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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

サイパンの激戦

2015-04-24 22:11:07 | Weblog
先月だったか、「太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男」という映画をテレビで見た。
主人公の大場栄大尉という人の名前を知らなかった。有名な人なのだろうか。
いろいろ検索してみると、大場大尉と同じときにサイパンで戦った田中徳祐大尉という人もいるらしい。
田中大尉の側からの視点も気になる。どんな状況だったのだろう。

だけど、サイパンでの戦闘について詳細な記録を残されている東海大学の教授のサイトにも、田中大尉に関する記事は見あたらないようだ。
<参考>
鳥飼行博研究室Torikai Lab Network
サイパン・テニアン島の玉砕戦
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/saipan.html

田中大尉の本が復刊ドットコムから再刊行されていたので、ちょっと見てみた。
だけど、想像以上に厳しい記述が多い。
これが現実なのだろうか。人道とか理性といった枠がはずれてしまう極限状態の戦闘というものはおそろしい。
亡くなった方々も、憤り、恨み、無念な気持ちの極みだっただろう。

先日パラオの激戦地だったところで慰霊された天皇皇后両陛下は、10年前の2005年にサイパンにも行かれていたようだ。
無念にも倒れた人々は、日本を代表する祈る人、慰霊する人によって、少しは安らかな気持ちになれただろうか。


目についたところを一部抜書きしてみた。いろいろ考えさせられる。


『我ら降伏せず サイパン玉砕戦の狂気と真実』(立風書房1983年、復刊ドットコム2012年)
田中徳祐(たなかのりすけ)著
昭和17年、豊橋予備士官学校卒業、同年、陸軍少尉任官。
昭和19年、河村部隊甲副官としてサイパン島に転進。現役大尉に昇進。
戦後5年間、公職追放。昭和27年教職に復帰。昭和54年、大阪府和泉市立松尾小学校校長を勇退。


P66-67
  女スパイと毒薬
(略)
 敵は、南部から北上しチャッチャ――ガラパンを結ぶ線まで進攻してきた。すでに全島の半分近くが敵の手におちている。われわれの行動範囲はせばめられ、軍、官民が逃げ場を失い混乱しはじめた。と同時に、混乱に乗じてスパイが暗躍しはじめた。おもに原住民のカナカ、チャムロに多かったが、中には日本の若い女性まで混っており我々を驚かせた。このスパイたちは昼は洞窟に避難し、スパイらしい振舞いは全くみせなかったが、常に部隊指揮官の行動を見届けているようだった。夜になると指揮官のスキを狙い、拳銃で狙撃し、姿を消してしまうので手がつけられない。このスパイに殺された指揮官も出た。
 こうなると、誰もが信用できなくなり、兵がスパイをスパイするという事態に発展した。疑心暗鬼の目が、原住民や女たちに注がれるようになる。昼は洞窟でじっとしているが、夜になると飲み水の確保に必死になった。しかし、水源地にもとうとう毒薬が投入され、知らずに飲んだ兵や住民が、血を吐き、苦悶しながら死んでいく事態が続発した。
 あるときは、野州に出撃する部隊が、谷間やジャングルで攻撃準備を整えている所へ、不思議なくらい正確に、艦砲の猛撃を受け、戦わずして全滅する悲劇までおきた。
(略)

P93
(略)
 敵機はますます低空で襲ってきた。樹上スレスレで機銃掃討をくりかえす。そのうち低空で飛んできた敵機に、全員が集中射撃を浴びせた。それが命中したのだろう、パッ、と火を吹いて舞い上がった、と思ったとたん、パイロットが落下傘で飛び出した。敵機は、ジャングルの下の谷間に、大音響とともに落ち、爆発した。
 パイロットは、落下傘が開く間がなく落ちた。恨みに狂う我々は、集中射撃を浴びせた。パイロットは全身を真っ赤に染めていた。落ちたところへ駆け寄ってのぞきこんだ。と、
「おお!」
 と叫んだまま、私は絶句した。意外にも年の頃、二十歳前後の女子パイロットだった。女性が飛行服に身を固めている。静かに眠る彼女の顔は美しかった。敵ながら勇敢で天晴れな戦闘だった。我々は合掌し冥福を祈った。
 それにくらべ、我々を悩ませる日本女性スパイの指揮官暗殺などはなんたることだろうか。生を得るがためとはいえ、敵の捕虜になり、その命令に従い、我々の中にもぐりこんできて、スキをみては命を狙う。そして姿を消していく。日本帝国の前途が思いやられてしかたなかった。
 一機が撃ち落されると、敵は急に高度をあげ逃げていった。
(略) 

  看護婦の集団自決と立会人
P100
(略)
「おい、ばかなことはよせ。自決したり殺したりするのは最後の最後だ。まだ友軍が存在している限り援軍の望みがあるのだ」
 どなりつけて母親の手をにぎったが、ものすごい力でさえぎられた。母親は子供の上に重なった。子供はパッチリと黒い瞳を開いて母親の顔をにらんでいた。
「許しておくれ……お母さんもすぐ後からいくからね。苦しいかい、今に楽になるよ。お母さんと一緒に、戦争のない美しいところへ行こうね……」
 母親は、両手で子供の首に巻きつけたヒモをにぎり、もがく子供に話しかけた。やっとのことでヒモをとりのぞいた時は、もう子供は口元をピクピクさせているだけで息絶えていた。母親はさきほどとってきた自分の小便を入れたアルミ食器を子供の口元にあて飲ませた。一口はいったがあとは口から外へ流れ出た。私は無言のうちに子供に合掌した。
(略)

P129-134
(略)
 堤軍医とは、あの屍のトンネルをくぐり直撃弾に吹き飛ばされ、意識を失って助け出されてから会っていなかった。そうだ、それにしてもいい人に出会った、と私は思った。従軍看護婦の自決の立会人に、堤軍医は病院関係者だから適任者だ。
「変な任務だな。なぜ将校が立ち会わねばならないのだ。自分の身の処理は自分ですればいいじゃないか」
 堤軍医も、私が最初に思ったように、不審を抱き、理由をただそうとした。
「堤軍医、そういうな。これが万一のことを考えて、功績のためなんだ」
「功績?」
「そうだ」
「なるほど、必ず奪還にくると、信じて自決するのか……。そうとでも考えないと、死ぬこともできないだろうなア。よし、いこう」
 後ろにいた林看護婦を初めて紹介した。軍医は強い禁止で、吉田軍曹にも林看護婦にも気づかないでいた。
「林君じゃないか。吉田軍曹も一緒か。みんな無事で……」
 そこで言葉がつまった。
「みんな、最後は同じ運命をたどるのだね……」
 と力なくいうと、絶句してしまった。二人の手を、自分の両手でしっかりと握りしめた。林看護婦が言った。
「軍医殿、よくご無事で……。私達も全員無事です。しかし、もはや任務も完了いたしました。いま、残されている道は、これしかありません。どうか、最期を見とどけてください」
林看護婦の両眼から大粒の涙が、ボロボロと流れ落ちた。
(略)
 やがて、微かな音と共に、婦長の左腕に注射針が刺され、一滴一滴、恐ろしい液が右手の親指によって押し出されていく。死の行進がはじまった。婦長に続き、若い乙女たちの左腕に注射針が刺されていく。押し出される液、液……涙、涙。死の一大修羅場と化していく。この惨状。戦争はいったい何なのだ。だれがこんなことをさせるのだ……。私は思わず眼をつむった。暗いバナナ林の中に静かに、従軍歌が流れる……。
(略)

  全裸で連行された婦女子たち
p138-140
(略)
 投降呼びかけの放送とはうらはらに、米軍は人道上許しがたい残虐な行為を次々と展開しだした。
 我々は、パナデルの飛行場を見おろせる洞窟に潜んでいた。距離にして千米くらい先きに、上陸してすぐの三月二十日から作業をはじめ完成させた滑走路が横たわっていた。しかしいまは砲爆撃で無惨な姿をさらけだしている。
 そこへ、三方から追いまくられた数百の住民が逃げ込み、捕らわれの身となった。
 幼い子供と老人が一組にされ、滑走路の奥へ追いやられた。婦女子が全員、素っ裸にされた。そして、無理やりトラックに積み込まれた。積み終ったトラックから走り出した。婦女子全員が、トラックの上から「殺して!」「殺して!」と絶叫している。
 その声がマッピ山にこだましてはねかえってくる。
 やがえ、次のトラックも、次のトラックも走り出した。
 絶叫する彼女たちの声はやがて遠ざかっていった。
 ……なんたることをするのだ! 小銃だけではどうすることもできない。もし、一発でも発砲すれば敵に洞窟の場所を知らせることになる。この悲劇をただ見守るより仕方ない。(この婦女子はその後一人として生還しなかった)
 婦女子が連れ去られたあと、こんどは滑走路の方から、子供や老人の悲鳴があがった。ガソリンがまかれ、火がつけられた。飛び出してくる老人子供たち。その悲鳴……。米軍は虐待しません、命が大切です。早く出てきなさい……。あの投降勧告は一体なんだったのか。
 常夏の大空をこがさんばかりに燃え上がる焔と黒煙。幼い子供が泣き叫び、絶叫する。断末魔があがる。そのすさまじいばかりの叫びが、中天高くあがり太平洋の波をゆさぶらんばかりである。
「おい、もうがまんならん。撃て」
 この状況を見ていた私は叫んだ。同時に、吉田軍曹が一発撃った。しかし、何の効果もない。敵は、もはや我々に無頓着である。
 残虐な行為は生産をきわめた。火から逃がれようとする子供や老人を、周囲にいる敵兵は、ゲラゲラ笑いながら、また火の中へ突き返す。かと思えば、死に物狂いで飛び出してくる子供を、再び足で蹴りとばしたり、銃で突き飛ばしては火の海へ投げこんでいる。二人の兵隊が滑走路のすぐ横の草むらに置き去られて泣いている赤ん坊をみつけだし、両足を持って、真二つに引き裂いて火の中へ投げこんだ。「ギャツ!」という悲鳴。人間がまるで蛙のようにまた裂きにされ殺されていく……。彼らは、それをやっては大声で笑った。不気味に笑う彼らの得意げな顔が、鬼人の形相に見えた。
 射撃をやめ、この非道な行為を脳裏に焼きつけた。いまは眼からは一滴の涙も出ず、この恨みを、どこまでも生き抜いていつかきっと返さねばならぬと、全身に激しい怒りがみなぎった。
 恨みに狂う我々はしかし手のほどこしようもない。焼き殺されていく無惨な運命にただ合掌し、霊をとむらうだけが精一杯だった。
 我々の発砲にとうとう敵の反撃が始まった。看護婦たちが自決した右上の丘陵伝いに、攻撃してきた。我々は洞窟に潜み、抗戦をつづけた。そして夕暮れまでなんとか持ちこたえた。だが、この戦闘でも半数は死傷者となり、明日への戦闘能力を失った。
 その夜、洞窟を捨て、マッピ岬の海岸のすぐ上に突き出した岸壁の洞窟に移動した。
(略)

  断崖からの集団投身自決
p142-143
(略)
 敵は、ジャングルや洞窟に生き残る兵や住民を掃蕩するため、強力な爆薬を仕掛け、徹底的な爆破攻撃を刊行した。
 昭和十九年七月十一日、東の空が白むころ、追いまくられた住民がマッピ岬にむかって死の行進をはじめた。数百、いや数千人はいただろうか。もう、だれの制止もきかない。魔術にでもかかったように、怒涛岩をかむマッピ岬の断崖に立った。老人が先頭をきった。
「天皇陛下萬歳、皇后陛下萬歳!」
 と叫んだかと思うと、海中めがけて飛び込んだ。我々が潜んでいる洞窟のすぐななめ上である。投身自殺は、次々とおこなわれた。後から後から、子供も、婦人も、押されるようにして飛び込んでいく。その海中に、群れをなしたサメが泳ぎまわっている。海はたちまちまっ赤に染まり、飛び込んだ人たちは次々と食いちぎられて沈んでいく。
 海上には敵の掃海艇が何隻か走り回り、我々は首を出すこともできない。飛び込む水音、あがる断末魔。その声が洞窟にこだまし、もはやこの世のこととは思えない凄惨な状況となった。
 さすがの敵も、この光景には胆をつぶしたらしい。掃海艇の兵がしきりに大声をあげ、どなっている。頭をかかえ、しゃがみこむ兵もみえる。手まねで、やめてくれ、といっているらしいが、通じない。
(略)

  毒ガス攻撃と婦人の″串刺し″
p146-147
(略)
 七月十二日、敵はついに最期の手段とみたのか、毒ガス弾攻撃をしかけてきた。全く予期していなかっただけに、さすがにあわてた。防毒面はすべて捨ててしまっていた。毒ガス弾は、ノド元をえぐり取るような赤筒弾だった。 
「全員砂に顔を当てて呼吸せよ。濡れ手拭で口を覆え!」
 だれ言うとなく叫び、全員がコウモリのように、洞窟の岩に顔を当て、地面に吸いつき、素早く毒ガス弾の処置をとった。しかし、次々と撃ち込まれてくる毒ガス弾に、洞窟内は白煙で真白く覆われ、抵抗力の弱い子供や老人は、もがき苦しみ血を吐きながら死んでいった。
「畜生。苦しい……ノドが……一気に殺せ」
 そばにいた海軍の重症兵が叫ぶ。同時に、口からダラダラと鮮血を吐いた。血は、汗と油にまみれた衣服にベットリとしみ込んでいく。
 あまりの苦しさに、手榴弾で自決していく重傷者が出る。
「あおい、岸壁をよじ登って突撃だ。全員討ち死にだ」
 とあたりの洞窟から叫び声が聞こえたかと思うと、苦しさに耐えかねていた兵士数人が飛び出していった。敵の集中弾が、待っていたかのように火を吹き、兵士たちは射殺された。
 私は、頭が変になり、目がくらんで気が遠くなりかけた。
 ……もうダメだ……と思ったが、洞窟を匍い出し、岩と岩の間に顔を突っ込んだ。外からのスキ間風が鼻先きに流れてきた。それから先きは意識不明となった。
 ……その後どうなったか、死人同様に幾時間かがすぎていた。涼風が肌をなで、身に寒さを感じて始めて自分が毒ガス弾に意識不明になっていたことを知った。
「あっ、オレはまだ死んでない……」
 用心深く周囲を見廻した。と、同時に、いつ敵が侵入して乱暴狼藉を働いたのか、不思議な死体をみた。岩と岩の間に、一本の青竹をわたしそこに串刺しにされた婦人が、物凄い形相で掛けられていた。全く、人間のなせる行為とは考えられない残酷な光景である。まだあった。自分と同じ洞窟にいた兵士や住民たちが、五体バラバラに切りきざまれて倒れていた。自分が、何の傷もうけずに、こうして生きているのが不思議でならなかった。
(略)

P 173  
(略)
これに対して我々もまた、巧妙な仕掛けで対抗した。掃蕩に来る道路上に、あるいはジャングルに、ススキ原に、地雷式に、細い針金をつかって、足や車体に触れると炸裂する装置をつくり待ち伏せた。敵の憎悪ぶりはさらに増した。次々と残忍な行為で我々をおどろかせた。今までは一旦殺した兵は、そのままにしておいたのだが、いまは、あたかもそこが場であったかのように、死体を、頭から足の先きまで、牛馬のように切りきざんで並べたりした。
 夜間、月の光をたよりに、帰らぬ戦友をさがしにでてみると、身の毛もよだつような、残酷な″死体料理″に出会うようになった。野放しになっている豚や犬がそれを食い散らしている。棒切れで、散乱した肉片をかき集め、埋葬したが、あくる日、これがまた掘り出され、足でけ散らされ、剣で刺され、枯木にのせられて干されていた。頭蓋骨は皮をはがれて射撃の的にされた。彼らは、それを賭博のカケにして、一日中撃ち砕いていた。的中すると奇妙な声をあげて喜んでいる。我々はそれを潜んだところから、ただ見つめているだけで、手出しもできない。戦争とはいえ、あまりにも人道をふみにじる行為に怒りは増大した。チンナンやトカゲの餌になるほうがどんなにましかと何度も思った。
(略)

P178
(略)
我々四人は彼らの後についてジャングルの小径をいそいだ。山中にある民家は焼けただれ、水桶も全部潰されている。小径の両側には、戦友の白骨が淋しく草むらに散乱して何かを語りかけようとしている。
 腐敗しかけの屍が三つ、破壊された民家のコンクリートの上に転がっていた。
「おい、一寸、屍を見ていく。この間の掃蕩でやられたのだな……埋めてやろう」
 上弦の月が輝いている。近寄ってのぞきこんだ。
「可愛そうに、民間人だよ。年老いた母親と子供だ……」
 母親は毛髪を乱し、悲憤やるかたない形相をしている。腹部は蜂の巣のように銃剣で突き刺され、陰部はえぐりとられていた。右足が大腿部の所から、腹部まで引き裂かれている。七つぐらいの男の子は、顔面を棒切れで殴打されたのか、原形が変わっていた。家畜以上の暴虐極まりない仕業である。砲撃の着弾跡に埋葬し、真っ赤に咲いていた南洋桜をそえ、線香の代りにタバコを供し合掌した。周囲に転がる屍は、筆舌に表現できないほどの、虐待姿である。合掌する我々の間を、供えたタバコの煙が音もなく上っては消えていった。
(略)

P190
(略)
 敵の恨みは増大する。キャンプからの情報で指揮官の首に懸賞金がかけられたことがわかった。
「指揮官を射殺すれば千ドル。兵役は即日満期」という通達である。それによると、「まだ、タッポーチョ山には、大場大尉の指揮する一隊と、田中大尉の指揮する一隊が、東西の洞窟、ジャングルに立籠っており、威力ある兵器を携えて、各所に出没、我々を襲撃している。この敗残兵を全滅させるため、指揮官を射殺した兵には千ドルの賞金と、即日満期」
 というのは通達の中味である。一年にわたる戦闘のすえ生存者は全島で百人ぐらいに減っていた。
(略)

  投降か戦闘継続か
P215-220
昭和二十年十月、山の生存者は、東海岸のマッピ岬や、タッポーチョ山、タコ山と、我々のハグマン岬に、数名ずつがグループになって残っているに過ぎなかった。この四地点は、もし友軍が上陸してきた場合には、きわめて重要な拠点でもあった。
だが、いまはすべてが水泡に帰し、哀れな友軍の″断末魔の拠点″に風化しつつあった。(略)
十一月に入ってタコ山からの連絡で生存者の最後的な会合が大場大尉の所で開かれることになった。各所から先任者が全員の意見をもってきた。タコ山は大場大尉、タッポーチョは豊福兵曹長と廣瀬兵曹長、ハグマンが私という顔ぶれだった。その席には土屋憲兵伍長も顔を出していた。
(略)



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組合

2015-04-17 23:37:09 | Weblog
出版社は小規模な会社が多いので、組合がない会社も多い。
組合があっても、近年は活動的ではないところが多い。

出版労連という団体もあるみたいだけど、代表者は誰か、という質問に答えられる出版社勤務の人は1パーセントもいないだろう。
いったいどういった人たちが運営しているのだろう。民主的に選ばれた人たちなのだろうか。

たまに出版労連から政治的メッセージが発せられることはあるけど、大手メディアが取り上げることはない。
出版社の人たちを代表する発言だとは思われていない。


むかし、山登りの師匠は組合の活動家だった。
はげしい闘争をくりかえし、やがて体調を崩し、早世してしまった。
自分よりも他人のために働く、尊敬できる人だった。

だが、ぼくは組合に関心がない。
2000年前後のことだっただろうか、当時赤字が続いていた勤務先で、組合がアンケートを行った。
ボーナスの額はどのくらいを希望するか、という項目があった。
月給を100%とすると、ボーナスは何%ほしいか、というような質問。

ぼくとしては、赤字が続いている状況で、ボーナスをもらうのは難しいのではないかと感じた。
収益が上がっていない原因はぼくたちにもあるのだから、多くは望めないだろうと思った。
そこで、自戒の念をこめて「0%」と記入した。

ところが、組合が発表したアンケート結果を見て驚いた。
100%未満の数字を記入した人はゼロなのだ。みんな100%以上を希望しているのだという。
ぼくの回答は無視されたわけだ。
そういうことを平気でするんだ、と感じた。

その後、過酷な部署にいたとき、欝や病気になる同僚を見かね、組合の執行委員長や執行委員をやっていた同期の男に相談したことがある。
「過労死しかねないサービス残業の多さを労基署に相談したら組合は支援してくれるのか」というような相談に対して、はっきり「できない」と回答を受けた。メール文面も残っている。
やがて、鬱になってしまった同僚は退職、病んだ同僚も転職してしまった。
組合はあてにならないな、と感じた。

また、組合には大会というものがある。
参加できないときは白紙委任状を出すことが求められる。
誰々に委任する、という項目はあるが、書き込んではならないと指示される。
「はい」「いいえ」などという項目にも書き込んでならないと言われる。

本来、委任状というものは誰々に委任するという項目に記入しないと効力を持たない。
白紙委任状を委員から任意の出席者に渡すことができる場合、議決が僅差になりそうな時は、恣意的に白紙委任状を分配することができる。不正につながりかねない。

だけど、組合の執行委員に白紙委任状の扱いはおかしいのではないかと伝えても、協調性がない人扱いをうけてひそひそ言われるだけだった。

他にもいろいろ組合には封建的というか保身的というか、あまり組織を改善する力がないように感じられることがあったから、距離を置くようにしている。

労働者の権利を守ることはすばらしいことだけど、経営者に意見を言う側が、すぐれた知見を持っているとは限らない。
経営陣以上に村社会的で非論理的で硬直的な場合もある。
だからこそ、近年の各社の組合活動は活発ではないのかもしれない。
春闘のニュースなどを目にして、ふとそんなことを感じた。


> 大手の賃上げ2.59%=15年春闘、経団連調査
> 2015 年 4 月 16 日 17:01
> 経団連は16日、2015年春闘で大手企業の平均賃上げ率が2.59%になったとの調査結果を発表した。 
> [時事通信社]


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映画

2015-04-15 21:56:15 | Weblog
しばらく映画館に行っていない。
見たかった「女子ーズ」も「ベイマックス」も見ていない。。。

近年はテレビ放映を待つか、年に何回か乗る国際線の機内で見るか、試写会で見るか。
むかしパルコの株を持っていたときは株主優待でシネクイントの映画を見ることができたけど、ずいぶん前に手放した。

月末にはエティハド航空に乗る予定。サイトで機内エンターテイメントをチェックしたら、「バンクーバーの朝日」があるみたい。これは見たかった映画なので楽しみ。

何か月か前に、六本木ヒルズの映画館でマスコミ試写会があったけど、「フューリー」は反戦映画というか弔戦映画というか沈戦映画というか、なんだかやるせないせつない気分になった。

先日のマスコミ試写会は丸の内の東映本社試写室。
ゲッツ板谷原作「ズダボロ」を見た。

ゲッツ板谷ファンは見るべきだろう。
最後の方で、主人公のコーイチが母親にぼそっと「ありがとう」と言う。
この映画は苦労をかけた母親に捧げられたのではないかと感じた。
暴力シーンや友情シーンは多いけど、母親の愛情も読み取りたい。

デートには使いづらい映画だと思う。
女の子の胸丸出しシーンもあるし、シンナーを吸ったり鉄パイプで殴ったり。
ヤクザが指を落とすシーンは痛い。思わず目をつむった。

ケンカのシーンはかっこいいけど、中高生は真似してはいけないと思う。
がんがんコブシで殴っているけど、指の骨は細い。素人が殴るとすぐ自分の手がダメージを受ける。肘打ちや掌打、蹴りなどのほうが自分が傷つかない、、、という話ではなく。
鉄パイプをふるまわすのは本当に危険。打ち所がわるかったら死んでしまう。

比較的低予算なつくりの中、佐藤二朗さん演じるヤクザは奇妙な存在感があった。
まじめそうな顔立ちの平田満さんも凄みのあるヤクザを演じ、さすが俳優さんだなと感じた。

エンドロールにはゲッツ板谷ファミリー?の漫画家、沖田×華さんの名前があった。
何の役だったんだろう。気づかなかった。

エンドロールが終わった後に、おまけのようなシーンがあって、「未成年の喫煙は禁じられています」という字幕がでた。
ギャグなのか、日本禁煙学会に対する配慮なのか、ちょっと笑った。
喫煙シーンは、無秩序や暴力や逃避や青春や絶望を表現するシーンで使われているのだから、喫煙シーンを否定することは、そういった表現を否定することにつながりかねない、ということを日本禁煙学会の人は意識するだろうか。


追記 エンドロールというのは和製英語で、英語圏では end credit roll、credits roll、end credits などと言うらしい。


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虹の色

2015-04-11 20:43:02 | Weblog
幼児が言語を覚えることは、虹の色の数を覚えることと似ている。
森羅万象はグラデーションや絡み合いの中に存在し、どこかで意味を区切ることはかなり難しい。
色も音も匂いも、ほぼ無限に種類が存在するが、人々はその一部を切り取って認識している。

パンの青黒い部分を「カビ」と言えば、あたかも「カビ」というものが存在するように感じる。
だが、菌糸はパンの白い部分にも広がっている。胞子は空気中にも漂っている。
人間の目に見える部分だけを指して「カビ」と呼ぶと、深いつながりや因果関係を断ち切って認識してしまうおそれがある。

「害虫」「毒草」「戦争」「差別」、そういった言葉で切り取られる事象は、遠ざけるべきだと刷り込まれる。
親たちは、子どもたちの生命を危険にさらしたくないから、危険に直結することを本能的に避けられるように子どもたちを導く。

しかし、そういった教育の結果、子どもたちは世界の混沌を見る力を失い、世界に秩序を見出すようになってくる。
そして、言語とか社会組織とか人間関係といった秩序を認識し、その世界で生きていくことになる。

蜃気楼のようなものかもしれない概念をしっかり積み上げ、人間関係や社会秩序の中でうまく立ち回り、充実感を得るものもいる。
自分の行き方に疑いを持たず、喜怒哀楽の中で日々をすごすのは、生物としてとても自然な生き方だろう。
それでも、自ら築いてきた価値観の中で、限界や制約や不平不満などを感じ、心のバランスを崩す者も出てくる。

街の中で時折、意味の分からない言葉をつぶやきながら歩いている人がいる。
思わずぎょっとしてしまうけど、見方によれば、彼らは制約の少ない世界に生きているのかもしれない。
秩序に絡め取られることを拒否すれば、意味を成さない言葉を、場所や状況も考慮せず吐き出せる。

生きていくことにストレスを感じる人は、まずは自分の世界観を意識してみてはどうだろうか。
言語で切り取られた事象の関連性を意識すると、当たり前のことだと思っていた視点がどんどん揺らいでくる。

虹を見て、無数の色のグラデーションだと感じ取ってもいい。7色に区切る必要はない。
「害虫」「毒草」「戦争」「差別」、そういった言葉を絶対に排除すべきものとして認識しなくてもいい。
あくまで、ある観点からある事象を切り取って否定的印象を貼り付けているだけだ。
さまざまな角度から物事を見れば、ひとつの視点を守ることのはかなさを知る。
何かを強く否定して踏ん張っている人は、ストレスを感じながら耐え続けなくてもいい。

あらゆる主義主張も、色も音も匂いも、概念も物も仕組みもマーブル状に混沌と溶け出して、輪郭も構造もあやふやに見えてきたら、新たな思考を立ち上げることができるようになるかもしれない。

熟練工の技術や、聖者や禅僧などの思考は、言語で説明しにくい。
言語で説明しにくいレベルのものに近づくためには、言語や秩序を疑い、観察することが必要ではないだろうか。

そんなことをぼーっと考えるこの頃。

秩序の世界でとても高度な思考を行っている人は多いけど、ぼくはあまりそこに興味が持てない。
ぼくが見たいのは、直視すると見えないけど視野の片隅では感知できるような気がする6等星や7等星だったり、感知できる範囲外からふっと感知できる範囲に入ってくる香りの奥行きだったり。とても表現しにくいところだ。



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王仁博士は中国人?

2015-04-11 18:16:10 | Weblog
朝鮮半島の人々(中国系の人々を除く)が金や李など中国的な姓になったのは、新羅が半島を統一した頃からだと言われる。
日本書紀などに出てくる百済の王族や官僚などは中国的な姓ではない。

たまに、「世界最古の企業『金剛組』を作ったのは百済からやってきた金剛重光(柳重光)だ」と書いているサイトを目にするが、金剛という姓をもらう前に柳姓だったという根拠はない。

百済から日本に漢字を伝えたといわれる王仁博士は、ずっと「ワニ博士」と言われてきた。
古代の日本では「ん」の音を文字にしなかったから、文字だけ見ると発音が誤って伝わることも多かった。
ワンニンという名前を、ワニと表記した可能性が高い。王(ワン)さんだったのだろう。

平安時代の『新撰姓氏録』によると、「王仁は高句麗に滅ぼされた楽浪郡出身の漢人系の学者とされ、百済に渡来した漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる」のだそうだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E4%BB%81

王仁博士は中国語ネイティブだったのかもしれない。それなら漢字のプロだ。。。
百済に中国人が住んでいたことは、中国の歴史書にも書かれている。


日本は戦争で壊滅的に負けて全面降伏したおかげで、国粋主義的な歴史観から解放された。
いくらか謙虚になり、独善的・民族主義・国家主義的ではない歴史学の研究も進んだ。
最近は保守的に振り戻されているのではないかという見方もあるけど、マルクス主義的な歴史学が行き過ぎていた面もあったから、それが弱くなってきただけかもしれない。
(政界から社会主義者や共産主義者の人はかなり減ったけど、歴史学界にはまだまだ多い)

国家や労働者や被差別民などに関する研究でも、マルクス主義的な視点にとらわれて実態を見誤ってしまった例も多い。
それが直されている現状は、左派の人には不満かもしれないけど、イデオロギーにとらわれない歴史学に取り組んでいる人にとっては、自由に研究できるいい状況かもしれない。


だが、中国や韓国では、戦前の日本のように、自国を特別視するような歴史学が支配的なのだろうか。

韓国政府の偉い人でも「日本は百済の植民地だったくせに」などと大真面目に思っているようだけど、そう考える根拠は何なのだろう。

韓国には13世紀以前の歴史書が存在しないので中国や日本の文献を参考にすると、
「百済は新羅人や高句麗人や倭人、中国人が混在する多民族国家」
「百済には倭と同じく体に刺青を入れた海洋民族的な者も多い」
という様子が伺える。
古墳や出土品を見ても、朝鮮半島南部から西日本にかけて倭人が広く分布していたことを否定することは難しいのではないだろうか。
日本や中国と同様に、韓国も多くの民族がミックスされて現在にいたることを認めてもいい。

また、日本書紀には、領土を失った百済に任那の一部を割譲した記録や、百済が日本に朝貢したり、王族を人質として差し出した記録などが残されている。
(しかし、韓国ドラマではなぜか、未開民族の格好をした倭国の姫が百済に人質として渡される様子が描かれている。根拠は何なのだろうか。。。)

韓国の人々が精神の安定を保つためには、自分たちの自負心を満足させるための歴史観が必要なのかもしれないけど、歴史学と信念・信仰は切り離して考えるべきだろう。
自分に都合のいい考え方を、他の人に共有してもらうのは難しい。

あまりにも自国の優越性や正当性を追求する歴史観を肥大化させてしまうと、思考や行動も硬直化してしまい、かつての日本のように国を滅ぼすような状況に陥ってしまうのではないだろうか。
まあ、そういった状況にでも向き合わないと、どの民族もどの政府も、なかなか客観的に自分たちを見ることができないのかもしれない。


■<参考>古代朝鮮半島関連の中国文献(6~7世紀)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE

『梁書』
<百済傳>
其言参諸夏、亦秦、韓之遺俗云。
(その言葉は、中華諸国や秦の言葉が加わっており、韓に遣された習俗だという)
其国近倭、頗有文身者。
(其の国は倭に近く、刺青をした者が頗る多い)

『北史』
<百済傳>
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(そこの人は新羅、高句麗、倭等が混雑しており、中国人もいる)
百濟之國、蓋馬韓之屬也、出自索離國。
(百済という国は、蓋馬韓に属し、索離国より出る)

『南史』
<百済傳>
其国近倭、頗有文身者。
(其の国は倭に近く、身体に刺青を施す者が頗る多い)

『隋書』
<倭国傳>
新羅百済皆似倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来。
(新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、つねに使いを送り、往来している)
<百済傳>
其人雑有新羅、高麗、倭等、亦有中国人。
(其の人達は新羅人、高句麗人、倭人等が混雑しており、また中国人もいる)


コメント (3)
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メモ(社長名を公表しない出版社)

2015-04-08 22:42:27 | Weblog
ほとんどの出版社はホームページを持っている。
だけど、たまに情報をあまりオープンにしていない会社がある。
代表者名の記載がないと違和感をおぼえる。
何か理由があるのだろうか。

だが、左派というか左翼というか、親社会主義的だと認識されている出版社には、代表者名がない場合もめずらしくないようだ。

マルクス主義関連の出版社として知られ、社会主義が日本国内でも大きな力をもっていた時代は一世を風靡していた青木書店も、社長の名前を掲載していない。
現在の経営権は青木家なのだろうか、どこかに移ったのだろうか。

http://www.aokishoten.co.jp/contents/list/coinfo.html
■会社概要
会 社 名 (株)青木書店
会社住所 本  社:〒101-0051 東京都千代田区神田神保町1-60
営業部:〒175-0092 東京都板橋区赤塚8-12-12
連 絡 先 TEL:03-3219-2341
創  業
社  長
資 本 金

そういえば、業績欄に「酒が旨い!」と白文字で書いていた大学教員の唯一の単著は、この出版社からの刊行だ。

また、差別や人権、共産主義だか社会主義などに関する書籍が多い明石書店をやめた人がはじめた航思社も、会社概要には最低限の要素しか掲載してない。
http://www.koshisha.co.jp/about
>【 会社概要 】
>株式会社 航思社
>〒113-0033 東京都文京区本郷1-25-28
>電話 03-6801-6383 FAX 03-3818-1905

左翼出版の一翼を担うべく云々、と書いてたりする大村智という人が代表者だと思うのだが。
http://www.mosakusha.com/web-geppou/2014/05/post-90.html

これまた共産主義や社会主義や過激派や反社会的な団体などに関する書籍も多い第三書館に至っては、ツイッターしか機能していない。会社概要のページ自体がない。
https://twitter.com/the3rdworld_pub
>第三書館
>@the3rdworld_pub
>「企画ホンネ勇気」を旗印にした1979年設立の出版社です。第三書館の朝は、社長手作りの朝ごはんを食べることから始まります。

第三書館は裁判に負けて3500万円の支払いを命じられたけど、ちゃんと支払ったのだろうか。会社全体の年間の人件費を上回る額ではないだろうかと心配している。

第三書館をやめた木瀬貴吉という人がはじめた「ころから」という出版社も、会社案内のところに代表者名がない。
会社案内(ころから)
http://korocolor.com/company.html

ただ、どこにリンクしているのかよくわからないページに、代表者名はあった。創業当時のページだろうか。
http://korocolor.com/about_korocolor_company.html


なぜ正確な肩書きと名前をオープンにしていないのか、よくわからない。
経営者が誰なのか、あいまいにしておきたいのだろうか。
社長の名前は、ペンネームなどにしてごまかすわけにはいかないのだろうか。

たまに、共産圏のお金持ちは日本の左派出版社の買収に興味をもたないだろうかと考えることがある。
宣伝媒体として価値がある出版社を安く買えると知れば、興味を持つ人もいると思う。
経営者や財務状況についてオープンにしておいてもらえれば、海外の人に話を持って行きやすい。。。


そういえば右派・右翼だと目されている出版社はどうだろうと思ったけど、ワック出版や晋遊舎などは社長名を公表している。
しかし、桜の花出版の会社概要ページには代表社名が掲載させていなかった。
http://sakuranohana.jp/company/

ネットで見ると最近右翼系?だという説もある青林堂も、会社案内ページに代表者名がない。
http://garo.co.jp/company/

うーん、よくわからない。
とりあえず、「個人商店に近い小さな出版社は個人情報をあまりばらまきたくないからサイトに名前を掲載しない」ということなのだろうか。




<参考>
http://mainichi.jp/select/news/20150214k0000m040061000c.html
■抗議:風刺画転載本の出版社前「心踏みにじる自由あるか」
毎日新聞 2015年02月13日 19時25分(最終更新 02月13日 23時16分)
 東京都新宿区の出版社「第三書館」が、襲撃された仏週刊紙「シャルリーエブド」に掲載されたイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を転載した小冊子を発行したことに対し、在日パキスタン人の男性ら約30人が13日、同社近くの路上で抗議活動をした。
(略)



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「レメンゲサウ」か「メレンゲサウ」か

2015-04-05 22:34:42 | Weblog
パラオ共和国の現大統領は、1956年生まれのトーマス・エサン・レメンゲサウ・ジュニア氏だ。
英文だとThomas Esang Remengesau, Jr. と書く。
のべ10年以上大統領の立場にある大政治家だ。

ただ、日本においてレメンゲサウ大統領の知名度はそれほど高くない。
うろおぼえだと、「レメンゲサウ」だか「メレンゲサウ」だかわからなくなってしまいそうだ。
「メレンゲ」という単語を連想してしまうかもしれない。

しかし、友好国の国家元首なのだから、失礼のないように「レメンゲサウ」と記したい。
正しいのは「レメンゲサウ」。
ただ、検索してみると、外務省や国会議員や新聞社やJICAのサイトにも、「メレンゲサウ」の表記が見られる。
どういうことなのだろう。

アメリカの新聞が日本の元首の名前を間違って掲載したら、各所から抗議が来てすぐに修正するだろう。
心優しいパラオの人たちは文句を言ってこないかもしれないけど、それでも自分たちの大統領が間違った名前で報じられていると知ったら、残念な気持ちになるのではないだろうか。

両陛下のパラオ訪問(4/8~9)もありパラオへの注目は高まっている。
ぜひ修正していただければと思う。
(中根一幸衆議院議員は、敬語も修正されたほうがいいかもしれない)


http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/seimu/toyama/photo/18/0614.html
■外務省: 遠山清彦外務大臣政務官 フォト・ギャラリー
(写真)メレンゲサウ・パラオ大統領(平成18年6月14日)

https://www.nakane-kazuyuki.com/blog/report/20141218_6930.html
■中根かずゆきホームページ
2014.12.18 |木曜日
パラオ共和国、メレンゲサウ大統領来日
12月16日から19日までパラオ共和国のメレンゲサウ大統領が来日されました。
昨日は御所において、天皇皇后両陛下がメレンゲサウ大統領を御昼餐にお招きしました。

https://www.nakane-kazuyuki.com/blog/report/20141219_6932.html
■中根かずゆきホームページ
2014.12.19 |金曜日
岸田外務大臣主催の天皇誕生日記念レセプション
本日、岸田文雄外務大臣主催の天皇誕生日記念式典に各国大使をお招きしおこなわれました。来日中のメレンゲサウ・パラオ共和国大統領やクアルティ外務大臣も出席され、思わず嬉しくて抱き合っています。

http://www.sankei.com/world/photos/150325/wor1503250054-p3.html
■産経ニュース
2015.3.25 19:38
来月、両陛下ご訪問のパラオ・ペリリュー島の閉鎖壕を調査 未収集2600柱の遺骨発見に期待
ペリリュー島のイワマツ壕(左端)周辺で始まった遺骨収集作業。右から2人目はパラオのメレンゲサウ大統領=25日午後(共同)

http://www.jica.go.jp/press/archives/jica/2002/020111.html
■JICA プレスリリース 2002年01月11日
1月11日に現地で行われる開通式では、パラオ側からはトミー・エサン・メレンゲサウJr大統領以下閣僚が、日本側からは山口泰明総理特使、広海正光JICA副総裁ら関係者が出席し、日本とパラオの友好の象徴となる橋の開通を祝う。



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