波打ち際の考察

思ったこと感じたことのメモです。
コメント欄はほとんど見ていないので御用のある方はメールでご連絡を。
波屋山人

佐野眞一の新刊、「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」を読んだ

2008-11-29 17:03:01 | Weblog
先日本屋で分厚い新刊を見つけた。
厚さ4センチくらいあるのではないかと思われるその本は意外に軽く、表紙の少女の写真も印象的で、1995円という値段も厚さのわりに安く感じられた。

沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史

「東電OL殺人事件」(2000年、新潮社)、「だれが『本』を殺すのか」(2001年、プレジデント社)などで知られる佐野眞一さん(1947年生まれ)は私の最も信頼するノンフィクション作家の1人だ。

何より文章が読みやすい。構成もしっかりしていて混乱がない。
中学生でも苦もなく読み通せるのではないだろうか。
それでいて奥は深い。

飲み口のいい日本酒が奥行きも感じさせるように、
わかりやすい映画が高度なことも語っているように、
使いやすい家具がデザイン性も高いように、
佐野眞一さんの文章はすばらしい。

この本が多くの人に読まれることを望む。
沖縄好きの人、経済に関心がある人、アンダーグラウンドな世界に興味がある人、
さまざまな人にとって興味をそそられる内容が満載の、興味深い良書である。


<参考>
「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」佐野眞一著
2008年9月30日 集英社インターナショナル発行より

p4-5
 沖縄本を覆う違和感とは何か。大江健三郎の『沖縄ノート』に象徴される「本土から沖縄に怒られに行く」「戦争の被害をすべて引き受けた沖縄に謝りに行く」という姿勢である。
 渡嘉敷島の集団自決問題の論争で、大江をエキセントリックに攻撃する漫画家の小林よしのりを擁護する気は毛頭ない。
 だが、大江は沖縄県民を一点の汚れもない純粋無垢な聖者のように描き、そうした中で自分だけは疚(やま)しさをもつ善良な日本人だと宣言し、ひとり悦に入っている、という小林よしのりの大江批判にはそれなりの説得力がある。
 沖縄県民を聖者化することは、彼らを愚弄(ぐろう)することとほぼ同義だと私は考えている。(略)

p59
―(略)ところで革マル派の拠点校は琉大だったんですか。
「それと沖縄国際大学が革マルでした。中核の拠点校は沖大」
―マスコミにも随分左翼勢力が入っていた。
「沖縄タイムスは民青、琉球新報は革マルと中核派でした。(略)

p175-176
―(略)でも媚薬って何ですか。
「ヤギのタネ付け用に使う催淫剤です」
―えっ、ヤギですか。
「その催淫剤に覚醒剤を混ぜる。で、(那覇市内の)松山のクラブに行って、女が便所に行っているスキに、女のグラスにそれを一、二滴垂らす。それを知らずに飲むと、女はもう黙っておられんわけですよ。
―はぁ?
「どんな女でも豹変します。もうやりたくてやりたくて、尻をむずむずさせる。(略)」

p246-247
 僕も奄美出身だということがすぐわかる恵という苗字で、随分いじめられました。僕は不動産関係の仕事をやっていたからわかりますが、復帰前も復帰後も『奄美と宮古はお断り』と言われて、奄美出身者はアパートにも入れなかったんです。
 奄美の女性は沖縄人と結婚するとき、みんな出身地を隠したんです。亡くなる前に『実は自分は奄美人だった』と告白する人が、いまでも沢山います」
 本土から差別された沖縄人が、奄美人を差別する。やりきれない話である。さらに神経をささくれさせるのは、沖縄の新聞がそのことを問題視しないどころか、むしろ奄美差別の風潮に加担するような論調を展開していることである。

p415
 (略)川平朝清は戦後沖縄初のアナウンサーとして知られている。(略)
川平朝清の名前は知らずとも、ディスクジョッキーのジョン・カビラ、その弟で、独特の節回しのサッカー中継で人気のあるタレントの川平慈英の父親だと言えば、大部分の人がわかるだろう。(略)
 川平家は沖縄で屈指の名門の家系である。川平の祖父、父、兄弟の名前にはすべて朝の文字が使われている。これは琉球王朝の尚王家につながる人々だけに許される名前である。

p529
 初代「ミス沖縄」を母に持つ雑誌モデルの山田優は、沖縄本島北部の恩納村の生まれ、同じく雑誌モデル出身の黒木メイサは、いま基地移転問題で揺れる名護市辺野古生まれで、二人とも後述する沖縄アクターズスクールの出身である。
 また、〇六年のミスユニバースの第二位に輝き、いまテレビレポーターとして活躍する知花くららは那覇の生まれで、やはり沖縄出身のお笑いタレントのガレッジセールのゴリとは父親が従兄同士のはとこの関係になる。ちなみに華麗なパフォーマンスで人気のあるりんけんバンドの照屋林賢は叔父、“ワタブー(太っちょ)ショー”で一世を風靡した漫談師の照屋林助は大叔父にあたる。

p535
―話は変わりますが、一説には、大正区に居住する沖縄出身者は大正区の人口(約七万二千人)の三分の一を占めているといいますね。
「大正区には沖縄出身者が二万二千人くらい住んでいますから、それくらいの割合になりますかね。大阪全体では沖縄出身者は約七万人います。大正区は同じ沖縄でも本島北部の国頭出身者が多いんです」

p596
 沖縄を最大のタレント供給源としているバーニンググループの沖縄の責任者は、ライジング沖縄の社長で、〇七年三月まで琉球ゴルフ倶楽部の社長でもあった周防の腹心の仲島辰彦である。その仲島に丁寧な取材申込書を出し、その後も頻繁に連絡したが、いつまでたっても梨の礫だった。琉球ゴルフ倶楽部や那覇市内のライジング沖縄、仲島が個人的に経営している豊見城市のディスプレイ制作会社や自宅も訪ねたが、何かやましいことでもあるのか、いつも留守だった。
 その後、周防本人から、仲島を追いかけ回すのはもういいかげんにやめてくれ、という哀訴のメッセージがある人物を介して入ってきた。事実上の取材拒否である。私に直接連絡できなかったところから考えて、周防は「日本芸能界のドン」という異名から想像される強持ての人物というよりは、たいへん小心な人物のように思えた。
 沖縄の芸能人と本土の芸能界の関係を語るうえでは周防なり仲島なりを取材することは欠かせない。私としては、いつでも取材する用意があることをあらためて周防に伝えておきたい。

p612-613(1995年、小六の少女が三人の海兵隊にレイプされた事件に関連して)
 この事件当時、沖縄県知事だった大田昌秀は「一人の少女の安全も守れず、行政の長として深くお詫びしたい」と県民にまず陳謝し、これまでこの種の事件が起きたとき米軍側に抗議に行っていた慣例を破り、米軍の責任者を知事室に呼びつけて謝罪させた。
 大田はこのとき米軍の蛮行を激しく憎む一方、アメリカ人の誠実さにもふれて感動を覚えたという。
「事件直後、アメリカの精神病理学者から百ドルとか二百ドルとかの小切手を同封した手紙が、私宛に六通ぐらい届いたんです。そこには、ほかの傷は時間がたてば治っていくが、この種の傷は時間がたてばたつほど深くなっていく、特にあの子はまだ幼いから心配だ、もし家族と県知事が許してくれるなら、自分は自費で沖縄に行き、三年間そばについて治療のお手伝いをしたい、という意味のことが書いてありました。ところが、地元の沖縄や本土からはそうした手紙が一通もこなかった。なんでこんなに対応が違うのかと思いましたね」

p622
 佐藤の接待・利権疑惑について国会で最初に口火を切った照屋寛徳は、いまだ憤懣やるかたなげな表情である。独特の節回しで佐藤問題を語る照屋の口調は、浪花節でも聴くようで耳に心地よい。だが、そのゆったりとしたエロキューションからは、却って佐藤への怒りが効果的に伝わってきた。
「米軍基地の事件事故が発生するたびに、私たちは那覇防衛施設局に抗議に行くわけです。すると佐藤勉は、三階の倉庫だか物置だかわからない所に通して相対するわけです。ところが、松山の女性に対してはフリーパスで局長室まで入れていた。その女性たちには公費で発給するタクシーチケットも私的に流用していた。はっきり言うと、あげちゃったわけですな。私が佐藤勉に一番怒っているのは、〇六年夏にパトリオットミサイルが那覇軍港から陸揚げされ深夜に嘉手納基地に運ばれたとき、佐藤が沿道で松山のホステスとお手々つないで、それを見物しておったことです。それを地元の記者から聞いたときには、本当に腹が立ちました。この男は絶対許せんと思いました」
 私が最後の沖縄入りをしたのは、〇八年の二月下旬である。このとき佐藤は知り合いの女性記者の結婚式に出るとかで、偶然那覇に来ていた。このときは妻を連れていたため、さすがにクラブ「銀座」に来て愛人のホステスに会っていない。佐藤とすれば、きっと「宴会に弁当」を持ってきたような悔しい気持ちだったのだろう。妻の目を盗んで、クラブ「銀座」の入り口まで来てボーイに挨拶だけはしている。これはもう救いようのないバカである。

p624-625
(略)二十九歳以下の完全失業率は十三パーセントにも達しています。これが七・四パーセントという全国一高い失業率をつくっている大きな原因です。一方、昨年の沖縄県内勤労者の平均月給は二十二万七千四百円と、全国最低でした。慢性的な低賃金が、沖縄の若者の働く意欲を殺(そ)いでいるのです」
 彼はそう前置きして、日銀那覇支店が調査した沖縄の〇七年における売上高人件費率と、売上高経常利益率の対全国比グラフを見せた。売上高に占める人件費の比率は、全国の一三・五一パーセントに対し、九・五六パーセントと売上高の一割にも届いていない。
 一方、売上高に占める経常利益の比率は、全国の二・七二パーセントに対し、四・五六パーセントと七割近く多い。
「この数字から言えることは、沖縄の企業が人件費を極端に抑え、企業に残す利益が極端に高いことです。簡単に言えば、沖縄の企業はぼろ儲けなんです。なぜこういうことが起きるかというと、民間の労働組合がないことが大きな原因になっていると思います。本土で労働環境と賃上げ体制をつくってきたのは鉄道労組とJC(金属労協)です。沖縄には、労働運動を引っ張ってきたその二つの牽引車がない。沖縄の労組といえば、自治労と沖教祖です。完全に官優位の世界で、県庁の職員は日本一いばって、日本一働かない。そういう沖縄独特の構造があるんです」



<参考>
沖縄から戦後日本を照射する……佐野眞一出版記念講演会(JanJanニュース)
http://www.news.janjan.jp/area/0810/0810180682/1.php


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国際基督教大学は少人数教育を行っているか

2008-11-29 12:57:08 | Weblog
国際基督教大学(ICU)は高度な教育を行っている学校として人気が高い。
規模は大きくないけど、早稲田や慶応に並ぶ入学難易度のレベルが高い学校として知られている。

先日、朝日新聞を眺めていたら、国際基督教大学について次のような記述があった。
「ノーベル賞を受賞したアメリカの研究者の多くが、実はリベラルアーツカレッジの出身者である。そこでは学生と教員の比率が10対1ほどの少人数教育が行われているのだ。ICUはそうした大学をモデルに戦後設立された」

そこで、週刊東洋経済の2008年10月18日特大号を見てみた。
「ニッポンの大学ベスト100 本当に強い大学2008」とタイトルに書いてある。
付録の「東洋経済2008年度版大学四季報」に掲載してある大学のデータは2008年5月段階の数字らしい。
教員は専任講師以上の資格者。

結果から言うと、国際基督教大学は私立の大学の中ではトップクラスの少人数教育。
だけど、ほとんどの国公立大学は国際基督教大学よりも少人数教育を行っていると言える。

これほどまで国公立と私立の間に格差があるのになぜメディアは大きく取り上げないのだろう。
文部科学省が、国際競争力のある大学づくりを目指して先進的な研究の支援を行ってる「グローバルCOEプログラム」の採択拠点も8割が国立大学。
これは政府による贔屓ではなく、私立大学の研究体制の問題が表面化しているのではないだろうか。

ただ、研究拠点として慶応大学や早稲田大学は健闘している。
国立の筑波大学より2倍も3倍多い学生数を抱えながら教員数は筑波の1574人と同じくらい。
慶応大学は1477人、早稲田大学は1689人の教員数で、毎年3件、4件の採択数がある。
採択数0件の筑波大学は多額の税金を投入されているのだからもう少し結果を出してもらいたい。

もしかしたら、マスコミは大学の広告費を気にして大学のマイナス情報はあまり報じないのだろうか。
週刊東洋経済によると、各私立大学の年間広告費は東海大学8.8億、青山学院大学3.7億、東洋大学4.2億、中央大学3.2億など、かなりお金をかけている。
広告費以外にもマスコミ、広告会社、コンサル会社に流れているお金は多いだろう。


国公立大学は教員1人あたりの学生数が少ない。
教員1人あたり10人前後、10人余りの学生数。20人を超えるところはほとんどない。

京都大学     7.6人
大阪大学     8.4人
北海道大学    8.7人
東北大学    10.1人
筑波大学    10.5人
広島大学    10.5人
東京大学    11.2人
名古屋大学   11.5人
九州大学    11.8人
東京工業大学  12.1人
お茶の水女子大学 14.2人
東京外国語大学 15.9人
一橋大学    17.7人

ところが、私立大学の場合は、教員1人あたりの学生数が20人以下であることは珍しい。極少数。

獨協大学    11.5人 →(12/4追記)正しくは42.4
北里大学    13.2人
東海大学    18.7人
昭和女子大学  18.8人
国際基督教大学 19.6人

少人数教育のイメージがある慶応や上智もそれぞれ22.5人、25.5人で国公立大の倍。
また、大規模な多くの私立大学は教員1人あたり30~40人もの学生を抱えている。

早稲田大学   31.3人
立命館大学   34.3人
立教大学    36.6人
明治大学    39.2人
同志社大学   40.1人
東京理科大学  40.2人
中央大学    41.5人
法政大学    43.6人
青山学院大学  45.1人
駒沢大学    46.6人
専修大学    50.7人

これだけ教員1人あたりの学生が多いと、教員の数が少ないともいえる。
学びたいことがあっても、専門知識を持っている教員がいない可能性がある。
大学に入る前に、どんな教員がいてどんなことを学ぶことができるのか、少し調べてから受験したほうがいいかもしれない。

また、私立大学は非常勤講師にばかり頼らないで、専任講師を増やしたほうがいいのではないか。
非正規社員を増やして人件費を削減しようとする会社のやり方を真似ても大学の競争力は上がらない。

30代の非常勤講師が増え高学歴ワーキングプアとして社会問題化している。
一概に言えないけど、50代60代の教授の中にはまともに研究成果を出していない人もたくさんいる。
彼らを1人雇う人件費があれば、優秀な30代の教員を2~3人常勤講師として雇える。

大学教員は終身雇用をやめ、定期的に、3~4年で契約を更新する制度にしてもいいのではないかと思う。


参考までに、1000人以上の専任教員を抱える大学を並べておこう。
左から、大学名、教員数、教員1人あたりの学生数。
■は私立大学、★は国立大学。

■日本大学   3033人  23.9人
★大阪大学   2877人  8.4人
★京都大学   2859人  7.6人
★東京大学   2491人  11.2人
■東海大学   2395人  18.7人
★北海道大学  2050人  8.7人
★広島大学   1814人  10.5人
■早稲田大学  1689人  31.3人
★東北大学   1641人  10.3人
★筑波大学   1574人  10.5人
★九州大学   1494人  11.8人
■慶応義塾大学 1477人  22.5人
★名古屋大学  1360人  11.5人
■近畿大学   1241人  25.6人
★千葉大学   1216人  12.0人
★信州大学   1140人  10.1人
★神戸大学   1096人  15.5人
■立命館大学  1030人  34.3人


<参考>
http://mytown.asahi.com/tama/news.php?k_id=14000150811250001
【大西直樹教授のキャンパスブログ】
■少人数教育
2008年11月24日 朝日新聞朝刊
 大学と言えば最高学府、規模は大きいほど良いと考えがちである。日本の有名大学もほとんどがマンモス大学であり、近年、さらに規模を大きくしようと新学部の設立が相次ぐ。
 ところで、教育の質を考えれば、その最も理想的な形は個人教育であり、それは、1杯のコップの水をもう一つ別のコップに移し替えるような作業である。それが何百人といった大人数を相手にした授業では、試験の採点一つをとってみても実に大仕事になる。必然的に試験の形態と回数は簡略化され、学生には「楽勝クラス」となってしまう。
 アメリカにもマンモス大学は多いが、その高等教育の特質は、小規模なリベラルアーツカレッジにある。カレッジとは英和辞書によると、単科大学とある。単科でさらに小規模とは実に心もとない感じを与え、そう誤解されてか、日本におけるリベラルアーツカレッジの認知度は低い。
 しかし、全学生数が千人から3千人規模のこうした大学こそ、アメリカにおいて最も優秀な知性を育て、優れた人材を輩出している。ノーベル賞を受賞したアメリカの研究者の多くが、実はリベラルアーツカレッジの出身者である。そこでは学生と教員の比率が10対1ほどの少人数教育が行われているのだ。
 ICUはそうした大学をモデルに戦後設立された。少人数教育ゆえ、輩出した卒業生数は創立56年で2万3千人ほどにすぎない。マンモス大学なら毎年の卒業生数ほどである。しかし、教育の密度に学生が手応えを実感している様子が、各種の調査資料によって裏付けられている。
 たとえば図書館である。本学は日本では珍しい3学期制で、期末試験は3回あるが、多くが小論文を課す。学生は参考書を図書館から借り、日本語や英語でリポートを作成することになる。必然的に学生が借りる冊数は多く、ここ数年、その平均は1人当たり年間約60冊にものぼる。ちなみに、全国の大学の平均を文部科学省の資料をもとに計算すると、1人約8冊であった。
 蔵書数がいくら多くても学生が使わない大学図書館では意味がない。その点、ICUの図書館は日本で最も学生に使いこなされていると言えよう。
 また、ベネッセ教育研究開発センターが数年ごとに実施している学生の満足度調査によれば、ICUは過去4回の調査ですべて総合1位にランクされた。07年の調査では、25ある項目のうち実に19項目において1位を占めている。
 学生の満足は、大学周辺の利便性や、いかに楽しく遊べるかによるのではない。本物の学問に学生自身が取り組める環境がどのように整っているかにある。そもそも大学とはそういうところである、という当たり前の話だ。
(国際基督教大教授)



★追記(12/4) 
週刊東洋経済2008/10/18に載っていた獨協大学の教員数は間違っていた。
別冊p4には「教員は専任講師以上の資格者」と書いてあるのに。

獨協大学って少人数教育だったっけ、とちょっと不安になって検索してみたら、こんなページがあった。

・大学受験パスナビ
http://passnavi.evidus.com/search_univ/2050/campus.html
教員数
教授126・准教授50・講師419(常勤35・非常勤384)。うち外国人教員114
学生総数
男4,880・女4,060,計8,940

8,940÷(126+50+35)=42.4

専任教員1人あたり42.4人も学生がいる。
全然少人数教育ではありませんでした。


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川島芳子は銃殺されたのか、替え玉が殺されたのか

2008-11-20 00:40:57 | Weblog
溥儀(愛新覚羅溥儀)は波乱万丈の一生を送ったラストエンペラーとして有名。
清朝が滅びたあと、日本の傀儡国家である満洲国の皇帝になっていた。

清朝は中国東北部に勢力を持っていた満族が漢族を支配下に置いて成立した支配王朝。
今でも北京の紫禁城に行くと掲げてある額には漢字と並んでモンゴル文字のような、満洲文字が見られる。

清朝の王族は日本の皇室とも交流があったらしい。
日本人の養女となって学習院に通った女性もいる。

逆に日本人が中国人の養女になることもあった。
李香蘭こと山口淑子さんは、名目上中国人の養子となっていたけど、籍は日本人のままだったのでなんとか生きて日本に帰ることができた。
日本人だと証明できなければ銃殺になるところだった。

川島芳子さんは清の王族だったけど、名目上日本人の養子になっていた。
しかし日本人の籍があるということを証明できなくて銃殺されてしまった。

男装の麗人、川島芳子の名前は、若い人には知名度が低いかもしれないけど、
何十年か前までは、清朝の王族でありながら日本と深い関わりを持ち働た川島芳子はかなりの有名人だった。

その、川島芳子さんの妹さんは愛新覚羅顕(あいしんかくらけんき)といい、中公文庫から「清朝の王女に生まれて」という本を残している。
なぜか私の手元には「愛新覚羅顕 金黙玉」さんのサイン本があった。
(たぶんブックオフで買ったものなんですけどね)

愛新覚羅顕さんの証言によると、晩年の川島芳子はモルヒネ中毒で完全に人格に破綻をきたしていたらしい。
「清朝の王女に生まれて」(中公文庫、1990年発行)の序章には次のような記述がある。


(略)
 一九四八年三月の末も近づいたある日、突然「金璧輝今晨六時四十分北京第一監獄被執行」というニュースが出ました。私は芳子姉の倒れている写真付きの新聞を見て暫くの間、なんともいえない複雑な気持ちでした。でも、正直なところ涙の一滴も、零れてきませんでした。私は、むしろ、彼女の最後はこんな風であった方が彼女らしくて良いのではないかとさえ思いました。
 その後、兄が彼女の死後の処理を北京東観音寺のお坊さん古川某氏に依頼したと聞きました。
 間もなく、私は友人のCさんから二葉の写真を見せられました。これは芳子姉が処刑された直後のもので、一枚は処刑直後地面に倒れているもので頭髪は長く、女性の断髪となっておりましたが、間違いなく本人でした。もう一枚は日本文字で川島浪速宛の遺言でした。これは或る外国記者の撮ったものだという事でした。監獄の中で彼女はモルヒネ注射も断たれ、髪も長くのばさせられたという事は聞いておりましたので、昔の彼女のイメージとは違うと思う人がいるのも無理からぬ事です。頭部の方に立って上から撮ったその写真はバッサリと髪が乱れて、顔ははっきり撮れていません。しかし、身体つきといい、手足の形といい彼女であることに間違いありません。当時すでに四十歳を越していた彼女は前よりも多少太っておりました。これで「金璧輝」の件は一応落ち着いたかのようですが、二ヵ月もたたない中に巷では、またまた彼女の事で持ちきりとなりました。今度は、死んだのは替え玉だという流言です。これはなぜかというと、当日処刑される時、国民党はなぜか中国の記者は一人も入れず、アメリカの記者を入れただけでしたので、中国の記者連中は憤慨して、法院(裁判所)にたいする鬱憤やる方なく「替え玉だ」と大々的に書きたてて報道したからだと言う事でした。このため、今になっても「川島芳子は生きている」と信じている人がいるのです。
(略)


上記の証言を目にすると、やはり銃殺されたのは川島芳子こと金璧輝本人だったのではないかと感じる。
川島芳子は死刑を回避していたのではないか、という説もおもしろそうだけど。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081116-00000048-jij-int
■川島芳子、金の延べ棒で処刑回避?=生存説めぐり旧満州で調査
11月16日16時16分配信 時事通信
 【北京16日時事】旧日本軍のスパイで、1948年に北京で処刑されたはずの「東洋のマタ・ハリ」、川島芳子が処刑を逃れ、旧満州の中国吉林省長春市で1978年まで生存していたとの情報について、同市で専門家による調査が行われており、これまでに身代わり処刑された女性の家族に金の延べ棒が渡された可能性のあることが分かった。
 調査は、義理の祖父から川島芳子生存説を告白され、遺品を託された女性画家、張※(※=金ヘンに玉)さん(41)が長春市の研究者に委託。遺品の鑑定作業などが行われている。
 調査に加わった吉林省の元芸術学校長、李剛さんによれば、替え玉になったとみられるのは末期がんの女性で、代償として金の延べ棒10本が家族に渡される約束だった。しかし、女性の妹は4本しか受け取れなかったため、内実を暴露し、裁判所に訴えた。当時の国民党当局は「デマだ」と否定したが、国共内戦でうやむやになったという。この情報は、48年4月の北京紙・北平日報でも報じられた。 


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081119-00000216-jij-int
■「立ったまま往生」=川島芳子?の最期で証言-中国
11月20日2時35分配信 時事通信
 【長春(中国吉林省)19日時事】「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれ、1948年に北京で処刑されたはずの旧日本軍のスパイ、川島芳子が処刑を逃れ、中国吉林省で78年まで生きていたと証言した画家の張※(※=金ヘンに玉)さん(41)が19日までに長春市で取材に応じ、芳子とされる「方おばさん」は「立ったままテーブルにもたれ、目を見開いて動かなくなっていた」と最期の様子を明らかにした。
 張さんによると、78年の旧暦1月15日の元宵節(げんしょうせつ)の日、11歳だった張さんは日ごろかわいがってくれた方おばさんの同省四平市の家に遊びに行っていた。「刻みたばこを買ってきて」と言いつかり、買い物をして帰ってみると、方おばさんはつえを突いたまま動かなくなっていた。そこへ張さんの義理の祖父で、芳子の監獄からの脱出にかかわったとされる段連祥さん(2004年に86歳で死亡)がやってきて、死亡を確認。死因は肺気腫に伴う心臓発作だったという。
 遺体は火葬され、張さんが遺骨を運んでいた時に雪道で転び、遺骨の一部を地面に落としてしまった。段さんから平手打ちされ、「祖父にぶたれたのは最初で最後だったので、よく覚えている」という。張さんは「方おばさんに日本の言葉や歌を教えてもらった。自分が画家になったのも、絵が好きだった方おばさんの影響かもしれない」と振り返った。
 張さんの母で、残留日本人孤児として段さんの養女となった段続★(★=檠の「木」を「手」に)さん(64)は「2000年に養父から、方おばさんが川島芳子だと打ち明けられた。驚くと同時に信じられなかった。養父から口外しないよう言われていたので、娘ともこのことで話をすることはなかった」と述べている。 
最終更新:11月20日2時35分


追記 2010/02/09
最近、「川島芳子 遺体写真」などで検索して来られる人が多いようなので、「清朝の王女に生まれて」に掲載されている写真を貼り付けてみる。




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下北、三茶を行ったり来たり

2008-11-18 21:49:17 | Weblog
昨日は会社帰りに下北沢のオオゼキに立ち寄った。
野菜や魚、肉などが種類豊富で安いのだ。

私は基本的には近所の高級スーパーに通っているのだが、同じ商品で2割も安いものを売っているのであれば、ちょっと遠い格安スーパーにも足が向く。
もちろん、高級スーパーにもいいところはある。
高品質な調味料やスパイスやハーブティーの品揃えは、格安スーパーにはかなわない。

金銭的に豊かでない私のような人間は、安い調味料にお金をかけることによって、ささやかだけど豊かな時間を感じることができる。
お金のない人にも高級スーパーはおすすめ。

オオゼキでは野菜、キノコ、鮭の白子、南アフリカのワイン(KWV)などを購入。
先日は西麻布の酒屋さんで試飲会があり、各種のシャンパンやハイレベルなワインを試してきたのだが、私は南アフリカやオーストラリアの激安ワインも好きだ。
今回購入したKWVはたったの500円。10数年前は400円で購入したこともある。
懐かしい。
この白ワインはフレッシュ。
へんな水っぽさやアルコールの刺激はなく、さらっと飲みやすい。

フライパンに昆布を並べ白ワインを少し振って、鮭の白子を上に並べる。胡椒を振る。
加熱しながらネギを切って加え、もやしも洗って上に敷きつめる。
ポン酢をちょっとかけて、フタをして蒸し焼き状態にする。

ワインを用意して、蒸し焼きにした白子を食べる。
野菜にいい味がついているけど、どうしても自分で料理をすると薄味になってしまう。
昨日はついつい飲みすぎた。


今日は、あっさりと刺身を食べるつもり。
さっき三軒茶屋の西友に立ち寄ったら、刺身の盛り合わせが半額になっていた。
イサキ、メバル、アジ、イカ、サーモン、マグロ、甘エビなどを食べつつ、また薄い白ワインかな。
ほんとうはおいしい日本酒がよかったけど、さっき酒屋の前を通るともう閉まっていた。
水芭蕉の吟醸純米を飲みたかったな。


そうそう。西友に行く前に久しぶりに三茶のブックオフにも立ち寄った。
劇団ひとりの「陰日向に咲く」、町田康の「実録・外道の条件」、李小牧の「歌舞伎町案内人」、溝口敦の「仕事師たちの平成裏起業」、佐野眞一「阿片王 満州の夜と霧」等々が1冊105円。また買い込んでしまった。

ふとブックオフの店内や入り口に貼ってあるポスターに目が行った。
神韻芸術団。中国風の格好をした女性ダンサーが踊っている写真。
近所の昭和女子大で公演があるらしい。

雑学に詳しい編集者などはピンと来る人が多いかもしれないけど、神韻芸術団は法輪功系の団体だ。
ポスターには書いてないけど、主催は「NPO法人日本法輪大法学会」など。
共催は「大紀元時報」など。
そう。中国共産党政府に批判的な、法輪功関係の団体によるイベントなのだ。

私は、法輪功(ファールンゴン)については詳しく知らない。
宗教団体なのか、気功愛好団体なのかも知らない。
ただ、法輪功のメンバーの人たちが抗議している姿を何度か近くで見たことがあるけど、敵対者を悪魔呼ばわりする姿勢にはなんだか違和感があった。

昭和女子大やブックオフは、覚悟を持って神韻芸術団をサポートしているのだろうか。
もし、何も考えずに応援しているのであれば、今後面倒なことに巻き込まれるかもしれないけど、事なかれ主義に逃げないでほしいと思う。

さーて、むずかしいことは抜きにして、今からゆっくり夕食をいただきます。


<参考>
http://jp.epochtimes.com/jp/2008/02/html/d78649.html
■中国大使館による圧力で神韻芸術祭釜山公演が中止の危機
 -釜山KBS前で、主催者側と市民団体が記者会見-(2008/2/25)


http://www.ntdtv.jp/divineshows/tokyo.html
■神韻芸術団2009世界ツアー日本公演
東京公演
公演日 2009年2月11日(水・祝)
時間 〈昼公演〉13:00開演(12:00開場)
〈夜公演〉18:00開演(17:00開場)
会場 昭和女子大学 人見記念講堂  アクセス
交通 地下鉄: 東急田園都市線(半蔵門線直通)「三軒茶屋」駅南口徒歩5分
バス: 渋谷駅より三軒茶屋方面行き「昭和女子大学前」下車すぐ
入場料 SS席 12,000円(特典付き) S席 10,000円 
A席 8,000円 B席 5,000円 C席 3,000円
割引 早割 10%OFF (2008年12月31日まで)
団体割 10%OFF
学割 2,000円(C席のみ)
予約・問合せ
チケットコールセンター (受付:9時~21時)
Tel: 03-6380-6131   Fax: 03-6380-6132
電子チケットぴあ  0570-02-9999 (P コード: 390-671)
ローソンチケット  0570-084-003 (L コード: 33444)

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葉っぱスイスイ

2008-11-12 07:49:58 | Weblog
最近大麻所持での逮捕者が増えている。
有名人の逮捕も相次いでいる。

これは、当局による「厳しく取り締まりまっせ」というメッセージなのだろうか。
大麻を吸っている人は以前から多いけど、この状態を放置していけないと政治的判断があったのだろうか。

ぼくは小学校の時に葉っぱを吸ったことがある。
独特の香りがして、ちょっとむせそうになったから肺には入れなかった。
家の裏で焚き火をしながら葉っぱを丸めてゆらーりゆらり。

などと言うと、知ってる人は「それは大麻、マリファナではないね」とわかるだろう。
大麻は葉っぱを丸めて吸うもんじゃないし。
だいいち、葉っぱには有効成分がほとんど含まれない。花穂を乾燥してタバコに混ぜたりして吸う。麻の乾燥した花穂がマリファナ。
ぼくが丸めて口にしたのは色づいた柿の葉っぱでしたー。

東南アジアの田舎町を旅しているといくらでも新鮮な大麻を手に入れることができるけど、
ぼくは手にしない。
あんまりほしいとも思わないから。

日本で大麻を吸ってる人の多くは外国で覚えてきたか、友人に何気なくすすめられた人が多いのかもしれない。
女性の喫煙率が減らないのは、女性の大麻吸引率が増えていること関係があるかもしれない。
大麻は吸引器でも吸えるけど、タバコをほぐしてタバコと混ぜて丸めなおして吸うことが多いし。

ぼくは嘘や演技が下手ですぐにバレる。
法律にひっかかることをするとすぐにつかまってしまうと予感しているから、法律に違反することに関しては慎重に行動する。
だけど、法律や社会的制裁を甘く見ている人も多いのかもしれない。

大麻でつかまったら、20歳過ぎていたら新聞や雑誌に名前が載ってしまう恐れがある。
そんなことになったらインターネットにも自分の名前がずっと残ってしまう。
ちょっと検索しても、「慶応義塾大学のキャンパス内で大麻を売買し、慶応大学2年生の内田浩太郎被告(21)と1年生の中村友士郎被告(20)が逮捕」とか。
「大麻取締法違反の疑いで逮捕された関大工学部4年、市川聖容疑者(24)」とか。

こんなことになってしまったら社会組織の秩序を維持することが重視される官僚とか銀行員とか公務員になることはむずかしいのではないだろうか。
出版社の編集者にはもぐりこめるかもしれないけど。

それにしても、大麻を吸っている人は脇の甘い人が多い。
ぼくは口が堅いから絶対に誰のことかばらさないけど、ぼくに対して以前大麻を栽培していたことを話してきた人もいるし、えー吸ったことないの?と言ってきた人もいる。
飲み会で、大麻や麻薬の体験についてしゃべってしまう人もいる。

オランダのコンクールで優勝するような、品種改良された大麻の種から栽培すると、それはすばらしい高品質なものができるんだそうだ。
ちなみにその栽培はある音楽関係者から回ってきた話らしい。
加勢大周さんも、栽培を担当する口の堅い手下がいれば自分が逮捕されることはなかったかもしれない。

マリファナパーティーの現場に原稿を取りに来た編集者に対して吸引をすすめた作家さんもいる。その人がつかまったという話はまだ聞いていない。

作家やミュージシャンや映画監督や画家には、大麻・マリファナによって感性が研ぎ澄まされていろんな作品を作ったと言う人がいるけど、どちらかというとイメージがぽんぽーんとトンだようなものが多いので、芸術作品のレベルの向上につながっているのかどうかはよくわからない。

大麻解禁派の人も多いけど、一応法律で禁止されているんだから、ある程度用心したほうがいいと思う。
下北沢周辺でマリファナ臭いにおいが漂ってくるアパートだってあるし、無用心。
吸うとまったりしてしまって警戒心が薄れるのかな。お香の匂いでごまかせない。
警察が本気になれば交通違反を検挙するよりもかんたんにマリファナ愛好者を検挙できるんじゃないかと思う。

大麻の害についてはよくわからない。
ただ、まったり気持ちよくなると、仕事をやる気が薄れたりしませんか。
どうも、大麻にはまっている人は平均すると労働意欲が低い気がするのですが。
気のせいか細野晴臣さんのような奥行きのあるすてきなまなざしの人も多いように感じますが、テンションの妙な人も多いように思う。

それに、いくら大麻の害はないとかハードな麻薬への入り口にはならないと主張しても、それに反対する主張も多い。
大麻解禁論者の意見も一理あると思うけど、丸のみにはできない。
実際、大麻を体験した人の何割かは覚せい剤、コカイン、ヘロインなどのハードな麻薬に手を伸ばしているのでは。
大麻に手を出さずにいきなりハードなドラッグに手を出す人は少ない。

大麻に手を出してその後精神科病院に通院・入院することになった人の割合は、吸ってない場合にくらべてはるかに高いし。
そういうデータも当局は公表すればいい。

大麻が合法のようになっている国や地域もあるけど、それはグダグダ状態に麻薬中毒者が増えてしまって、仕方なく歯止めとしてマリファナまでは認めることにしましょうと決めているだけではないだろうか。
マリファナを合法化している国や地域の環境が明るくて企業の生産性も高くて人々が生き生きしているかどうか、といえばそんなことはない。
内心、マリファナを合法化しないで済むならそうしたかったよ、と思っている人も多いかも。

日本はまだ欧米にくらべると麻薬中毒者は少ない。
ストレスは多い社会だけど、お笑い番組やアニメ、コスプレなどのサブカルチャー文化、ヘンタイ文化など数多くのストレス解消法があるから麻薬に逃げずに済んでいる人も多い。
ジャンキーよりヘンタイのほうがまだ心身ともに健全かも。

でも、そのうち欧米のように麻薬中毒が深刻化するかもしれない。
もし日本社会の活力を失わせたくないと指導者層が考えているのなら、大麻や麻薬は今のうちに厳しく取り締まっていたほうがいい。

なんだかんだ言いつつ、大麻を吸う人は社会秩序を守ろうとしない人が多いし。
みーんな違法行為をしてるから。
そのうち、下記のような面倒なことを言う当局の人が出てくるかもしれない。
「大麻を吸ってるような違法行為を平然としている者は社会秩序の維持に対して不利益である。大麻を解禁するわけにはいかない。だが、もし彼らが大麻を持たず、吸わず、栽培しないという順法状態を何年か維持し、さらに犯罪行為を何年か行うことかなければ、大麻を合法化しても良いという意見が出てくるかもしれない」

まあ、ぼくはべつに大麻が合法化しようが厳罰化しようが、日本の社会組織が活性化しようが混沌化しようが、どちらでもいいんですけどね。
合法化するならしてもいいし。
世捨て人系は、「社会はこうあるべき」という幻想の必要性をあまり感じないのです。

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ミクロネシアの大統領はモリさん

2008-11-12 00:09:47 | Weblog
日本人の子孫の大統領といえば、ペルーのアルベルト・ケンヤ・フジモリさんとかパラオのクニオ・ナカムラさんが有名だった。
ところが2007年の5月に、ミクロネシア連邦の大統領にイマニュアエル“マニー”モリさんが就任していたらしい。
そういえばなんとなく顔立ちもちょっと日本人に似ているかも。

ミクロネシア連邦はサイパンやグアムの南東、フィリピンの東、パプアニューギニアの北に位置する。アメリカの信託統治領から独立したのが1986年。
第一次世界大戦が終わってから、第二次世界大戦の終わりまではミクロネシアやパラオなどの地域は日本の統治下にあった。
国連で認められた委任統治領として、1922(大正11年)年には南洋庁が設置され、サイパン・パラオ・ヤップ・トラック・ポナペ・ヤルートの6支庁が設置されていた。

しかしそれよりもはるか前、1869年(明治2年)に生まれた森小弁は、1892年(明治25年)にミクロネシアのチューク島に到達し、壮絶な日々を送っていたらしい。

現地の女性と結婚して11人の子どもをもうけ、孫やひ孫がなんと1千人余り。
国民11万人の1%って、相当多いですよ。
人口10万人の市に1千人の一族がいたらけっこう影響力あるかも。

さっき高知新聞社編の本、「夢は赤道に-南洋に雄飛した土佐の男の物語」をアマゾンで注文してしまった。
届くのが楽しみ。
所属していた組織から飛び出して広い世界で縦横無尽に活躍する話を読むと、感情移入してとても楽しく感じるぼくはなぜか引きこもり気味~。


<参考>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081111-00000293-mailo-l39
■ミクロネシア大統領:知事表敬 日本で最初に移住、高知市出身の森小弁のひ孫 /高知
11月11日17時4分配信 毎日新聞
◇「交流を深めたい」
 南太平洋の島しょ国・ミクロネシア連邦のエマニュエル・モリ大統領(59)が10日、県庁の尾崎正直知事を表敬訪問。モリ大統領は、日本で最初にミクロネシアに移住した高知市出身の森小弁(こべん)(1869~1945年)のひ孫にあたり、2人は「交流を深めたい」と意気投合した。
 森小弁は1891年日本を出発し、翌年にはミクロネシアのトラック諸島に上陸。現地で結婚し、輸出などで得た資金で学校建設などに力を入れた。森小弁の子孫たちは「森ファミリー」と呼ばれ、現地の発展に貢献しているという。
 現在のミクロネシア連邦は人口約11万人でモリ大統領は銀行の役員や連邦議員などを経て、昨年5月に7代目の大統領に就任。8日に初めて来県し、祖先の墓参りなどをした。
 高知の印象を聞かれたモリ大統領は「東京のような都会を想像していたが、県民があたたかく、ゆっくりとできるところだ」と笑顔。「高知とは100年以上の関係があり、子孫として帰って来られて光栄。これからも人と人とのつながりを深めていきたい」と話していた。【服部陽】
11月11日朝刊
最終更新:11月11日19時0分

<参考>
http://en.wikipedia.org/wiki/Manny_Mori
■Emanuel "Manny" Mori
Emanuel "Manny" Mori (born December 25, 1948) is the current President of the Federated States of Micronesia. He was elected by the nation's Congress on May 11, 2007 and sworn in the same day.

<参考>
http://www.kochi-sk.co.jp/book/zin_rekisi/sekido/top.htm
■夢は赤道に-南洋に雄飛した土佐の男の物語
(高知新聞社編・B6判・1998年3月刊・定価2,100円)
 明治の中期、ミクロネシアに渡り、初の日本人定住者となった高知市出身の森小弁(もり・こべん、1869-1945年)とその子孫たちの百年の歩みを体系的に描いた本。
 森小弁は、自由民権運動にかかわるが、やがて政治に失望。南洋貿易に夢を抱いて、明治24(1891)年、帆船で横浜を出港、翌年二月、たった一人でトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク州)に上陸する。
 一時期、南の島支配の野望を抱いたが、酋長(しゅうちょう)の娘、イサベルと結婚し現地に同化。貿易で得た利益で、学校を建てるなど島の民生向上に尽くし、南洋開発に貢献した。
 子供は六男五女の十一人。四世、五世まで加えると、現在、森ファミリーは千人以上に達し、チューク州の各界で活躍中。
 戦国大名だった森家のルーツや戦前の人気漫画「冒険ダン吉」、流行歌「酋長の娘」と小弁モデル説との関係などについても考察。興味深い本となっている。

<参考>楽園からのらくがき(末永卓幸)
http://www.gokaiclub.com/suenaga/0412.html
(略)チュークに上陸した7年後、小弁は現地人の娘・イザベルをめとった。男6人、女5人、日本人の血を引く11人の男と女、小弁が血を分けた子供達である。その最後の子供が、冒頭の老人・森 六郎である。小弁の死から60年、六郎の死をもって小弁の血を継ぐ直属の者達は、このチューク諸島から姿を消した。しかし、小弁の血を引く11人の子供達から派出していったこの一族は、今では優に3,000人を超える。直属の父系一族だけでもすでに1,000人を超えている。現在ではすでに3世~6世の時代を迎えており、この森ファミリーを抜きにして、現在のチュークの社会は語れない。(略)

<参考>
http://www.jaipas.or.jp/130/130_1.html
■再びFSMに日系大統領が誕生   
小林泉(大阪学院大学教授)
 去る7月16日、ミクロネシア連邦の首都ポンペイ州パリキールで、正副大統領の就任式があった。近隣諸国の要人はもちろん、日本からも沢山の関係者らが参列した。
2007年5月11日の第15期国会で7代目の大統領に選出されたのは、チューク州のイマニュエル・モリ(Emanuel Mori)氏である。その名前から推察できるように、ミクロネシア連邦では初代のナカヤマ氏に次ぐ二人目の日系大統領であり、あの森小弁から数えて直系の4代目にあたる。日・ミ関係史に多少とも関心のある人ならば、森小弁の名には幾度となく出会っているだろう。土佐出身のいごっそう、1892年に百トン足らずの汽帆船天祐丸でトラック諸島(現チューク)に渡ってそのまま帰国することなく、地元で一大ファミリーを築いた南進のパイオニアだ。もう一人、南進パイオニアの子孫である初代大統領のナカヤマ氏が、この3月に75歳でその生涯を閉じた。そしてその直後に、同じチューク州出身の日系大統領が誕生したのは、なにかの因縁だろうか。
  少しでも日本人の血が入った者を日系人とするならば、日本が統治したミクロネシア地域には2割程度の日系人がいる、これが私の調査結果である。それからすれば、7人出た大統領のうちの2人が日系であるのは、順当な出現率と言っていい。さらに、マーシャル諸島のケサイ・ノート、パラオのトーマス・レメンゲソウの両大統領も母方の祖父が日本人だと本人が言っていたから、ほんとうならばミクロネシア三国の現職大統領すべてが日系人となる。過去に遡れば、マーシャルのカブア初代大統領、パラオのナカムラ前大統領も日系だったことが思い出される。それらを思うとモリ大統領の誕生は、まさに日本とミクロネシアとの歴史的関係の大きさを、あらためて想起させる出来事になったといえるだろう。(略)

<参考>ミクロネシア、チューク島出身のプロ野球選手「相沢進」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E6%B2%A2%E9%80%B2

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朗読

2008-11-09 13:30:04 | Weblog
もし、見る、聴く、話す、触る、匂う、などといった能力のうち、何かを失ってしまうとしたら
ぼくは迷うことなく「話す」を選ぶ。

ぼくはあまり話をしないし、頭で考えていることを文字化して声に出すプロセスがなめらかにつながらない。
即興的にすらすらと言葉を出す人を見るとすごいなと思う。

もしかしたら、共通語のネイティブ話者でないことも影響しているのかもしれない。
関西にいた頃は流れるように関西弁を操っていたけど、今は訥々としたリズムで話すことが多い。

関西におるときは、気流の中を舞うように、なめらかに関西弁を操っりょったんやけどなぁ。
まあ、関西弁ゆうても播州弁やから、大阪や神戸の言葉とはちょっとちごとったけど。

ぼくは不器用だから、一度標準語に移行してしまうと、地元に帰っても関西弁をしゃべることができない。
無理してしゃべると、わざとらしい関西弁になってしまう。


それはともかく、先日、詩や短歌の朗読を聴いた。
こういうのもありだと思う。

声は表情豊かだから、文字を元に、広い表現を行うことができる。
書道に似ているかもしれない。書道も文字を元に、表情を付加している。

だけど、そこで思い出すのは、元NTTドコモの夏野剛さんの言葉だ。
「手書きの文字よりも活字のほうが読み取りやすい」
というようなことを講演会でおっしゃっていた。

活字には明朝やゴシックをはじめ、いろんな形があるけど、基本的に統一感のある記号として使われている。
書道の文字と違い、表情で多くを語ろうとはしていない。

ぼくみたいな自称合理主義者は、文字で勝負するんだったら文字だけで勝負してもいいんじゃないのかと思う。
文字に不自由を感じて、そこから逃げ出すように写真や映像とコラボしたり、朗読をしてみても、けっきょく制約から逃げ切れないんじゃないかと思う。

だから、ぼくは当面文字だけで表現を行ってみるつもりだ。
記号の示す構造とバランスだけで、やれるところまで勝負してみたい。
制約を意識してこそ、構造やバランスを追求し、最大限の表現ができると思う。

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紙の需要増加とマイ箸

2008-11-08 20:39:24 | Weblog
原油価格が下がってきたから紙の値段高騰も一息つくだろうと、安心している人は多い。
新聞社や出版社は、紙の値段が上がると経営を圧迫してしまう。

しかし、今後も世界的に紙の値段は高騰していく可能性が高い。
需要が増えるからだ。
中国は1人あたりの紙使用量は近年激増しているけど、まだ日本の5分の1、アメリカの6分の1しかない。
これが数年後に日本の2.5分の1、アメリカの3分の1になったとする。
つまり、現在の倍の使用量。

現在(2006年)紙の生産量はアメリカ8400万トン、中国6500万トン、世界全体で4億トンだが、
中国の生産量が倍になると、一気に6500万トン、世界の生産量の6分の1が一気に増える。
そうすると、紙の原材料、古紙や木材チップの価格が高騰は目に見えている。
出版社や新聞社は新聞や本の価格を上げざるを得ない。

<参考>中国の紙事情
http://www.nikkei.co.jp/china/interview/index.aspx?n=MMCHcd013021012008

だから、今後木材資源をどう確保するか、大規模な植林の計画も含め政府や企業が検討することになるだろう。
木材資源の節約も重視されるようになるはずだ。

だけど、私はマイ箸については懐疑的だ。
資源を大事にする姿勢はすばらしいと思うけど、マイ箸を活用することが環境や木材資源の保護につながるとは限らない。

何よりも、マイ箸について発言している人たちが、無意識に多くの本を売り残し、断裁処分にしてしまっている。
処分した本1000冊を相殺するためには、いったい何年間マイ箸を使い続けなくてはならないのだろう。

大雑把な計算をしてみよう。
3.4㎥の木材チップで1000㎏の紙ができるらしい。
400gの単行本であれば2500冊もできる。
3.6㎥の木からは17万膳の割り箸ができる。

使用する木材の量を同じにして比較してみると、
10リットル入りの袋満杯の木で472.22膳のお箸ができる。
10リットル入りの袋満杯の木で400グラムの単行本が7.53冊できる。

62.7膳の割り箸で400gの単行本が1冊できる計算だ。

もちろん、単純な比較はできない。
紙の原料は古紙だったり、間伐材だったり製材したときの切れ端が多い。

だけど、62.7膳の割り箸で400gの単行本が1冊できると仮定すると、
毎日1本の割り箸を欠かさず使えば2か月で単行本1冊分の木材を消費する。

1年間使って6冊分。
50年使えば割り箸18250本分で、本にすれば300冊分だ。

先生方が作った2000冊の本のうち50%が返品されたとする。
(一般的には返品率は40%くらいだが、専門書はなかなか売れないのだ)
ごく一部古紙として業者に売る出版社もあるけど、多くは断裁して焼却処分にする。
ずっと倉庫に保管するわけにもいかないから、売れ残った本は焼却処分している。

1000冊もの本を捨てたら、朝昼晩3食に割り箸を使用しても50年間生活できるくらいの資源が焼失される。

マイ箸を持っている教授は、売れない本を出版することはやめようと思わないのだろうか。
マイ箸を持っている学生は、トイレットペーパーやコピー用紙やティッシュの使用をちょっとは節約しようと思わないのだろうか。

本の制作に関わっているとふとそんなことが頭をよぎる。

明治学院大学の辻S一教授も、筑波大学の千本H樹教授も、何万膳分の木を使った著書を焼却処分にしているのだろうか。
ごく一部の出版社では、手作業で本のカバーをはずしたりして、古紙として業者に売っている。
もし、木材資源を大事に考えていただけるなら、出版社に対し、売れ残った本を焼却処分にしないようにできないか、相談していただければと思う。

この10年20年、日本の書籍の返品率は異常なまでに高くなり、膨大の量の本が毎年焼却処分されている。
今後紙の値段が高騰すると、新聞社や出版社による紙の無駄遣いが問題視されるようになるだろう。
いくら新聞やテレビ、週刊誌などのメディアが隠蔽しても、ブログは抑えられない。

私も、できるだけ資源の浪費は避けるようにしたいと思う。
時間の浪費、お金の浪費、人間関係の浪費、労働の浪費、食材の浪費もひかえたい。
知的生活、おしゃれ生活、笑顔生活を送るためには、そんなに多くのものは必要ないはずだ。

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一仕事が終わって

2008-11-04 23:44:11 | Weblog
ぼくは人とのコミュニケーションが苦手だ。
人とどう接すればいいのかわからない。

ほめられることは好きじゃないから、ほめられたいと思わない。
もしかしたら、小さな頃に親に怒られてばかりだったから
ほめられることを受け入れられない頑なな心になってしまったのかもしれない。

それでも、時には努力することもある。
頭を使う仕事は苦手だけど、体力や持久力には少し自信もあるから
単純作業を黙々とこなすことは苦痛ではない。

自分が損するわけではないことを嫌がる必要はない。
それなりに、自分のできる範囲で貢献できるのであれば
がんばることもやぶさかではない。

ボランティアは意義がよくわからないからやったことはないけど、
合コンという楽しげな軽そうなことをやったことがないのと同じように
本当は男女何人か同士の飲み会なら普通にやっているし
無償で人のために団体のために社会のために働くということもやっているのかもしれない。

ぼくは自分を肯定することが苦手で、考えすぎで、自信もないから
自分を偉そうに見せたいとは思わない。
リーダーになりたいという野心もない。

自分を卑下して相手の立場を上げることを喜ぶほどマゾスティックでもないし、
人の上に立って人を手足のようにコントロールして充足感を感じるほどサディスティックでもない。

それでも、獅子奮迅の働きをするリーダーたちを見ると、それを見捨ててはおけない。
自分を犠牲にして献身的に働き、テンパり、上ずっている人たちに感謝する。

感謝の気持ちを失うほどまだ頑なではないから、感謝の気持ちは出し惜しみしない。
感謝することによって何か失うわけでもない。
むしろ得ることがあるのかもしれない。

リーダーの人たちに感謝する。
おそろしくたいへんな、労力も知力も持久力も必要とする仕事を遂行する姿を見て、
感謝し、畏怖を感じ、触発され、萎縮ばかりしていられず、少しはぼくも働いた。

いつかは自分が先頭に立って責任を負って行動しないといけない日が来るのかもしれない。
もし、ほんの1人か2人でも献身的に働いている人がいればその人に感謝して
ぼくもがんばることができるだろう。

ぼくはお世辞やヨイショが苦手だ。場の潤滑油になるのかもしれないけど。
空虚な言葉を使ってまで自分に利益を誘導したいとは思わない。

ほんとうに至らないところの多いぼくは、
働き者でもなく爽やかでもなくまっすぐでもなく、
ほめられると、いたたまれない。

ぼくより働かない人やむさくるしい人やひねくれた人もいるのかもしれないけど
その人たちを責められない。ぼくより働いている人はとても多い。

ぼくはただ、一生懸命身を粉にして働いている人を目にして、
傍らでいすに腰かけて本を読み続けることができないだけだ。

たいへんな仕事を成し遂げた、計画力や行動力のある人たちを尊敬します。
ほんとうにお疲れ様でした。ありがとうございました。
深く、お辞儀をします。

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