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波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

香取神宮、佐原旧市街 (Katori Shrine and Sawara Old Town)

2010-11-28 23:34:54 | Weblog
10月の三連休に軽井沢に滞在した折、長野北部の戸隠神社に足をのばして奥社の杉並木と澄んだ雰囲気を味わった。
彼女が引いたおみくじに、香取神宮に行くといい、というようなことが書いてあったことも記憶にあり、香取神宮や近くの佐原市街に足をのばしてみた。

ぼくは迷信や流行にあまり関心がなく、気楽な日々をすごしている。
霊感なんてないし、仏滅も大安も関係ないし、北枕を好むし、ゲンもかつがない。
根拠のないものに拠り所を求めることは、知的なことに興味のない人や物事の仕組みを冷静に見極めようとする気のない人の、安易な判断行為ではないかと思っている。
おみくじも引かないし、占いも興味ないし、迷信に同調するつもりもない。

浅草の今戸神社がパワースポットだと耳にしても、本当に今戸神社のことを知っているのか? と疑問に思う。
1937年、すぐそばの”エタ頭” 浅草弾左衛門の敷地内にあった白山神社が合祀された。
近くには今も解放同盟東京都連合会のオフィスがある。
被差別民が心を寄せていた今戸神社(白山神社)に、多くの人が足を向けてくれるのはありがたいけど、パワースポットだなんだかと言って集まるのは、ただ流行に流されているだけだろう、と感じる。

だいいち、あのあたりは河川敷というか氾濫原というか、人が住むには適さない土地だった。
堤防が整備されてなんとか安心して住むことができる場所になったけど、今も土を掘ればすぐに水が出てくる。
地盤がゆるく、水分が多い安定度が低い土地は、繊細な人にとって優先度の低い土地だ。
系統化された風水学ではないけど、自然を肌に感じる人々は、陽あたりや湿度や安全性や、地下水位に意識が向いている。
今戸神社がパワースポットだと臆面も言う人は、パワーを察知する能力のない流行好きの人ではないかと思う。

日本各地の風俗街や飲み屋街は、湿地や河川敷や埋立地だったところが多い。
なぜ、そういったところに社会的評価の高くない産業が勢力をのばしたのか、社会学者や歴史学者はちゃんとその構造を把握する必要がある。

敏感な人は、標高や地形や道や日あたりや地下水の流れや地質などを総合的に感知して「これはすばらしいバランス」とか「これはポジティブ」などといったバランスを把握している。
固い石英(水晶)を多く含む火成岩である花崗岩の特徴とか、柔らかいカルシウムを多く含む変成岩である大理石の特徴を把握し、それらの影響も意識している。少なくとも、ぼくはそうだ。

厳かな山中でも看板や評判に影響され、重要な磐座(いわくら)の存在を無視し、本堂の奥行きを意識することもなく自己中なスタイルで拝んでいる人は、自己満足はあるかもしれないけど何も得ていないのではないだろうか。
ぼくは自己満足なオカルトには興味ないけど、ちょっと意識を集中させれば、ナルシストな占い師よりはマシな判断ができるのではないかと思ってしまう。


香取神宮には行ったことはないけど、なんとなくその位置づけはわかる。
おそらく、その前身はかなり古い。
茨城や千葉は長く海に覆われた時代があった。
いまいち茨城や千葉のお米が高く評価されないのも、その土地に砂地が多いことが原因だ。
お米のことを知っている人の間では、砂地の田んぼは稲の成長が早いけどお米にうまみが少ないと言われている。
(新潟でも、信濃川河口の砂地の地域よりも山間部の南魚沼の粘土質の田んぼのほうが評価が高い)
そのような土地で聖地としてあがめられるのは、ちょっと標高が高い地域だ。
遠くから見ても目印になるし、日の昇る方にあれば太陽崇拝と結び付けられやすい。

古い時代から聖地として尊重されていた場所が、西日本からやってきた神社信仰と結びついて神社の体裁を整えた。
香取神宮の主祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)だけど、これは古事記にはまったくない名前で、日本書紀で取ってつけたように出てくる。
「神名の『フツ』は刀剣で物がプッツリと断ち切られる様を表すもので、刀剣の威力を神格化した神」と言う人がいるけど根拠は薄い。
物を断ち切るときの擬音語として「プッツリ」が出てきたのはいったい何時代だろう。しかも、刀剣の威力を描写する際には、糸が切れるような「プッツリ」より物を断ち切る「バッサリ」の方が適切。
刀剣の威力を神格化するなら「ばっさりのかみ」とか「すっぱりのかみ」のほうが語感がいいだろう。
「フツ」の語源を考えるならアイヌ語系の「プツ(putu)=河口、川尻」を主張したほうが説得力があるのではないか。
まあ、プツカムイ、みたいな存在が征服部族によって経津主神になった、という可能性もなくはない。

そんなことをぼんやり考えながら、八重洲南口9:40発のバスに乗って11時前には香取神宮に着いた。
本殿、宝物殿を参拝。茶髪男と細身女性のヤンキー夫婦がかわいらしい子どもを連れて七五三のお参りをしている。
12時すぎ、香取神宮からうなぎの山田屋へ。タクシーで1200円程度。
30分以上並んでうな丼とうな重を注文。うな重の「じか」はうなぎをごはんに直接載せたもの。どちらも肝吸い付きの「上」は2200円。
炭火焼の香ばしさと、生らしき鰻の白身フレッシュさが印象的。行列になるのもうなずける。
観光舟が行く水路沿いの板壁の街並みをすぎ、「カフェしえと」をめざす。
伝統とモダンの融合した店内は開放的で静か。
インドとメキシコのコーヒー、栗きんとんとレアチーズを注文してシェア。
コーヒーはしっかりとした強さがありながら繊細でフレッシュ。デザートも栗の風味が生生しい。手作りな印象。
ちょっと歩いて麻生屋ですずめ焼き(極小フナ8匹の串焼き?80円)とうなぎ串焼き(350円)とドジョウの蒲焼(100円)を堪能。
柏屋もなか店で各種もなかの詰め合わせを注文して佐原駅へ。
16時50分のバスに乗って東京へ戻る。
東京駅に18時半すぎ着。

あっという間にゆるやかな休日は終わった。
東京からたったの1時間少々で、古い街並みが見られるというのはポイントが高い。
外国人が喜びそうな場所だ。
Sawara Old Town は今後もっと外国人に知られる観光地になるだろう。
(すでに、岐阜の高山は有名だ)
今度外国から友人が来たら、ちょっと佐原の町を案内してみたい。


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流出「公安テロ情報」全データ

2010-11-27 22:56:45 | Weblog
蕎麦を食べて帰ってきてニュースサイトを見たら、なにやら第三書館の新刊が問題になっている様子。
公安の情報が流出し、テロリストの疑いをかけられた外国人の名前が実名で掲載されているらしい。
まあ、どんなものなのか実物を見てみないことにはわからないので注文しようとしたけどアマゾンでは受け付けていなかった。

しかたないのでちょっと検索すると、版元ドットコムではまだ受け付けているのでさっそく注文した。
版元ドットコムは小さな版元が協力して運営しているサイトだったと思うけど、ここでひとふんばりしてほしい。
一般の人たちにもちょっとは知名度が上がるかも。
多くの人がまだ版元ドットコムの存在を知らない。

・版元ドットコム「流出『公安テロ情報』全データ」購入ページ
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-8074-1037-8.html

11/27土夜10時半、「流出『公安テロ情報』全データ」という本を版元ドットコムで注文。2100円、送料なし。

第三書館は極左暴力集団(日本赤軍?)との関連や辻元清美さんとの関連がときどき記事になる。
今どき公式サイトもない不思議な会社。
ツイッターはあるみたい。スタッフの人が
「トーハン、日販、太洋社が、『流出「公安テロ情報」全データ』の配本拒否。「書店に迷惑がかかるから」と。ちなみに大阪屋と栗田は『満額回答』でした。 」
とつぶやいてた。
大手にふられたのはちょっと痛い。
オフィスは大久保通りと明治通りのクロスするあたり。戸山団地も近い。


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010112700233
■『流出テロ情報』が出版=実名、顔写真そのままに-外国人「第2の被害」
 警視庁公安部の内部資料とみられる国際テロの捜査情報が流出した問題で、第三書館(東京都)が27日までに、「流出『公安テロ情報』全データ」と題し、在日外国人と捜査員の実名や顔写真、住所などの個人情報をそのまま載せ、出版した。
 同社によると、全469ページにわたり、流出資料114件すべてを掲載。約2000部が25日に出版された。
 同社の北川明社長は「ジャーナリストとして捜査の違法性を問題提起した」と意義を強調し、「イスラム教徒だという理由で外国人が差別されかねず、国際問題になるのではないか」と話した。
 流出資料に事実誤認があるとする在日外国人もいる中、個人情報を掲載したことについて、「インターネット上に出ており、秘密性はない。いろいろな検証は当然やっている。名前が出た外国人に知らせる目的もあった」と述べた。
 一方、個人情報をさらされた都内の在日外国人は「出版社からは何の取材も受けていない。生活に影響もあり、許せない。第2の被害だ」と訴えた。(時事通信 2010/11/27-16:36)

http://www.asahi.com/national/update/1126/TKY201011260556.html
■流出「公安テロ情報」出版 第三書館、実名や顔写真掲載
(朝日新聞 2010年11月27日3時45分)
 警視庁などの内部資料とみられる国際テロ関係の情報がネット上に流出した問題で、流出データを収録した本が出版された。警察官や捜査協力者の住所や氏名、顔写真などがそのまま掲載されている。出版した第三書館(東京都新宿区)は「警察の情報管理のルーズさを問題提起したかった」としている。
 タイトルは「流出『公安テロ情報』全データ」(469ページ)で、25日発行。データは編集部が作成した項目に整理されているが「内容には手を加えてはいない」という。
 第三書館によると、書籍取り次ぎ大手には「個人情報が含まれている」として書店への配本を拒まれたが、一部書店からは直接注文が入っているという。ネットでは購入できるサイトもある。
 第三書館の北川明社長は、「流出により日本の情報機関の信用が失墜した。イスラムを敵視する当局の姿勢も浮き彫りになった」と説明。個人情報を掲載する是非や著作権については「すでに流出しているデータである以上、出版の重要性が勝る。警察は自らの情報と認めておらず、我々には流出情報として出版する権利がある」としている。
 実名や顔写真などを掲載された都内のチュニジア人男性は「情報を漏らした警察よりもひどい。書店で売られたら生きていけない」と話した。
 専門家によると、警察の文書であっても創作性があれば著作権が認められるが、情報提供者の名前を抜き出したメモや捜査の人員配置を記した計画書など事実を列挙した文書であれば、創作性がないと判断され、著作権は認められない可能性が高いという。
 警視庁は流出発覚から約1カ月が経過した現在も「内部資料かどうか調査中」として、内部資料とは認めていない。ある警察幹部は「書籍になればより多くの人の目に触れることになり影響は大きい。情報流出の原因を突き止めるしかない」と話した。


12/4追記
初版が出版差し止めになった後、第三書館では一部のページを削除した第二版の印刷に取りかかった。
だが、その第二版も出版差し止めだという。
版元ドットコムでは注文のキャンセルが相次いでいる。
(「初版を買うつもりだったので第二版は必要ない、キャンセルしたい」とメールで伝えれば対応してもらえる)
資金繰りが苦しい小さな出版社にとって、出版差し止めは痛い。倒産のきっかけになってしまうかもしれない。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101203-00000965-yom-soci
■警視庁流出資料の再出版・販売を差し止め
読売新聞 12月3日(金)21時25分配信
 警視庁の情報流出問題で、東京地裁(田代雅彦裁判長)は3日、第三書館が出版した本に個人情報を掲載された国内在住のイスラム教徒ら数人の申し立てに基づき、出版や販売を差し止める2回目の仮処分決定をした。申立人側の代理人弁護士が同日、明らかにした。
 同地裁は11月29日、別のイスラム教徒ら数人の申し立てを受け、出版・販売の差し止めを命じる仮処分決定をしたが、同社がこの数人の個人情報だけを削除して再出版する方針を示したため、別のイスラム教徒らが2日に仮処分を申し立てていた。3日に双方の意見を聞く審尋が同地裁で開かれたが、同社側は前回に続き出席しなかったという。
 また、1回目の仮処分を申し立てたイスラム教徒側は3日、本の販売を続けている書店「模索舎」(東京都新宿区)を相手取り、入荷や販売の禁止を求める仮処分も申し立てた。模索舎は「コメントできない」としている。

コメント (1)
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旅の小技

2010-11-27 10:30:18 | Weblog
旅に出るとき、ちょっとしたコツを知っておけば、少し快適な日々を過ごすことができる。一人旅のいい点は、現地の空気に浸ることができるところだ。
自分のペースで移動し、気の向いたときに宿を探し、食事をとる。
旅から帰ってくると少しスリムになって野性を取り戻した自分の姿に気づく。

毎年一人旅をしていると、効率のいい方法を自分なりに見出す。
それを少しメモしてみようと思う。

まず、チケットの購入について。
■「トルノス」サイトでチケット購入。
さまざまなサイトをチェックするけど、JTB系列の「トルノス」は空き席だけ表示してくれるのでチェックが楽。購入手数料もない。念のために航空会社やYahoo!トラベルやetourなどのサイトもチェック。
たまに、航空会社のほうが安いチケットを提供している場合もある。

■チケットを購入したら航空会社のサイトにアクセスして席や機内食を予約しておく。
eチケットの控えが添付メールで届いたら、航空会社のサイトにアクセスしてシートを選択。
ぼくは、太陽の直射日光がまぶしくない方の、翼よりも前の窓側の席が好き。眺めがいいから。
食事は、エミレーツ航空の場合、低コレステロール食がおすすめ。甘すぎるケーキではなくフルーツの盛り合わせ、こってりしすぎた肉ではなく淡白な白身魚などが出てくる。

それから、荷物の準備について。
■消耗品は100円ショップで購入。
100円ショップには旅行に使える商品が多い。
A4の紙が入るプラスチックケース、縦長のポケットサイズのメモ帳、ペン、B5サイズのノートPCを入れる低反発ケース、パスポートや筆記用具を入れる袋など。
紙のめがね拭きはカメラやケータイなどを拭くのにも使える。
ただし、折りたたみ傘だけは500円、1000円以上のものを持っていくべき。100円傘は2~3回の使用で壊れる可能性が高い。

■固めのトイレットペーパーも持っていく。
半分くらい使用したトイレットペーパーの芯を潰して持って行けば、急なトイレや何かをこぼしたときなど、すぐに対応できる。あまり柔らかすぎるトイレットペーパーだとぼろぼろになりやすいので、少し安めのトイレットペーパーのほうがいい。

■下着やセーターは圧縮してB4のビニール袋にパック。
かさ張る服は、100円ショップで売っているチャック付きのビニール袋か、旅行用品として販売されている圧縮収納袋に入れる。荷物の体積が減るし、服が雨にぬれる恐れもなくなる。

■財布は複数用意。
日本円やカードが入ったお金とは別に、現地用の財布を用意。ボロいものでいい。
現地では現地用の財布だけ人前に出し、日本円やカードの入った財布は二重底の袋などに隠しておく。

■荷物は小さめ(20~25リットル)のバックパックひとつ。
小さめでもシンプルなつくりのバックパックは、40リットルのパックパックとたいして変わらないほど荷物が入る。服類はたくさん持っていかない。着ているものに加え、下着2日分、シャツ2枚、ジーンズ1本程度。現地で購入してもいいし、下着なしで過ごしても問題ない。
荷物が少なければ、機内持ち込みだけなのでロストバゲッジのおそれがない。移動も楽。

現地に着いたら、まず
■パシッと頬を叩き、四方に意識を向ける。
外国に来たんだ、ということを意識する。無防備なままぼーっとしていると格好の餌食。
四方に意識を向け、きびきびと歩く。周囲の人々の雰囲気に意識を向ける。
周囲になじまず、隙だらけの姿勢でたらたらと歩いていると、悪い人を誘い込んでしまう。

■笑顔で行動。
笑顔は最高のコミュニケーションツール。現地の人との交流は旅の記憶を豊かにする。
だけど、ぼったくりや失礼な行動には日本語でもいいからきちんと抗議する。意思表明をしておかないとバカにされる。意見を言ってこそ、コミュニケーションは成り立つ。
(政治家の人も一人旅に行ったほうがいいのでは。現状では海外の人にカモにされる政治家が多そう)

■空港では小額の両替、あるいは両替しない。
空港はレートが悪い場合が多い。だけど、レートのいい店が近くになければ、小額だけ両替。町の中に移動してからまとまったお金を両替。
ただ、高級ホテルのフロントでも銀行でも、紙幣の数をごまかす場合がある。そういうときは目の前でチェックして「おかしいなぁ、5枚しかない」などと言えばいい。むこうもしらじらしく足りない分をすぐ出してくる。

■現地ではたすきがけのカバンを使用。
治安が悪い地域でなければカギ付きでなくても大丈夫。小さなカバンの中に財布やパスポートを入れて持っておく。たすきがけだと、飲んだくれて置き忘れる心配も少ない。

ホテルでもコツがある。
■洗濯物はタオルではさんで踏んでから干す。
替えの下着が少ないと、宿で洗う必要がある。だけど、洗面所に水をためる栓がない場合がある。そんな時は石けんが入っていたビニール袋を栓がわりに利用。洗った後はよく絞り、タオルではさんで踏んで水分をとってから干す。そうすると早く乾く。

■宿泊を決める前に部屋を見せてもらう。
フロントで今夜の部屋があると言われたら、見せてもらえますか?と言うべき。いくつか部屋を見せてもらって、気に入った部屋に決める。気に入った部屋がなければ、ありがとうといって去る。不満があればきちんと言うべき。泣き寝入りして内輪で文句だけ言っても非生産的。

ナイトライフには注意が必要。
■性風俗、麻薬、賭博には手を出さない。
東南アジアで性風俗や麻薬に手を出す若い人が多い。きっと彼らの何%かが日本に病気を持って帰っている。
(ちなみに、性風俗の店の何割かは性転換した人。一見すると元男性かどうか区別がつかない)
麻薬も賭博も違法である場合は手を出さない。下手をすると、大金を払ったり刑務所に行ったりしなくてはならなくなる。
健全なナイトライフは、東南アジアではナイトマーケット見学。ヨーロッパではパブめぐりだろうか。

■現地で親しくなった人に問われてもクレジットカードは見せない。
現地で親しくなった人がクレジットカードの話を何気なくふってきても、持ってないふりをするか、手元にないふりをする。
詐欺師はカードで大金を支払わせようとする。

帰ってくるときに、気をつけることもある。
■入国審査や税関通過の時は襟付きシャツ、靴で。
Tシャツ&サンダルのときは、襟付きシャツ&スニーカーのときより荷物チェックをされることが多いように感じる。
機内ではラフな格好でも、入国の前にトイレで着替えることがある。


今思いつくのはざっとそんなところ。

ぼくがどのようにして毎回旅先で女性のメールアドレスや住所をもらってくるのか? ということについてはあまり思い当たるコツはない。

心をオープンにしておけば、すれちがった人のうち何人かが声をかけてくる。
それを拒否しないで雑談をしていれば、アドレスを交換しようという話にもなる。
最近はfacebookが一般化しているからfacebookやってる?と聞かれることもある。

だけど、残念ながら海外の女性とのメールのやりとりが長く続いたことはない。
ぼくの英語読解能力が著しく低いから。
なにしろ学生時代から最も苦手な成績のわるい科目が英語だった。

勉強する意味もわからないのに勉強するなんて一種のバカじゃないと没入できない行為じゃないかと思っていた。
英語の勉強をして英語を教える先生になったり英語学習の本を書く人もいるけど、それは英語を活用していると言えるのだろうか。

必要や興味に応じて最低限のツールを手に入れ活用するというスタイルのぼくは、海外旅行や洋楽やメールのやりとりを楽しむというモチベーションを経て、少しは英語でコミュニケーションが取れるようになった。
だけどまだまだだ。
最近、Lang-8というサイトで英文を書く練習をはじめた。

■英語コミュニケーション力アップのためにロバート・ハリス&Lang-8
いろんな英会話書を買ってきたけど、ロバート・ハリスの「これだけ」は使える一冊だ。
旅行の前に1~2週間この本を読んで音声を何度も聞いておけば、コミュニケーション力は確実にアップ。
・「英語なんて これだけ聴けて これだけ言えれば 世界はどこでも旅できる」(東京書籍)

Lang-8(ランゲート)は無料で語学学習ができる便利なサービス。これは敷居が低いし、利用すればするだけ英文を作る力が上がるだろう。
Lang-8

最後に、
■「地球の歩き方」はバックパッカーに有益な情報が多い。
安宿情報やよくある詐欺情報、チップの習慣の有無などの情報が載っている。
ここを抑えておけば痛い目に合わなくてすむことも多い。
少し高いけど、ブックオフオンラインで検索すると数年前の版が数百円で売られている場合もある。何年か前の情報でも十分有益な場合が多い。
ぼくは少し古い地球の歩き方を買って、本の背にアイロンをあて糊をやわらかくし、不要なページを抜き取ってから持っていく。少しでも軽くするために。


来年はどこに行こうかな。
ベンガル湾に面したミャンマーのグエサウンビーチにもまた行きたい。
The Palm Beach Resort で海を見ながら屋外でマッサージをしてもらうのは最高に幸せ。
北欧や南欧で行ってみたい町も多い。
10日や2週間ではまだ物足りない。
欧米の人みたいに1か月くらい休めないかなぁ。

以上のようなことを妄想するのは、来年秋まで非常に忙しいハードな日々が続くから。。。
ああ、大変だ。

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チベット永遠の書

2010-11-25 23:53:35 | Weblog
火曜日、下北の農民カフェに行った。
一軒家を利用した心和むレストランだ。
薄味ながらも野菜の味は力強く、そろえてある日本酒や焼酎はセンスがいい。
オーナーの和気さんはかつてJACK KNIFEというバンドのリーダーだった。
90年代半ば、渋谷の西武の前で演奏している姿を見たことを思い出す。
(ぼくの好きな渋谷系音楽とは違い、ちょっとスカ、ジャズなどを連想する骨太かつエッジの効いたロックだった)

和気さんは、下北の南口でチベットチベットとかロータスカフェというレストランも経営している。
何回か行ったことがあるそれらの店は、オープンな印象で居心地がいいけど、チベット料理の店ではない。
いつかチベット料理の店に行きたいな。

話は変わるけど、チベットにはむかしから興味があり、河口慧海や中沢新一などの本を読んでいる。
ただチベットに対して神秘的だという先入観はあまり抱いていない。

チベット仏教の独特の論理学や精神的鍛錬はイメージ豊かで閉鎖的でワイルドで興味深いけど、荒野の辺境にそんなにデリケートな文化が根付いているものだろうか。
作家や芸術家にとってはすごい物語をつむぎ出せそうな情景でも、凡人には単調な風景にしか見えないかもしれない。

ダライ・ラマ十四世の本を読むと、とても合理的かつ論理的な考え方をされる人だと思うし、自分に超能力はないと言い切っているし、そんなに怪しい世界が広がっているようには見えない。

たまにチベットを神秘的に描いた書籍を見ても、それが本当にオカルトっぽいのかどうか判断に迷う。
素直にありのままを記録しても、奇想天外な話のように思われてしまうのかもしれない。あるいは、著者が合理的に書いたつもりでも、オカルト好きで非論理的なことに甘い人が翻訳すれば、神秘的に見えてしまうかもしれない。

先日読んだ『チベット永遠の書』は、数々のトンデモ本を出している徳間書店の発行。初版は1994年。
ドイツ人の神秘家・探検家であるテオドール・イリオン氏が1937年に発行した2冊の本を1冊にまとめてある。
河口慧海が最初にチベットに入ってから30何年も後に入国した記録。
ダライ・ラマ13世が1933年に亡くなり、1940年にダライ・ラマ14世が継ぐ間の時期。
いくつか目についた文を挙げてみよう。

p115
総じて、真の隠者は偽の隠者よりはるかに出会いが難しい。彼らは、ごく稀な場合に限るが、誰かを教えたり助けたりするのに必要だと判断したときにしか、決して姿を現さないものである。
(略)
岩間の小洞窟に住み、何年間も真暗闇の中で過ごしているというチベットの自称隠者たちはどれもこれも本物ではない。

p116
真の隠者は人を恐れさせたり、人に自分の力を信じ込ませたりといったことを決してしないが、偽善者はこれを行う。真の隠者は人に与える物も、約束する物ももたない。

p129
チベットには正真正銘の透視家たちがいるが、その数はあまり多くないように思われる。偽透視家の数は、これと比べ、とても多い。例えば、高位のラマ僧は透視能力を授かっていると信じられている。年長のラマ僧のほとんどは、権威を高めるため、自分たちが透視家であることを民衆に信じ込ませようとしている。


まあ、神秘の世界はいつでもどこでもイカサマがはびこっているということだろうか。
神秘的なものを権威付けに利用する人は今も多い。

p135
とはいえ、中には30歳代の健康な男性にみえながら、実際には百歳を軽く超えている人々もいることは事実である。同じ地域に住んでいる多くの老人たちが、5・60年間この人たちをみているが当時からまったく容姿が衰えず、年をとっていない、と証言しているのだ。
*(編集部注)もっとも有名なのは、北インドに現存する170歳のデブラハ・ババであろう。この人は、みた目は30歳代の体をしている。食事は果物と野菜しかとらず、竹で編んだ庵にしか住まない。常に愛について説き、インドの国家元首は代々参拝して祝福を受けてきた。


ん? 今もそのデブラハ・ババさんは健在なのだろうか、と思って検索してみたら、1989年にすでにお亡くなりだった。
徳間書店編集部さん、翻訳者の林陽(はやし・よう)さん、1994年の初版発行の5年前にデブラハ・ババさんは亡くなってるじゃないですか。
しかも、画像検索すると白髪で皮膚の衰えた老人の姿。とても30代には見えない。
1930年代にテオドール・イリオンさんがチベットに行ったときに30代の姿で、亡くなられた1989年に80代の姿であれば、何の違和感もない。
ただ単に、1930年代に年齢を詐称していたという可能性が高い。
この注釈は信頼できない。
・Devraha Baba(デブラハ・ババ、デヴラハ・ババ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Devraha_Baba

p144
友よ、自分を善人だと考えている人間には注意することだ。自分が善いと思い込んでいるときこそ最悪なことが多いものなのだ。

p235
したがって、3はまだ抽象敵領域にあり、4になって初めて具象敵領域に入ることになる。4は目にみえる宇宙の数、物質の数である。

p287
神秘主義に通じている読者であれば、水、それも空から降ってくる水以上に優れた「オカルト消毒薬」はないことをご存知のことと思う。これは体や福にこびりついた磁気的な力をすべて洗い流してくれる。水は磁気力を吸収する素晴らしい力をもっているのだ。これは最高のオカルト洗浄剤である。


テオドール・イリオン氏は序文で、「わたしは、どのような宗派、教派、政党にも所属していない。わたしはただの人間である。そこで、本書において、わたしは一人の人間として読者に語りかけるつもりである」と書いているが、その思考パターンには一神教の影響下にある神秘主義が感じられる。

秘教結社の地下都市に招かれ、そこのリーダーと会った彼は下記のように書いている。
p278
「(略)あなたは、自然界があなたの命令に従うような力を手にしなければならないのです」。かれはこう語ると、物を欲することと物に命じてこちらに来させることの違いを、サンスクリット語2語で説明した。
彼は、創造主と同じレベルに自分を引き上げるよう、わたしを誘っているようだ。一方、わたしは、被造物として充実した生き方をすることが人生最大の価値であることを知っていた。それは、創造主の子として力強く生きることだ。わたしは、「物に命じてこちらに来させる」というような創造主の真似事をしようなどと、一度たりとも考えたことはない。

p288
彼らはみな、堕ちた天使だったのだ。神のようにならんと欲し、そのために自らの栄光を失ったあの天使たちだったのだ! 戻る見込みなき奈落の底に自らをまっさかさまに投げ落とした彼らは、今や他の者たちをも仲間に引き入れ、奈落の底に陥れようとしていたのである。


うーん。創造主という観念は一神教的だし、堕天使という発想もキリスト教的だ。
もしかしたら、地下都市のリーダーは「世の中の仕組みや法則を認識すれば、目の前の欲望にとらわれることなく、もっとすごいレベルから世の中を見ることができるよ」というくらいの提案しかしていなかったもしれない。
「悪魔の都」呼ばわりして急に地下都市から逃げていったテオドール・イリオン氏は、逃走中に呪術攻撃を受けていたと確信しているけど、ほんとうは地下都市の人たちに旅の幸運を祈られていたかもしれない。

その後、“素直の山”で別の霊的教師に会った時のことも次のように書いている。
p310
さて、教師は霊的な指導の無意味さに注意を寄せて講和を開始した。彼がいうには、誰もが自分にとっての霊的な光となり、自分自身の導きとならねばならない。冷静は与えられるようなものではない、と彼はいい、この言葉を何度も繰り返した。霊性は常にそこにある、人は自分自身を完成させることによってそれを手にしなければならない。この感性に至る道は内観、つまり自分自身を理解し物事の真の価値を発見することによって得られる、と彼は説いた。
彼が話せば話すほど、わたしは彼が好きになった。この人物には常識と真面目さが窺える。
講和の途中で、ネズミが屋根裏を駆け回り始めた。その音があまりに騒々しくて、話が度々中断されたが、“親切な友”も集まっている人々も動物―すべての動物―を愛しており、ネズミを追い散らすよう命じる者は一人もいなかった。無抵抗が彼ら全員に共通する態度であることを、すぐその後で知った。どのような種類の動物に対しても受け身な態度をとるという姿勢がこの中に含まれている。
わたしは、この点に関しては“親切な友”に同意できなかった。自然界には、明らかに二種類の動物がいる。馬や牛、犬に優しくする分にはその優しさも正当化できるだろう。だが、吸血ヒルや毒蛇、人喰いワニや人喰いザメにはどう優しくしろというのだろうか? これらの動物はまったく異質な部類に属するのだ。どんな愛情も優しさも、このような生物を無力にすることはできないのではないだろうか。

p311
人間の“自己意識”を完全に抹殺することによって“神のように”なろうとすることは、霊的自殺に等しいのではないか、との考えがわたしを襲った。抹殺が人生の究極目的とは到底思えない。物質界において、わたしたちが別個の存在を保てるだけの自我が必要とみなされると同じく、霊的領域においても個別性を保つのが被造物としての務めではないだろうか。ではなければ、生には何の意味もなくなってしまう。

p314
その日、“親切な友”は“無”について語った。“無になることから得られる幸福”についての話だ。非利己的人生を追求する動機として彼が勧めたものは、幸福だった。幸福の追求である。
この世の歓びと悲しみに共感する人間がどれほど苦しい思いをするかについては、一言もない。彼が勧めたのは、生からの逃避、「無」、それに続くところの「幸福」だった。利己主義の最たるものだ。
彼が部屋を辞するときに、わたしはじっくりその顔を眺めてみた。彼が自分の語った破滅的な言葉を本当に信じているのか、それとも単に操り人形にすぎないのかについて糸口となるものは、目にも、声にも、態度にも、まったく現れてはいなかった。多分、彼は操り人形にすぎないのかもしれない。欺かれている教師がもっとも危険である。欺く者が自分の言葉を信じているなら人を欺くことはなおいっそう容易になる。
わたしは、悪魔がいかにずる賢く、適応力に富んでいるか、魂を奪い取るためにどれほど沢山の巧妙な方法を心得ているかを知った。


おそらく、テオドール・イリオン氏にはあまり仏教やチベット仏教についての知識がなかったのだろう。
自分が親しんできたキリスト教的価値観や神秘学の考えを破壊してしまうような考え方は、到底受け入れられなかった。

地下都市“神秘の谷”のリーダーや“素直の山”の霊的教師は、テオドール・イリオンに悪魔呼ばわりされてしまったけど、ほんとうは尊敬に値する人格者たちだったかもしれない。
テオドール・イリオン氏の考え方は、チベット人女性との会話にも現れている。

p205
「魂をもたない動物もいるの?」
「もちろん、いるとも。退化の途上にある動物には魂はないよ」
「例えば、どんな動物がいるのかしら」
「沢山いる。カラス、ネズミなどの有害な生物がそうだ」
「そういう生き物たちは、魂をもたない人間のような振舞いをするの」
「そうだ」
「こういう生き物は、昔、人間だったことがあるのかしら」
「おそらく、何万年も昔だと思う。魂を失ってから退化し始めたのだよ」
「変だわ。あたしがインドを訪れたときには、進化の話ばかりをきかされたの。生命は常に進化している。鉱物の魂は植物の魂になり、次に動物、それが終わると人間になって、人間は最後に天使に進化することになっているといってたわ。すべては時間の問題にすぎないのですって」
「ドルマ、光と闇の間を選択できなければ生命には何の意味もないのだよ」とわたしは答えた。「生命には二つの流れがあるのだ。上昇する流れと下降する流れの二つだ。自分の魂を損なった瞬間に、人は下降流に投げ落とされるのだ」
「どんなときに魂は失われるの?」
(略)
「霊的なものを利己的な目的に使うこと。神を地上に引きずり降ろすこと。自分を創造主と同列におこうとすることだ」


一神教的な神秘学では、善と悪についての考えが深く検討されているようだ。
だが、そうではない神秘学では、絶対的に肯定されるべきもの、絶対的に否定されるべきものという善悪の概念ですら、世の中の仕組みを読み解くには不十分だとみなされている。

ネズミや毒蛇は悪で魂もなく、牛や犬は善で魂がある、と認識するのは人間にとって都合がよいかどうかという視点に立っている。相対的な基準にしかすぎない。それを絶対的なように認識するのは見誤りだ。
世の中の仕組みを把握しようとする人にとってはネズミも毒蛇も抹殺されるべき悪ではない。

進化や退化についても、進化を善、退化を悪、と認識するのであれば世の中の仕組みを見誤る可能性がある。
進化は一種の変化や複雑化、退化は一種の適応だと言える。退化が否定されるべきものだというのは客観的な視点とはいえない。

そういうわけで、この「チベット永遠の書」はたいへん興味深いおもしろい書籍なんだけど、チベット仏教のことをおとしめることになっていないかどうか、気になる。

また、この本でいちばんの山場といえば、地下都市についての記述だろう。
サンポ渓谷の中に柵に囲まれた巨大なガラスパネル(40m×40m)が7つあり、その傍らに地下都市に入る穴があるというのだ(添付のp255の画像参照)。
地下には寺院、宮殿、温室、住居棟、食堂などがあったという。
この部分があるおかげで、もしかしてフィクションなのではないかと疑われることがあるようだ。
サンポ渓谷とはもしかしたら最近観光客にもオープンになったツァンポ渓谷のことかもしれないから、本格的な調査が行われないものかと思う。

40m×40mのガラスパネルというのは相当大きなサイズだ。
壊れて砂に埋もれたとしても、遺物くらいは残っているだろう。

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憚りながら

2010-11-21 23:46:59 | Weblog
後藤組は武闘派として恐れられていた。
いつの間にか組は解散し、後藤忠政元組長は得度していたらしい。
どういう心境の変化があったのか関心があった。
春に出た本をようやく手に入れることができたので、土曜日にゆっくり読んでみた。

富士宮での少年時代、野村秋介氏との親交、政治家経済人などとの交友、UCLAでの肝移植、得度など、記述は多岐にわたる。

アマゾンのレビューでは大絶賛というわけではなさそうだが、ぼくは高く評価したい。
暴力団の大組長は、“人たらし”ではないと務まらないと聞いたことがある。
人望を集める人、人を動かせる人にはそれなりの魅力がある。
一流の“人たらし”が、どのような視点を持っているのか知っておくのはわるくない。

ヤクザについてはこんなことを書いている。
p233
ヤクザはたいてい肝臓をやられるんだ。死因の3分の1が肝臓病だと言われるぐらいでさ。一番の原因は刺青。刺青入れる時に、針で汗腺を潰すから、汗をかかんようになって、からだん中の悪いもんを外に出せなくなる。それが溜まって、肝臓がやられるんだ。
それから駐車の回し打ち。覚醒剤とかのな。あとはアルコールだ。競うようにして、浴びるほど飲むから。ヤクザ者ってのは、肝臓を痛めつける三大要素を、すべて自ら進んでやってるんだよ(笑)。

p288
そもそもヤクザの世界じゃ、他人の見ていない所で、人様の物を盗むとか、人の女房を寝取るか(笑)、コソコソするのが最も嫌われるんだ。

p290
でも兵隊になったからには、軍隊に入ったからには、組織の命令には従わなくちゃならん。
ヤクザも一緒だ。できれば人を殺したくないし、懲役にも行きたくなし、家族と別れるのも辛い。けど、一度、ヤクザになったからには、男の意地を貫かなきゃならないんだよ。まさに苦渋の選択の末に、だ。

p291
世間では「ヤクザ=人間のクズ」みたいな言い方をする人もいるが、じゃあ、逆に「堅気の方々はそんなに立派なんですか?」と聞きたいよ。親が子供を殺したり、子供が親を殺したり、子供が親を殺したり、弱い者を寄ってたかって苛めたり、と。人としての最低限のマナーも守れないような人間が増えた堅気の社会が、そんなに立派なんですか? ってな。

p291
そりゃ、一般社会の人にとっては、ヤクザは歓迎されない存在かもしれない。そんなことはヤクザ自身が一番分かってるよ。けど、だからといって、抹殺してもいいと考えるのは、はっきり言って「ファシズム」と同じだ。

曲がったことが嫌いな姿勢が伝わってくる。
だが、後藤忠政元組長は、どのような方法で大金を得てきたのかを明らかにしていない。
暴力団の人たちは、任侠だ極道だと言っても、恐喝や嫌がらせのようなことをしてお金を得て、一般の人に迷惑をかけていないだろうか。

創価学会についての記述も興味深かった。富士宮市を本拠にしていたので、創価学会が大霊園を作った頃から創価学会との関係が深かったらしい。
この本が出た頃、店頭では品切れが続き、もしかしたら創価学会の人たちが買い占めているのではないかと噂されていた。
下記のような記述が、創価学会の人たちに問題視されたのだろうか。

p108
俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。ひとつは、あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いやそれ以上に悪くなっているからだ。学会、いや、池田大作のために、それまで散々働いてきた連中や、俺みたいな協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。

p110
逆に言えば、自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、たいした人物じゃないってことだ。他人様(ひとさま)から到底、褒められるような人物じゃないから、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう見苦しい生き方もないもんだ。
そんな池田が裏で何をしてたかといったら、山崎やXをパイプ役にして、俺たちヤクザを散々利用し、仕事が終われば知らんぷりだ。それで俺たちがちょっとでも、もの言おうもんなら、今度は警察権力を使って潰しにかかる。で、それがマスコミにバレそうになったら、今度は頬かむりだ。竹入さんにも、矢野さんにも、俺にした仕打ちとまったく同じことをしてるんだよ。だから、俺もこうして公の場で居直らせてもらったわけだ。

p112
どんな宗教を信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために国会や官僚組織に入り込むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家権力の中枢にいるのはまずいよ。あいつら(学会)が何を信じようと勝手だ。また、池田個人がどんな考えを持っていようと構わん。だけど、その宗教の理屈を国に持ち込む、さらにはそれで牛耳ろうとするのは、少なくとも自由主義国家じゃ許されることじゃねえだろ。そもそもこんな組織(学会)が、「自公連立政権」だとか言って、国家の中枢でデカイ面してきたこと自体が、間違いなんだよ。

後藤忠政元組長が実際に体験したことの話がいちばんおもしろい。
週刊誌に書いてあることを批評しているような話は迫力が劣る。
また、下記のような記述は興味深かったけど、道徳ルールを説く姿勢に疑問を感じるときもあった。

p200
やっぱり今は、その人、その人が歯食いしばって、それぞれの場所で頑張らんとどうしようもない。俺なんか、昔は無茶苦茶な貧乏をしてたからよく分かるんだ。貧乏から抜け出すには、誰にも頼らず、自分の力で抜け出すしかないんだよ。(略)
「派遣切り」だか「リストラ」だか知らんが、まだまだ働ける元気な若い奴が炊き出しに並んじゃいかんだろう。人様から簡単に施しを受けて、お前たちにはプライドの欠片(かけら)もないのかと正直、ゲンナリしたよ。

暴力団の人たちは、一般社会の常識を無視して自分たちの居場所をつくり、稼ぎを得ているのではないだろうか。
一般社会の常識とは違う価値観で行動する人でも、「一般社会にも裏社会にも共通の道徳ルール」があると認識しているのだろうか。
あるいは、自分なりの基準で正しいものを追求しないと、自分のあり方を肯定できないのだろうか。
まあ、何を肯定するか、何に価値を見出すか、というのは人それぞれだ。
元組長の立ち位置はがめつくないし、気配りも感じる。

アジアの貧困地帯の子どもたちに援助を行っている話や、私費を投じて映画『BOX 袴田事件 命とは』を制作したという話が最後に述べられている。
まだまだ、これから活躍されそうなご様子。
今後も注視していきたい。

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カモミールティーお取り寄せ

2010-11-13 19:51:14 | Weblog
先日、いくつかお取り寄せ注文をした。
カミツレ研究所のカモミール製品と、オカハタの梅干しと、漁が解禁になったばかりのセコガニ(ズワイガニのメス)。

さっそく今日、カミツレ研究所のカモミール商品が届いた。
オーガニックなカモミールティーと、カモミール石鹸と、カモミールドリンク。
(カモミールは、英語ではカモマイル、ドイツ語ではカミッレ? カミッレがカミツレと表記され、カモミールの別名として認識されている)

鎮静作用のあるカモミールはむかしから好きだ。
忙しい日々のなかでも、カモミールエキス入りの風呂に入ってリラックスし、カモミールティーを飲んで会社に向かう。
年齢の割に若く見られる理由のひとつは、カモミールを愛用していることだろう。

・カミツレ研究所の華密恋(かみつれん)
http://www.kamitsure.co.jp/

江東区で印刷会社を経営している人が、故郷の長野でカモミール事業を進めている。
派手な事業ではないけど、良い材料を使い、人々の健康のことを考えて製品をつくっている姿には感銘を受ける。
化粧品業界は原価率の非常に低い製品が多いけど、カミツレ研究所の製品は、かなり減価率が高いのではないかと思う。
すべて国産の材料を使い、手間をかけて製品化している。
少々値段が高くても、その安全性や効能を考えれば、割高ではない。

・相互印刷工芸
http://www.sogo.ne.jp/outline/about_us.html


明日は梅干しが届く予定。
南高梅で有名な和歌山県田辺市の、減塩梅干しのパイオニア的な店。
オカハタの「幻の梅」と「うまい梅」。
500gでそれぞれ3000円と2900円。11月末までは5千円以上購入した人に紀州梅の酢がつく。
これは、ゲッツ板谷さんのブログで紹介されていた、おそろしく血圧が下がる梅酢。
ぼくはかなり血圧が低いのでまったく血圧を下げる必要はないんだけど、オカハタのサイトを見ていたら梅干しが食べたくなった。
むかしから酸っぱいものが苦手で、梅干しなんて興味がなかったけど、オカハタの梅干しならおいしく食べられそうな予感がある。

・オカハタ
http://www.okahata.com/

・ゲッツ板谷 血圧の高い人、健康になりたい人に吉報!
http://getsitaya.blog24.fc2.com/blog-entry-99.html


近いうちにセコガニ(セイコガニ)も届くだろう。
小さいのが1キロ、8~10杯ほどで3千円。
セコガニは年末の味覚。
上海蟹と大きさは似ているかもしれないけど、上海蟹よりはるかにおいしく、値段も安い。
内子や外子だけでなく身もおいしい。
神楽坂の居酒屋、福智屋には来週後半には香住から入荷するらしい。
この数年、自分で取り寄せたセコガニと、福智屋で食べやすくカットしてもらったセコガニを食べ比べているけど、店で食べるほうがおいしい。
カニのグレードがいいのか、保存状態がいいのか。
来週はそのあたりを確かめたいと思う。

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旅の途中

2010-11-13 17:57:15 | Weblog
休暇をとり、10月下旬から11月初旬までの二週間、ロンドンからイスタンブールまで一人で旅していた。
東欧のロマ(ジプシー)の人々の実態を見ることとが主目的。
小さなバックパックひとつ背負った身軽な格好だけど、今回ははじめて一眼カメラとノートPCを携帯。
ヤフオクで1万円余りで落札したパナソニックのレッツノートCF-R3は小さくて軽い。
バッテリーはまだ4~5時間もつので気軽に機内や車内で思いついたことをメモした。

成田からドバイまでは10時間以上。ドバイからロンドンまでも7時間以上。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、いろんなことが頭をよぎる。
下記のようなことを無意識に綴っていた。

■旅の途中
混沌とした力を想像させるゆらぎを隠蔽することによって近代は発展をとげた。
問題解決能力の高い人たちによって、うねりのある民族音楽、ひるがえる民族衣装、表裏のある人間関係などは、無駄が多いとみなされた。
整理された音楽、スマートな衣装、論理的な行動は、目的にむかって最短距離を行くことができた。
だが、長い歴史の中で成り立ってきた音楽や衣装や人間関係は、何かをなしとげるために設定されたものではない。
日々の暮らしの中で感じられるものに対して、全方位的に対応している。
ありとあらゆるものを受け止め、認識していくうちに見えてくるものもある。
何かを意識してその方向に進んでいく人も多く、その人たちのほうが競争力が強いけど、それは決して効率的ではない人たちに価値がないということではない。
はしごをかけて次のステップに行く人もいれば、空間を埋めつくしてから次の領域にはみ出していく人もいる。
うねりには、生命力がひそむ。
だから、現代にも効率を無視したようなものがいまだに各地に根強く存在する。
さっき早朝のドバイ空港で声明に似たイスラム教のアザーンを聞きながらそんなことを考えた。
これから2週間、多くのうねりにふれるだろう。
それが暴力や詐欺やナンパという形で迫ってきませんように。
今回の旅ではさっそく機内で隣の席のマダムからガムをもらったり、乗り継ぎ街の今座っている席の隣のアラブ男からレッドブルを1缶いただいた。人の好意をありがたく受け取る、良い旅の兆しだ。

■砂漠の空
早朝ドバイを発って今イラクの上空。黒っぽい水路か道路と、白っぽい砂漠が広がる。
蛇行する川の周囲に緑は少ない。
何もない世界に生きる人たちは、自分の存在を確認するために、抽象的な概念を発達させたという話を聞いたことがある。
熱く乾いた大地では、どこまでもさえぎるものがない。
ボウフラも虫も水も何も湧き出てこないだろう。
食べ物は腐食する前に干上がり、遠くから近づく侵入者が見えても、防ぐ手立てはない。
温帯や熱帯の湿潤気候の土地では、いくら刈っても雑草は生い茂るし、放っておけば食べ物はすぐ腐り、ハエの幼虫が動き回る。
生き物が育ちやすい土地では、どこまでも混沌とした世界が広がる。
あらゆる草木が生い茂り、絡み合う。さまざまな生物が自分の居場所を見つけようとする。
「日本人は論理的ではない、他者との関係の中で自分を位置づけようとする」ということがよく言われる。
ほかの人やほかの国の人の意見を気にする。
そういった馴れ合い体質は、乾燥した大地に育った思考になじんだ人には理解しにくいものだろう。
ただ、砂漠で生きていく人に砂漠で生きて行くための思考があるように、生命があふれる混沌とした自然の中で生きていくための思考にも意味はあるのかもしれない。
少なくとも、ぐずぐずして弱腰でなさけない日本にも、存在を保つための何らかの強さがあるのだろう。

■差別
差別は、世の中の仕組みを知るための格好の素材だ。
差別をただ否定するのではなくて、
なぜそういったことが生じているのか分析してみたい。
差別者を排除しても知的レベルが上がるわけではない。
犯罪者を疎外することも立派な差別。
社会問題になる差別と、問題視されていない差別がある。
ある価値観によって、差別的構造の一部が社会問題化している。
差別について考えることは、価値観やコミュニケーションの根源に触れることにつながる。

■インプット・アウトプット バランス
ワーク・ライフ バランスの研究は一時的な流行だったのだろうか、
あるいは単に本質的な視点が欠けていただけだろうか。
今や、インプット・アウトプット バランスが大事。
得たこと、出すこと
知ったこと、伝えること
売ること、買うこと
学ぶこと、活用すること
稼ぐこと、消費すること、
練習すること、実行すること
こういったバランスをよりよくすれば日々が充実する。
ぼくは何を吸収し、何を発信しているだろうか。
何を溜め、何を放出しているだろうか。
何を稼ぎ、何を消費しているだろうか。
そういったことを意識してみたい。

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