う。
夜、彼女がやってきたのでそうめんと鯛の塩焼きで軽い夕食。

今日は昼前に起きて、うどんを打った。
細い麺に仕上げ、つゆにはすりおろした生姜をたっぷり入れる。
午後は彼女と渋谷で買い物をして、彼女は実家、ぼくはアパートへ。
夕食はカワハギとヤリイカの刺身。
赤むつ(のどぐろ)のアラは、塩を振って焼くつもり。
昨日買った「刈穂」の純米酒がまだ残っている。
日本にいると、日本酒と刺身の夕食がとても安くおいしくいただくことができて幸せ。

ベトナムでも、刺身を食べて日本酒を飲んだ。
だけど、値段に見合うほどのおいしさではない。

海外に行くと意外に日本にもいいところがあるのではないかと思うことが増えた。
はじめてイギリスに行った時は重厚な建築物に圧倒され、タイに行った時は屋台でのきままな食事に自由を感じたものだけど、最近は、日本もわるくないと思う。

日本ほど建築物や製品の作りが緻密で、無名のレストランにもホスピタリティを感じる国は少ない。繊細大国だと言えるだろう。
東南アジアでは4星や5星のホテルやリゾートに行っても、ずさんなつくりや対応におどろくことがある。

日本は怠惰な人や無教養な人、自己中心的な人や嘘つきな人の比率がかなり少ないのではないだろうか。
それは、社会秩序を強固にし、日本の社会体制を維持していくために役立っているのかもしれない。役立たせるために、政府が教育に力を入れて、勤勉で正直な人たちを増やしたのかもしれない。
おかげで日本は神経質でストレスをためてあくせくしているまじめな人を増やしてしまうことになってしまったのかもしれないけど、のんびりやのぼくや彼女にとって、日本はとても居心地のいいところだ。

ぼくたちが気ままにのんびりしていても、日本社会のあちこちで心を痛めて日本をよりよくしなくちゃ、なんとかしなくちゃ、とがんばってくれている人がいて、平和な社会をキープしてくれている。ありがたい。
誰かが、日本に生まれただけですごいお金持ちに生まれたも同然、と言っていたように思うけど、あながち間違いではない。

ぼくは世界各地に移住先を物色するような人間だし、日本に生まれたからといっても意志さえあればアメリカ人にでも中国人にでもチベット人にでもアフガニスタンのハザラ人にでもなれると思っている。
日本に生まれて自分のことをあたりまえのように日本人だと思い込んで、日本に不満をたらたら述べている人は、親離れのできていない保守的な人ではないかと感じている。
日本の社会体制に不満がある人は、他の国に移住することを検討してもいい。そのうち、日本の良さに気づき、ストレスが軽減されるかもしれない。


今回ベトナムで訪れたのは、ベトナム中部の古都フエ、ホイアン、タムハイ島、ダナン。
フエではラ・レジデンスに2泊。ここは市街地から2キロ近く離れている。
通常のデラックスルームからリバービューの部屋にグレードアップは1日10ドル。
リバービューの部屋はいい。デラックスルームは4Fなので、椰子の木のむこうに川の流れや市街地の建物を一望することができる。
(スイートへのグレードアップは1日40ドル。バスタブは魅力的だけど眺めはいまいちだったのでパス)
日本のNGOが運営している日本家庭料理店「子どもの家」は残念ながら停電のために閉店。
残念だけど「子どもの家」の人においしい店を教えてもらって「CODO(コードー)」に行った。
簡素な食堂だけど、安くておいしい。
翌日、子どもの家の隣の精進料理店ティンタムを再訪。
5年くらい前に来た時に、唯一感心したベトナム料理が、ここの精進料理だった。
鹿肉もどきの味は変わらず、エビもどきのプリプリ感には驚く。しかも安い。

夜行った有名な宮廷料理レストランTinh Gia Vien(ティンザーヴィエン)は残念だった。
1人20ドルもするのに、レベルが高いとは言いにくい料理。

フロアを走る大きなねずみ。使いまわされている野菜飾り。
(パイナップルに串を刺した跡がたくさん残っている)
電話が鳴るとばたばた走るスタッフ。近くの店から聞こえるカラオケの音。統一感のない盆栽や植木。
料理を出す時も、テーブルにおいてそのまま歩を止めることなく移動。エレガントさを感じない。犬がものほしそうにフロアをうろついているのも高級店だとは思えない。
欧米系の客の姿がなく、日本人が多いのが印象的だ。

町歩きに疲れるとインペリアルホテルの最上階のバーで休憩。コーヒーもビールも高いけど、眺めもよく涼しく、十分価値はある。

ホイアンでは、安宿街に宿泊。
いくつもの宿を見て、最後にThien Thanh(ティエンタン)に決めた。
1泊1部屋35ドルだけど、他の部屋も見せてくださいと言わないと、眺めのわるい部屋に案内されるかもしれないので要注意。
バスタブもあり、窓が広い部屋もあり、まだ新しく、居心地はいい。
朝食も野菜の畑を眺めながら、開放的な気持ちになれる。

翌日はホイアンからタクシーで2時間も南下してタムハイ島へ。
何もないリゾートで3泊。
砂浜沿いに12のビラ。滞在者はぼくたちだけ。オーナーのフランス人一家も不在。
小さな島の中を歩いていると現地の人がぎょっとしてぼくを見る。犬もほえる。外国人があまり来ないのだろう。

ビーチにパラソルとテーブルが用意され、朝食や夕食を楽しむことができる。
ぼくにとってはちょっと物足りない暇な時間だけど、彼女は満足している様子。

2泊目の夜にはスタッフたちがパーティーに誘ってくれた。
島からフェリーと船を利用して、ビーチ沿いに海の家のような食堂が並ぶエリアに移動。
茹でカニや、カキのお粥やエビの刺身などを満喫。
リゾートのoperate manager である Jennes によると、これは天然のエビだからいいものだとのこと。養殖物は汚染されているらしい。

フエのラ・レジデンスにもタムハイ島のラ・ドメーヌ・ドゥ・タムハイにも英語俳句の載っている本を置いてきた。
ぼくの句も少し載っている。
タムハイ島では時間があまっていたので、本を読んだり、椰子の木と青空を眺めながら句を作ったりした。駄句ばかりだけど。

 パラソルの傾き水平線に入る

 風を聴く椰子はパラソルと兄弟

 椰子の木の傾き風を誘うため

 自らの弱さ知る人眩しがる
 

タムハイ島からホイアンに戻り、それからダナンに行った。
途中の海岸沿いは大型リゾートの建設が続いている。
ソンチャー半島のリゾートホテルを見たけど、宿泊するのはやめてダナン市内に移動。
いくつかのホテルを見たけど、あまりいい部屋がない。
最終的にダナントゥーランホテルという大型ホテルのスイートルームにチェックインした。
3星ホテルのスイートは85ドルを提示されたけど、眺めが好きじゃないから70ドルにしてくれないか、と言ったら75ドルにしてくれた。
スイートはさすがに広く、トイレも2つある。バスタブもかなり広い。

ホテル近くの「四季」という日本料理屋に行って寿司や刺身をチェック。
アジの刺身はなぜか切り身の皮側を下にしている。日本の刺身とは逆の並べ方。
寿司は残念ながらシャリに空気が含まれていない。圧縮されている。
おじぎの仕方も、かしこまりました、という執事タイプとか女将タイプのおじぎではなく、奴隷タイプというか使用人タイプの卑屈なおじぎ。ぼくはかしずかれたくはない。
そういえば、メニュー表の日本語表記以上に英語表記のまちがいがひどかった。
校正を請け負いたい。あれはなんとかしたい。

最終日にもホーチミンの日本料理屋に行った。「ととや」というお店。
ここにもちょっと満足できるような刺身はなかった。
納豆チャーハンがおいしかったけど、7ドルは高い。

やはり刺身と日本酒に関しては日本がすごい。
今も、カワハギの刺身に肝をからめ、上等な醤油をつけて口に入れ、秋田の純米酒を飲んでいる。
幸せなひとときだ。

イギリスでも中国でもミャンマーでもどこでも何でもおいしく食べるぼくは、食に関して保守的なわけではない。
日本にいても、お米なんてなくてもいいと豪語している。
だけど、そんなぼくでも刺身はやっぱり日本だなと感じる。
いやぁ、ほんとうに日本に住んでいるなら、野生の魚のフレッシュな切り身と、高度なバランス調整によって産み出された日本酒の繊細な味わいを楽しみことは、すごくお得なことですよ、と日本在住の皆様におすすめしたい。







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